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第七章 訣別の祁山
第五十七集 歴史の影へ
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馬超軍が立ち去った後、夏侯淵は冀城を拠点として涼州の事後処理を行った。
その際、今回の動乱で活躍した趙英に対し、改めて曹操軍に仕官をしないかと誘う夏侯淵であったが、趙英は悲し気な笑みを零して丁重に辞退する。もう戦に関わるのは嫌だというのが正直な所であった。
そんな趙英の気持ちを察した夏侯淵は、深追いせずにそれを受け入れたのである。
緑風子は、あの日以来、戻って来る事はなかった。だが祁山周辺で彼の遺体が発見される事も無かった。
趙英も、呼狐澹も思った。役目を終えて帰っただけで、きっと今もどこかで生きているのだろうと。あの不敵な笑顔をして。
傷が癒えた趙英は、冀城から離れる事にした。自分が両親にとって最後の子供であると分かっていたが、役人の娘として生きるのはどうしても性に合わない。何よりも辛い思い出が多すぎた。
書庫に籠っていた母・王異は娘に別れを告げられた時も、書物に顔を向けたまま、ただ一言「そうですか……」と言っただけであった。
出発の朝に城門まで見送りに来たのは、結局は父・趙昂のみである。
そんな趙昂は娘への激励を述べた後に一言付け加えた。
「母さんな……、泣いてたぞ」
趙英はその言葉に黙って頷いた。実に母らしい。人前どころか、実の娘にすら涙を見せぬその剛毅さ。並みの男よりよっぽど豪傑である。
だがそれでも趙英に一緒に住む選択は無かった。母とは距離を置いていた方が良い関係のままでいられる。そんな関係もあるのだと思った。
毎日顔を合わせていれば、互いに激高して喧嘩を続け、いつしか憎み合ってしまうかもしれない。そしていつか必ず剣を抜いてしまう。そうなる時は、先に剣を抜くのは自分だと思うから。
そんな未来が訪れる事を避ける為に、趙英は旅立つ決意をしたのである。
そうして父と別れの挨拶を済ませると、冀城の城門を出て、そこで待っていた呼狐澹と合流した。
「さぁ、行こうか。澹兒」
まるでその言葉に返すかのように、黙って趙英を抱きしめた呼狐澹。
「もう、兒じゃない」
耳元でそう囁かれた趙英は気づいた。いつの間にか、呼狐澹の背丈は趙英と並んでいたのである。少年の成長というのは本当に早いものである。
「すまん……」
そう言って苦笑し、趙英も抱き返すのであった。結局いつかの約束は果たされる事になったのだ。
その後の涼州は、夏侯淵率いる曹操軍が弱小の豪族たちを次々と屈服させ平定していった。
中でも枹罕の河首平漢王・宋建は、王を僭称した逆賊として完膚なきまでに滅ぼされ、後世に文欽や諸葛誕に並ぶ反逆者として史書に刻まれる事になった。
そうなる事が分かっていた百官たちは、宋建に蜀への逃亡を薦めたが、老王はただ首を振って死を待ったという。
韓遂を討ち取った金城の麹演は、曹操軍に投降した後も自身の領土への欲を捨てきれず、幾度となく謀略と反乱を繰り返した後、遂には討伐され斬首される事となった。
一方で西平の閻行は曹操に厚遇され、都に仕えていた老父ともども穏やかな人生を送ったという。
酒泉の龐淯もやはり夏侯淵を通じて曹操に仕え、優秀な官吏として史書に名を遺した。母である趙娥と共に後世へと伝えられたのである。
北地の南匈奴もまた、建安二十一年(西暦二一六年)に漢の都へと入朝し、正式に曹操に仕える事となった。
左賢王である多羅克は、曹操に厚遇され、漢風の名である劉豹へと改名する。しかし彼が望んでいた想い人との再会は、遂に果たされる事はなかった。
莫浪風は渭水賊を解散し、部下の多くを夏侯淵へと預けると、自身は「宮仕えは性に合わない」と言って流浪の侠客になったそうだが、その行方は定かではない。
涼州を平定した夏侯淵は、その矛先を漢中の張魯に向けた。争いを避けると明言して曹操に降る事を決めた張魯に対し、未だに反逆者として討伐命令が出されている馬超は、その当時に蜀の劉璋を攻めていた劉備の軍門に降る事を選択した。
だが息子である馬秋は、漢中に残っていれば処刑は免れないと理解していながら、父と共に落ち延びる事を拒否した。義兄弟の契りを結んだ趙月を殺害した父を、馬秋は許す事が出来なかったのである。
唯一生き残った息子から拒絶された失意の馬超は、族弟の馬岱を始め、わずかな供回りだけを連れて劉備の許へと落ち延びた。
劉備からは厚遇されたが、彼の気性は劉備軍の古参の配下からは反感を買う事となる。旧領回復など夢と消えた馬超は、誰とも交流する事なく孤独な晩年を過ごした後に、主君である劉備よりも先に病没した。
かつて西涼の錦を名乗った熱き魂は、やはり祁山で死んでいたのであろう。
一方で漢中に残った馬秋は、曹操軍が到来して間もなく処刑された。反逆者・馬超に連なる者として連座したのである。だが斬首されるその瞬間まで馬秋は堂々と、そして晴れやかな顔だったという。これで義兄弟の許へ行けると。
張魯への恩義を返す事なく蜀へと亡命した馬超と袂を分かった龐徳は、馬秋と共に処刑される事を望んだ。しかし曹操はそんな龐徳の義侠心に惚れ込んで部下として登用する事になる。
命を拾ってくれた恩を返す為、龐徳はその後の荊州での戦いに曹操軍の将として参戦し、軍神とも呼ばれる劉備軍随一の名将・関羽との壮絶な戦いの末、戦場でその生涯を終えた。
義に依って戦場を駆け抜け、義を守って戦場に散った武人として後世に伝えられている。
漢中の主であった張魯はと言えば、民を第一に考えるその姿勢を評価され、曹操からも厚遇を受ける事となる。これによって曹操の政権下で庇護を受けた五斗米道は、後の時代まで生き残る事になったのである。
涼州と漢中を押さえた曹操軍と、蜀を押さえた劉備軍は、国境の山岳地帯を舞台として幾度も激突する事となる。
夏侯淵はそんな最前線にある定軍山での戦いで、劉備軍の老将・黄忠の奇襲によって命を落とした。
旗揚げから曹操に付き従い、その版図拡大に大きな貢献をした夏侯淵は、最後まで主君の為に前線に立ち続け、そして散っていったのである。
そして趙英の父・趙昂もまた、そんな定軍山の戦いに参陣し、恩人である夏侯淵と運命を共にした。
その後、天下は曹操、孫権、劉備によって三分されたまま、曹操はその生涯を終えた。
息子の曹丕が後を継ぐと、間もなく後漢皇帝・劉協(献帝)に禅譲(帝位を譲る事)を迫った。
ここに後漢王朝は終わりを迎え、魏王朝が誕生したのである。
魏王朝の領土となった涼州では、州府の置かれている漢陽郡は天水郡へと名を変え、かつて馬超と戦った涼州の者たちも、その多くが次の世代へと交代していた。
姜敍の甥・姜維は、そんな天水で成人を迎えていたが、蜀の諸葛亮が天水に攻め入った際、親友である尹賞ともども内通を疑われ、仕方なく蜀へと亡命する事となる。
この際に、一族の仇である馬超が仕えていた蜀に降る事を最後まで躊躇していた姜維であったが、その馬超が既に病死していた事で、その決心をしたという。
諸葛亮亡き後、その姜維が蜀の名将として最後まで魏との戦いを続けたというのは歴史の皮肉であろう。
そんな姜維や尹賞の学問の師母であった王異は、平定された涼州で老後を過ごしたが、それまでの戦いで、夫も、子供も、その家族全てを失っていた。彼女自身が常々言っていた様に、それは義を守っての結果である。
涼州の貞婦は、その望み通りに史書にその名が刻まれ、後世に至るまでその名は残された。
だが彼女は本当に幸せだったのか。それは彼女自身が何も語らず、史書にも残されていない以上、後世の者は想像するしか無いだろう。
さて趙英であるが、仕官を断った後、夏侯淵が部下に命じて曹操への報告にその名を出さないよう徹底させていた。
挙兵の頃から付き従っていた夏侯淵は、主君である曹操の悪癖はよく分かっていた。もしも趙英の事を知れば、絶対に欲しがってしまうだろう。それは戦や政治には関わりたくないという趙英の気持ちを察しての配慮であった。
それ故に史書には、母・王異の伝に名前が散見されるのみで、その生涯は一切記録される事が無かった。
だが涼州の動乱を生き延びた者の記憶には、あの日の祁山砦に集まった者たちの記憶には、その姿が強く焼き付いていたであろう。
青き宝剣を振るって戦った、勇ましき女侠の姿が……。
その際、今回の動乱で活躍した趙英に対し、改めて曹操軍に仕官をしないかと誘う夏侯淵であったが、趙英は悲し気な笑みを零して丁重に辞退する。もう戦に関わるのは嫌だというのが正直な所であった。
そんな趙英の気持ちを察した夏侯淵は、深追いせずにそれを受け入れたのである。
緑風子は、あの日以来、戻って来る事はなかった。だが祁山周辺で彼の遺体が発見される事も無かった。
趙英も、呼狐澹も思った。役目を終えて帰っただけで、きっと今もどこかで生きているのだろうと。あの不敵な笑顔をして。
傷が癒えた趙英は、冀城から離れる事にした。自分が両親にとって最後の子供であると分かっていたが、役人の娘として生きるのはどうしても性に合わない。何よりも辛い思い出が多すぎた。
書庫に籠っていた母・王異は娘に別れを告げられた時も、書物に顔を向けたまま、ただ一言「そうですか……」と言っただけであった。
出発の朝に城門まで見送りに来たのは、結局は父・趙昂のみである。
そんな趙昂は娘への激励を述べた後に一言付け加えた。
「母さんな……、泣いてたぞ」
趙英はその言葉に黙って頷いた。実に母らしい。人前どころか、実の娘にすら涙を見せぬその剛毅さ。並みの男よりよっぽど豪傑である。
だがそれでも趙英に一緒に住む選択は無かった。母とは距離を置いていた方が良い関係のままでいられる。そんな関係もあるのだと思った。
毎日顔を合わせていれば、互いに激高して喧嘩を続け、いつしか憎み合ってしまうかもしれない。そしていつか必ず剣を抜いてしまう。そうなる時は、先に剣を抜くのは自分だと思うから。
そんな未来が訪れる事を避ける為に、趙英は旅立つ決意をしたのである。
そうして父と別れの挨拶を済ませると、冀城の城門を出て、そこで待っていた呼狐澹と合流した。
「さぁ、行こうか。澹兒」
まるでその言葉に返すかのように、黙って趙英を抱きしめた呼狐澹。
「もう、兒じゃない」
耳元でそう囁かれた趙英は気づいた。いつの間にか、呼狐澹の背丈は趙英と並んでいたのである。少年の成長というのは本当に早いものである。
「すまん……」
そう言って苦笑し、趙英も抱き返すのであった。結局いつかの約束は果たされる事になったのだ。
その後の涼州は、夏侯淵率いる曹操軍が弱小の豪族たちを次々と屈服させ平定していった。
中でも枹罕の河首平漢王・宋建は、王を僭称した逆賊として完膚なきまでに滅ぼされ、後世に文欽や諸葛誕に並ぶ反逆者として史書に刻まれる事になった。
そうなる事が分かっていた百官たちは、宋建に蜀への逃亡を薦めたが、老王はただ首を振って死を待ったという。
韓遂を討ち取った金城の麹演は、曹操軍に投降した後も自身の領土への欲を捨てきれず、幾度となく謀略と反乱を繰り返した後、遂には討伐され斬首される事となった。
一方で西平の閻行は曹操に厚遇され、都に仕えていた老父ともども穏やかな人生を送ったという。
酒泉の龐淯もやはり夏侯淵を通じて曹操に仕え、優秀な官吏として史書に名を遺した。母である趙娥と共に後世へと伝えられたのである。
北地の南匈奴もまた、建安二十一年(西暦二一六年)に漢の都へと入朝し、正式に曹操に仕える事となった。
左賢王である多羅克は、曹操に厚遇され、漢風の名である劉豹へと改名する。しかし彼が望んでいた想い人との再会は、遂に果たされる事はなかった。
莫浪風は渭水賊を解散し、部下の多くを夏侯淵へと預けると、自身は「宮仕えは性に合わない」と言って流浪の侠客になったそうだが、その行方は定かではない。
涼州を平定した夏侯淵は、その矛先を漢中の張魯に向けた。争いを避けると明言して曹操に降る事を決めた張魯に対し、未だに反逆者として討伐命令が出されている馬超は、その当時に蜀の劉璋を攻めていた劉備の軍門に降る事を選択した。
だが息子である馬秋は、漢中に残っていれば処刑は免れないと理解していながら、父と共に落ち延びる事を拒否した。義兄弟の契りを結んだ趙月を殺害した父を、馬秋は許す事が出来なかったのである。
唯一生き残った息子から拒絶された失意の馬超は、族弟の馬岱を始め、わずかな供回りだけを連れて劉備の許へと落ち延びた。
劉備からは厚遇されたが、彼の気性は劉備軍の古参の配下からは反感を買う事となる。旧領回復など夢と消えた馬超は、誰とも交流する事なく孤独な晩年を過ごした後に、主君である劉備よりも先に病没した。
かつて西涼の錦を名乗った熱き魂は、やはり祁山で死んでいたのであろう。
一方で漢中に残った馬秋は、曹操軍が到来して間もなく処刑された。反逆者・馬超に連なる者として連座したのである。だが斬首されるその瞬間まで馬秋は堂々と、そして晴れやかな顔だったという。これで義兄弟の許へ行けると。
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漢中の主であった張魯はと言えば、民を第一に考えるその姿勢を評価され、曹操からも厚遇を受ける事となる。これによって曹操の政権下で庇護を受けた五斗米道は、後の時代まで生き残る事になったのである。
涼州と漢中を押さえた曹操軍と、蜀を押さえた劉備軍は、国境の山岳地帯を舞台として幾度も激突する事となる。
夏侯淵はそんな最前線にある定軍山での戦いで、劉備軍の老将・黄忠の奇襲によって命を落とした。
旗揚げから曹操に付き従い、その版図拡大に大きな貢献をした夏侯淵は、最後まで主君の為に前線に立ち続け、そして散っていったのである。
そして趙英の父・趙昂もまた、そんな定軍山の戦いに参陣し、恩人である夏侯淵と運命を共にした。
その後、天下は曹操、孫権、劉備によって三分されたまま、曹操はその生涯を終えた。
息子の曹丕が後を継ぐと、間もなく後漢皇帝・劉協(献帝)に禅譲(帝位を譲る事)を迫った。
ここに後漢王朝は終わりを迎え、魏王朝が誕生したのである。
魏王朝の領土となった涼州では、州府の置かれている漢陽郡は天水郡へと名を変え、かつて馬超と戦った涼州の者たちも、その多くが次の世代へと交代していた。
姜敍の甥・姜維は、そんな天水で成人を迎えていたが、蜀の諸葛亮が天水に攻め入った際、親友である尹賞ともども内通を疑われ、仕方なく蜀へと亡命する事となる。
この際に、一族の仇である馬超が仕えていた蜀に降る事を最後まで躊躇していた姜維であったが、その馬超が既に病死していた事で、その決心をしたという。
諸葛亮亡き後、その姜維が蜀の名将として最後まで魏との戦いを続けたというのは歴史の皮肉であろう。
そんな姜維や尹賞の学問の師母であった王異は、平定された涼州で老後を過ごしたが、それまでの戦いで、夫も、子供も、その家族全てを失っていた。彼女自身が常々言っていた様に、それは義を守っての結果である。
涼州の貞婦は、その望み通りに史書にその名が刻まれ、後世に至るまでその名は残された。
だが彼女は本当に幸せだったのか。それは彼女自身が何も語らず、史書にも残されていない以上、後世の者は想像するしか無いだろう。
さて趙英であるが、仕官を断った後、夏侯淵が部下に命じて曹操への報告にその名を出さないよう徹底させていた。
挙兵の頃から付き従っていた夏侯淵は、主君である曹操の悪癖はよく分かっていた。もしも趙英の事を知れば、絶対に欲しがってしまうだろう。それは戦や政治には関わりたくないという趙英の気持ちを察しての配慮であった。
それ故に史書には、母・王異の伝に名前が散見されるのみで、その生涯は一切記録される事が無かった。
だが涼州の動乱を生き延びた者の記憶には、あの日の祁山砦に集まった者たちの記憶には、その姿が強く焼き付いていたであろう。
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