とあるTSFによってアンチの日常は終了してしまいました。

型抜久遠

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チュートリアル

7.大転変の齎した悲劇

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7.大転変の齎した悲劇

「お、おじゃまします……」

 幽霊屋敷のごとき我が家へ、伊織は声のトーン低めに恐る恐る足を踏み入れる。

 家の中は静かだった。
 ほのかに漂う木の香りと、継ぎ接ぎされてボロボロになっている廊下のフローリング。割れた窓ガラスの補強板で昼間なのに室内は薄暗く、訪れた者を不安にさせるが……それだけだ。
 ゴミに埋め尽くされているわけでもなく、お化けが潜んでいるわけでもない。少々不自然に修復された後があるだけの普通な玄関だ。

「な、なんだ。外のは見かけ倒しじゃない。まったく、人を驚かせ……ッ!」

 ホッとした伊織が脱いだ靴を揃えようしたとき、気が付いたようだ。

「なに……これ?」

 およそ、伊織の靴が十個ほど詰め込めそうな面積のある靴が傍らに置かれている。
 その靴は人間が履くのは無理だと誰もが思うだろう。

 でも……いるのだ。
 その靴を履ける巨人みたいな人類の存在が。しかも、その靴はサイズが小さくなって履き古したものなのだ。

 伊織の表情が得体の知れない何かに対する不安で曇っていく。

「おや、荒野。帰ってきたのですか?」

 家の奥から底冷えするように低く、剃刀のように鋭い声が聞こえた。
 ギシ……ギシ……と、フローリングを哭かせて、暗がりの奥から人影が近づいてくる。

「おや、お友達ですか?」

 現れたのは厳つい男の姿だった。
 黒金のごとき頭髪を逆立て、無骨な顔には髭とモミアゲが同化しかけており、目元は切れ長のサングラスで覆われている。
 本来であればその筋の服が似合いそうな容姿だが、現在身につけている装備は防弾性皆無の長年愛用している割烹着姿であり、その手には鋭利な輝きを放つ包丁が握られていた。

「――こ、木枯くん! こ、この、強面な方は!?」
「俺の〝母親〟だ」

 事実を口にした途端、伊織が雷にでも打たれたように驚愕した。

「うそでしょ! だって、いくらなんでも……」
「本当のことなんだから仕方ないだろ」

 誰がどう見ても、その筋の人としか思えない。だが幾多の戦場を潜り抜けた貫禄を漂わせるこの〝男〟こそが俺の母親、木枯菫なのだ。
 もちろん、元々はちゃんとした女性で普通の主婦だった。しかし大転変によって、他の人たちと同じように性別が反転したわけだが……のういうわけか比べようにも比べられないほど、劇的に変わり果ててしまっていた。

 息子の自分でも、未だにこれを母と呼ぶのは抵抗があるくらいだ。

 俺は横目で伊織をチラリと見やる。

「………………」

 固まっていた。

 反転者に対する拒否反応がどうかというより、単純に命(タマ)盗られるという怯え方だろう。

「荒野、帰ったのならただいまと言いなさい」
「――ッた、ただいま母さん!」

 唐突に矛先がこちらへ向けられてブルってしまう。

「それで、そちらの方は?」

 刃物のような眼力がサングラスの下から射られる。
 目線の先には、ヘビの腹ん中でカエルになっていそうな伊織がいた。
 赤、青、白と、面白いように顔色が変化している。走馬燈でも見ているのだろうか?

 ……ここまでかな。
 家に入る前までは威勢が良かったが、やはり駄目だったか。

 男とか女とか、反転者とか関係なく、およそ平穏とは程遠い風貌を前に、これまでこの家を訪ねた人たちが逃げ出していった。
 この無転換者の伊織も同じように、Uターンして逃げ出す5秒前になるかと思われていたが……

「――は、はじめまして! 木枯荒野くんの友達で……ひ、姫園伊織といひぃます!」

 伊織は全身を震わせながら、勇気を粕まで絞り出すようにして言ってのけた。

「友達……ですか?」
「は、はひ!」

 母という異形の猛者は、伊織の言葉を聞いて感慨深げに天井を仰いだ。

「そういえば、荒野が紅葉君以外のお友達を連れてきたのはいつ以来だったかしら? みなさん、なぜか私の姿を見たとたん、怯えた顔して逃げてしまうから心配していました」

「へ?」

 暖かさと優しさを含んだドス声に、伊織は呆けるしかなかった。

「伊織さんといいましたね。これからも、息子のことをよろしくお願いします」

 そう言い終えた母という男は、伊織に深く頭を下げた。
 伊織も「こ、こちらこそ!」と、慌てて礼を返す。そんな母としての行動を取った男は、ゆっくり顔を上げると、サングラスから覗かせる眼がギラリと俺を見た。

「てっきりガールフレンドが出来たのかと思いましたけど、気のせいでしたか」

 ひょっとして、伊織を女の子だと思ったのかな? 確かに見間違ってもおかしくない美少年だけど、無転換者だから。――そもそも、そういう心配しなくていいから!

「それでは、ゆっくりしていってくださいね」

 そう言葉を残して奥のキッチンへと戻っていく母親。ほどなくして、トントンとリズミカルな包丁の音色が聞こえてきた。

 母である木枯菫は普段、服飾デザイナーの仕事をしている。それは男に性別が変わってからも続いているが、最近では反転社会での流行が大きく変化しているらしく、事務所(※カタギ)に泊まり込むことが多くなってきた。そんな中、久しぶりの非番ということで、こんな時間から張り切って料理の仕込みをしているみたいだ。

「……はふぅ! し、死ぬかと思った」

 母の姿が見えなくなって数十秒後。伊織はヘナホナと床にしゃがみ込んだ。一気に緊張から解放されて、死地から生還した喜びをかみしめている。

「大げさだぞ。あくまで外見と性別が変わっただけで、性格とかはそのままなんだからな」
「そ、そうだっけ?」
「お前って反転者のことを必要以上に怖がっているみたいだけど、そいつらの性別が変わっても中身まで急に変貌するってわけじゃないんだぞ」
「そ、そっか。……うん、そうだった」

 伊織は自分に言い聞かせるように、自身を鼓舞させる。

 そう。この地元にいる顔見知りの人たちも、性別の変わってしまったからといって、別人になることはなかった。
 記憶や性格はそのまま。外見だけが変化して、これまでと変わらない暮らしをしている。それがおかしいと言われればそれまでだ。
 そもそも俺が気にしないように思い込もうとしているだけなのかもしれない。

「だからさ、そこまで反転者を怖がる必要はないんだ。俺もまだ苦手意識があるから、単純に慣れろなんて言えないけど、もっとこう、力を抜いたらどうなんだ?」
「木枯くん……」

 たとえ母親が殺し屋にしか見えなくなっても、中身は口うるさくも世話好きな母親のままなのだ。
 それでも怖い物は怖くて仕方がない。それは事実なのであるが、この常に張り詰めているもう一人の無転換者には、そのことを知ってもらいたかった。

 ……ん。なんかいい話っぽくなってるけど、別にそういうつもりで伊織を家に上げたわけじゃないような……。

「……でも、これで木枯くんの部屋に入る資格は出来たかな?」
「へ?」
「試していたんだよね。あた――僕が木枯くんのお母さんに驚いて逃げ出してしまうんじゃないかって、そう思っていたんでしょ」
「……まあな。とりあえず撃退成功……かな?」

 それも、思いも寄らない好印象でファーストミッションはクリアされてしまった。
 伊織の表情にはみるみる余裕が戻っていく。

「それじゃ、さっそく木枯くんの部屋へ――」

 ドッドッドッドッドッ!

 突然、地鳴りとともに家が小さく揺れた。

「え……なんの音?」

 来てしまったか……。
 我が家の金銭的出費と耐久年数をすり減らし続けるラスボスが。

 それは遙か遠くから聞こえてくる音だった。
 しかし、それは徐々に近づいて来るのが感じるように、大きくなっていくのが分かる。
 工事現場を行き来するトラックなのかという可能性もあるが、残念ながらこの辺りにそんなものはない。そもそも、そんな生易しいもんじゃない。

 これはそう……ブレーキの壊れた機関車が迫ってくるような、破壊の前兆。

「なに! 何が近づいているの?」
「……〝妹〟だよ」
「いもうと?」

 狼狽えている伊織にネタバレをしてやる。ショック死でもされたら困るからだ。

「年は十一歳。今年で小学五年生になった〝元女の子〟。名前は木枯向日葵」
「十一歳……小学生って……」

 元気で明るく、ヒマワリみたいに大きく育ってほしいという意味を込めて名付けられたのだが、今では泣きたくなるくらい大きく頑丈に育ってしまった。

「来るぞ!」

 玄関の向こうから迫る死の気配。
 大地を揺らし、その気配はビリビリと家全体に浸透させて、心臓が裏返りそうな圧迫感は濃くなっていく。
 遠くにあった音は既に轟音に聞こえるまで近づいてきていた。
 ――そして、玄関のガラスが黒い影に覆われてた瞬間!

 ガシャアアアアアン!

「ただいまああああああ!」

 鼓膜を再起不能にしかねない大音量とともに玄関を吹き飛ばして、俺たちの前に出現したのは、全長三メートルはあろうかという巨漢の大男だった。

 短めの髪を無理やり三つ編みっぽくしてみようとした異様さ。瞳は獅子を食い殺せるチワワの如く、つぶらながらも狂気さえ感じる威圧感を秘めている。
 筋骨隆々とした岩石を思わせる筋肉で全身を覆っている現代の巨人は、特注品であるシャツとサスペンダーをパッツンパッツンに膨張させながら、満面の笑みで世界一ダイナミックな『ただいま』を繰り出した。

「おかえり、向日葵」

 そんな怪物であっても俺の〝妹〟なのだ。
 俺はそんな妹に、さも当たり前に笑顔で声を掛けた。

「あ――ッ!」

 向日葵が俺の隣にいる伊織に気がついた。
 両者の目が合い、僅かな沈黙が訪れる。すると、

 バリバリバリバリ!

 向日葵は傍にあった靴箱を引き千切って、即席のバリケードに変えてみせた。しかし、その巨体の三分の一も隠れていない。
 こんなモンスターでも十一歳の〝元女の子〟中身はとっても恥ずかしがり屋さんなのだ。
 俺は隣で微動だにしていない伊織に目をやる。

「…………」

 蒼白になっていた。
 無理もない。世界の名だたるマッチョな格闘戦士でさえ、腕の一振りでホームランされそうな風貌は人類を超越している。
 そんなホラー映画に登場する怪物と遭遇してしまったら犠牲者確定だ。
 そして、バックアタックにより出入りのための玄関は塞がれているため、逃げられない。
 なんか可哀想なので、ちょっとだけ会話のきっかけを作ってやることにした。

「おい向日葵、初対面のお客さんと会ったらなんて言うんだって?」
「……こがらし……ひまわり、です」
「はい、よくできました」

 可愛さはみじんも感じられない自己紹介をした。

「は、ハジ、初めマシテ、ヒメゾノ伊織……デス」

 ネジの逃げたブリキ人形みたいな挙動で、伊織はなんとか声を絞り出す。
 伊織の言葉に呼応して、筋肉の山が動く。向日葵は依然として警戒しているようだが、靴箱を押し潰して、肉食獣のようにジワリと伊織との距離を縮めてくる。
 番犬が侵入者の匂いを嗅ぐように、今にも卒倒しそうな伊織を確認すること数秒置いて。

「ひょっとして、お兄ちゃんのおともだち?」
「まあ……そう、なるのかな?」

 俺の同意とも取れる言葉に、向日葵の双眼が輝きを放った。

「わーい! お兄ちゃんが紅葉お兄ちゃん以外のお友達を連れてきた!」

 警戒心が解けたのか、家がバウンドするほど飛び跳ねてはしゃぐ木枯向日葵(十一歳)。だが、その言い方だと俺が寂しいみたいに思われるからやめてくれ。
 そんな外見とは似ても似つかないリアクションを前にして、停止していた伊織の思考も再起動に成功していた。

「あ、あなた。本当に十一歳なの?」
「うん、小学五年生になったんだよ」

 先程の母親との邂逅もあり、伊織の外見が怪物そのものであっても、中身が年相応の子供であることが理解できた様子。
 ところが、今度の伊織の行動はそれに留まらなかった。

「な、中身が子供のままなら、触っても大丈夫なんだよね……」
「え?」

 伊織は自分から向日葵という怪物へと近づいていった。

「おい、なにやってんだ!」
「平気平気。だって、こんなに怖い外見でも、中身は子供なんでしょ。それなら危険は無いわよ」

 伊織の細い手が向日葵へ伸びる。おそらく、頭でも撫でるつもりなのだ。
 向日葵が巨大な男でも、中身は自分より年下で無害な小学生だと判断したからこその行動だ。そうしてしまえば、反転者に対する苦手意識が緩んでしまっても仕方ない。

 だけど、それは人になれた野獣をナデナデするよりも危険な行為だ!
 そんな伊織の行動が、自分に対する積極的な行為なのだということは向日葵にも伝わった。近年では誰も行わない蛮勇ともとれる優しさに、向日葵は最高の嬉し顔を浮かべて、自身の想いを行動で返そうと動いた。

「――――ッ!」

 伊織の表情が凍る。
 向日葵が満面の笑みとともに、熊すら絞め殺せそうな豪腕を左右に広がる。
 カマキリが獲物に狙いを定めたかのように、両腕の筋肉が躍動とうねりをともなって、力を凝縮させていく。

「あぶない!」

 俺は伊織に向かって飛び掛かると、その体を強引に床へと伏せさせた。
 そして、そのすぐ真上で破壊が起こる。
 豪腕を左右に交差して、周囲に衝撃波が巻き起こる。カマイタチみたいな風刃が、断熱材ごと壁を抉り取る。

「あわわわわー!」

 さらに、抱きしめる(粉砕する)対象を失った向日葵は、空振りした力に引っ張られながらバランスを崩す。トラックのごとき筋肉の塊は、俺たちの上を通過して、真っ逆さまにーー、

 バリバリグシャアアアン!

 向日葵は頭から床に突っ込んで、体の半分を埋もれさせてしまった。

「こら、向日葵! いきなり人に抱き付いたら駄目だって教えたじゃないか!」
「ご、ごめんなさーい」

 パリパリと木くずをこぼしながら顔を上げた向日葵は、ショックでシュンとしていた。
 向日葵に悪意なんて無い。ただ、ほんのちょっぴりだけ甘えようとしただけなんだ。
 それで怒るというのも厳しいことかもしれないが、大変な事態にならないためである。同年代の小学生相手なら加減を覚えたみたいだが、高校生や大人相手となると、まだまだ力のセーブが緩くなるようだ。

 それだけ普通に接しようとしてくれた伊織が嬉しかったのかもしれないけど、本気で抱き締められたら胴体が千切れるだけでは済まされない。

「ほら、早く手洗いとうがいしてきな。あと顔も洗ってこい」
「はーい」

 ドスンドスンと向日葵は洗面所へと歩いていった。
 その姿が見えなくなったあと、ようやく安堵の一呼吸ができた。

「……たく、無茶するなよ。いくら子供だからって、パワーはフランケンなんだぞ」

 筋肉は嘘つかない。そう忠告してやったのに、肝心の伊織から反応が無い。
 俺は伊織がどこか怪我したのかと思って、確認のために顔を覗き込もうとすると、

「大丈夫だったか、いお――」

 ドン!

「え……痛ッ!」

 俺は伊織に突き飛ばされ、壁に後頭部をモロにぶつけてしまう。

「おい、なにすんだ!」

 チカチカ星がチラつく視界には、ほんのり頬を赤く染めて、胸元を隠しながら、涙目になってこっちを睨んでいる伊織の顔があった。

「さ、触ったでしょ!」
「は?」
「胸! 床に伏せるとき、どさくさで片方おもいっきり掴んだでしょ!」
「ムネ、胸……ああ、確かに触ったかもしれないが、なにか問題あるのか? だって、俺たちは性別の変わらない無転換者の男同士のはずだろ」
「え、あ……えっと、……そ、そう、そういうことだったわ。……なんでもない、ちょっとびっくりして気が動転してたみたい」

 そう言いながら、伊織は衣服の汚れを払って立ち上がる。

「それに、俺が助けに入らなきゃ、この惨状の一部になってたかもしれないんだぞ」
「――――ッ!」

 伊織は周囲を見渡して息をのむ。
 壁は切り裂かれ、床には大穴が空いてある。もはや断熱材も木材もわからないくらいの残骸が飛び散っていて、まるで猛獣が暴れまわったかのような爪痕が刻まれていた。

「いくらなんでも、こんな反転者がいただなんて……」
「びっくりしたか? あの大転変でうちの母親と妹も性別が反転したんだが、なぜかあんなおかしな変わり方をしてしまったんだ」

 他の人たちはあくまで元の外見をベースとして、そのまま女性か男性かに変わっていた。
 なのに、うちだけはまったく違う、別人のような変化を遂げていたのだ。

「まったく、なんでだろうな。まあ、俺が無転換者になったことで、その分を二人が背負ってしまうことになったのかも……って、伊織?」

 家の惨状を前に立ち尽くす伊織。
 恐怖から立ち直れないでいるのかと思ったが、そうじゃない様子。

「異常な反転……周囲の影響……そして無転換者。これだけ揃えば、もう間違いない」

 ブツブツと伊織が難しそうな顔で呟いていた。

「どうした? 頭打ったか?」
「な、なんでもないわよ! それより、今度こそ木枯くんのお部屋にお邪魔してもいいんだよね?」
「う……」

 あれだけの恐怖体験をしたのなら、軽くトラウマになってもおかしくないというのに、まったく懲りた様子のない伊織の姿に呆気にとられてしまった。

「分かったよ。どうぞ、俺の部屋にお上がりくださいませ、お客様」
「やったー!」

 手放しで喜んでいる伊織であった。
 何が目的なのか分からないけど、ここまでして家に上がり込もうとした伊織の根性には恐れ入った。
 まあ……なんだ。この3年間、まともに知り合いを家に上げたのなんて紅葉以外にいなかったことだし、今なら敢闘賞で茶の1杯くらいは出しても良いとさえ思っていた。

 ーーしかし、俺はこの謎多き無転換者を招いてしまったことを、激しく後悔することになる。
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