とあるTSFによってアンチの日常は終了してしまいました。

型抜久遠

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チュートリアル

16.チュートリアル

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16.チュートリアル

 伊織のマンションを出た頃には、空はすっかり夜色に変わっていた。

 気を失った伊織については、仮眠用らしきソファに寝かせておいた。
 正直、床に放っておいてもよかったんだが……あんなんでも、あいつは無転換者の女の子。反転者ではない〝本物〟の女の子。そんな伊織を雑に扱って帰ったりしたら、無転換者の男である自分を否定してしまう気がしたからだ。
 ……いや、俺はもう無転換者ではなくなっているんだった。

「さむっ……!」

 肌寒い風に身を縮こませる。北国にとって、昼は春でも夜はまだ冬だ。
 室内では忘れかけていたけど、今の俺は女子の制服姿だった。自身のスカートに赤面しながら、このまま帰らなければいけないことに陰鬱としていると、

「こーやー、おっかえりー」
「紅葉!」

 マンションに入れてもらえなかった紅葉が、玄関前の階段に座って手を振っていた。

「なんで帰らなかったんだよ! 風邪引くぞ!」
「キシシシ、平気平気。ボクは昔と違って反転者になってからは丈夫になったんだか……ハックション!」

 紅葉は強がっているけど、俺と同じ女子の制服姿。寒くないはずがない。そんな格好で、いつ終わるんだか分からない俺を待っていたのか?

「まったく、そんなに伊織の部屋に上がりたかったのか?」

 おそらく紅葉の思っていたような展開やムードは欠片もなかったわけだが、意外なことに紅葉は首を横に振った。

「違うよ、暗くなったら荒野は一人で家に帰ることになるんだよ」
「それがどうしたんだよ?」
「そんな夜道を一人で歩いている間に、変な人に遭遇しちゃったらどうする気なの? ボクの大事な荒野が悪いオオカミさんに食べられちゃうかもしれないじゃないか? 最近そういうの増えているって回覧板でも書かれていたでしょ?」
「なっ!?」

 それは下心とは異なる、俺を心配しての言葉だったんだろう。
 しかし、それを受け入れてしまえるほど、俺は現実を……〝今〟を直視できてもいなかった。

「な、なにを言っているんだ! そんなの〝男〟の俺ならどうとでもなるだろ!」
「甘い! 甘いよ、荒野! まさにマンガやゲームでよくある典型的な襲われるフラグだよそれは!」
「は……?」
「いいかい、今の荒野は誰がどう見ても〝女の子〟なんだよ! 男から女になった時点で、今の荒野の体格や筋力も大きく変わっちゃっているんだから、そんな認識で暗い夜道を歩いて不審者と遭遇なんてしたら、自分が狼だと勘違いしちゃってる子羊ちゃんは『な、なんだお前たち! 俺は男なんだぞ! ……くっ、体に力が入らなくて振り解けない! くやしい、でも……(ビクンビクン)』なーんてことになっちゃったりして…………ふぅ」

 勝手に人をおかずにした妄想に耽りながら、身悶え起こしている元男な幼馴染に思いっきり引いてしまった。

「というわけで、ボクが荒野をお家までエスコートしてあげよう」
「へ?」
「そうすれば、女の子二人での帰り道になるけど、今の荒野を一人で帰らせるよりも安全だよ」
「女の子……二人?」
「そうだよ。ボクと目の前にいる可愛い女の子になっちゃった荒野の事だよ。ちなみに反論は受け付けないよ。そんな見え見えのバッドエンドな選択肢なんて用意させてあげないんだからね」

 紅葉の言っている女の子が誰なのかというのに、若干のタイムラグを有した。
 そして、それが自分のことだと理解すると、顔がカァーっと紅潮してしまう。

「だ、誰が女の子だよ! 俺は……俺は無転換者の男で、お前のおさな――っふぅ!」

 しかし、紅葉はもうどうしようもない俺の言葉と頭を、有無を言わさず紅葉自身のたわわな胸に埋めさせて黙らせた。

「はいはい、言いたいことは一杯あるだろうけど〝周回遅れ〟で女の子になっちゃった荒野は、反転者の先輩であるボクの言うこと聞いておきなさいよっと」
「な、なんだよそれ! 新手のセクハラかなにかかよ!」

 俺はまたなんかエロイ目に遭わせられるのではないかと思って、紅葉を剥がそうとする。

「ちょ、ちょっと荒野。そんなに暴れないでよ」
「うるせえ! だったらなにが目的だっていうんだ! こっちは今日一日で色々ありすぎてイライラしてんだぞ!」
「だからだよ! 今の荒野の頭の中は、いきなり女の子になったことで、ごちゃごちゃしてて、どうしたらいいのか分からなくなっているんでしょ?」
「――――ッ!?」

 紅葉の心を射抜く言葉に、俺の動きはピタリと止まった。

「……ボクはね、これでも3年間女の子してきたんだよ。そんなボクだって、最初の頃は、性別が変わったことで混乱したり、不安になったりもしたんだ」
「……な、なに言っているんだ。あれだけ手慣れたみたいに女の子を楽しんでいたくせに」
「うん、確かにそれなりに楽しんでるよ。でも、それは〝3年〟って時間が経ったからなんだよ。でも、成り立ての時は違ったんだよ。だからきっと、今の荒野は昔のボクと同じ気持ちでいるんだろうって、必要なのは受け止める時間なんだって、ボクは思ったんだ」

 紅葉から、いつものいやらしさは感じられない。むしろ、優しく抱き寄せられながら、暖かさと安心感に包まれてさえいた。

 ――そうだ。俺は女の子になった事実にショックを受けているんだ。
 今まで伊織や紅葉に引っ張られて考えないようにしていたけど、今になって色々な暗い気持ちが沸いてくるのを感じる。
 こんな女の身体になって、明日からどう生きていけばいい?
 それまであった自分を形成していた部分が、すっぽりと空洞化している無力感が押し寄せてきて、とても……怖くなってきている。

「大丈夫だよ、荒野」
「え?」
「荒野が抱えている不安は、ボクたち〝反転者〟は3年間で乗り越えられたんだから、荒野にもきっと乗り越えられるはずだよ」

 全て……全部……丸ごと経験済みの先進者である紅葉が、過去を振り返るような瞳で俺を見ていた。

「ボクとの関係だって何も変わらない。もし荒野が襲われそうなことになっても、無転換者だった時と同じように、この保護者であるボクが守ってあげるからね。『栗髪姫』なんて呼ばれていたのは伊達じゃないんだよ」

 ――――【栗髪姫】

 それは3年前、暗黒の中学時代。反転世界に取り残されてしまった無転換者な俺に、過激なちょっかいを掛けてくるようになった反転者から俺を守り続けたことで付いた紅葉の二つ名だ。中学時代には、その名を聞いただけで震え上がるくらい、粗暴な反転者の間で知られるほど有名だったりする。
 ようするに、俺みたいななんちゃって不良ではなく、本物に近い不良の称号を持っているってことだ。
 そんな紅葉からこれまでと変わらないままでいてくれるという言葉を聞いて、少しだけホッとしたような喜んでいいんだろうかという複雑な気持ちになった。

「ねえ、荒野。荒野自身はこれからどうしたい?」
「な、なんだよ」
「荒野の身体のことだよ。事情はどうあれ、荒野は女の子になってしまったんだ。なら、このまま女の子としてニューゲームしちゃうのかい? それとも……」

 またふざけているのかと思ったけど、紅葉の口調は真面目だった。
 紅葉の問い掛けは甘い誘惑のようでもあり、同時に苦い現実でもあった。
 俺は抱擁してくれていた紅葉の腕から抜け出して、幼馴染として向き直る。

「……確かにショックではあるけど、俺が俺であることに変わりはねえよ。伊織のワクチンがこれからどうなるのか、本人に聞いてみないと分からない。だけど、おれはたとえ女の反転者になったとしても、男の無転換者『木枯荒野』をであることを諦めるつもりはないからな!」
「そっか……うん、〝今〟はそれで良いと思うよ」

 紅葉が『やっぱりね』という感じで笑みをこぼす。

「でも残念だなー。ボクとしては荒野がそこで『女の子でもいいや』って選択肢を選んでくれたんなら、強引にボクとの結婚エンドに持ち込んでもよかったんだよ」
「お、おまえなぁ……またそういう冗談を……」
「冗談――ではなかったとしたら?」
「え……?」

 それはどういうことなのかと聞こうとした言葉は、そっと唇に触れてきた紅葉の指先によって制止される。

「……キシシシ。なーんてね、冗談だよ冗談。中学生の荒野がボクに望んできたんだもん。『性別が変わっても、中身だけは女の子が好きでいる男の子のままでいてほしい』ってね。ボクは荒野がそうやって気持ちだけでも無転換者の男の子であり続けようとしている限り、反転者の女の子になってしまったボクは、なにがあっても〝男のままでいるつもり〟だから安心してね」

 それは、もし〝無転換者〟と〝男の子〟を諦めたらどうなるのかという疑問を残した言葉だった。

 でも、そんな台詞の後にキシシシと悪戯っぽく照れ笑いを浮かべる紅葉を見て、その言葉の本当の意味について考えるのをやめてしまった。

 紅葉はたまにこういう顔を見せるんだ。
 少年のように屈託のない明るさで、無垢で朗らかな少女のように微笑むんだ。
 そのたびに、俺の胸の扉は『トクン』と鳴らされる。
 まるで、そこにいるのは俺の知らない庭咲紅葉がそこにあるかのように……。
 でも、それはあり得ないことなんだと、俺は胸の高鳴りを否定する。
 そうして、どさくさでクンカクンカと女の子になった俺の匂いを嗅ごうとしてきた紅葉をどつきながら、俺は家に向かって歩き出していた。


 ――だけど、俺は知らなかった。

 それは〝無転換者〟ではなく、〝反転者〟となった木枯荒野としての一歩でもあるということを……。

 それまで無転換者だったことで、反転世界の輪の外にいた自分が、すでに反転者という歯車の一部に組み込まれてしまっていることを……。

 そして、家では夕飯前に無断で出かけたことで、怒りの波動を纏いし母親が待ち構えていることを……。

 俺はまだ、ここまでの出来事がただの〝チュートリアル〟でしかないことを――――これから知ることになる。
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