ふくかみ~福の神になりまして~

いのら

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札束の海で泳いでみました

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 部屋に戻ると、とてとてと狐火が奥へ歩いていく。
 そしてどこからかへたったクッションをふたつ引っ張り出してきた。
 ワンコインで買える雑貨屋でフローリングの床が冷たい冬に我慢できずに買ったものだ。
 ふたつ買ったのは、あり得ない未来にかすかな希望を抱いたせい。もしかしたら、ひょっとしたらと期待した過去の自分を思い出して恥ずかしさまで蘇ってくる。
(あ~……形は違えど、まぁ、今役に立ったみたいだし、結果オーライってことで……くっ、可愛いオンナノコが使うはずだったのにぃ……)
 違う意味で可愛いとも言える狐火がクッションへ凛空を招いている。
「さぁ、お座りくださいませ」
「……ありがとよ……」
(……なんか、この短時間で、狐火がいることに慣れかけてる自分がこわい……)
 色んな切なさを感じつつ、クッションへ腰を下ろす。
 向かいに狐火もちょこっと座る。クッションの上なのに律義に正座している。
 狐火をずっと見すぎたらしい。視線に気が付いて不思議そうに聞いてくる。
「どうされました、凛空さま?」
「あぁ……いや、何でもないんだ。気にしないでくれ」
「そうですか? 凛空さまは福の神であり、わたしの主人です。遠慮などせず、言いたいことは何でもおっしゃってくださいね」
 狐火が真剣な表情でくり返し言ってくる。
「そうだな……とりあえず、その福の神とやらについて、もっと詳しく説明してもらわないとな」
「はい、凛空さま。遠慮なく何でも聞いてください。わたしがわかることでございましたら、すべてお伝えいたします」
「ん……頼むよ」
 現状、頼れるのは奇妙な目の前の存在だけ。凛空はひとつ深呼吸をして、何を聞くか考えをまとめる。
 飛び出した時に飲みかけだった紅茶がすっかり冷めた状態でミニテーブルに載っている。
 思い出したそれを一口飲み、もう一度頭の中を見直してから口を開く。
「オレは馬鹿だからさ、何度も聞くかもだけど、そこんところは許してくれよな」
 一応前置きをしてから先を続ける。
「もう一度聞くけど、オレが福の神になったことは間違いないんだよな」
 こくん、とためらいなく狐火の頭が縦に動く。
「はい、もちろんでございます。そうでなければわたしがここにおりません」
「あー……そう言えばそんなこと言ってたっけ」
「狐火の存在理由はたったひとつ。福の神に仕え、お世話することだけでございます」
 自信満々で答える狐火のお面越しの視線がなぜか痛く感じる。
「あのさ、オレは福の神とやらになれるような、たいそうな人間じゃなかったんだぜ? やっぱ、手違いでしたーとか、人違いでしたーってオチじゃないのか?」
「んー、福の神昇格システムは間違いなどあり得ません。ただ、凛空さまは思っていたより時間がかかったようですよ。あとほんの少しのところまで徳が積み上がっていたから、すぐにでも福の神になるだろうと待ち構えていたのに、まだかまだかとさんざん焦らされた。何をモタついていたのかと不思議がられていましたっけ」
 狐火が短い指を一本立ててあごに添えて、少し遠くを見ながら思い出す。
「……はぁ? だれに言われたんだ?」
「もちろん、大神さまですとも」
 狐火が誇らしげに答えたところで、凛空のカバンの中でスマホが鳴りはじめる。
 凛空と狐火の視線がカバンを見る。
 福の神とやらになったと仮定して、凛空を覚えている人間がいたのか。それともやっぱり狐火の話は嘘だったのか。
 凛空の頭の中でさまざまな考えがめぐり、スマホを取り出すまでに時間がかかった。
 何年も使い続けているスマホの画面を確認した凛空は、間抜けにも口を開けたまま固まった。
 登録した覚えがない発信者が表示されているのだ。
(……おお、かみさま……? って、まさか、大神さまってこと?)
 怪しすぎる着信に応答するのをためらう。
 動けない凛空に痺れを切らしたのか、勝手に通話がはじまってしまった。
『ハイハイハイ、ハイ! こちら、大神さまでごさいますよー。ヤッホーっい、新入りくん! ようやく神化したねー、待ってたよ~! 新入りくんはラッキーだったねぇ? 前世までの人たちが一生懸命に徳を積み重ねてくれてたから、新入りくんはあとちょっとだけでよかったんだからさー』
 スマホ画面に見知らぬ男性が映って、若い女の子みたいに両手を激しく振って、凛空が何かを言う前に、さっさと話しはじめてしまう。
『だからねぇ、まだかな、まだかな~って、ずっと、ずぅっーと待ってたんだよー。福の神史上、一番の若さで昇格すると思って楽しみにしてたのにー。一体、何をしてたの? ボクを焦らしたかったのかな? このボクをこ~んなに待たせるなんて、いや~っ、今回の新入りくんは大物だよ~』
「……はぁ?」
 やたらハイテンションで落ち着きがない大神は、一方的に話しまくる。
 外見はヤのつく裏稼業に属していそうな、厳つい顔に真っ黒のサングラス、黒スーツ姿で灰色の髪をオールバックにしている。
 怖そうな見た目とは裏腹に、女子高生みたいなマシンガントークを貫禄がある渋めのイイ声でかましてくれるのだ。
 いろんな意味で期待を裏切ってくれる。
『狐火ちゃんから説明を聞いたかな~? うんうん、まだま~だ戸惑ってるだろーけど、好きにやっちゃっていいからねー。なぁーんでも、じゃんじゃんやりたいことやって、好き勝手に生きて楽しんでよー。福の神ってのは、人間にとってのラッキータイム? フィーバー? ゴールした後のご褒美みたいなモンだから。楽しまないと損だよー? そのために必要なものならすぐに揃えられるようにシステム化したけど、足りなかったらいつでも連絡ちょーだいねぇ~。ボクはいつもスタンバイしてるからさ。で、ここまでで何か聞きたいこと、言いたいこと、あるかなぁ~?』
 ぐるん、と一回転したり両腕を広げて忙しく動きながら喋りまくった大神は、ぐぐっと強面を近づけて聞いてくる。
(……な、長かった……てか、何言ってたのか、覚えきれねぇーし……)
 うさん臭さと押しつぶされそうなマシンガントークに圧倒されて、ほとんど思考停止していた凛空はスマホを見つめたまま動けない。
『あっれー? 新入りくん、通話つながってるー? 切れちゃったかなぁ……そんなこと有り得ないはずなんだけどー』
「……つながってるし。言いたいことって言うか……オレ、ほんとに福の神とか、そんなのになったんですか?」
 さっきから同じこと言ってるな、と苦笑しつつ聞いてみると、黒ずくめの大神は腕を組んで何度も頷く。
『もっちろーん♪ このボクと通話できてるってことからして、百パー間違いなし! なにしろこの回線、神様専用だもんね。三百六十五日、二十四時間いつでも使いたい放題、かけ放題! 充電も必要なし! 通信速度も神速だから快適ね♪ じゃんじゃん、動画も見放題だよん』
「……へ、へぇー……」
(な、なぜだろう……こいつと話してると頭痛がしてくる……)
 異様なテンションについていけず、そっと目頭を指先でもむ。
『他には? 聞きたいことなぁ~い?』
「……あんた、ほんとに神様なわけ?」
『あはっ! そこ、気になる? ま、当然かもねぇ~。うん、ボクはいわゆる神様ですよー。日本には八百万神もの神がいるって考えられてるとーり、ボクだけが神様じゃないけどね……今のところ、代表を押し付けられ……コホッ、失礼……代表を任されているから大神ってことでよろしく!』
「い、今のところって……代表を押し付けられてって、どういうことだよ」
『あー、うん……いわゆる神様って奴らは、ほとんどが新入りくんみたいに、神へ昇格した存在でねぇ。神になる前が何だったのかはいろいろだけど。奴らは好き勝手に過ごしているから、神様を頼ってくる人間たちとか、相手したくないんだよー。けど、あんまりにも困っている相手を見過ごしてしまうと、弊害が大きくなっちゃうの。この辺りの事情は、おいおい狐火から聞くといいよー。とにかく、しがらみってゆーの? 面倒くさいことしたくないよねー。だれもやりたがらないし、どうしよっかー? って八百万神が集まって相談したのさ。それでね、じゃ、総選挙しよっかって決まったんだよー。代表ってことで、ひとり決めてやらせて、そいつがもう嫌だって言ったらまた集まって総選挙するの。で、今のところはボクが神様代表。何代目になるんだったかなぁー。忘れちゃったけどね~』
「……神様も選挙制なのか」
 スマホを握りしめ、凛空は遠い目をする。
(まぁ、神ってのは生きるためのしがらみから解放されてるってことなんだろうから、そりゃぁ面倒なことはしたくないわなー)
 何となく事情を察した凛空の手元から、スマホ越しに大神の声がまた流れだす。
『他に聞きたいことあ~るぅ? もしあったら、いつでも連絡ちょーだいね。あぁ、安心してちょーだいよ。その端末に番号、登録しといたし。他の機種に変更しても自動的に番号とか引き継がれるから、心配しないでいろいろ使ってみてちょーだいな。さぁーて、そっちには狐火ちゃんもいるからねぇ。後は任せて、そろそろボクは失礼するねぇ~。じゃ、ご褒美タイム、たぁっぷり楽しんでー』
 またね、と軽い挨拶を残して一方的に通話が切れた。
 凛空はスマホを握りしめたまま、暗くなった画面を呆然と眺めて無言だ。
 ズズッ……狐火がコーヒーをすする音がやけに大きく聞こえる。
「……あれ、本当に大神……?」
「そうですよ」
 まるで凛空たちの会話を聞いていたようなタイミングで、いきなり通話してきたうさん臭い大神。
 キャラの濃さが強烈すぎて、凛空は本日何度目かの思考停止状態になっている。
「…………あいつに代表を押し付けた奴らの気持ちが、ちょっとだけわかる気がするよ、うん……」
 凛空はため息を吐いて、ゆっくりスマホをカバンに戻した。



 気を取り直して冷めた紅茶を飲む。
 特に味覚が変わったりはしていない。暮らしている部屋も同じだし、持ち物がグレードアップしたわけでもない。
「神様になったって言ってもさ。変わったのはオレだけだし、いまいちピンとこないんだよなぁ……」
 向かい合う狐火につい愚痴がこぼれる。
 狐火はちょっとだけ首を傾げて、凛空をじっと見てくる。
「それにさ、流行りって言うか王道のパターンなら、こういう場合は異世界でチート能力を満喫させてやろうってノリになるもんじゃないの? 転生とか、転移とかしてさ。そりゃ、福の神も金運のチート能力なのかもしんないけど」
「え? 凛空さまは慣れ親しんだ世界で心ゆくまで遊び暮らすより、何も知らない異世界でゼロから苦労したいんですか?」
 狐火が苦労したがるなんて悪趣味ですね、とかすかな声かつ早口で言い捨てる。
 隠しきれない侮蔑の視線を向けられて、凛空は両手を握って力説する。
「苦労したいんじゃなくってだなー。世の中の小説とかアニメとかでは最強の力とか手に入れて、バッタバタこの世界にはいない生き物を倒したりさ、いろんな物を生産して金を稼いだりしてなー。今までと違う生活をするってパターンが多いんだよ」
 確かに三十年近く生きた環境から、まったく知らない環境に放り込まれて、ゼロから生活基盤を整えるのは大変そうだ。
「ご希望ならば、大神さまと交渉できますよ?」
 何でもないことのように狐火がそう言って、凛空のスマホを引っ張り出してくる。
 連絡しますか、とスマホを差し出す狐火に、凛空は首を横に振る。
「いやいやいや、あいつとは話したくねーし……てか、別に異世界とか行きたいわけじゃないから。ただパターンと違うなって思っただけだよ」
「そうですか……何度も言いますが凛空さまは福の神。お金ならば望むだけ、ポンポンと生み出せるのですから、生産とやらで稼がなくてもよろしいのですよ?」
「その福の神ってさ、役目とかやらなきゃいけないこととかないわけ?」
 凛空がイメージできる福の神と言えば、節分に豆まきをしながら鬼を追い出した後に招き入れると言う福ぐらい。それも鬼の仮面をつけた役はいても、福の仮面をつける役はいなかったから、いまいち想像がつかない。
「福の神はその名の通りでございます。ただその場にとどまるだけで幸福を招き、あまねく富をもたらす存在でございます。ですから、福の神にやらなければならないことなどありません。ご自由にお好きなことをしてお過ごしくださいませ」
「……そ、そんなセリフ、オレがちゃんと生きてる間に言って欲しかった……っ!」
 がくっと肩を落として声を震わせる凛空を、狐火が首を傾げて見ている。
「凛空さまは現在も、しっかり生きていらっしゃいますよ?」
「あ、ああ、そうじゃなくてだな。つまり人間として生活していた時に聞きたかったんだよ。今の社会ではずっと泳ぎ続けていないと死んでしまう魚みたいに、働くことが当然のことだったわけ。まぁ、オレが貧しかったのが原因でもあったわけなんだが……とにかくさ、毎日必死に働いてもいろんな名目で多くの金を奪われて、残ったほんのちょっぴりのお金しか手に入れられなかったわけ。好きなことをするお金もなかったのよ」
 狐火にこんこんと説明しながら、我が身の甲斐性のなさに恥ずかしさが増していく。
(正月に実家に帰るの、嫌だったもんなぁ……)
 凛空の従兄弟は有名大学を卒業して官庁の職員になったエリートだ。正月に必ず顔を見せるので、凛空の両親が従兄弟を褒めたたえるのを横で聞きながら、全身を言葉の刃で切り裂かれる苦痛を味わうのが恒例だった。
 その従兄弟が結婚を決めた年はさらにひどかった。それに比べておまえは、と言葉にしない両親の視線と気持ちが伝わる空気がいたたまれず、混雑しまくりの神社に逃げ込んで時間を潰したものだ。
 金を稼げない男に、価値はない。
 そんな男からも社会は強奪していくのだ。残ったカスだけで生きるのは辛くとも、社会は気にも留めない。
「好きなこと、かぁ……」
 ずいぶん長い間、こんな甘い言葉を聞いていない気がする。
 生き延びることが優先されて、心の満足度を高める余裕はまったく無く、欲しいと思うことさえしなくなっていた。
「凛空さま、今からでもお好きなことをしてくださいませ。お望みのものがございましたら、すぐにご用意いたします」
 狐火が尻尾をゆったり揺らしながら、生き生きと声を掛ける。
 ところが即答できない凛空は苦笑するしかない。
「いやぁ、そう言ってもらえるのは嬉しいんだけどさ。すぐに思いつかないんだよね……それに、必要なものを揃えるにも金がかかるだろ。金の問題はどうするわけ?」
「凛空さまは、口を開くたびに金、金とおっしゃいますねー」
 呆れた口調で狐火が首を振る。やれやれ、と心の中で思っているのが手に取るようにわかる。
(悪かったな、三十年近く生きた負け組の考えることなんざ、それしかないですよーだ)
 凛空が拗ねてあぐらをかいた足に肘をつき、ふいっと横を向く。
 狐火はそんな凛空に手を差し出した。まるで火の玉を見せた時みたいに。
「福の神になられたのです。いたるところに金があります。例えば、今何か食べたいと思ったとします。それだけでお金が現れますよ。試しにわたしの手のひらにお金が乗るところを想像しながら食べたいものを言ってみてください」
(そんな便利なシステム、あるわけないだろ)
 まるで信じていない凛空の視線をものともせず、狐火は自信満々で催促してくる。
 やってみないと引き下がらなさそうなので、少し考える。
(……そーいや、昨日のコンビニスイーツ、食べてみたかったんだ。あれ、いくらだったかなぁ)
 昨日の帰り道で食べたくなった新作スイーツを思い出す。
 ただちょっと興味があるな、程度に考えただけだったのに、いきなり何の前触れもなく狐火の丸っこい手のひらの上に千円札が出現した。
「っ! お、おい、なんだっ!」
 飛び上がって驚く凛空に対し、狐火は平然としたままお金ですと答えた。
「マジで、お金なのか? おもちゃとかじゃないの?」
「お疑いなら、ほら、手に取って確かめてくださいよー」
 狐火が差し出したお札を受け取り、凛空は透かしてみたり間違いなく紙で出来ていることを手触りで確認する。
「……どっから盗んできたっ!」
「盗んでませんってば。福の神が必要と思ったから現れたんです」
「なわけあるかーっ! お金欲しいと思うだけでもらえるなら、オレの今までの苦労はなんだったのよ!」
「ですからー、凛空さまが福の神になったからですって」
 ほんとにおばかさんですね、とものすごい小声かつ早口で狐火が呟いたことを凛空はしっかり聞き取った。
「……どっから出てきたんだ、どんな仕組みなんだ?」
「お金とはあいまいなものですからー。みんながこれをお金だと思うからこそ、お金として機能する紙切れ、またはコインなんですよ」
 まるで哲学みたいなことを言いだした狐火に、ついていけずに凛空は黙り込む。
「つまり福の神の周囲に見えなくてもいつもお金があるんです。ただ見えないだけ。それを福の神は欲しいと思ったら形にできるんです。みんなが思うお金の形に」
 どうだ、これでわかるだろと言いたげな狐火に、凛空は首を振る。
「悪い、全っ然、わかんねぇ……」
「…………はぁ……」
 狐火が思いっきり深くため息をついた。
「……凛空さまは今まで、どのようにお金を得ていたのですか?」
「あ? どうって……働いて、給料として振り込んでもらってたけど……」
「なるほど。わかりました……では、こうしてはいかがでしょう」
 額に手を当てて、しばらく考え込んでいた狐火が指をパチンと鳴らしてから、何かを思いついたと顔を上げる。
「凛空さまが慣れるまで、今まで凛空さまが得ていたような形で受け取るようにしましょう」
「は? ってことは……つまり、銀行に振り込まれるってことか?」
「はい、そうです」
「どこからだよ。働いてる組織があるわけでもないのに」
「だから、いるだけで価値があるんですって。何もしなくても、銀行に振り込まれます。どこから、と言えば世の中すべてからです。福の神がいるから世の中に幸福が増える。その恩恵を受けた者の感謝の念がまた福の神の力となり、さらに遠く広くまで恩恵を与えることができるようになるんです」
「……あー、まだはっきりわかってないけどさ。つまり前借りしてるようなもんか? で、お返しは幸福で」
「ひとまずはそう思っていてください。きっとそのうちにわかってきますよ」
 狐火は励ますつもりで言ったのに、凛空は苦笑する。
(わかる時が来るとは思えないけどな)
 何もしなくてもお金が振り込まれる。そんな夢みたいな話が本当に起こるとは思えない。
 ここで狐火の話を信じて、働かないでいたら収入が途絶えて無一文になった、なんてオチになりそう。
(……だからって、今までの職場で働けないしなぁ……)
 目の前に見せつけられた剥き出しの敵意を思い出して、凛空の胸がきりりと痛む。
「あ、でも凛空さまが今まで使っていた銀行口座も消えてしまいましたので、あくまでも架空の口座と言うことになりますが。それにATMなどなくても、二十四時間、手数料も無料で好きなだけ引き出し放題ですけれど」
「……はぁ? 今、何て言った……?」
 さらっと狐火が説明した言葉に、凛空の思考が停止する。
 狐火は尻尾を左右に揺らして、何てことない話をするように軽くくり返す。
「ですから、凛空さまの銀行口座も消失して、無かったことになっていますよ、と……」
 何しろ存在そのものが消えるのですから、と最後まで狐火が説明することができなかった。
「きーつーねーびーっ! それは本当かっ!?」
「う、う、嘘などつきませんよ! わたくしども神仕えは、主たる福の神に偽りは申せませんっ!」
 両肩をがっしり掴まれ、がくがくと前後左右に振られる狐火に鬼気迫る表情で凛空が問い詰める。
 あまりの迫力、あまりの至近距離で問い詰められ、シドロモドロの狐火の説明に凛空が両手で頭を抱えて絶叫する。
「あり得ーんっ! オレの苦労の結晶が消えただとーっ!」
「……り、凛空さま……」
 へろへろ目を回しつつ、狐火が弱々しい声で主人を呼ぶが、凛空は身もだえして気づかない。
「いざって時の為にって、削りに削った残り金を溜め続けてきたってのに! どうせ消えるなら使っておけばよかったーっ!」
 血を吐きそうな気持ちで叫ぶ凛空が落ち着くまで、狐火は黙って見守るしかなかった。


 ゴロゴロと床を転がり、心底悔しがる凛空がようやく狐火の前に座り直すまで、かなり時間がかかった。
「……すまん、狐火……オレはしばらく立ち直れそうにない……」
「い、いえ……その、よくわかりませんが……でも、今は望むだけお金を生み出せるのですから、無くした以上の金額を生み出せばよいのですよ!」
 福の神になる前の状態まで、一気に老けてしまったような落ち込みようの凛空を見かねて、狐火が両手を握りしめて力説するも凛空はうつろに笑うだけだった。
「き、気を確かに持ってくださいよ……そ、そうですね! 凛空さまもお金を生み出してみてください。必ず望むがまま現れます。聞くより体験すべし、ですよ!」
 じっと黙ってしまった凛空を見上げて、狐火が力説する。
 聞きたいことは山ほどあるような気がするのに、全貯金が消失した衝撃があまりにも強すぎて、今は何も考えられない状態だった。
 凛空は少し悩んで、狐火のアドバイスに従って試してみる。
(今はなんでもいいから、違うことして現実逃避したい感じ……)
 心の中で滂沱の涙を流しつつ、狐火に向き直る。
「ほんとにオレでも出来るかなぁ……?」
 少しばかりの期待と不安がいっぱいの心持ちで聞くと、狐火は軽く答えた。
「当然でございますとも。凛空さまは福の神です。何度も何度も申し上げておりますが」
「……す、すいやせん……」
 気のせいか、狐火の声にトゲがある。思わず謝ってしまったけれど、誰だってすんなりとこの非現実的なシステムを受け入れられるはずがないとも思うのだ。
 気を取り直して、凛空は腕まくりをする。
「……で、どうやったらいいわけ。やり方教えてくんない?」
「やり方もなにも……どこにでも存在しているのですから、あると思うだけでございますよ」
「抽象的すぎてわかんないな……つまり何だ、お金が手の上にあるんだっ! と思い込めばいいのか?」
「はい、実際にあるのですから」
 だんだん禅問答みたいになってきた。
 凛空は会話で確認することをあきらめて、兎にも角にも実践だと狐火を真似して胸の前に手のひらを天井に向けて構える。
 じっと手のひらの一点を見つめて、そこに札束が載るイメージを頭の中で描く。
 狐火もじーっと凛空の手を見ている。
「…………」
「………………」
 静まり返る室内。ふたりともなにも言わない。
 ブロロロ……と走り去るバイクの音がふたりの頭上を飛んでいく。
 凛空はいつの間にか止めていた息を吐き出して、両手を上げた。
「……ぶはっ、出ないじゃん! やっぱり福の神とか何とかインチキなんだろっ」
「インチキではありませんよ! 神かけて真実です……なんたって神なんですから」
「笑い取ろうとしてるのか、笑えねーよ!」
 凛空は手を下ろして、深く息を吐きだす。
「……思うだけでお金が手に入るなんて、都合のいい話はあるわけないんだよ。信じかけたオレがバカだった」
「……凛空さま……」
「でもさ、一瞬でもいい夢を見させてもらったってことで……」
「凛空さまっ!」
 苦く笑う凛空に狐火が飛びかかる。
 驚いた凛空を突き飛ばそうとした狐火だけど、軽すぎて威力が足りず抱きつくだけで終わってしまう。
 何だよ、と言いかけた凛空の声は言い終わる前に凄まじい物音でかき消された。
 数千羽の鳩が一斉に飛び立ったような羽音にも似た音が、まるで滝のように鳴り響く。
 音と共に凛空と狐火めがけて、天井付近からおびただしい量の紙が出現しては降り注ぐ。
 まるで水風船に裂け目ができて、勢いよく水が飛び出してくるようだ。
 息ができなくなるほど押し寄せる紙に、凛空と狐火はあっという間に埋もれてしまった。
 紙からコインへ変わり、数分降り注いだところで勢いがだんだん弱まって、最後の一枚がチャリ、と音を鳴らして静かになった。


「…………」


 単身者用ワンルームの室内が余すところなく紙に埋め尽くされていた。
 ベッドやミニテーブルの形がかろうじて見て取れるものの、分厚く降り注いだ紙は雪景色のように下敷きになっている物の形を覆い隠している。
 何かが動く様子もなく、淡々と時間が流れる。
 グッ、と鈍い音がして、部屋の中央付近がわずかに盛り上がる。
 ゆっくりゆっくり盛り上がった紙の層の下から、茶髪の頭が現れる。
「……ぷはっ、……」
 顔を出した凛空は頭を振って、頭頂部に載ったままの紙たちを振り落とし、腕に力を込めて狐火を引き上げた。
「……た、たすかりました~。ありがとうございます、凛空さまっ!」
 狐のお面がズレて少し素顔が見える姿で、狐火はうれしそうにお礼を言う。
「やっぱり凛空さまは福の神さまです!」
「な、なんでそうなるんだよ?」
 やたら興奮している狐火に気圧されつつ問い返すと、狐火は周囲をキョロキョロ見ながら答えた。
「見てください、これ、全部お金ですよ! はじめてなのに、こんなにたくさん出現させられるなんて、本当に凄いことですよ!」
 凛空は目の前の紙をよく見てみた。
「……う、わ……マジで万札じゃねぇか」
 難しそうな顔している有名人が描かれた、紙幣の中のトップ、一万円札がその下にも横にも数え切れないほど積もっているのだった。
 合間に転がっている硬貨たちが、まるでクリスマスツリーの飾りみたいにアクセントをつけている。
「……これ、数えたら何枚あるのかな……いや、数えないよ?」
 狐火が数えますかと聞きたそうな感じがしたので、凛空は慌てて言葉を繋げる。
「これ、ほんとにオレが出したのか?」
「当たり前ですよ! 凛空さまとわたし以外の誰かがここにいます?」
「……いやいや。でもよ、オレはインコみたいに手のひらに数枚の紙幣が載っかるところを想像したんだぜ? それが何だって、こんなに大放出されちゃったわけ?」
 ふたりとも埋もれて身動きがままならない状況など、微塵も思い描かなかった。
 すると狐火が首を傾げる。
「凛空さまがお金がもらえるなら、多い方がいいとか思ったんでしょう?」
「…………あー、ないとは言い切れない、かなぁ? それにしたって限度ってモンがあるでしょうに……どーすんのよ、こんなに一度にもらってもさぁ……お金を出せるなら、消すこともできたりしない?」
「福の神が一度取り出した金銭は、使わない限り消すことはできません」
「なるほど……つっても、すぐに使いきれる量じゃないしなー。どうすっか……」
 身動きできないほどの札束の海を見回してため息をつく凛空に、狐火が目を輝かせて答える。
「わたしにお任せください、すぐに片付けられますよ?」
 よいしょっ、と掛け声とともに腕を引き抜いた狐火の手に、ぼっと火の玉が出現したところで真意に気づいた凛空は慌てて叫びながら手を振る。
「……! ちょ、ちょっと待て待て待て~い! 燃やすつもりだな? させるか、んなもったいないこと。例え神が許そうともオレが許さんっ!」
「……凛空さまも神ですよ、またお忘れのようですけど」
 とにかく主のお望みとあらば、と狐火が火の玉を消す。
 少し残念そうに見えるのは気のせいだろうか。
 ひとまず大量の貨幣が灰になる惨事を免れてホッとした凛空は改めて周囲を見回す。
 どこを見ても万札、万札……。
 手のひらで紙幣の山を軽くかき分けると、五千円札や千円札、珍しい二千円札もチラホラ紛れていた。
(これ、全部使ってもいいなんて信じられねぇけど……長い間、物を買ってないから、すぐに欲しい物が浮かばねぇな……)
 お金を使わない生活を心がけてきた負け組の凛空は、いきなり降ってわいた大量の紙幣を持て余す。
「ひとまず、片づけるか……いや、ちょっと待った!」
 従順な狐火が片づけようとする手を止めて、凛空がひらめいたアイディアを実行する。
「ひゃっほーい!」
 ザバッと両腕を札束の海から引き抜いて、全身でダイブする。クロールの真似をすると、両腕にかき回されて紙幣が周辺に舞い上がる。
 札束の海は分厚く、凛空の体が沈む心配もない。
「すっげーな、これ! 夢みたいだぜ。こんなの、現実にやれるとは思ってもみなかった!」
「凛空さま、ずいぶん楽しそうですねー」
 生暖かい目で凛空の様子を見守っている狐火は、若干引いているような気もするが、この楽しさは社畜人生を積み重ねてきた人間にしかわかるまい。
 思う存分に札束の海を堪能して、大の字になった凛空がふぅ……と満足の息を吐きだす。
 楽しかった時間が過ぎると、頭が冷えて現実問題が見えてくる。
「…………狐火、片づけるか」
「さようでございますね」 
 このままでは今晩眠ることもできない。
 のろのろと起き上がり、狐火と地道に札束をかき集めて片づけに取り掛かった。
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