ふくかみ~福の神になりまして~

いのら

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お土産、護衛、遭遇。

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※虫が出てきます。苦手な方はご注意ください。


 残ったスイーツを入れた袋を片手に、元の服に着替えた凛空といなほが庭へ降りていく。
 神と神仕えの飲み会はかなり盛り上がっていたようで、気が付くと外は薄暗くなっていた。
 見送りに出てきた葉暮が凛空に声を掛ける。
「凛空様、楽しんでいただけましたか?」
「うん、すっげぇ楽しかったよ。話もいっぱい聞かせてもらったし。他の福の神についてとか、いろいろ参考になったよ。ありがとな」
「そんな……お礼を言うべきは僕の方です」
 葉暮は紫雨を思ったのか、柔らかい表情を浮かべる。
「お仕えする僕たちと紫雨様とでは、やはり違います。同じ立場の方とお話ができて、紫雨様はとてもうれしかったんだと思います。いつもよりずっと楽しそうでしたから……またぜひ遊びに来てください」
「え、また来てもいいのか?」
「もちろんです。紫雨様がお喜びになることが、僕たち神仕えにとってはこれ以上ない幸せでございますから。いなほ様も、またお会いできる日を心待ちにしております」
 微笑みかけてくれる葉暮に、ようやく緊張がほぐれたいなほも片手を振る。
「じゃあ、お言葉に甘えてまた来るな。さんざん散らかしたままで悪いけど、今度こそ帰るわ」
「はい。また来てくださいね、本当に」
 葉暮が念を押す隣で、黒羽も何度も頷いている。
 彼らの背後から、いつの間にか姿を消していた紫雨が降りてくる。
「本当にまた来なさいよ? 冬月と違って素直ないなほちゃんを愛でさせてよ」
 紫雨は着物から迷彩柄のシャツにズボン、自衛隊とかが履いていそうなブーツ姿に変わっていた。
 さらに長い髪を後ろでひとつにくくっていて、さっきまでの気怠い雰囲気がなくなっている。
 すれ違う時、葉暮たちに留守番を頼んでいる紫雨を、凛空は目を丸くして見つめる。
「変な顔をしているね」
「だって……どこか行くのか? しかも、そんな恰好で」
「こっちの方が動きやすいし、便利だから。じゃ、送り届けてくるわ」
「はい、お気をつけて。冬月さん、お願いいたします」
 深く頭を下げる葉暮たちが見送る中、紫雨と冬月は凛空を自宅に送るつもりらしく、一緒に歩きだした。
「オレたち女の子じゃないし、有名人ってわけでもないから、送ってもらわなくても帰れるよ」
 凛空が遠慮がちにそう言うと、紫雨はわかってないなと言いたそうに鼻で笑う。
「今日のところは甘えておきなさい。いなほちゃんが疲れてるんだから」
 狐火姿に戻ったままのいなほが、凛空を物言いたげに見上げて、そっと手を握ってきた。
 その頭を無言で冬月が撫でる。
「…………」
「…………」
 お互い無言なのに通じ合うものがあるのか、じっと見つめ合うふたり。
 やがて、いなほがこくんと小さく頷いた。
(なんだろーその以心伝心。オレにも欲しいかもー)
 表情がまったく変わらない冬月の言いたいことが伝わってるいなほが、少し羨ましいと思いながら歩いていくと、手水舎の前にさしかかる。
「おおーっ、帰るのかい、旦那たち!」
(だれが旦那だよ)
 心の中で突っ込む凛空を気にすることなく、手水舎の竜がまたにゅっと胴体を伸ばして近づいてきた。
「さっきはすまなかったなー。詫びも込めて、出会った記念にコレやるよ。ずいぶん昔に人間が投げ入れてったやつだから、気にせず持っときな」
「えっ……あ、うん。とりあえず、ありがとう……」
 竜が片手に握っていた何かを凛空の手のひらに落とす。
 かなり古い硬貨だが、凛空は詳しくないので価値はわからない。
「お守り代わりだ。気を付けて帰れよ、魔の黄昏時だからな」
「留守を頼んだよ、蒼。行ってくる」
「了解っス! 紫雨も気をつけてな~」
 敬礼して見送る竜の視線を感じつつ、もらった硬貨を服のポケットに入れておく。
 紫雨は鳥居をくぐる直前に立ち止まり、凛空を振り向いた。
「福の神の天敵を聞いたか?」
「天敵? いや、聞いてない、と思うけど……?」
 とにかく予想外に大量の紙幣を引き出してしまったことが強烈すぎて、それ以前に聞いたことが記憶から消えかけている。
 自信なさそうな凛空の返事にひとつ重々しく頷いた紫雨は、さっきまでと打って変わって凛々しい表情をしている。
(この顔もかっこいいし、好きだな~)
 呑気にそう思っていたら、紫雨が軽く眉を寄せる。
「いいか、福の神にも弱点がある。それが黄昏時から増えてくる。いつもなら狐火が守ってくれるが、狐火ひとりでは対処しきれない場合もある。そんな時は……」
「……そ、そんな時は?」
 紫雨がニヤリと唇の端を持ち上げて不敵に笑う。
「福の神が喰われる。忘れるな」
「く、喰われるっ!?」
「ああ、そうだ。文字通り、むしゃむしゃとな。福の神になると肉体が運気で出来ているみたいでな、多少なら休めば回復させられる。でも痛みは感じる。あれはやっぱり痛い。何度味わっても慣れない」
「ぎゃあーっ! 痛いの、断固お断りデス!!」
 スイーツ会でまったりしていた気分が一瞬で吹き飛んだ。
 硬直する凛空の眼前に指をつきだし、紫雨が顔を近づける。
「ここから先は、あたしの後ろをついてきな。絶対にあたしの前に出るんじゃないよ。あんたはどう見たって体育会系なタイプじゃないからね。あっさり奴らにいただかれてしまいそうだ」
「は、は、はい……お姉さま!」
 女性に守られるなんて、と男としてのプライドは凛空にはまったくなかった。
 食べられるかもしれない恐怖と、目の前に立つ先輩福の神から伝わってくる威風堂々っぷりが、プライドなど瞬殺してくれる。
 紫雨の背後に凛空といなほが。最後尾を冬月が守る。
「油断するんじゃないよ、冬月」
「もちろん」
 どこか物々しい雰囲気で一行は鳥居をくぐる。
 ぱっと目の前が一瞬明るくなり、ぎゅっと目を閉じる。すぐに明るさが元どおりになり、そっと目を開くといつもの寂れた町が見えた。
「天敵はいつだって近くにいる。ただ黄昏時、夕方からは活発になってくる。見た目はいつも通りだろうが、安心するなよ、凛空」
 野太い声が説明する内容に頷きかけた凛空は、違和感を覚えて紫雨を見る。
 すぐ目の前にいたはずの紫雨はそこにいない。代わりに見上げるほど長身で肩幅が凛空の倍はありそうな大男がいた。
(……え?)
 迷彩柄のシャツは紫雨の細身ではゆとりがあったはずなのに、目の前の背中はパツンパツン。
 後ろで結んだ長い黒髪は身長が伸びた分、短くなったように見える。
 分厚い胸板に太い首、広い肩幅に盛り上がった筋肉たち。男なら一度は憧れる理想そのものの肉体美だ。
(……だれ、このおっさん……?)
 間違いなく紫雨の後に続いて鳥居をくぐったはずなのに、紫雨が消えてしまった。
(ど、ど、どうゆうこと~?)
 目を回しそうな凛空を男性が振り返り、ふっと短く笑った。
「そうだった、こちらの姿を説明していなかったな。あたし……じゃない、俺は福の神になる直前の姿がコレだった。神社の外に出る時はこの姿の方が楽なんだよ……驚かせてすまないな」
「……あ……っと、じょ、女性の姿は、趣味とか……?」
「違う違う。あれも人間だった頃の姿で、コレのひとつ前に生きた時の姿だな。神社内にいる時はあっちの方が楽なんだよ」
「……さ、詐欺じゃんか! 神のくせに他人様ひとさまをダマして、何事もないと思うなよ~!」
「詐欺じゃないし、凛空は他人じゃなく他神だ。それに、どっちもあたしの福の神になる前の姿だ! ただ、ちびっと違うだけ」
「どこがちびっとだよ! 全然違ぁーうっ!」
 先輩として敬う気持ちが一気に吹き飛んだ凛空が叫ぶ。
「しかも女性姿の方が、可愛いオトコノコを愛でても、変な目で見られないしな」
 ごつい握りこぶしを顎に当て、ふむふむと頷きながら主張する男性版の紫雨に、凛空は開いた口がふさがらない。
 脳内で筋肉モリモリの厳つい顔をした今の紫雨が、葉暮たちを抱きしめて撫でまわす姿を想像してみた。
(……視覚の暴力ってこのことか……)
 想像するんじゃなかったと、凛空は頭を勢いよく振る。
「凛空も着替えずに、あの制服姿のまま帰ればよかったのに。似合ってたのにもったいない……そうか。しまった、着替えは乾いていないって嘘をつかせるべきだった! あたしとしたことが!」
 肉体は背が伸びて筋肉モリモリ男になろうとも、性根は変わらないらしい。
 口調が戻っていることも気付かず、本気で悔しがっている様子の紫雨を遠い目で見ながら、凛空は一歩後退りして距離を置いた。
(……この人、やっぱ変態なんじゃないかなぁ……)
 こんな人に、いや、こんな神について行っていいんだろうかと思わずにはいられない。
「紫雨様、参りましょう。時間が経つほど、危険が増します」
 こちらはまったく変化のない狐火の冬月が紫雨を促す。
 はっと我に返った紫雨が冬月を振り返り、ひとつ頷いた。
「そうだった……。よし、行くぞ。ちゃんと後ろに付いてきなさい……付いてこい!」
 凛空の冷めた目にたじろぎながら、紫雨は太い腕で凛空たちを招いて歩き出した。
 神社前に置かせてもらっていた自転車のサドルにいなほを乗せて引いて歩き、凛空は紫雨の後を追いかける。
 冬月はその後ろを適度な距離を保ってついてくる。
 毎日往復していた道のりは、何も変わらないように見える。
 活気のない町並みに、ぽつぽつと帰宅する人がいるだけ。
(いつもなら、オレもそろそろ会社を出る頃かな……)
 日が落ちて影に染まった町並みを見るだけで、疲れが増すように感じてしまう。
 夕暮れ時は疲れている時が多かったから、条件反射でそう感じるのかもしれない。
 長い足でずんずん歩く紫雨が、いきなり足を止めた。
 慌てて凛空も立ち止まり、動かない紫雨を見上げる。
「……し、ぐれ……さん?」
 どうしたのか、と聞こうとした凛空は変な音が聞こえて声を飲み込んだ。
 サドルに座っていたいなほが、凛空を庇うように両腕を伸ばした。
「凛空さま、お気をつけください!」
「き、気をつけろったって……あれ? なんか音が増えてきてる……?」
 まるで刃物を擦り合わせるような、硬質な音が何層にも重なって聞こえてくる。
 それも建物の影や細い路地の奥から、湧き上がってくるように聞こえるのだ。
「冬月」
 短く紫雨が狐火を呼ぶ。一瞬で最後尾にいたはずの冬月が凛空たちの横をすり抜け、風のような速さで紫雨の前に移動した。
 凛空たちが驚いている間に、左手のビルの影と右手の路地から、黒い虫が何匹も飛び掛かってきた。
 カマキリのような虫や、イモムシに似た虫、飛んでいるのはトンボみたいだ。
 さらに素早く走ってくるのはみんなの嫌われもの、Gがつく虫だ。
 さまざまな姿をしている虫たちに共通して、目が仄暗い赤色で、目と同じ色の斑ら模様が明滅している。
 さらにただの虫より倍以上も大きい虫もいて、一目で自然界の虫じゃないとわかる。
 不気味な虫たちが、次から次へと影から出てくる。
「っ! な、んだ、アレ!」
「下がれ、凛空!」
 紫雨が後退りして凛空ごと虫から遠ざかる。
「あれが福の神の天敵、金喰い虫かねくいむしだ」
「か、金喰い虫……!?」
 凛空たちの前で身構える冬月が右腕を下げ、ぐっと腰を落とす。
 怒涛のように襲い来る虫たちを見据えながら、まるで見えない刀剣を抜いて切り裂くように、冬月が右腕を大きく振る。
 腕から手の先へ、キラキラと青白く光が生まれ、その輝く軌跡から虫たちへ光が飛んでいく。
 青白い光は氷の粒で、刃のように虫たちを切り裂くと空中で氷の結晶が花開く。
 氷の花火に触れた虫は、さっと一瞬で黒い砂のように霧散していく。
 金喰い虫たちをなぎ払っていく冬月は、凛空が見ても迫力があってカッコいい。
 いなほはもっと興奮しているようで、サドルの上に立って目を輝かせて冬月を見ている。
「……もしかして、いなほも大きくなったら、あんな風になるの?」
「ぜひ、冬月さんみたいになりたいです!」
 凛空の頭の中で、冬月並みの体格になったいなほを想像する。得意の火の玉を笑いながら連発するいなほを思い描いたところで、ちょっと怖くなった。
「……オレは、今のままでもいっかなー。事なかれ主義、バンザーイ」
「それを言うなら、平和主義なんじゃないですか、ご主人さま」
 呆れた雰囲気でいなほが訂正すると、一匹が吹き飛ばされて目前に落ちてきた。
「で、できるなら、金喰い虫たちも、そっとしておいてくれるといいな~」
 シュッ、と黒い霧が立ち昇り、消えていく金喰い虫の姿を見て凛空の声が上擦る。
 冬月が生み出す氷に直接触れなかった虫たちは、キキッと鳴き声を上げて冬月に襲いかかる。
 氷であっという間に霧散しながら、冬月の腕に何匹かは食いついている。
「……アレが福の神の天敵……」
 自転車のハンドルを握る手のひらがじっとり汗で濡れていた。
 凛空は乾いた口の中に唾を飲み込む。  
 じっと冬月の様子を見守っている紫雨が口を開く。
「金喰い虫は名前の通り、金や金運など良い方向の運気を喰らう。奴らは虫に似ているが悪い方向の運気の塊で、運気を食うほどに大きく濃くなり、増えていく。俺たち福の神は金喰い虫たちの好物の塊だからな、まるで吸い寄せられるように襲ってくるんだ」
「……た、退治する方法はないのデスカッ!」
「福の神は基本的に攻撃手段がないから、狐火や神仕えたちに守ってもらうしかないな」
「福の神、役に立たないなっ!」
「その代わり、狐火たちの近くにいると彼らの能力が上がるぞ。さっき、福の神になったら毎日何をしているのか聞いたな? 俺たちは神社の周辺を金喰い虫を退治して回っている。それでも一向に減らない。人の負の感情は金喰い虫の温床になる。払ってもまた湧いてくるんだよ。おかげで福の神の俺がいてもこの辺りは寂れたままだ」
「……世知辛い世の中だからなぁ、無理もないよ。前向きな気分になりようもない。暗い時代の流れってやつを、みんな肌身に沁みるほど感じて疲れ切ってんだ……」
 底辺近くで生きていた経験から、凛空は深くため息をつきながら紫雨に賛同する。
 他人も自分も、将来さえも信じられなくなると、とても明るい気分にはなれない。
 人は暗い気分になればなるほど、悪い方へ考えてしまう生き物だ。その感情を好む金喰い虫なら、今のご時世はさぞ生きやすいだろう。
「最近まで人間として生きていた凛空が言うと、重みがあるな」
 紫雨が苦く笑いながら呟いた時、冬月の刃をまた一匹の金喰い虫がくぐり抜けた。
「うわ~っ! 来た、こっちに来た~っ!! 喰われるの、イヤですっ」
「ふむ、根性がある奴がいたな。慌てるな、凛空。まったく自衛手段がないわけではない」
 自転車ごと後ずさる凛空の前に立ち、紫雨が冬月と同じように腰を落とす。
「福の神必殺!」
「おおっ! なんか、バトルまんがみたいになってきた!」
 期待に胸を踊らせ凛空が紫雨を凝視する。
「喰らえ、コインアターック!」
 鋭く叫びながら紫雨が何かを投げつける。よく見ると硬貨のようだ。
「……カッコよく言ってるけど、ただの銭投げぜになげじゃん!」
「ただの銭投げではないぞ! 福の神の力で引き出した硬貨だ。通常より威力がある」
「威力があってもなくても、やってることは銭投げでしょうが! あぁ……オレがちっさい頃に婆ちゃんが見てた時代劇を思い出すよ……」
 冬月ほどではなくても、カッコよく敵を退ける方法があるかと期待した凛空はがくっと肩を落とす。
 紫雨が投げた硬貨はバッチリ金喰い虫に命中した。コテン、と仰向けにひっくり返って動きが止まる。
(なんだ、効果あるんじゃん)
 動かない金喰い虫にほっと安心しかけた凛空の目の前で、もぞもぞと金喰い虫の手足がうごめきはじめる。
 自力で起き上がった金喰い虫は、自分に当たった硬貨を見つけると、素早く駆け寄って美味しそうにかじりだした。
「倒してないし! 必殺じゃないのかよ」
「あれは、まぁ、気分的なものでな。福の神の硬貨が当たった金喰い虫は弱るが、その硬貨を食べて回復してしまうから時間稼ぎにしかならないんだな、コレが」
「コレが、じゃないっての! どうすんだよ、すぐ食べ終わりそうだってのに」
 呑気に腕を組んでうなずいている紫雨に凛空が詰め寄る。
 ふたりのすぐそばで硬貨を食べる金喰い虫の体が、飲み込むたびに黄金色に輝く様子が不気味だ。
「大丈夫、心配するな。食べ終わったならまた投げればいい。福の神ならいくらでも金を引き出せる。もうすぐ冬月の方が片付いて助けに来るだろう」
「あ~も~っ、他力本願~っ」
 呻る凛空を尻目に、紫雨は本当にもう一枚の硬貨を金喰い虫めがけて投げている。
 ちょうど食べ終わって、満足そうに体を震わせた金喰い虫が、新しい硬貨に気づいて後を追い、しっかり掴んでまたかじりつく。
(少しだけ金喰い虫が大きくなっているような……まさかな、気のせいだ)
 たかが一枚硬貨を食べたくらいで、金喰い虫が大きくなるわけがない。
「硬貨の価値が高いほど、金喰い虫を弱らせることが出来る。逆に金喰い虫も硬貨の価値が高いほど、早く大きくなるから気をつけろ」
「……紫雨さん、何を投げつけてますか……」
「……ん、500円玉」
「せめて100円玉にしてくれよ……何だって現代日本国内の硬貨の中で、一番高い硬貨を選ぶかな」
 大きさから、もしかしてと推測していた通りの返事に凛空は肩を落とす。
 いくら足止めができても、その間にどんどん金喰い虫が大きくなってしまうなら意味がない。
「何回も小銭を引き出すより、まとめて価値の高い硬貨を引き出した方が神力の節約になるんだ」
「ATMの引き出し手数料みたいなこと言わないでくださいよっ」
 呑気な紫雨と凛空の会話が終わる頃、冬月が駆けつけて金喰い虫を一閃で退治してくれた。
 周囲を見渡すと紫雨が言った通り、他の金喰い虫はいなくなっていたので、すべて片付けてくれたようだ。
「終わったな。お疲れ、冬月」
「……お怪我は?」
 紫雨の労いに軽く目を伏せてから凛空たちに問いかけてくるので、凛空といなほは首を振った。
「大丈夫だよ、ありがとう」
「では先を急ぎましょう」
 今度は冬月が先頭になって一行が歩き出す。
 金喰い虫を見かけることもなく、古ぼけた石橋が見えてきた。
(……あれ? あんな車がこんなところに停まってるの、珍しいなぁ)
 冬月の肩越しに前方を覗いて見た凛空は、石橋手前の路肩に黒塗りの高級車を見つけて首を捻る。
 凛空のアパート周辺は、軽自動車が通るのも一苦労する狭い路地が続く。
 とても通れそうにない大きさの車を見かけることさえ珍しいのに、ピカピカ光を弾く黒い高級車ともなれば場違いでしかない。
 不思議がる凛空の前に、チッと小さく舌打ちして紫雨が腕を伸ばす。
「凛空、俺の背中に隠れていろ。絶対に顔を出すなよ」
「……?」
 状況が飲み込めない凛空を紫雨が大きな体で隠しながら石橋を渡って、アパートが見えたところで紫雨たちが足を止めた。
 慌てて凛空も止まって、紫雨の背中を見上げる。
「これはこれは……こんばんは。船渡神社ふなとじんじゃの紫雨さまではございませんか」
 紫雨の背中越しに男性の声が聞こえる。とても紳士的な声と話し方なのに、なぜか凛空はその声を聞いて寒気を感じる。
 少しだけならいいだろうと、そっと前方を伺うと、スーツ姿で眼鏡をかけた三十代くらいの男性だった。
 身なりのいい男性の足元から、ききっと声にならない音を立てながら金喰い虫が駆け上がるのが見えて、凛空はぎょっと身を引き紫雨の背中に隠れた。
 男性は紫雨の正体を知っているらしい。住んでいる神社の名前まで知っているのだから、短い付き合いではなさそうだ。
「あなたのようなお方と、このような場所でお会いできるとは驚きですな。なぜ、かようなところへ?」
「……それはお前もだろう、鷲尾わしお。ここは、わざわざお前が足を運ぶべき理由がある場所ではないだろう?」
 どこか苛立っているように聞こえる紫雨の声と、鷲尾と呼ばれた男性の会話が続く。
「またまた、ご冗談を。わたくしが何を望んでここに来たのか、あなたさまならお見通しでしょうに」
「あいにくと、俺は俗世を離れて長いんでな。お前らが考えていることなど、まったく見当もつかんよ」
「おや? 俗世を離れたとおっしゃる方が、このような時間にここへ何の目的でお運びになったので?」
「お前に言うべき理由がない」
「つれない言い分ですな。あなたさまのお社へ、毎月通わせていただいております信者でございますのに」
「こちらが願ったことではなく、そちらが勝手に通っているだけだろう。俺には関係がない」
「紫雨さまは相変わらず、わたくしに冷とうございますな」
 鷲尾が穏やかな笑っても、紫雨は不愉快そうにつま先で地面を叩いている。
「まだるっこしい。お前は何の用でここにいる?」
 会話の応酬に耐え切れなくなったのは紫雨が先で、単刀直入に鷲尾へ問いかける。
 すると少しばかり間が開いて、鷲尾がワントーン下がった声で応える。
「……唐津凛空からつりくどのをご存知か?」
「…………」
 紫雨の背中が緊張した。隠れている凛空もいきなり指名されて目を丸くする。
 いなほがまた凛空を庇うようにサドルの上で立ち上がる。
「さて、そんな奴、俺は知らんな。何かしでかしたのか?」
「……おや、紫雨さまともあろう方がご存知ないとは。意外でございました……新たなる福の神さま、でございます。ぜひ一度、お目通りいただけたらと思ったのですが、どうやらご不在のご様子でして」
 隠れて聞いていた凛空はうすら寒い思いを味わっていた。
(なんで知ってんだ、オレが福の神だなんて!)
 どこかで回覧板でも回っているのか、と不安になった凛空が紫雨の後頭部を見上げると、紫雨は肩を竦める。
「そんな話は聞いていないぞ」
「おかしいですね……この周辺におわす神々の中で、筆頭たる紫雨さまが知らぬわけがないのですが……」
 何とも言えない沈黙が続いても、紫雨は微動だにしない。
 隠れている凛空の方がびくびく怯えていると、じっと様子を伺っていた鷲尾がため息をつく。
「仕方がございません。わたくしの主も長くこの場に留まってはおられません。また出直します」
「その必要はない。俺が知らぬ神がこの辺りにいるわけがないのだからな」
「……紫雨さまのお言葉ならば、信じたいところなのですが。わたくしも仕える身。主の望みを叶えたいと思うのは当然ではないでしょうか?」
 意味深な言葉を残して、鷲尾が歩き出す足音が聞こえる。
 紫雨が鷲尾の位置に合わせて体の向きを変えて、最後まで凛空を隠し続ける。
「お時間を割いてしまい申し訳ございませんでしたね……一緒におられる方にもお詫びを申し上げます」
「……だれもいないが?」
「おやおや、紫雨さま。わたくしが見抜けぬわけがございませんよ。それに、頭を隠して何とやら……わたくしにも見えるべきものは見えておりますので」
 すれ違いざま、鷲尾は紫雨のそばで耳打ちして去って行った。
 凛空は隠せても自転車を隠すことはできなかったらしい。
 そっと鷲尾の後ろ姿を覗いてみた凛空は、鷲尾の足元からまた金喰い虫が這い上がるのと、歩き去った場所にも点々と金喰い虫が這っているのを見て、気持ち悪くなった。
 完全に鷲尾の姿が見えなくなるまで、紫雨は凛空の腕を掴んで背後に庇っていた。
「……もういいぞ、凛空。悪かったな、嫌な思いをさせて」
「いや……あいつは誰?」
「政治家の仲間だな。福の神はどこに行くのも、どこに住むのも自由だ。国境も国籍も関係がないから、海外へ移住しても構わない。しかし奴らにとって、福の神が海外へ行くのは痛手なのさ。金は天下の回りものと言うだろう? 日本国内で金を回してもらわないと困るから、福の神にああして願いに来るのさ。どうかこの地に長く住んでくれ、とな」
「金を呼び込むから?」
「まぁ、簡単に言うならそうだ。説明は歩きながらするから、行くぞ」
 紫雨が凛空を急かして歩き出す。後を追いながら凛空は気になっていたことを聞いてみる。
「せっきの人……金喰い虫が体を這ってたのに気づいてなかったってことは、見えてないんだよな……?」
「ああ言う輩は質が悪い。他人を搾取する対象にしか見ない人間のそばでは金喰い虫が増えやすいし、奴らは見えないと思いきや、怖いところを見抜いてくる……今後もできるだけ会わないようにした方がいいぞ、凛空」
「……言われなくても、会いたいと思える人じゃなさそうだったよ」
「だろうな。奴らにとって福の神とは金の生る木みたいなものだ。いくらでも吸い取ろうとする。与える福の神とは真逆なタイプの人間だから、生理的に合わない感覚がしただろう。その直感は従っていい」
 鷲尾の声を思い出すだけで、凛空を寒気が襲う。
「見えないくせに、過去には飼っている金喰い虫で福の神を追い詰めて監禁し、衰弱死させたこともある。凛空はまだ狐火以外の神仕えがいないんだ、十分に気をつけろよ」
 体を震わせる凛空の肩を紫雨が慰めるように叩いたところで、アパートに辿り着いた。
 自転車を定位置に戻して部屋に戻って凛空が鍵を開けると、紫雨と冬月は廊下に立ったまま凛空たちを見送る。
「わざわざ送ってくれてありがとう。紫雨さんとこと違って狭いけど、よかったら入ってよ」
 凛空がふたりを振り返って誘うと、紫雨は笑って首を横に振る。
「福の神になった時の住居は、一種のシェルターみたいなものだ。なりたての凛空を守ってくれる、絶対領域なんだよ。だれであろうと簡単に入って乱すわけにはいかない。凛空が落ち着いたら、お邪魔させてもらうさ」
「……そ、うなんだ……いろいろ教えてもらって、本当に助かった」
「ようやく福の神が俺の近くに生まれてくれて、うれしいんだよ。いつでも頼ってくれ。それにしても豪快に引き出したな~」
 入口から中の様子をちらっと見た紫雨が苦笑して言う。
 部屋の半分以上を占めるゴミ袋の中身が何かをわかっているみたいで、凛空も頭を掻きながら苦笑する。
「ちょっと、手加減まちがえたみたいでさ」
「はは、力を使ってみるのも勉強だ。ただ引き出したからには使うんだぞ。あんまり長く溜めこみすぎると、そこからも金喰い虫が生まれやすくなる」
「っ! ま、マジかっ……できるだけ早く使うわ」
「それがいい。では、またな」
 廊下の近くまで引き返して凛空がお礼を言うと、頭を紫雨の手が撫で回す。
 足元にいなほも戻ってきて、こちらは冬月が無表情かつ無言のまま頭を撫でていた。
「ゆっくり休めよ、凛空。あぁ、それと……スマホを見てみろ」
「?」
 紫雨に催促されて凛空がスマホを取り出すと、ホーム画面に見たことがないアイコンが追加されていた。
「なにコレ……? godbook……?」
「神専用アプリ。俺も登録しといたから、また聞きたいことがあったらそのアプリ使ってでもいいから連絡してこいよ。じゃあな」
 颯爽と手を振って紫雨と冬月が帰って行く。
 見えなくなるまで見送って、部屋に戻った凛空は早速アプリを確認してみた。
 自分のプロフィールや近況はすっ飛ばして、知り合いリストを見ると紫雨が登録されている。
「……やっぱ、詐欺だよなぁ~」
 ばっちりお色気たっぷりなお姉さま姿で登録している紫雨のプロフィール画像を見ながら、凛空はため息をついてスマホを手放してベッドに寝転がる。
 金を引き出しすぎて、そこにしか寝転べないのだ。
「凛空さま、お疲れのご様子ですね。何かお作りいたしましょうか?」
 冷蔵庫に残ったスイーツを片づけたいなほが戻ってくる。
「ん~……お腹は空いてないけど。それに福の神は食べなくても平気なんだろ?」
「平気と言いますか、人のように健康を損ねることはありませんが、神気を補う意味では効果的です。福の神が疲れを感じる時は神気が衰えている時でございます」
「あぁ、なるほど……でもやっぱいいわ。なんか、眠くて……」
 あくびをしながら凛空が答えると、いなほが布団を体にかけてくれた。
「いなほはどこで寝るつもり……?」
 半分目を閉じながら凛空が聞くと、いなほはベッドのすぐ下を指さす。
 その軽い体を凛空はひょいっと持ち上げて抱え込む。
「凛空さま~っ、離してください!」
「ん~……床なんてほとんど開いてないって……いいから、お休み~」
「凛空さま……」
(なーんか、いろいろあった一日だったなー……)
 抱え込んだいなほの体は人の子どもと同じようにあたたかく、凛空は気持ち良く眠りについた。
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