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福の神がゲームで遊ぶと……?
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めでたくパソコンとデスクを手に入れ、オンラインゲーム生活をスタートした凛空と稲炎。
ネットショップで働いていた凛空はともかく、稲炎がパソコンを使いこなせるだろうかと心配していたが、その必要はなかった。
基本的な操作方法の知識も持って生まれ落ちたのか、すぐにコツを掴んで使いこなしている。
(……これは狐火補正のせいさ。そうさ、オレが鈍いわけじゃないんだよ)
凛空が複雑な心境で自分に言い聞かせている間に、稲炎は本番のキャラクター作成画面まで進めている。
試しに作ったキャラクターは削除して、気に入ったキャラクターにしたいらしい。
見守る凛空の前で、稲炎は迷うことなくキャラクターを作り込んでいく。
理想とするイメージがすでに決まっているのか、時々操作方法を間違えて動揺しつつも、サクサク進んでいく。
ものの十数分で作り上げた稲炎のキャラクターは、途中から凛空が想像した通り、紫雨の狐火・冬月に似ていた。
ゲーム内での名前は、はじめに凛空が考えた仮の呼び名が使われた。
紫雨似の美女がリク。冬月似の美形がいなほだ。
「どー見ても似合わない名前だな」
「そうですか?」
はじめの村に降り立ち、チュートリアル的展開をこなしながら、稲炎は上の空で応える。
ゲーム内の凛空であるリクと出会った稲炎は、すぐに仲間にならないかと誘ってくれた。
(説明書きをさらっと読んだだけなのに迷いなく操作してるし、理解してる。すげーな……狐火ってのは天才なのか?)
ちょっと納得いかない気分を持て余しながら、凛空はパソコンを操作する。
稲炎と仲間になったらお互いの位置やステータスまで確認できるようになった。
気を取り直してレベル上げに向かう。
戦闘にもセンスがあるのだろうか。
同じように戦っているつもりなのに、稲炎の方がレベルが少し下なのにも関わらず、戦闘系ステータスが凛空より上回っている。
スキルも凛空が会得していないものが何個もある。
「なんでだ~っ! そんなに特別なことしてないじゃないかーっ」
頭を抱えて叫ぶ凛空を見て、隣に並んで座る稲炎も不思議そうな顔をする。
「左様でございますね。わたしもただ、魔物とやらを倒しているだけなのですけど……」
お互いのステータス画面を並べて見比べる稲炎が、しばらく沈黙してからボソリと呟く。
「……センス、でございますかね」
「ううぅ、ゲームなのに現実的すぎる~!」
気がつけば現実で見た冬月さながら、華麗に魔物を倒す稲炎のキャラクター。
その陰に隠れて敵から逃れつつ、凛空が操るキャラクターは攻撃を食らったいなほに向けて、ちまちまと回復アイテムを使うだけになっている。
(あぁ、ゲームでも守られキャラか。福の神気質ってのは、どれだけ影響力が強いんだか。ま、これはこれで楽しいからいいけどな)
稲炎のおかげでテンポ良く勝ち進み、レベルも上がって職業を選べるようになった。
「なるほど、ステータス条件をクリアしていなければ、選べない職業もあるんだな。オレは戦士や拳士が選べないわ。稲炎は?」
薄々感づいていた通りの結果になった職業選択画面から目を離し、隣を見ると稲炎は口元に手を当てて、何やら考えこんでいる。
何を悩んでいるのだろう、と軽い気持ちで稲炎の画面を覗き、凛空は目を丸くして唸る。
「うーわー、マジかよ。全職種、条件オールクリア!! 選びたい放題じゃないの!」
「……はい。ですから、どう選べば良いものかと……」
「羨ましい悩みだのぉ…」
しゅん、と耳を垂らす稲炎の横で、凛空は肩を落としてため息をつく。
(これもきっと、狐火補正のせいだ! うん、そうに違いない!)
凛空の福の神気質がゲーム内にも影響を与えるのだとしたら、狐火気質も影響するのだ。
勝手にそう結論づけた凛空は、これからも2人で行動するのだから、効率良く遊べる職業にしようと提案する。
「他のプレイヤーとは圧倒的に遊べる時間が違うじゃん? できれば悪目立ちしたくないんだ。派手にならず、2人だけでも遊べる組み合わせの職業にしよう」
「はい、それは凛空さまのお好きなようになさって下さい。して、その組み合わせとは、何と何ならよろしいのでしょう?」
「ふぅーむ……そうだなー」
こだわりのない稲炎はあっさりと決定権を凛空に委ね、腕組みで悩む凛空を見上げて結論を待つ。
「オレはどー見ても後方支援タイプなんだよな。となると、稲炎には前衛を頼みたいんだけど……」
前衛タイプ、後方支援タイプどちらも複数の職業から選べる状態だ。
凛空はしばらく悩んで狩人を選び、稲炎に戦士を選んでもらった。
狩人は弓矢を使った攻撃の他に、短剣や投擲も選べる上に、特殊技能で罠を仕掛けることもできる。
罠にかかった魔物は抜け出すまでに体力が落ちていく。上手く使えばその場にいなくても戦力になるのだ。
しかも魔物を倒した後に、解体して素材にできるものを採取できるのは狩人だけだ。
2人でのんびり楽しむつもりだけど、いつも魔物を追いかけるだけではつまらないので、変化も欲しい凛空にとってはちょうどいい。
「よし、これで準備が整ったな。いざ、本格的に旅立ちますか!」
「はいっ」
それぞれ選んだ職業ごとに装備を整え、必要な道具も可能な限り揃えた凛空たちは、ようやく次のステージに進んでいく。
チュートリアル的な一本道のストーリーが終わり、この先は選んだ道や行動など、さまざまな影響でどんとん展開が変わる。
立ち寄った村の人々に依頼されたクエストを解決する旅をしても良いし、荷運びを手伝ったり、畑作業を手伝っても良い。
陶芸や木工細工、料理や絵画も習うことができる。
何と山道の途中でキャンバスに風景画を描いて、次の町で売ってみるとなかなかの値段で売れてしまった。
「ちゃんと経験値ももらえたぞ。器用さに観察力、集中力と創造性が特に伸びたなぁ……おぉ、知性に話術まで!」
ステータスを確認して感嘆する凛空の横で、稲炎もコクコクと頷いている。
「誠に奥深いゲームでこざいますね! ただ魔物を倒すだけではなく、人間の生活をすべてゲームにしたような感じがします」
「本当になぁー。この先も何が出来るのか楽しみだ!」
料理を食べると、既成の体力回復アイテムより効果が高いので、そちらも試してみる。
材料は凛空の狩人能力で果実や薬草を採取。釣りで魚を手に入れ、調味料は採取したコショウであっさり仕上げ。
シンプルな材料ながらも稲炎が調理してみると、それなりに効果の高い料理が完成した。
「料理も繰り返した回数や、熟成度などで食べた時の効果が変化するらしいぞ」
「釣りや採取も熟練度が高くなるほど、貴重な材料を採取することが可能になるとか。誠に奥深いゲームでこざいます」
稲炎とのオンラインゲーム生活はかなり刺激的で面白かったが、丸一日ずっとゲームをし続けることはない。
現実を忘れすぎないよう、稲炎が適度に休憩を提案してくれるのだ。
食べなくてもいい体になっても食べた方がいいと、稲炎が定期的に食べさせてくれるし、お風呂にも毎日入っている。
ただ働きに出ていた時間を、ゲームに置き換えたような生活だった。
おかげで凛空は疲れを感じることもなく、快適に遊べている。
「……楽しいんだけどさ。本当にオレ、こんなことしてていいのかなぁ」
気がつけばオンラインゲームをはじめて3ヶ月が過ぎていた。
保険料の支払いや家賃、光熱費に通信費などの請求もなく、ただただ平穏な日々。
働きに出ていないのに。
「やっぱ、落ち着かねー! 給料の振込を確認しに行かなくても良い。保険料や税金に、家賃と光熱費、スマホ代も請求されないって、まるでここに存在していないみたいじゃないかーっ!」
「いえ、支払いはされておりますよ。全自動で流れ込み、支払われているだけで……福の神には保険料や税金の義務は無いので、それは支払われておりませんが」
稲炎が冷静に訂正してくれるが、そんな問題ではない。
「なぁ、オレはこれで間違ってないか? 福の神と言ったって、なんも役立ってないんだが……」
まさか福の神もクビになる可能性があるのでは、と青白い顔になった凛空の肩を稲炎が叩く。
「ご安心くださいませ。わたしが何度も申し上げました通り、凛空さまは楽しんで日々を過ごして下さっております。福の神として当然のことで、罰せられることではこざいません。それに、凛空さまはしっかりとお役に立って下さっておりますとも」
「は、オレが? 何の役に立ってるって? ただ毎日ゲームしてただけぜ?」
きょとん、と稲炎を見る凛空に自覚はまったくない。
その様子に苦笑しながら、稲炎はパソコンを操作する。
「凛空さまが楽しんで遊んだことで、このゲームは他の利用者がうなぎのぼりに増えているのですよ。ほら、こちらが公式サイトで発表された、ゲーム提供開始からの利用者数の増減を表したグラフでございます」
ほら、と稲炎が指し示した画面の中で、棒グラフが一定間隔で並んでいる。
左から右へグラフが伸びているが、はじめの棒はほとんど差がない。
けれど凛空が遊びはじめた頃からグラフの棒はあきらかに伸びている。
その伸び率は左端の棒グラフよりも幅広く、ぱっと見ただけでもわかる。
「こちらのゲーム、開始当初は利用者が伸び悩み、中止も検討されていたそうです。ちょうど凛空さまが遊びはじめた頃より如実に伸びておりますでしょう? 加えまして、こちらもご覧ください」
もうひとつ稲炎が見せてくれたのは、オンラインゲームのプレイ日記を公開している個人ブログだった。
『本日、神に出会った!!』
凛空はブログ内の文書に呆れる。
「……なんだよ、このブログは。神とか、今時こじれた子供でも言わなさそうな単語使ってるし」
ところが神ワードのすぐ下に貼られている動画に目が止まり、凛空の舌が凍りつく。
動画は自然再生されており、その中に見覚えのあるキャラクターが映っていた。
「……オレたちじゃん。てか、これは……」
「覚えておられますか? 二月ほど前に一緒に魔物を倒して、キャンプをしたキャラクターがおりましたでしょう? このブログはそのプレイヤーが書いておられます」
確かに、たまたま苦戦していたソロプレイヤーを手助けしたことがあった。
料理を一緒に食べて焚き火をし、一晩ゲームの中で語って過ごした。
「たいしたことは喋ってなかったと思うが……」
「いえいえ。この方にとっては十分に価値ある対話だったのですよ」
「……そーかなぁ……」
今思い返すと、その頃から他のプレイヤーたちから話しかけられることが増えた。
それもたくさんのプレイヤーに同時に話しかけられるのではなく、ちゃんと順番を待っていたみたいに、入れ替わり立ち代り、多すぎない程度に。
「ちなみにこれ以外にも凛空さまと対話したプレイヤーたちが動画を公開しております。あまりにも反響が大きいそうで、神動画としてチャンネル登録されました」
「……おいおい、神動画ってなぁ。対話って言っても、グチ聞いたり、世間話したくらいだぞー!」
何しろ時間制限のない生活なのだ。
言いにくかったり、どう言葉を選べばいいのか悩む間も、どれだけ時間がかかろうと害がないので、ただ待っていただけだ。
好きなタイミングで、好きなだけ吐き出したら、みんな帰っていく。
それをただ聞いていただけなのだ。
「現実世界において、そのような対話ができる機会が、いかに貴重なのかと言うことではないでしょうか。みな神対応と褒め称えておられますよ」
「いやいや……それはまぁ、福の神が対応してるってことで言えば、間違いじゃないけどさぁ」
特別なことをしたわけでもない凛空にとって、褒められても落ち着かない気分にしかなれない。
「オレはただ、遊んでただけなんだよー」
「凛空さまはそれでよいのでございます」
なぜか誇らしげな稲炎にそう言われても、凛空はくすぐったい気分だった。
「……にしても、そっかー。こんなことになってたのか。なんか声かけられることが増えたなーとは思ってたんだ」
ブログをあらためて眺めると、感謝の言葉が書いてある。
自分に向けて言われるには相応しくないような気持ちがして、凛空はそっと目を逸らす。
「何でもこちらのプレイヤーが、神に話しかけたいなら順番を待て、と他のプレイヤーを管理しているほど人気があるそうですよ。凛空さまの邪魔にならぬよう、どうしても複数でないとならない内容でなければ、一度に1人限定で話しかけるように、とも」
「……おいおい、オレは有名人じゃないぞ。何だよ、そのファンクラブみたいなルールは。それにしても稲炎も事情に詳しいなぁ」
稲炎は悪びれることもなく、こくんと頷く。
「わたしとこのプレイヤーは友達登録しておりますし、メールなどもやりとりしております。ちなみに電話番号も知っておりますよ。電話で相談もしてみますか?」
さっと凛空のスマホを差し出してくる稲炎の頭を軽く指で弾く。
「しねーよ、そんなこと」
思っていたより行動的で交友関係が広そうな稲炎に、ネットで出会った人間にはとりあえず注意するようにだけ伝える。
ネット通販に関わっていたからこそ、顔の見えない場で知り合いになるリスクも無視できない。
「……はい。しかし、この方は信用しても良いと思います。案外近くにお住まいで、凛空さまもご存知の方でしたよ」
「えっ、てことは、稲炎は直接会ったことがあるのか?」
思わず稲炎を見ると、弾かれた額を撫でながら頷く。
「余計に危ないってのに!」
「主人に近づく者を見定めるのも、神仕えの役目でございます」
ちょっと口を尖らせ、稲炎はそう主張する。
「近づくって言っても、ネットの中だけなんだから、もうしなくていいよ。稲炎に変なことするかもしれないんだぞ」
「大丈夫でございます。わたし、こう見えて強うございますから。人に負けません」
えへん、と胸を張って目を輝かせる神仕えの頭を撫でながら、凛空は苦笑する。
確かに火の玉を出せる狐火の方が、ただの人間よりも強いだろうが、悪賢さでは人間の方が上手だろう。
それを言って聞かせるのも複雑な気分になるので、それ以上は言わないことにする。
「とにかく、もうしなくていいからな」
「……は、い。凛空さまのお言いつけならば……」
渋々と了承する狐火の忠義心に感心しながら、感謝の意味も込めて稲炎の頭をもっとぐりぐり撫でまくる。
子供扱いに反感と喜びも感じるのか、稲炎はやめてくださいと言いながら、複雑な表情を見せる。
「……ところで、順番待ちを管理しているプレイヤーが、オレたちの近くに住んでるって言ってたが、どの辺りに住んでるんだ?」
稲炎から手を離し、ひそかに気になっていた凛空が聞いてみると、乱れた髪を整えながら稲炎が壁を指差した。
少し前までゴミ袋入り札束が埋め尽くしていた壁は、今は少し見えるようになっている。
年季の入ったくすんだ壁を無言で指差す狐火の意図がわからず、凛空が首を傾げる。
「お隣にお住まいの方でございますよ」
「……はぁ? 隣って……嘘だ」
毎朝、ビシッと決めて出勤する隣人は、とてもオンラインゲームをするようなタイプに見えなかった。
しかし、狐火は福の神に嘘はつけないとも言っていたことを思い出して、凛空は信じるべきかどうか迷う。
稲炎は主人の心の動きを見透かしているかのように、大きく頷いて立ち上がる。
とてとて、と壁に向かって歩いていくと、手のひらを壁につけて凛空を振り返る。
「信じ難いようでございますね。では、実際にご覧になられますか?」
「いや、信じてないってことはないけどさ……しかも実際に見るったって、隣の部屋に突入しろってこと?」
座ったまま稲炎を見上げて、凛空はまたの機会にしようと言いかけた。
ところが稲炎は福印ハッピの内側に手を突っ込んで、何かを掴みながら手を引き抜いた。
「このような場面にはこちらの#神具_しんぐ__#、聴神器にごさいますっ~!」
有名なネコ型ロボット風にアイテムの名前を読み上げて手をかざす稲炎。
その手には医者が使う聴診器が握られている。
「……聴診器? それで盗聴しようってのか。稲炎くん、いけないよ。それでは犯罪者ではないか!」
稲炎に駆け寄り、凛空はその小さな両肩を掴んで思い留めようと言い聞かせる。
聴神器を両手で握りしめる稲炎は何度も首を左右に振る。
「いいえ! 聴神器は福の神の為に、大神さまより支給された神具にございます」
「神具?」
「はい。特に昇格したての福の神は力を把握したり、使うことに慣れておられません。金喰い虫もおりますので、大神さまのお力の一部を宿した神具を使えるようにしてくださっているのです」
紫雨たちが暮らす神社からの帰り道を思い出した凛空は、なるほどと納得してしまう。
(そうだよなー。福の神になっても天敵がいないわけじゃないって実物を見せつけられたっけ。対抗手段が狐火しかいないってのも、時間制限があるんだから狐火だけに頼るのは危険だよな)
新米の凛空と稲炎では、使える力の最大量が限られている。それを紫雨たちから教わったばかり。
大神は案外しっかりと仕事していたんだ、と凛空は感心する。
「聴神器は不慣れな福の神が人々の心の内を知る手助けとなってくれるのです。論より証拠と申します。ささっ、凛空さま、聴神器を壁に当ててくださいませ」
稲炎が大きい目でじっと見つめてくるものだから、断るのも気が引けて、仕方なく凛空は立ち上がる。
胡散臭いと思いながら、稲炎の横で聴神器とやらを受け取る。
「こっちの先端は耳に入れればいいんだな?」
「片耳だけでも十分に聞こえますが、臨場感をお求めでしたら両耳につけてくださいませ」
聴神器の先端を耳の穴にはめて、反対側の円盤のような部分を稲炎に促されてそっと壁に当てる。
どうせ物音が聞こえるだけだろうと侮っていた凛空は、聴神器を当てた瞬間の変化に腰を抜かしかけた。
一瞬で壁が溶けて、視界が急に開けたのだ。
まるで壁が砂糖で出来ていて、上からお湯をかけたかのように。
長年この部屋に住んでいたからこそ、あり得ないとわかる光景を受け入れきれず、凛空は激しく瞬きをする。
(ど、どうなってんだ~!)
隣に立つ稲炎は慣れた様子で、キョロキョロと見通しのよくなったお隣の部屋を見回す。
「凛空さまと同じ間取りの部屋だとは思えない、ハイセンスなお部屋でございますね~」
「……ひ、一言余分だよ、稲炎くん……」
突然の展開に対する動揺と、稲炎とまったく同じことを思っていたけれど素直に認められない葛藤のダブル攻撃を食らっている凛空は、弱々しい声で主張するしかできなかった。
家具の色や材質、形にこだわって選んだらしく、お隣さんの部屋には空間の広がりを感じられる。
(なぜだ……同じ部屋面積のはずなのに、新築マンションの広告に載ってそうな部屋に見える……)
敗北感に押しつぶされそうな凛空の視線は、隣部屋をふらふらとさまよう。
部屋の隅に置かれたデスク前に部屋の主の後ろ姿を見つけて、凛空の視線が釘付けになる。
ラフな格好ながら、毎朝見かける時と同じように品格のある後ろ姿に間違いなく彼だとわかる。
背中越しに見えるパソコンの画面に気づいて、凛空は喉の奥で唸った。
「まさに今、ゲームにログインされておりますね」
そっと手を握ってきた稲炎も同じ光景が見えているらしく、目を輝かせながら凛空に話しかけてくる。
「か、会話なんてして……気づかれない?」
声をひそめる凛空に対して、稲炎は平然と答える。
「大丈夫でございます。神具を使っているので、誰にも気づかれません。それでは少し、お手を拝借いたします」
稲炎が握っていた凛空の手をさらに透明な壁に押し付けた。
すると急に声が聞こえてきた。
『さ~て、今日も神はいらっしゃるだろうか。次に相談したがってたあいつは、今遊んでるかな?』
その声は凛空でも稲炎でもない。短い挨拶しかしてこなかったが、間違いなくお隣さんの声だ。
「こういたしますと、対象者の内心の声が聞こえてくるのでございます」
「……マジか」
隣人が操作するキャラクターの姿と名前にはしっかり見覚えがある。
バリバリのビジネスマンだと思っていた隣人こそが、隠れファンクラブの取締役で稲炎が見せてくれたブログの書き手だと納得する。
『この部屋は多少古いが、ネット環境が最高に整っているから面白い。少し動くだけで必要なものが取れるし、用が済ませられる。高級マンションにこだわらず、自分自身が本当に望むがままに選んだ方がいい、と神にもらったアドバイスに従って正解だった。最高だ!』
その時、お隣さんの玄関のドアが開いて女性が入ってきた。
「ただいま~! あっ、もうログインしてるの? 先にズルい!」
品格のある身なりの美しい女性で、いつしか凛空がお隣さんと並んで歩いていたところを目撃したことがある美人さんだった。
お隣さんは女性の方へ渋々と言った様子で顔を向ける。
「何がただいま、だ。ここはお前の部屋じゃなくて、俺の部屋だろ」
「いいじゃない、誰のおかげで開発に専念できてると思ってるの? 私だって神さんとお話したい時があるのに、お兄ちゃんがなかなか順番を回してくれないんだもん。打ち合わせも兼ねて、順番がくるまで通わせてもらいます」
「うぅ……仕事のことを言われると辛いなぁ」
お隣さんが苦く笑いながら、仕方ないと妹を迎え入れる。
「素直な兄で妹は嬉しいです」
「これも神のアドバイスのおかげさ。秀でた者に任せるべしってな。俺よりおまえの方が、営業に向いているよ」
「私もパソコンに向かっているだけより、外回りもする方が性に合ってるわ。それに、お兄ちゃんも今の方がずっと生き生きしてる。だからかな、ゲームも前よりずっと面白くなってきてる。私だけじゃなくて、プレイヤーたちの感想もほぼ同じ。データにも反映されているから間違いない。社長だからって、全部お兄ちゃんがやらなくてもいい。神さんの言う通りだったわね」
「ああ、まったくだ。会社を立ち上げて作り上げたこのゲーム、俺がしっかりしなきゃと思い詰めていたあの頃が嘘のようだよ。おまえたちにどんどん任せて、俺は俺のやりたいようにやる。そうして、ほぼプログラムしかやっていないような今の方が業績が上がっているんだから」
「だだっ広い高級マンションに暮らしていたあの頃より、半分も広さがないこの部屋にいるお兄ちゃんの方が素敵に見えるのも面白いわ」
「それを言うな。高級マンションが成功の鍵だと信じていた馬鹿な俺のことは、さっさと忘れてくれ」
「いーや。いつまでも笑い話として覚えておきます」
仲が良さそうな兄妹から目を離して、凛空が聴神器を壁から離すと、透明だった壁が一瞬で元に戻った。
(いつか見た彼女は妹さんだったんだ……って、もしかしてあの人がゲーム開発者!?)
慌てて凛空がパソコンで調べてみると、運営会社のホームページで社長としてお隣さんが紹介されていた。
凛空は座り込み、軽く頭を抱えてため息をつく。
「マジで……世の中は広いようで狭いな~」
稲炎が聴神器を服の中にしまいながら、首を傾げて不思議そうな顔をしていた。
ネットショップで働いていた凛空はともかく、稲炎がパソコンを使いこなせるだろうかと心配していたが、その必要はなかった。
基本的な操作方法の知識も持って生まれ落ちたのか、すぐにコツを掴んで使いこなしている。
(……これは狐火補正のせいさ。そうさ、オレが鈍いわけじゃないんだよ)
凛空が複雑な心境で自分に言い聞かせている間に、稲炎は本番のキャラクター作成画面まで進めている。
試しに作ったキャラクターは削除して、気に入ったキャラクターにしたいらしい。
見守る凛空の前で、稲炎は迷うことなくキャラクターを作り込んでいく。
理想とするイメージがすでに決まっているのか、時々操作方法を間違えて動揺しつつも、サクサク進んでいく。
ものの十数分で作り上げた稲炎のキャラクターは、途中から凛空が想像した通り、紫雨の狐火・冬月に似ていた。
ゲーム内での名前は、はじめに凛空が考えた仮の呼び名が使われた。
紫雨似の美女がリク。冬月似の美形がいなほだ。
「どー見ても似合わない名前だな」
「そうですか?」
はじめの村に降り立ち、チュートリアル的展開をこなしながら、稲炎は上の空で応える。
ゲーム内の凛空であるリクと出会った稲炎は、すぐに仲間にならないかと誘ってくれた。
(説明書きをさらっと読んだだけなのに迷いなく操作してるし、理解してる。すげーな……狐火ってのは天才なのか?)
ちょっと納得いかない気分を持て余しながら、凛空はパソコンを操作する。
稲炎と仲間になったらお互いの位置やステータスまで確認できるようになった。
気を取り直してレベル上げに向かう。
戦闘にもセンスがあるのだろうか。
同じように戦っているつもりなのに、稲炎の方がレベルが少し下なのにも関わらず、戦闘系ステータスが凛空より上回っている。
スキルも凛空が会得していないものが何個もある。
「なんでだ~っ! そんなに特別なことしてないじゃないかーっ」
頭を抱えて叫ぶ凛空を見て、隣に並んで座る稲炎も不思議そうな顔をする。
「左様でございますね。わたしもただ、魔物とやらを倒しているだけなのですけど……」
お互いのステータス画面を並べて見比べる稲炎が、しばらく沈黙してからボソリと呟く。
「……センス、でございますかね」
「ううぅ、ゲームなのに現実的すぎる~!」
気がつけば現実で見た冬月さながら、華麗に魔物を倒す稲炎のキャラクター。
その陰に隠れて敵から逃れつつ、凛空が操るキャラクターは攻撃を食らったいなほに向けて、ちまちまと回復アイテムを使うだけになっている。
(あぁ、ゲームでも守られキャラか。福の神気質ってのは、どれだけ影響力が強いんだか。ま、これはこれで楽しいからいいけどな)
稲炎のおかげでテンポ良く勝ち進み、レベルも上がって職業を選べるようになった。
「なるほど、ステータス条件をクリアしていなければ、選べない職業もあるんだな。オレは戦士や拳士が選べないわ。稲炎は?」
薄々感づいていた通りの結果になった職業選択画面から目を離し、隣を見ると稲炎は口元に手を当てて、何やら考えこんでいる。
何を悩んでいるのだろう、と軽い気持ちで稲炎の画面を覗き、凛空は目を丸くして唸る。
「うーわー、マジかよ。全職種、条件オールクリア!! 選びたい放題じゃないの!」
「……はい。ですから、どう選べば良いものかと……」
「羨ましい悩みだのぉ…」
しゅん、と耳を垂らす稲炎の横で、凛空は肩を落としてため息をつく。
(これもきっと、狐火補正のせいだ! うん、そうに違いない!)
凛空の福の神気質がゲーム内にも影響を与えるのだとしたら、狐火気質も影響するのだ。
勝手にそう結論づけた凛空は、これからも2人で行動するのだから、効率良く遊べる職業にしようと提案する。
「他のプレイヤーとは圧倒的に遊べる時間が違うじゃん? できれば悪目立ちしたくないんだ。派手にならず、2人だけでも遊べる組み合わせの職業にしよう」
「はい、それは凛空さまのお好きなようになさって下さい。して、その組み合わせとは、何と何ならよろしいのでしょう?」
「ふぅーむ……そうだなー」
こだわりのない稲炎はあっさりと決定権を凛空に委ね、腕組みで悩む凛空を見上げて結論を待つ。
「オレはどー見ても後方支援タイプなんだよな。となると、稲炎には前衛を頼みたいんだけど……」
前衛タイプ、後方支援タイプどちらも複数の職業から選べる状態だ。
凛空はしばらく悩んで狩人を選び、稲炎に戦士を選んでもらった。
狩人は弓矢を使った攻撃の他に、短剣や投擲も選べる上に、特殊技能で罠を仕掛けることもできる。
罠にかかった魔物は抜け出すまでに体力が落ちていく。上手く使えばその場にいなくても戦力になるのだ。
しかも魔物を倒した後に、解体して素材にできるものを採取できるのは狩人だけだ。
2人でのんびり楽しむつもりだけど、いつも魔物を追いかけるだけではつまらないので、変化も欲しい凛空にとってはちょうどいい。
「よし、これで準備が整ったな。いざ、本格的に旅立ちますか!」
「はいっ」
それぞれ選んだ職業ごとに装備を整え、必要な道具も可能な限り揃えた凛空たちは、ようやく次のステージに進んでいく。
チュートリアル的な一本道のストーリーが終わり、この先は選んだ道や行動など、さまざまな影響でどんとん展開が変わる。
立ち寄った村の人々に依頼されたクエストを解決する旅をしても良いし、荷運びを手伝ったり、畑作業を手伝っても良い。
陶芸や木工細工、料理や絵画も習うことができる。
何と山道の途中でキャンバスに風景画を描いて、次の町で売ってみるとなかなかの値段で売れてしまった。
「ちゃんと経験値ももらえたぞ。器用さに観察力、集中力と創造性が特に伸びたなぁ……おぉ、知性に話術まで!」
ステータスを確認して感嘆する凛空の横で、稲炎もコクコクと頷いている。
「誠に奥深いゲームでこざいますね! ただ魔物を倒すだけではなく、人間の生活をすべてゲームにしたような感じがします」
「本当になぁー。この先も何が出来るのか楽しみだ!」
料理を食べると、既成の体力回復アイテムより効果が高いので、そちらも試してみる。
材料は凛空の狩人能力で果実や薬草を採取。釣りで魚を手に入れ、調味料は採取したコショウであっさり仕上げ。
シンプルな材料ながらも稲炎が調理してみると、それなりに効果の高い料理が完成した。
「料理も繰り返した回数や、熟成度などで食べた時の効果が変化するらしいぞ」
「釣りや採取も熟練度が高くなるほど、貴重な材料を採取することが可能になるとか。誠に奥深いゲームでこざいます」
稲炎とのオンラインゲーム生活はかなり刺激的で面白かったが、丸一日ずっとゲームをし続けることはない。
現実を忘れすぎないよう、稲炎が適度に休憩を提案してくれるのだ。
食べなくてもいい体になっても食べた方がいいと、稲炎が定期的に食べさせてくれるし、お風呂にも毎日入っている。
ただ働きに出ていた時間を、ゲームに置き換えたような生活だった。
おかげで凛空は疲れを感じることもなく、快適に遊べている。
「……楽しいんだけどさ。本当にオレ、こんなことしてていいのかなぁ」
気がつけばオンラインゲームをはじめて3ヶ月が過ぎていた。
保険料の支払いや家賃、光熱費に通信費などの請求もなく、ただただ平穏な日々。
働きに出ていないのに。
「やっぱ、落ち着かねー! 給料の振込を確認しに行かなくても良い。保険料や税金に、家賃と光熱費、スマホ代も請求されないって、まるでここに存在していないみたいじゃないかーっ!」
「いえ、支払いはされておりますよ。全自動で流れ込み、支払われているだけで……福の神には保険料や税金の義務は無いので、それは支払われておりませんが」
稲炎が冷静に訂正してくれるが、そんな問題ではない。
「なぁ、オレはこれで間違ってないか? 福の神と言ったって、なんも役立ってないんだが……」
まさか福の神もクビになる可能性があるのでは、と青白い顔になった凛空の肩を稲炎が叩く。
「ご安心くださいませ。わたしが何度も申し上げました通り、凛空さまは楽しんで日々を過ごして下さっております。福の神として当然のことで、罰せられることではこざいません。それに、凛空さまはしっかりとお役に立って下さっておりますとも」
「は、オレが? 何の役に立ってるって? ただ毎日ゲームしてただけぜ?」
きょとん、と稲炎を見る凛空に自覚はまったくない。
その様子に苦笑しながら、稲炎はパソコンを操作する。
「凛空さまが楽しんで遊んだことで、このゲームは他の利用者がうなぎのぼりに増えているのですよ。ほら、こちらが公式サイトで発表された、ゲーム提供開始からの利用者数の増減を表したグラフでございます」
ほら、と稲炎が指し示した画面の中で、棒グラフが一定間隔で並んでいる。
左から右へグラフが伸びているが、はじめの棒はほとんど差がない。
けれど凛空が遊びはじめた頃からグラフの棒はあきらかに伸びている。
その伸び率は左端の棒グラフよりも幅広く、ぱっと見ただけでもわかる。
「こちらのゲーム、開始当初は利用者が伸び悩み、中止も検討されていたそうです。ちょうど凛空さまが遊びはじめた頃より如実に伸びておりますでしょう? 加えまして、こちらもご覧ください」
もうひとつ稲炎が見せてくれたのは、オンラインゲームのプレイ日記を公開している個人ブログだった。
『本日、神に出会った!!』
凛空はブログ内の文書に呆れる。
「……なんだよ、このブログは。神とか、今時こじれた子供でも言わなさそうな単語使ってるし」
ところが神ワードのすぐ下に貼られている動画に目が止まり、凛空の舌が凍りつく。
動画は自然再生されており、その中に見覚えのあるキャラクターが映っていた。
「……オレたちじゃん。てか、これは……」
「覚えておられますか? 二月ほど前に一緒に魔物を倒して、キャンプをしたキャラクターがおりましたでしょう? このブログはそのプレイヤーが書いておられます」
確かに、たまたま苦戦していたソロプレイヤーを手助けしたことがあった。
料理を一緒に食べて焚き火をし、一晩ゲームの中で語って過ごした。
「たいしたことは喋ってなかったと思うが……」
「いえいえ。この方にとっては十分に価値ある対話だったのですよ」
「……そーかなぁ……」
今思い返すと、その頃から他のプレイヤーたちから話しかけられることが増えた。
それもたくさんのプレイヤーに同時に話しかけられるのではなく、ちゃんと順番を待っていたみたいに、入れ替わり立ち代り、多すぎない程度に。
「ちなみにこれ以外にも凛空さまと対話したプレイヤーたちが動画を公開しております。あまりにも反響が大きいそうで、神動画としてチャンネル登録されました」
「……おいおい、神動画ってなぁ。対話って言っても、グチ聞いたり、世間話したくらいだぞー!」
何しろ時間制限のない生活なのだ。
言いにくかったり、どう言葉を選べばいいのか悩む間も、どれだけ時間がかかろうと害がないので、ただ待っていただけだ。
好きなタイミングで、好きなだけ吐き出したら、みんな帰っていく。
それをただ聞いていただけなのだ。
「現実世界において、そのような対話ができる機会が、いかに貴重なのかと言うことではないでしょうか。みな神対応と褒め称えておられますよ」
「いやいや……それはまぁ、福の神が対応してるってことで言えば、間違いじゃないけどさぁ」
特別なことをしたわけでもない凛空にとって、褒められても落ち着かない気分にしかなれない。
「オレはただ、遊んでただけなんだよー」
「凛空さまはそれでよいのでございます」
なぜか誇らしげな稲炎にそう言われても、凛空はくすぐったい気分だった。
「……にしても、そっかー。こんなことになってたのか。なんか声かけられることが増えたなーとは思ってたんだ」
ブログをあらためて眺めると、感謝の言葉が書いてある。
自分に向けて言われるには相応しくないような気持ちがして、凛空はそっと目を逸らす。
「何でもこちらのプレイヤーが、神に話しかけたいなら順番を待て、と他のプレイヤーを管理しているほど人気があるそうですよ。凛空さまの邪魔にならぬよう、どうしても複数でないとならない内容でなければ、一度に1人限定で話しかけるように、とも」
「……おいおい、オレは有名人じゃないぞ。何だよ、そのファンクラブみたいなルールは。それにしても稲炎も事情に詳しいなぁ」
稲炎は悪びれることもなく、こくんと頷く。
「わたしとこのプレイヤーは友達登録しておりますし、メールなどもやりとりしております。ちなみに電話番号も知っておりますよ。電話で相談もしてみますか?」
さっと凛空のスマホを差し出してくる稲炎の頭を軽く指で弾く。
「しねーよ、そんなこと」
思っていたより行動的で交友関係が広そうな稲炎に、ネットで出会った人間にはとりあえず注意するようにだけ伝える。
ネット通販に関わっていたからこそ、顔の見えない場で知り合いになるリスクも無視できない。
「……はい。しかし、この方は信用しても良いと思います。案外近くにお住まいで、凛空さまもご存知の方でしたよ」
「えっ、てことは、稲炎は直接会ったことがあるのか?」
思わず稲炎を見ると、弾かれた額を撫でながら頷く。
「余計に危ないってのに!」
「主人に近づく者を見定めるのも、神仕えの役目でございます」
ちょっと口を尖らせ、稲炎はそう主張する。
「近づくって言っても、ネットの中だけなんだから、もうしなくていいよ。稲炎に変なことするかもしれないんだぞ」
「大丈夫でございます。わたし、こう見えて強うございますから。人に負けません」
えへん、と胸を張って目を輝かせる神仕えの頭を撫でながら、凛空は苦笑する。
確かに火の玉を出せる狐火の方が、ただの人間よりも強いだろうが、悪賢さでは人間の方が上手だろう。
それを言って聞かせるのも複雑な気分になるので、それ以上は言わないことにする。
「とにかく、もうしなくていいからな」
「……は、い。凛空さまのお言いつけならば……」
渋々と了承する狐火の忠義心に感心しながら、感謝の意味も込めて稲炎の頭をもっとぐりぐり撫でまくる。
子供扱いに反感と喜びも感じるのか、稲炎はやめてくださいと言いながら、複雑な表情を見せる。
「……ところで、順番待ちを管理しているプレイヤーが、オレたちの近くに住んでるって言ってたが、どの辺りに住んでるんだ?」
稲炎から手を離し、ひそかに気になっていた凛空が聞いてみると、乱れた髪を整えながら稲炎が壁を指差した。
少し前までゴミ袋入り札束が埋め尽くしていた壁は、今は少し見えるようになっている。
年季の入ったくすんだ壁を無言で指差す狐火の意図がわからず、凛空が首を傾げる。
「お隣にお住まいの方でございますよ」
「……はぁ? 隣って……嘘だ」
毎朝、ビシッと決めて出勤する隣人は、とてもオンラインゲームをするようなタイプに見えなかった。
しかし、狐火は福の神に嘘はつけないとも言っていたことを思い出して、凛空は信じるべきかどうか迷う。
稲炎は主人の心の動きを見透かしているかのように、大きく頷いて立ち上がる。
とてとて、と壁に向かって歩いていくと、手のひらを壁につけて凛空を振り返る。
「信じ難いようでございますね。では、実際にご覧になられますか?」
「いや、信じてないってことはないけどさ……しかも実際に見るったって、隣の部屋に突入しろってこと?」
座ったまま稲炎を見上げて、凛空はまたの機会にしようと言いかけた。
ところが稲炎は福印ハッピの内側に手を突っ込んで、何かを掴みながら手を引き抜いた。
「このような場面にはこちらの#神具_しんぐ__#、聴神器にごさいますっ~!」
有名なネコ型ロボット風にアイテムの名前を読み上げて手をかざす稲炎。
その手には医者が使う聴診器が握られている。
「……聴診器? それで盗聴しようってのか。稲炎くん、いけないよ。それでは犯罪者ではないか!」
稲炎に駆け寄り、凛空はその小さな両肩を掴んで思い留めようと言い聞かせる。
聴神器を両手で握りしめる稲炎は何度も首を左右に振る。
「いいえ! 聴神器は福の神の為に、大神さまより支給された神具にございます」
「神具?」
「はい。特に昇格したての福の神は力を把握したり、使うことに慣れておられません。金喰い虫もおりますので、大神さまのお力の一部を宿した神具を使えるようにしてくださっているのです」
紫雨たちが暮らす神社からの帰り道を思い出した凛空は、なるほどと納得してしまう。
(そうだよなー。福の神になっても天敵がいないわけじゃないって実物を見せつけられたっけ。対抗手段が狐火しかいないってのも、時間制限があるんだから狐火だけに頼るのは危険だよな)
新米の凛空と稲炎では、使える力の最大量が限られている。それを紫雨たちから教わったばかり。
大神は案外しっかりと仕事していたんだ、と凛空は感心する。
「聴神器は不慣れな福の神が人々の心の内を知る手助けとなってくれるのです。論より証拠と申します。ささっ、凛空さま、聴神器を壁に当ててくださいませ」
稲炎が大きい目でじっと見つめてくるものだから、断るのも気が引けて、仕方なく凛空は立ち上がる。
胡散臭いと思いながら、稲炎の横で聴神器とやらを受け取る。
「こっちの先端は耳に入れればいいんだな?」
「片耳だけでも十分に聞こえますが、臨場感をお求めでしたら両耳につけてくださいませ」
聴神器の先端を耳の穴にはめて、反対側の円盤のような部分を稲炎に促されてそっと壁に当てる。
どうせ物音が聞こえるだけだろうと侮っていた凛空は、聴神器を当てた瞬間の変化に腰を抜かしかけた。
一瞬で壁が溶けて、視界が急に開けたのだ。
まるで壁が砂糖で出来ていて、上からお湯をかけたかのように。
長年この部屋に住んでいたからこそ、あり得ないとわかる光景を受け入れきれず、凛空は激しく瞬きをする。
(ど、どうなってんだ~!)
隣に立つ稲炎は慣れた様子で、キョロキョロと見通しのよくなったお隣の部屋を見回す。
「凛空さまと同じ間取りの部屋だとは思えない、ハイセンスなお部屋でございますね~」
「……ひ、一言余分だよ、稲炎くん……」
突然の展開に対する動揺と、稲炎とまったく同じことを思っていたけれど素直に認められない葛藤のダブル攻撃を食らっている凛空は、弱々しい声で主張するしかできなかった。
家具の色や材質、形にこだわって選んだらしく、お隣さんの部屋には空間の広がりを感じられる。
(なぜだ……同じ部屋面積のはずなのに、新築マンションの広告に載ってそうな部屋に見える……)
敗北感に押しつぶされそうな凛空の視線は、隣部屋をふらふらとさまよう。
部屋の隅に置かれたデスク前に部屋の主の後ろ姿を見つけて、凛空の視線が釘付けになる。
ラフな格好ながら、毎朝見かける時と同じように品格のある後ろ姿に間違いなく彼だとわかる。
背中越しに見えるパソコンの画面に気づいて、凛空は喉の奥で唸った。
「まさに今、ゲームにログインされておりますね」
そっと手を握ってきた稲炎も同じ光景が見えているらしく、目を輝かせながら凛空に話しかけてくる。
「か、会話なんてして……気づかれない?」
声をひそめる凛空に対して、稲炎は平然と答える。
「大丈夫でございます。神具を使っているので、誰にも気づかれません。それでは少し、お手を拝借いたします」
稲炎が握っていた凛空の手をさらに透明な壁に押し付けた。
すると急に声が聞こえてきた。
『さ~て、今日も神はいらっしゃるだろうか。次に相談したがってたあいつは、今遊んでるかな?』
その声は凛空でも稲炎でもない。短い挨拶しかしてこなかったが、間違いなくお隣さんの声だ。
「こういたしますと、対象者の内心の声が聞こえてくるのでございます」
「……マジか」
隣人が操作するキャラクターの姿と名前にはしっかり見覚えがある。
バリバリのビジネスマンだと思っていた隣人こそが、隠れファンクラブの取締役で稲炎が見せてくれたブログの書き手だと納得する。
『この部屋は多少古いが、ネット環境が最高に整っているから面白い。少し動くだけで必要なものが取れるし、用が済ませられる。高級マンションにこだわらず、自分自身が本当に望むがままに選んだ方がいい、と神にもらったアドバイスに従って正解だった。最高だ!』
その時、お隣さんの玄関のドアが開いて女性が入ってきた。
「ただいま~! あっ、もうログインしてるの? 先にズルい!」
品格のある身なりの美しい女性で、いつしか凛空がお隣さんと並んで歩いていたところを目撃したことがある美人さんだった。
お隣さんは女性の方へ渋々と言った様子で顔を向ける。
「何がただいま、だ。ここはお前の部屋じゃなくて、俺の部屋だろ」
「いいじゃない、誰のおかげで開発に専念できてると思ってるの? 私だって神さんとお話したい時があるのに、お兄ちゃんがなかなか順番を回してくれないんだもん。打ち合わせも兼ねて、順番がくるまで通わせてもらいます」
「うぅ……仕事のことを言われると辛いなぁ」
お隣さんが苦く笑いながら、仕方ないと妹を迎え入れる。
「素直な兄で妹は嬉しいです」
「これも神のアドバイスのおかげさ。秀でた者に任せるべしってな。俺よりおまえの方が、営業に向いているよ」
「私もパソコンに向かっているだけより、外回りもする方が性に合ってるわ。それに、お兄ちゃんも今の方がずっと生き生きしてる。だからかな、ゲームも前よりずっと面白くなってきてる。私だけじゃなくて、プレイヤーたちの感想もほぼ同じ。データにも反映されているから間違いない。社長だからって、全部お兄ちゃんがやらなくてもいい。神さんの言う通りだったわね」
「ああ、まったくだ。会社を立ち上げて作り上げたこのゲーム、俺がしっかりしなきゃと思い詰めていたあの頃が嘘のようだよ。おまえたちにどんどん任せて、俺は俺のやりたいようにやる。そうして、ほぼプログラムしかやっていないような今の方が業績が上がっているんだから」
「だだっ広い高級マンションに暮らしていたあの頃より、半分も広さがないこの部屋にいるお兄ちゃんの方が素敵に見えるのも面白いわ」
「それを言うな。高級マンションが成功の鍵だと信じていた馬鹿な俺のことは、さっさと忘れてくれ」
「いーや。いつまでも笑い話として覚えておきます」
仲が良さそうな兄妹から目を離して、凛空が聴神器を壁から離すと、透明だった壁が一瞬で元に戻った。
(いつか見た彼女は妹さんだったんだ……って、もしかしてあの人がゲーム開発者!?)
慌てて凛空がパソコンで調べてみると、運営会社のホームページで社長としてお隣さんが紹介されていた。
凛空は座り込み、軽く頭を抱えてため息をつく。
「マジで……世の中は広いようで狭いな~」
稲炎が聴神器を服の中にしまいながら、首を傾げて不思議そうな顔をしていた。
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