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1話
「君は伯爵夫人としては完璧だった」
長い付き合いで知っていた。
夫が私を褒めるのは、その後に貶める為だということを。
「だが母親にはなれなかった。つまり女としては失格だということだ」
とうの昔に凍てついた夫婦関係だった。
けれど二十年間近く連れ添った相手に告げる言葉がそれかと私は思わず笑った。
それを不気味そうな表情で見て、夫は傍らの人物を抱き寄せる。
彼とは十以上いやもしかしたらそれ以上に年の離れた、少女と言ってもいい外見の女性だった。
ちなみに私とは本日が初対面だ。
数年前から夫の愛人だったと聞かされた。
彼女も私と同じように笑っていた。
笑って自らの膨らんだ腹を撫でまわしていた。
「わかっていただけますわよね?」
あなたはお払い箱ということですわ。
そうして私の結婚生活は見知らぬ女の言葉で完全に終わりを告げたのだった。
______
「告げたのだった、じゃないわよっ」
王妃専用の離宮に怒りの声が響き渡る。
その声の主は私の離縁報告を聞くとティーカップを落とした後、大理石のテーブルをダンと叩いた。
この国の王妃であり国母であるマリアは私の学友だった。お互い大人になった後も月に一回ぐらいは二人で会話を楽しんでいた。
かっては殿方を巡って火花を散らしたものだがお互い収まるところに収まった後はそれなりに良好な関係を築いていた。
私はその収まったところから追い出されてしまったわけだが。
「ねえ、あなた本当にあのディアナ?あのプライドが山より高くてライバルを蹴落とすのが生きがいだったあの毒薔薇令嬢の?」
「失礼ね。恋敵を蹴落とすのが生きがいだったのはそちらでしょ。恋多き天使マリア」
「でもあなたの婚約者はどうしても堕ちなかった。なのに、なのに…ぽっと出の若い女に……悔しい!」
「呆れた。貴女まだロバートに執心していたの」
「そんなわけないでしょ!私はライバルのあなたがそんな女に負けたことが悔しいのよ!」
厳重に人払いをしているのか、それとも王妃の癇癪に慣れきっているのか。
マリアが大声でわめき続けていても誰一人室内には入ろうとしない。
そのことを有難く思いながら私はそっと瞬きを二度した。ぽたりと落ちた涙は紅茶の海に紛れてすぐに見えなくなる。
夫に役立たず扱いされた時も彼の愛人に嘲笑された時も泣きたくなんてならなかった。
それは恐らく、あの場所に誰一人味方がいなかったからだ。
やっぱり今日マリアに会いに来て本当に良かった。
「別にいらないわ、あんな男」
自分の分の紅茶を一口飲んで友人に告げる。
無神経なところもある彼女だが、私の言葉に対し負け惜しみだと返すことはなかった。
「ただ今後の生活については考えなければいけないわね。家督と屋敷は弟が継いでいるし」
「え?当然ロバートから慰謝料はふんだくったのよね」
「貰ったけど、孤児院に全額寄付してしまったわ。彼のお金で暮らしたくなかったから」
「はー…本当プライド激高お嬢様ね、変わってないわ」
「変わったわよ。…でも私であることだけは変えられなかった」
令嬢と呼ばれていた日々に思いを馳せながら私は答える。
学業に勤しみ、ロバートの婚約者として振る舞い、マリアと火花を散らし最後には悪友になった。
ウェディングドレスを纏い幸福な生活を夢見た記憶すら遠すぎる。
だってもう三十七歳だ。当時はこんなことになるなんて思いもしなかった。
マリアから婚約者の座を守り切った時点でハッピーエンドだと愚直に信じていた。
けれどその後も私とロバートの関係は続き、変わり、ゆがんで、そして終わった。
そしてロバートは私以外の人と新しく夫婦生活を始めるのだ。
「……ねえ、今から凄い怒られそうなこと言っていい?」
カップの中の紅茶をじっと見つめていると、マリアが珍しく神妙な声で尋ねて来た。
嫌な予感しかしなかったが夫婦間の醜聞をこっそりと聞いてもらった引け目もあって頷いてしまう。
「私って息子いるじゃない」
「ルーク王子とアレス王子ね」
私は見知った青年たちの顔を思い浮かべる。
第一王子のルーク様は私たちの母校の現役学生で来年卒業予定の好青年だ。今日も笑顔で私を歓迎してくれた。
第二王子のアレス様はその一つ下で兄と同じ学校に通っている。
昔はマリアに会いに行く度に懐いてくるのが可愛くて構っていたが思春期のせいか最近はあまり進んで近付いてはこない。
そう、それとわが子を物のように口にしながらマリアは私の耳元に唇を寄せる。
「ねえ、ディアナ。絶対怒らないでね」
「耳が擽ったいから早く用件を話して頂戴」
「あなたアレスと…婚約してみない?」
「……はあ?」
今この王妃は何と言った。
思わず彼女の顔を掌で引き剥がす。学生時代ベタベタとロバートに抱き着いていたマリアを都度全力で引き剥がしていたことを思い出した。
その時と同じ台詞を二十年経った今吐き出すことになるとは。
「マリア、貴女、頭がおかしいのではなくて!?」
「おかしくないわ。私は本気よ!」
そして彼女もまた当時と同じ言葉を返す。
けれど続く言葉は違った。
「ふっふっふ、つまり…あなたを捨てる伯爵あれば、拾う王子もいるってことよ!」
だから今日からお義母様と呼んでもいいのよ。
満面の笑みで告げる悪友の頭を私は容赦なく拳骨で殴った。マリアの石頭にこちらの手がダメージを受けるのも変わらない。
懐かしい痛みを味わいながらそれとは別の痛みがこめかみからはいあがってくるのを私は感じた。
長い付き合いで知っていた。
夫が私を褒めるのは、その後に貶める為だということを。
「だが母親にはなれなかった。つまり女としては失格だということだ」
とうの昔に凍てついた夫婦関係だった。
けれど二十年間近く連れ添った相手に告げる言葉がそれかと私は思わず笑った。
それを不気味そうな表情で見て、夫は傍らの人物を抱き寄せる。
彼とは十以上いやもしかしたらそれ以上に年の離れた、少女と言ってもいい外見の女性だった。
ちなみに私とは本日が初対面だ。
数年前から夫の愛人だったと聞かされた。
彼女も私と同じように笑っていた。
笑って自らの膨らんだ腹を撫でまわしていた。
「わかっていただけますわよね?」
あなたはお払い箱ということですわ。
そうして私の結婚生活は見知らぬ女の言葉で完全に終わりを告げたのだった。
______
「告げたのだった、じゃないわよっ」
王妃専用の離宮に怒りの声が響き渡る。
その声の主は私の離縁報告を聞くとティーカップを落とした後、大理石のテーブルをダンと叩いた。
この国の王妃であり国母であるマリアは私の学友だった。お互い大人になった後も月に一回ぐらいは二人で会話を楽しんでいた。
かっては殿方を巡って火花を散らしたものだがお互い収まるところに収まった後はそれなりに良好な関係を築いていた。
私はその収まったところから追い出されてしまったわけだが。
「ねえ、あなた本当にあのディアナ?あのプライドが山より高くてライバルを蹴落とすのが生きがいだったあの毒薔薇令嬢の?」
「失礼ね。恋敵を蹴落とすのが生きがいだったのはそちらでしょ。恋多き天使マリア」
「でもあなたの婚約者はどうしても堕ちなかった。なのに、なのに…ぽっと出の若い女に……悔しい!」
「呆れた。貴女まだロバートに執心していたの」
「そんなわけないでしょ!私はライバルのあなたがそんな女に負けたことが悔しいのよ!」
厳重に人払いをしているのか、それとも王妃の癇癪に慣れきっているのか。
マリアが大声でわめき続けていても誰一人室内には入ろうとしない。
そのことを有難く思いながら私はそっと瞬きを二度した。ぽたりと落ちた涙は紅茶の海に紛れてすぐに見えなくなる。
夫に役立たず扱いされた時も彼の愛人に嘲笑された時も泣きたくなんてならなかった。
それは恐らく、あの場所に誰一人味方がいなかったからだ。
やっぱり今日マリアに会いに来て本当に良かった。
「別にいらないわ、あんな男」
自分の分の紅茶を一口飲んで友人に告げる。
無神経なところもある彼女だが、私の言葉に対し負け惜しみだと返すことはなかった。
「ただ今後の生活については考えなければいけないわね。家督と屋敷は弟が継いでいるし」
「え?当然ロバートから慰謝料はふんだくったのよね」
「貰ったけど、孤児院に全額寄付してしまったわ。彼のお金で暮らしたくなかったから」
「はー…本当プライド激高お嬢様ね、変わってないわ」
「変わったわよ。…でも私であることだけは変えられなかった」
令嬢と呼ばれていた日々に思いを馳せながら私は答える。
学業に勤しみ、ロバートの婚約者として振る舞い、マリアと火花を散らし最後には悪友になった。
ウェディングドレスを纏い幸福な生活を夢見た記憶すら遠すぎる。
だってもう三十七歳だ。当時はこんなことになるなんて思いもしなかった。
マリアから婚約者の座を守り切った時点でハッピーエンドだと愚直に信じていた。
けれどその後も私とロバートの関係は続き、変わり、ゆがんで、そして終わった。
そしてロバートは私以外の人と新しく夫婦生活を始めるのだ。
「……ねえ、今から凄い怒られそうなこと言っていい?」
カップの中の紅茶をじっと見つめていると、マリアが珍しく神妙な声で尋ねて来た。
嫌な予感しかしなかったが夫婦間の醜聞をこっそりと聞いてもらった引け目もあって頷いてしまう。
「私って息子いるじゃない」
「ルーク王子とアレス王子ね」
私は見知った青年たちの顔を思い浮かべる。
第一王子のルーク様は私たちの母校の現役学生で来年卒業予定の好青年だ。今日も笑顔で私を歓迎してくれた。
第二王子のアレス様はその一つ下で兄と同じ学校に通っている。
昔はマリアに会いに行く度に懐いてくるのが可愛くて構っていたが思春期のせいか最近はあまり進んで近付いてはこない。
そう、それとわが子を物のように口にしながらマリアは私の耳元に唇を寄せる。
「ねえ、ディアナ。絶対怒らないでね」
「耳が擽ったいから早く用件を話して頂戴」
「あなたアレスと…婚約してみない?」
「……はあ?」
今この王妃は何と言った。
思わず彼女の顔を掌で引き剥がす。学生時代ベタベタとロバートに抱き着いていたマリアを都度全力で引き剥がしていたことを思い出した。
その時と同じ台詞を二十年経った今吐き出すことになるとは。
「マリア、貴女、頭がおかしいのではなくて!?」
「おかしくないわ。私は本気よ!」
そして彼女もまた当時と同じ言葉を返す。
けれど続く言葉は違った。
「ふっふっふ、つまり…あなたを捨てる伯爵あれば、拾う王子もいるってことよ!」
だから今日からお義母様と呼んでもいいのよ。
満面の笑みで告げる悪友の頭を私は容赦なく拳骨で殴った。マリアの石頭にこちらの手がダメージを受けるのも変わらない。
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