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37.従者の問いかけ
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漆黒の従者の行動は迅速だった。
気がついた時には俺の手は彼によってアリオスの髪から離されていた。
その動きに自分が子供の頃、庭の薔薇に触ろうとした時のことを思い出した。
あの時の俺は花の部分じゃなく、よりにもよって棘だらけの茎に手を伸ばした。
気づいたエストが止めてくれなければ、子供の小さく柔らかな指先は傷だらけになっていただろう。
彼の普段は冷めた黒色の瞳に浮かんでいたのは焦りだった。
「どうして……」
そう呟いたのは俺だったのか、それともエストだったのか。
あるいはアリオスかもしれない。
けれど余りにも小さな声だったので、誰も聞き返すことは無かった。
「夫婦と言えど、時と場所を考えてください。セシリア様」
厳しい声でエストが言う。俺は彼に引きずられるようにアリオスから距離を置いた。
「人前でアンブローズ公爵家御当主の頭を犬にするように撫でるなど、無礼が過ぎます」
彼の言葉は正論だった。
そもそも貴族が人前でべたべたと触れ合うこと自体がはしたないのだ。
「私は気にしていない」
「失礼を承知で申し上げますが、私が案じているのはセシリア様の評判です」
アリオスの台詞にエストが一歩も怯まず返す。
失礼を承知などと言っていてもその黒い瞳に彼への恐れなど一切無かった。
「先程のセシリア様は貴族女性として、そして公爵夫人として相応しくない行動をされておりました」
エストは言葉でアリオスを咎めることはしない。
けれど視線は雄弁で彼を突き刺す様に見つめていた。
今の台詞だって、妻側の行動だけを非難している訳じゃない。
それを許した夫側もおかしいと暗に告げているのだ。
言葉で抗議しないのは公爵と直接対立は避けたいという判断だろう。
年上の侍女が幼い頃から仕えている元令嬢を窘めただけなら、身内間で処理できる。
だが部外者であり館の主人であるアンブローズ公爵に同じことをすれば大事になる可能性は高い。
既にエストは俺と彼の間に割って入る行為でリスクを抱えていた。
今のところアリオスにそれを咎める様子は無いが、ハラハラしながら様子を伺う。
彼の意図が伝わったのかは不明だがアリオスは少しの間黙り込んだ。
エストが責められる前に話を切り上げたい。俺はのろのろと口を開く。
「……そうね、確かに相応しくない振舞いでした。指摘してくれて有難う、エスト」
「出過ぎた真似をお許しください、セシリア様」
深々と一礼したエストは、顔を上げると湯浴みの準備が出来たと俺に告げた。
もしそれが本当なら手際が良すぎる。けれど今必要なのは事実では無い。
エストがアリオスの前でそう語ったことだった。
「そう……旦那様、申し訳ございませんが私これから湯浴みの準備が御座いますので……」
失礼致します。相手の目を見ずに頭を下げる。
「……湯浴み」
「はい、先程外に出た時少し汚れてしまいましたので」
単語のみ呟くアリオスに、まさか一緒に入浴したいとか言わないよなと思いながら返す。
予想外の行動ばかりしてくる公爵相手に油断は出来ない。
だから内心、はらはらしながら断り文句を考える。
しかしアリオスは素直に「わかった」とだけ言って去っていった。
受け取った黄薔薇の花束は彼の姿が消えた途端エストの手に渡る。
「……捨てない、よな?」
小声で恐る恐る尋ねると不機嫌さを隠さないまま、捨てませんよと言われた。
「捨てて欲しいなら喜んで処分しますけれど」
エストの言葉に反射的に首を振る。
彼はそんな俺を漆黒の瞳で見つめ、静かな声で問いかけた。
「……恐ろしくは、ありませんでしたか?」
質問の意味を把握するのに数秒かかって、アリオスの事について言っているのだと気づく。
俺は少し考えて口を開いた。
「いや、別に恐ろしくはなかった。よくわからないとは思うけど」
そういう意味では怖かったかも。俺の答えにエストはそうですかと溜息を吐く。
「取り合えず部屋の中に戻りましょう」
彼の提案に俺が逆らう理由は無かった。
---
私事ですが入院してました。
気がついた時には俺の手は彼によってアリオスの髪から離されていた。
その動きに自分が子供の頃、庭の薔薇に触ろうとした時のことを思い出した。
あの時の俺は花の部分じゃなく、よりにもよって棘だらけの茎に手を伸ばした。
気づいたエストが止めてくれなければ、子供の小さく柔らかな指先は傷だらけになっていただろう。
彼の普段は冷めた黒色の瞳に浮かんでいたのは焦りだった。
「どうして……」
そう呟いたのは俺だったのか、それともエストだったのか。
あるいはアリオスかもしれない。
けれど余りにも小さな声だったので、誰も聞き返すことは無かった。
「夫婦と言えど、時と場所を考えてください。セシリア様」
厳しい声でエストが言う。俺は彼に引きずられるようにアリオスから距離を置いた。
「人前でアンブローズ公爵家御当主の頭を犬にするように撫でるなど、無礼が過ぎます」
彼の言葉は正論だった。
そもそも貴族が人前でべたべたと触れ合うこと自体がはしたないのだ。
「私は気にしていない」
「失礼を承知で申し上げますが、私が案じているのはセシリア様の評判です」
アリオスの台詞にエストが一歩も怯まず返す。
失礼を承知などと言っていてもその黒い瞳に彼への恐れなど一切無かった。
「先程のセシリア様は貴族女性として、そして公爵夫人として相応しくない行動をされておりました」
エストは言葉でアリオスを咎めることはしない。
けれど視線は雄弁で彼を突き刺す様に見つめていた。
今の台詞だって、妻側の行動だけを非難している訳じゃない。
それを許した夫側もおかしいと暗に告げているのだ。
言葉で抗議しないのは公爵と直接対立は避けたいという判断だろう。
年上の侍女が幼い頃から仕えている元令嬢を窘めただけなら、身内間で処理できる。
だが部外者であり館の主人であるアンブローズ公爵に同じことをすれば大事になる可能性は高い。
既にエストは俺と彼の間に割って入る行為でリスクを抱えていた。
今のところアリオスにそれを咎める様子は無いが、ハラハラしながら様子を伺う。
彼の意図が伝わったのかは不明だがアリオスは少しの間黙り込んだ。
エストが責められる前に話を切り上げたい。俺はのろのろと口を開く。
「……そうね、確かに相応しくない振舞いでした。指摘してくれて有難う、エスト」
「出過ぎた真似をお許しください、セシリア様」
深々と一礼したエストは、顔を上げると湯浴みの準備が出来たと俺に告げた。
もしそれが本当なら手際が良すぎる。けれど今必要なのは事実では無い。
エストがアリオスの前でそう語ったことだった。
「そう……旦那様、申し訳ございませんが私これから湯浴みの準備が御座いますので……」
失礼致します。相手の目を見ずに頭を下げる。
「……湯浴み」
「はい、先程外に出た時少し汚れてしまいましたので」
単語のみ呟くアリオスに、まさか一緒に入浴したいとか言わないよなと思いながら返す。
予想外の行動ばかりしてくる公爵相手に油断は出来ない。
だから内心、はらはらしながら断り文句を考える。
しかしアリオスは素直に「わかった」とだけ言って去っていった。
受け取った黄薔薇の花束は彼の姿が消えた途端エストの手に渡る。
「……捨てない、よな?」
小声で恐る恐る尋ねると不機嫌さを隠さないまま、捨てませんよと言われた。
「捨てて欲しいなら喜んで処分しますけれど」
エストの言葉に反射的に首を振る。
彼はそんな俺を漆黒の瞳で見つめ、静かな声で問いかけた。
「……恐ろしくは、ありませんでしたか?」
質問の意味を把握するのに数秒かかって、アリオスの事について言っているのだと気づく。
俺は少し考えて口を開いた。
「いや、別に恐ろしくはなかった。よくわからないとは思うけど」
そういう意味では怖かったかも。俺の答えにエストはそうですかと溜息を吐く。
「取り合えず部屋の中に戻りましょう」
彼の提案に俺が逆らう理由は無かった。
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私事ですが入院してました。
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