ただの魔法使いです

端木 子恭

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春めく日

旅をする時には

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「突然押しかけて申し訳ありません。
 シャニ様、キア様。わたしはグラント・ルースといいます。
 昨晩こちらに連れてこられた友だちを迎えに参りました」

 門の外から声がする。
 日が差してきたばかりの空気はまだ冬の匂いが残る冷たさだった。
 抱き上げられている小猿は、不安そうに人間たちを見る。

「シェリー、無事でいる? 昨夜少しは休めた?」

 グラントだ。

 一緒に帰りたいと思うけれど、扉がしっかり閉まっていた。
 
 意地の悪い人ではないけれど、領地内で見つけたものは自分のものにしていいと思っているような強気なシャニ。彼はシェリーと年が近そうだ。
 妹のキアはケリーの方に近そう。小動物を何匹も飼育している。
 彼女の方は早々に普通の小猿でないと気づき始めていた。
 シェリーは懸命に話しかけてみたが、ユスフのようにはならなかった。 

「そちらの動物は人間なんです。魔法でその姿になっているだけ。
 お返しください」

 さらにグラントの声がする。
 キアが兄に抗議を向けた。

「ほら。普通の猿じゃないって言ったでしょ。彼に返しましょう」
「この子の飼い主が彼だという証拠もないだろう。
 それに、昨夜は冷え込んだ。連れ帰らなければ猿は死んでいたよ」

 シャニがキアから小猿を奪う。

「ごめんなさい。兄は自分が間違えたって言えない人なんです。
 お友だちは連れて帰ってください。心配でしたでしょう?」 

 キアはシャニから小猿を奪おうとする。
 シャニは嫌がって身を捩った。

「人間だって言うなら、ここで元に戻って見せろ。
 そうすれば明らかだ」
「シェリー様はまだ魔法がうまく使えないのです」

 ケリーが門の外から言う。

「シャニ様には、失礼ながらシェリー様を引き止める権利がございません」

 ずばりと言ってのけるケリーをグラントは制した。

「シャニ様、その動物はすでにキア様に差し上げたのでは?
 キア様はお返しくださる意向です。連れ帰ってかまわないはず」

 グラントは杖をベルトにおさめる。

 彼女がこの敷地で人間に戻ってしまったらまずい。
 余計面倒なことになる。

 何者なのか言わなければならないだろう。 

 敵か味方か中立か。
 ジョニール公の立場が不明だった。
 一番楽なのはシェリーが獣のまま領地を出ることである。

 ケリーへ指示した。

「退路の確保をお願い」
「はい」

 弟子は自分の杖を手に握ると、生き生きした顔で振りかぶる。

「いきますよっ」
「シェリー、跳んでおいで」

 どん、という音がして、門の蝶番が外れた。
 ケリーが杖の頭を扉へ押し付ける。
 分厚い木の扉が真ん中から折れた。

 驚いたシャニの腕から、シェリーは抜け出す。
 その胸を蹴って門の方へと跳んだ。

 長い指が小猿の体をすくいとる。 

「ケリー、走って! 領地を出るよ」
「はい!」

 弟子を先に見送って、グラントは領主の子どもたちを見た。

「友だちの安全を優先します。後日扉の修理に必ず参ります。
 不服があればシュトラールのバレットへお越しください。
 失礼致しますね」

 そう言い置くとあっという間にケリーを追い抜いていく。

「こっちへ行こう。森が深い」

 日の光も入らないような暗い森の方へと入っていった。




 空気が暖かく感じ始める頃、精霊たちのところへ戻った。
 グラントの抱えてきた小猿をすぐにシェリーだと見抜く。

「シェリーの魔法だ」

 自分と大きさの変わらないシェリーをオークたちは歓迎した。

「これはかわいい。小猿の姿だ」
「シェリーもやりますか? 冷えて固まった蜜蝋です。
 これを容器に溜めていくのですよ」
「いい香りがします」
「どうぞ1枚」

 茶色い毛の小さな猿に蜜蝋の円盤を渡す。
 蜂蜜の香りがして、シェリーは小さく声を立てて笑った。

 ずんぐりした体型のオークたちは忙しく作業場を行き来している。
 それぞれ装備はまちまちだ。
 兜をかぶっていたり、いなかったり。防具をつけていたり、いなかったり。
 10人とも太く短い剣だけは一緒で、今は腰に差している。

 フットマンは集中した顔で鍋を見たり火を見たりしていた。
 
「お湯をこぼしますからね。あまり近づかないでください」
「今日は冷えていますから、蜜蝋もすぐ固まっていい感じですよ」

 見た目は10代後半の男の子だが、背は1mほどしかない。
 初めてはっきり見る精霊の姿にシェリーは驚いた。

「先生、シェリー様を下ろして差し上げないと。
 蜜蝋を運ばせるんですか?」

 傍でケリーが指摘する。気づいてグラントが小猿を地面に下ろした。

「ここに納めるの?」

 エリンに借りた容器を示して尋ねる。

「そうです。もう満杯ですよ」
「オークが集めてくれた?」
「はい。我らは砦の精霊です。森を駆け回っていたのです」
「ミツバチの巣がありそうなところはだいたいわかります」

 会話をしてから、人の言葉が話せないはずなのにと思い至った。
 シェリーは不思議そうに皆の顔を見る。

「我らは魔力を持つ生き物です、シェリー」

 巣くずをザルでこしとりながらフットマンが笑った。

「人の言葉など介さずとも、話ができるのです」
「グラントも話せますよ」
「待って。シェリーはグラントを見たことがあった?」
「どれがグラントなのか知らないのかもしれない」

 精霊たちはわあわあと言い合う。
 小猿は蜜蝋を言われた容器にそっと納めた。

 目線のしっくり合う精霊たちを見やる。
 作業が終わってしまった者は遊び出していた。

「シェリー」

 グラントに呼ばれて、シェリーは上を見る。

「どうしてその姿になろうと思ったの?」

 小猿がすぐそばにある膝に両手をついた。その小さな手がくすぐったい。
 グラントはむず痒いのを堪えるような笑い方をした。

「市場でグラントが見せてくれたからかと。
 私の見たことがある動物は少ないので、きっとそう」
「あぁ、そうか」

 納得したようにグラントは頷く。

「どうだった? シェリー。冒険は楽しい?」

 小猿の顔を覗き込んだ。

 アリアをはじめ、精霊たちはグラントのことを「笑わない」と言っていた。
 
 まなじりが上がっているせいか、それとも前髪が長めのせいか。
 分かりにくいだけで、その黒い瞳は思った通り穏やかだ。

 精霊的には笑っていないということかもしれない。
 オークは顔中をしわだらけにして笑っていた。

 シェリーが予想していた通りの誠実そうな顔を、初めて見られた。

「楽しい」

 さっきまで不安だったことも忘れてそう言う。
 グラントはその答えに静かな嘆息を返した。
 小猿の小さな手を指ですくう。

「でもね、もう一人では行かないで」

 心配していた、とその目が伝えていた。

 もしユスフが協力してくれなかったら。
 シェリーは行方不明になっているところだった。

 グラントとケリーは仕事を放り出して探しにきてくれたのだと思い出す。
 シェリーはしゅんと俯いた。
 そんな彼女の手を、グラントが小さく振る。

「次は一緒に行こう。人間の姿で一緒にだよ。
 この夏の間に、必ず。シェリーを必ず誘うから。
 約束。一緒に旅をしよう」
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