ただの魔法使いです

端木 子恭

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春めく日

小猿の協定

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 シャニとレイは、まるで嵐の中の波のようにぶつかっていた。


 兵舎のホールに声が響いている。
 この人が次の当主。
 ジョニールの未来が不安になった。

 レイはシェリーのことを説明していた。
 新しく王族に名を連ねた殿下は、魔法がひとつ使える。
 身の危険を感じた時などに無意識に獣の姿になってしまうのだ。
 いつ解けるかは自分自身でも分からない。
 信じてもらうしかないが嘘は言っていない。

 グラントがしたことは、ジョニール領に咎がかからないよう配慮したものだろう。

 同じ伯爵家だから、シャニはレイと対等な気でいる。
 むしろ領地を運営している自分の家の方が偉いようなつもりでいた。

 実際、都の伯爵家には裕福でない家も割とある。
 年をとってからも護衛をしたり雇われ仕事をしたり。
 シャニは普段そういう伯爵たちと交流があるのだろう。
 
 けれどレイは違うのだ。
 生家は裕福だ。優秀な家令が運営している。
 彼自身、騎士団に所属していて勲章を持っていた。
 それに自分で得た爵位がある。
 仕事柄、外国に赴いていて見聞が広い。

 気の強さだけではレイには勝てない。

 キアはそばで兄を諌めている。
 その二人の背後、表の出入り口に近いところにいるのが、おそらく父親だ。
 クラルス卿。
 何のことやら分からない争いに巻き込まれ、困っている。

 昨日森で拾った猿は人か否か。
 所有権はジョニールかそうでないか。


「ポーター、不服があるのはシャニ様だけだ。
 小猿の正体はシェリーだと言ってるのに、返すのを嫌がった」

 グラントの声にシャニはレイから視線を外した。

「人の家の扉を両断しておいて。不服がないわけないだろう。
 遠いところわざわざきたのだ。あの猿はうちに返してもらう」

 ウーシーが嵐から守るように小猿を抱きすくめる。
 グラントがその前に立った。

「大きな声で脅かそうとするのはやめてください。
 確かにご足労いただきましたが、遠路というほど遠路でもない。
 昨日は領民が忙殺されているところ、狩りをされていたくらいでしょう?
 時間に余裕があるのでは」

 私は領民を手伝いましたよ、とキアが訴える。
 クラルス卿は額を押さえた。

「領主となる者は率先して農作業をやらねばならないと言っているのに。
 好きなことしかしないから思わぬところで恥をかくのだよ」
「昨日は手は足りていたでしょう?」

 父に反論したシャニへ、グラントは頷く。

「わたしが夜半に着いた時、何軒かの農家が作業しているだけでしたもの。
 手は足りていたのでしょうね。徹夜しましたが」

 じじいに反抗する時、自分はどんな顔をしているのだろう。

 グラントはそんなことを思った。
 こんな情けない顔をしていたのかな。
 自分だけが正しいような傲岸な顔を。

 ちょっと恥ずかしくなった。

 シェリーがするすると腕を伝う。
 肩に乗るのを見て、シャニは怒りを更に膨らませた。 

「グラント・ルース」

 全く喧嘩を買う素ぶりもないグラントを怒鳴りつける。

「おまえは、平民でありながら伯爵家の家を破壊し、動物を盗んだんだ。
 兵を出してここを潰してもいいところ、猿を返すだけで済まそうというのに」

 兵を出す、という言葉にクラルス卿は目を剥いた。
 もう農繁期だよ、と呟く。
 扉一枚のことで。小猿一匹のことで。
 貴重な働き手を動員しようとは。

「はぁ……」

 グラントは困ったように耳の後ろを掻いた。

「扉を割ったことは申し訳なかったと思っております。
 緊急に友だちを救出する必要がございましたので。
 ……こちらのお願いを、ご理解いただけませんでしたから」

 困った顔をしているが、その目は怯んでいるわけではない。
 戦いになればいつでも応じるような剣呑ささえ見てとれた。

「キア様、今朝はシェリーをお返しいただけるようご進言いただきました。
 大変感謝しております。
 クラルス卿はどのようにお考えでございますか。
 誠に恐縮ながら、この場を収めるためにご意見を賜りたく存じます」

 口調はいつも通りゆっくりしている。
 突然視線が集まった伯爵は慌てた。

「扉の問題で兵士を持ち出す気はない。
 昨夜グラントに手伝ってもらった農家とは話をしたよ。
 夜通し蝋燭を灯してくれたばかりでなく、産廃物の処理もしてくれたとか。
 キアと彼の話を聞く限り、シャニの分が悪……」

 息子は父をキツく睨む。
 そしてポーターはグラントを睨んだ。
 
 またタダ働きをしたのか。
 ごめんなさい。

 目でそんな会話をする。

「父上、あいつが、領民を手伝ったことは事実だとしてもです。
 あの小猿が人間で、しかも、その正体が新しい殿下というのはあり得ません。
 小猿はどうして人間に戻っていないのですか。 
 こんな事態を見たら、もし人間であるなら元の姿に戻って見せますよ」
「シャニ、あの子は本当に普通の猿とは違います。
 人間として生活していたか、または中身は人間か。私はそう思いましたよ。
 迎えに来た彼らは魔法使いです。小猿が人であるという話はきっと嘘ではないですよ」

 キアが辟易とした顔で抗議した。シャニは譲らない。

「王族とシュトラールの人間に接点があるはずないだろう。
 勝手に住み着いた貧民だぞ」
「シャニ、やめなさい。それはひどい言い草だ」

 クラルス卿が息子を諌めた。

 その時に、グラントは心が決まったようだった。
 首を傾げ、シャニを見る。

「勝手に住み着くのにも、貧民の事情というものがございますよ」

 瞳は黒く、引きずりこまれそうに深い。

 シャニはシュトラールの人間を思いやったことがない。
 自分は絶対にそこには住まないと思っているのだ。
 よく分からない貧しい犯罪者の住む場所。
 近づくだけで取り込まれるような陰鬱な場所。

 そういう考えにはよく出会う。

「シャニ様、経験不足は仕方のないことです。
 怒っていらっしゃることでもある。暴言は聞かなかったことにいたします」

 グラントは決して険しい顔はしていなかった。
 口調はいつも通り静かで、ただその言葉には力がこめられている。

「偏見をわきにおいて、言葉を聞いていただけませんか。
 この子はシェリーで、わたしは彼女の身分を知る前に友だちなったのです。
 だからあなたが否とおっしゃっても、友だちの安全を考えた」

 何度も言っている。友だちを迎えに来たのだと。



「シュトラールの人間だって、もとは犯罪者ではなかったのですよ」

 マーシャが思い浮かんだ。

「バレットは認められたばかりです。
 これからシュトラールに流れ着いた人間の居場所になっていきたい。
 まともに生きるのを諦めて犯罪者になる人間を減らしたいのです。
 シャニ様と争っている場合ではない。本当はことを大きくしたくないけれど」

 小猿は心配そうにグラントを見上げる。

「兵を挙げて、領地の旗を掲げて争わねば納得いただけないなら。
 バレットは果たし合いをお受けいたします」

 グラントは小猿の背に手を添えた。
 安心していいというように包み込む。

「シェリー、怖がることはないよ。
 ウーシーだってレイだって、シェリーの味方をする。
 シャニ様が兵を出すというなら、戦って勝つよ。
 大切なひとのためにしたことだから、恥じることなんかないもの」

 その微かな笑みを見た瞬間、シェリーはめまいを感じた。
 体が勝手に肩を滑り落ちる。

 グラントは自分ではそうは思っていないけれど、芯のある人だ。
 人のために行動して、夜通し作業したとしても損だなんて思わない。

 そういう人と友だちになれたことは幸い。

 目は見えなくなり、足元から装具の当たる音がした。

「シェリー」

 何人かから同時に呼ばれる。
 支えてくれているのは、グラントだ。

 戻った。

「ようやくご挨拶ができます。セリッサヒルの主人でシェリーです」

 第二王子にそっくりな顔立ちを見て、クラルス卿が一番びっくりした顔をする。
 その表情は父君とは似ていない。
 事態をなんとかせねばと周囲を気遣う。
 ジョニールの人間の声がした方を見やった。

「この度はお騒がせして申し訳ございません」

 視界の中の黒い部分をしっかりとらえる。

「私はこのグラントに魔法をもらったのです。
 友だちを心配して、彼はそのようにしてくれました。
 この度は初めて自分から変じてしまい、戻る術も分からず難渋しました。
 キア様はよく推しはかってくださいましたね。ありがとう」

 シェリーはグラントに支えてもらいながらお辞儀した。
 キアは慌ててお辞儀を返す。

「シャニ様はこれでご満足でしょうか? 私は人間で、グラントの友だちです。
 あなたに館へ連れて行かれたのは仕方なかったとしても。
 ここへ押しかけて私の友だちに言いがかりをつけたことは、不愉快です」

 茫然として口を開けたままのシャニに言い放った。

「グラントは初めから礼儀正しくて、謙虚で、思いやりがあった。
 だから友だちになったのです。
 どこで生まれ育ったかなんて気にしたこともありません。
 シャニ様とは全く違います」
「申し訳ございません、殿下」

 そう切り出したのは父親のクラルス卿である。
 まだシェリーの姿は見たことがなかったが、彼女の話はすでに聞いていた。
 ひょっとすると王位継承権が第三位になるかもしれない人物である。
 シャニはそれを振り返った。

「知らなかったんだから……」

 その顔は、何だかさっきのグラントの顔に似ている。
 コーマックにやってしまったことを報告した時のグラントに。

 ちょっとだけ甘えの覗く、それは家族に対する顔だ。

「知らなかったではない。おまえは殿下のご友人を侮辱したんだ。
 ご友人ばかりでなく、王陛下に認められた組織まで。
 嘘じゃないって彼らは何度も言っていたぞ」

 クラルス卿は額に汗を浮かべて話す。

「おまえは勉強嫌いだから知らないのだろうが。
 領地の狭いユーリー家の方がジョニールより何倍も大きな商いをしている。
 グラント・ルースは兵団長で、バレットという名は王陛下から賜ったものだ。
 彼は長年放置されていたシュトラールの問題に取り組んでいる。
 領地のことを手伝いもしないおまえとは違うのだよ」
「つまり身分違いはシャニの方」

 キアが白々と笑う。

「小猿が人間かどうかが最後の砦だったのに。
 自分の間違いを認められないからそれまで剥がされるんですよ」

 妹に刺されて兄は黙りこくった。

「扉を壊してでも連れ帰ってもらってジョニールは助かった。
 もしうちで殿下の姿に戻られたら、シャニは誘拐犯になっていたやもしれない」

 おや、と眉を上げたのはポーターだ。

 クラルス卿は争う気がない。
 それどころか詫びの気持ちまである。

「クラルス卿、扉の修繕はバレットにさせてくださいませ。
 グラントは心苦しく思っておりましたから。是非に」

 その言葉に、怖いものを見る目つきになったのは誰あろうグラントだ。

「さあ、長らく立ち話をしてしまいました。
 お席を整えますので皆様お座りになってください。
 
 ……時に、先ほどお話に上りました、産廃物の件、詳細をお聞かせいただきたく」

 

 ポーターはクラルス卿と商談をまとめてしまった。

 今年の秋の分からのブドウの搾りかす。
 全てバレットがもらう。
 商品を作って、一部はジョニールへ寄付する。
 残りの商品はバレットに帰属する。

「グラント。扉の修繕は私がジョニールに赴いて指図をします。
 小猿がご縁になっていい商談が成立しました。
 ご領地では、よりいいお話が聞けるといいですよねえ」

 商魂たくましいバレットの家令に、グラントはただ頷いた。
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