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半輪の月を眺む
シェリーの杖1
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「あら?」
心底不思議というような、トーニャの声が聞こえた。
その日、朝食後すぐダンスの講師につかまって。
彼が港町へ遊びに行きたいから朝一番に練習することになった。
エコーが皿の上のお芋をフォークでつつきながら音楽を流している。
背中についている薄い羽がはためいていた。
そんな折に聞こえてきた人魚の不穏な声。
「どうしたの、シェリー?」
続けて聞こえてきた声と、窓の向こうに見えた水柱に、グラントは講師を放り出す。
北の窓に駆け寄った。
泉を見ると、両手に小さな生き物を包んだ人魚がいる。
長い赤毛が水の中を揺蕩っていた。
肩越しに城をふり仰ぐ。
何があったのか分からないという表情だ。
「あっ」
人魚の両手から小鳥が飛び立つ。
シェリーが変じたものだ。
目の前を通ったのに、グラントの方なんか見向きもしない。
意識があまりないのだ。
だから小猿になった時、勝手に出ていってしまった。
「すみません、先生。シェリーをつかまえに行かないと。
以前に出遅れて面倒ごとになったのです。いってまいります」
講師に断りを入れてから、執務室のエルネストに報告する。
「トーニャとシェリーが泉から現れたんだけど、シェリーが小鳥になって飛んでいってしまった。
探してくる。今日中に戻れたらいいと思う」
「……そうか」
エルネストは突然のことに事情が飲み込めないまま頷いた。
配下の精霊たちもきょとんとした顔でいる。
「話はトーニャに聞こう。ここは大丈夫だ。行ってくるといい」
「ありがとう」
壁に立てかけていた杖を掴んで駆け出す。
廊下でラーポとすれ違った。
「おはようございます、グラント。
昨日、シェリーのかつらをとってまいったのです。
試着できるかと思ってお持ちしたのですが……」
「ごめん、ありがとう、ラーポ。
シェリーを探して連れ帰るから」
「……はい」
仔細は誰かに聞こう。
カラスの魔物は黒い目でぐるっと天井を見回した。
「誰だ?」
ホールへ入ってグラントを慌てさせた犯人を尋ねる。
「トーニャだ」
執務室から出てきたエルネストが答えた。
ホールに集合して顔を見合わせる。
「今日、ダルコも城へ来ると言っていたな」
「そうだ」
「私もシェリーを探そう。なぜグラントは連れ帰ると言ったんだ」
かつらの入った箱をエルネストに預けた。
「小鳥になって飛んでいってしまったそうだ」
盾の精霊のいたく真面目な言葉に面食らう。
「比喩か」
「実況だ」
ラーポは廊下へと引き返した。
「グラントの場所は分かる。あとは様子のおかしい小鳥を見つければいいんだな」
扉を出たところで大ガラスの姿になって羽ばたく。
湖から城へ向かってくる馬車が見えた。
きっとまた目付係は半狂乱になっている。
早いところ見つけなくてはならなかった。
湖畔の景色が見える部屋で、馬車の準備を待っていた。
トーニャがやってきて、新しくできた服を見せてくれたのだ。
「シェリー、ズボンを履きたいと言っていたでしょ?
新しいのを作ったの。試着して」
初め、その形から男性用の寝巻のズボンかと思った。
履き心地は良くて、装具も隠れて、細身のスカートに見える。
アリアの分も作っていて、小さな精霊ははしゃいでいた。
「よかった。二人ともすごくいい」
トーニャは満足そうに言ったのだ。
早く見せたいと、先に言ったのはシェリーだったかアリアだったか。
「では、近道しましょう」
トーニャはそして、部屋の外に告げた。
「シェリーは今日、馬車は使わない。アリアを送ってくださる?」
目付係の動く間もなかった。
同じ空間にいたアリアですら「水の中は……」までしか言えなかった。
さっと抱き上げられたと思った次の瞬間には外の匂いがした。
ひんやりした感じがした。
水の中だと知った時には心臓が跳ねた。
視界は真っ暗になった。
轟音が聞こえて、上も下も分からない。
そんな一日の出だしを経て、シェリーは今、森の中にいた。
鳥になっている。
小さそうだ。
木の上の方にとまって、樹海を見渡す。
上の方にいるのにラグラスの城が見えないのだ。
くるくると向きを変えてみる。
飛び抜けて大きな杉の木が遠くに飛び出していた。
それはシュッツフォルトのどのあたりなのか見当もつかない。
あんなに象徴的な木なのに。
この国のことを全く知らないことに驚く。
太陽の方向から方角がわかるかと思ったのだが、時間がわからない。
何か気配がして、咄嗟に避けた。
大きな爪がすぐそばを掠める。
猛禽類だ。
「やめて。私は人間で……」
嘴が襲ってくる。
話のできない普通の鳥だ。
シェリーは枝を飛び立つ。
しばらく猛禽から逃げ続けて、薮に隠れた小さな穴へ隠れた。
自然の洞穴に繋がっている。
細い脚でちょこちょこと進んだ。
蛇のすみかでないといいと願いながら行く。
やがて光が差してきた。
崖の下から外に出られた。
樫の木の中に、横倒しになった船の腹が見える。
苔むしていて、船尾の方からは木が生えていた。
細い道ができているから、時々人か動物が来るのだろう。
横腹に列になった小さな窓がある。
古いガレー船なのだ。
海の匂いもしないし音も聞こえないのだが、ここは沿岸の方なのか。
いや、沿岸部は切り立った崖が多いものの、その内側は丘が続いている。
中央部の方が谷や崖が多い地域があって、歩くときに気をつけなければならない。
ここへ来る船の上でグラントが話していた。
ではここは真ん中の方。
南西の方角に確信が持てれば帰れる。
全くどうしたら良いか分からないという状況から抜け出して、シェリーは一つ呼吸した。
魔物の鳥でも通りかかってくれれば話ができる。
もう少し待ってみて、太陽の方向を目指して飛び出してもいい。
手立てが決まって、気が楽になってきた。
シェリーはガレー船の上に乗ってみる。
すると、櫂の窓から覗く目とかち合った。
「おまえ、魔物か?」
伸びてきた手に捕まる。
子どもの手だった。
「魔物じゃないな。動きがのろいもん」
元気に笑う。かぶりのシャツを着て、腰に巻いた布に小さなナイフを差していた。
見習いの船員のようだ。
「どうして小鳥の姿をしてるんだ? 呪いにでもかかった?」
「いいえ。私の魔法。だけど自分では解けなくて」
「下手くそなんだな」
ずけずけと言ってのける。
「俺はレシャク。……本当は名前なんて知らないけど、この船の名前がレシャク。
ずっと昔に沖の方で大津波に巻き込まれてここに来た。
それっきり人間たちはこの船をここに置きっぱなしだよ。
話をする相手がいなくて寂しかったんだ」
悪意はないような顔で、レシャクは言った。
「おまえ、名前は?」
「シェリー」
手から抜け出そうともぞもぞしながらシェリーは答えた。
それを両手でしっかり握って、レシャクがうなずく。
「シェリー、今日から俺が飼うからな。
餌は何がいいんだ? 木の実? 虫?」
シェリーが驚愕して動きを止めた。
恐る恐るレシャクを見上げて、小さく首を振る。
「帰らなきゃ。それに私はそのうち人間の姿に戻る」
「それでもいいよ。人間の姿の方がこの船室からは出られない。
もうずっと人間の世界の話を知らないんだ。
何があったのか教えておくれ」
飼うのは決定なのだ。
「私は人間の姿の時は体が不自由で、屋敷の外に出たことがなかった。
だから人間の世界の話なんてちょっとしか知らない」
「じゃあ、まずは俺の話を聞いてくれ。シェリーからするとずぅっと昔の話だよ」
レシャクは折り重なった木の残骸の上へ腰を下ろす。
嬉しそうに、船員たちと船旅をしていた時のことを話し始めた。
心底不思議というような、トーニャの声が聞こえた。
その日、朝食後すぐダンスの講師につかまって。
彼が港町へ遊びに行きたいから朝一番に練習することになった。
エコーが皿の上のお芋をフォークでつつきながら音楽を流している。
背中についている薄い羽がはためいていた。
そんな折に聞こえてきた人魚の不穏な声。
「どうしたの、シェリー?」
続けて聞こえてきた声と、窓の向こうに見えた水柱に、グラントは講師を放り出す。
北の窓に駆け寄った。
泉を見ると、両手に小さな生き物を包んだ人魚がいる。
長い赤毛が水の中を揺蕩っていた。
肩越しに城をふり仰ぐ。
何があったのか分からないという表情だ。
「あっ」
人魚の両手から小鳥が飛び立つ。
シェリーが変じたものだ。
目の前を通ったのに、グラントの方なんか見向きもしない。
意識があまりないのだ。
だから小猿になった時、勝手に出ていってしまった。
「すみません、先生。シェリーをつかまえに行かないと。
以前に出遅れて面倒ごとになったのです。いってまいります」
講師に断りを入れてから、執務室のエルネストに報告する。
「トーニャとシェリーが泉から現れたんだけど、シェリーが小鳥になって飛んでいってしまった。
探してくる。今日中に戻れたらいいと思う」
「……そうか」
エルネストは突然のことに事情が飲み込めないまま頷いた。
配下の精霊たちもきょとんとした顔でいる。
「話はトーニャに聞こう。ここは大丈夫だ。行ってくるといい」
「ありがとう」
壁に立てかけていた杖を掴んで駆け出す。
廊下でラーポとすれ違った。
「おはようございます、グラント。
昨日、シェリーのかつらをとってまいったのです。
試着できるかと思ってお持ちしたのですが……」
「ごめん、ありがとう、ラーポ。
シェリーを探して連れ帰るから」
「……はい」
仔細は誰かに聞こう。
カラスの魔物は黒い目でぐるっと天井を見回した。
「誰だ?」
ホールへ入ってグラントを慌てさせた犯人を尋ねる。
「トーニャだ」
執務室から出てきたエルネストが答えた。
ホールに集合して顔を見合わせる。
「今日、ダルコも城へ来ると言っていたな」
「そうだ」
「私もシェリーを探そう。なぜグラントは連れ帰ると言ったんだ」
かつらの入った箱をエルネストに預けた。
「小鳥になって飛んでいってしまったそうだ」
盾の精霊のいたく真面目な言葉に面食らう。
「比喩か」
「実況だ」
ラーポは廊下へと引き返した。
「グラントの場所は分かる。あとは様子のおかしい小鳥を見つければいいんだな」
扉を出たところで大ガラスの姿になって羽ばたく。
湖から城へ向かってくる馬車が見えた。
きっとまた目付係は半狂乱になっている。
早いところ見つけなくてはならなかった。
湖畔の景色が見える部屋で、馬車の準備を待っていた。
トーニャがやってきて、新しくできた服を見せてくれたのだ。
「シェリー、ズボンを履きたいと言っていたでしょ?
新しいのを作ったの。試着して」
初め、その形から男性用の寝巻のズボンかと思った。
履き心地は良くて、装具も隠れて、細身のスカートに見える。
アリアの分も作っていて、小さな精霊ははしゃいでいた。
「よかった。二人ともすごくいい」
トーニャは満足そうに言ったのだ。
早く見せたいと、先に言ったのはシェリーだったかアリアだったか。
「では、近道しましょう」
トーニャはそして、部屋の外に告げた。
「シェリーは今日、馬車は使わない。アリアを送ってくださる?」
目付係の動く間もなかった。
同じ空間にいたアリアですら「水の中は……」までしか言えなかった。
さっと抱き上げられたと思った次の瞬間には外の匂いがした。
ひんやりした感じがした。
水の中だと知った時には心臓が跳ねた。
視界は真っ暗になった。
轟音が聞こえて、上も下も分からない。
そんな一日の出だしを経て、シェリーは今、森の中にいた。
鳥になっている。
小さそうだ。
木の上の方にとまって、樹海を見渡す。
上の方にいるのにラグラスの城が見えないのだ。
くるくると向きを変えてみる。
飛び抜けて大きな杉の木が遠くに飛び出していた。
それはシュッツフォルトのどのあたりなのか見当もつかない。
あんなに象徴的な木なのに。
この国のことを全く知らないことに驚く。
太陽の方向から方角がわかるかと思ったのだが、時間がわからない。
何か気配がして、咄嗟に避けた。
大きな爪がすぐそばを掠める。
猛禽類だ。
「やめて。私は人間で……」
嘴が襲ってくる。
話のできない普通の鳥だ。
シェリーは枝を飛び立つ。
しばらく猛禽から逃げ続けて、薮に隠れた小さな穴へ隠れた。
自然の洞穴に繋がっている。
細い脚でちょこちょこと進んだ。
蛇のすみかでないといいと願いながら行く。
やがて光が差してきた。
崖の下から外に出られた。
樫の木の中に、横倒しになった船の腹が見える。
苔むしていて、船尾の方からは木が生えていた。
細い道ができているから、時々人か動物が来るのだろう。
横腹に列になった小さな窓がある。
古いガレー船なのだ。
海の匂いもしないし音も聞こえないのだが、ここは沿岸の方なのか。
いや、沿岸部は切り立った崖が多いものの、その内側は丘が続いている。
中央部の方が谷や崖が多い地域があって、歩くときに気をつけなければならない。
ここへ来る船の上でグラントが話していた。
ではここは真ん中の方。
南西の方角に確信が持てれば帰れる。
全くどうしたら良いか分からないという状況から抜け出して、シェリーは一つ呼吸した。
魔物の鳥でも通りかかってくれれば話ができる。
もう少し待ってみて、太陽の方向を目指して飛び出してもいい。
手立てが決まって、気が楽になってきた。
シェリーはガレー船の上に乗ってみる。
すると、櫂の窓から覗く目とかち合った。
「おまえ、魔物か?」
伸びてきた手に捕まる。
子どもの手だった。
「魔物じゃないな。動きがのろいもん」
元気に笑う。かぶりのシャツを着て、腰に巻いた布に小さなナイフを差していた。
見習いの船員のようだ。
「どうして小鳥の姿をしてるんだ? 呪いにでもかかった?」
「いいえ。私の魔法。だけど自分では解けなくて」
「下手くそなんだな」
ずけずけと言ってのける。
「俺はレシャク。……本当は名前なんて知らないけど、この船の名前がレシャク。
ずっと昔に沖の方で大津波に巻き込まれてここに来た。
それっきり人間たちはこの船をここに置きっぱなしだよ。
話をする相手がいなくて寂しかったんだ」
悪意はないような顔で、レシャクは言った。
「おまえ、名前は?」
「シェリー」
手から抜け出そうともぞもぞしながらシェリーは答えた。
それを両手でしっかり握って、レシャクがうなずく。
「シェリー、今日から俺が飼うからな。
餌は何がいいんだ? 木の実? 虫?」
シェリーが驚愕して動きを止めた。
恐る恐るレシャクを見上げて、小さく首を振る。
「帰らなきゃ。それに私はそのうち人間の姿に戻る」
「それでもいいよ。人間の姿の方がこの船室からは出られない。
もうずっと人間の世界の話を知らないんだ。
何があったのか教えておくれ」
飼うのは決定なのだ。
「私は人間の姿の時は体が不自由で、屋敷の外に出たことがなかった。
だから人間の世界の話なんてちょっとしか知らない」
「じゃあ、まずは俺の話を聞いてくれ。シェリーからするとずぅっと昔の話だよ」
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