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Allied Forces
辺境伯の威力
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なんだか、シュトラールにいるのにウーシーがいないと寂しい。
静かだ。
ウーシーの家は今、賃貸に出している。
そちらから作業する音が聞こえることはなかった。
「じじい、月が変わったら出るの?」
それはあと二日後。
「そうだ」
ホールの壁際にあるソファに横になっている北の辺境伯は、いい御身分だ。
テーブルの椅子をひいてきてそばに座り、背中がしんどそうな老将を見下ろす。
「エムリンを泣かさないでよ。
逃亡したって彼は悪くない。じじいのせいだ」
夜更かしした後の人間たちは、昼近くなってもまだ部屋にいた。
「心得てる。グラントのおかげで加減は知っている」
「最高に迷惑」
「それでもやり果せるんだから、加減は合ってるってことだ」
とんだハラスメントである。
「じじいって、ホルスト卿とやりとりしてた?
昨夜、じじいが配下にいたことダヴィ殿下から初めて聞いた。
じじいもジェロディも騎士団に入れっていうくせに、騎士団の自慢話なんて一切しないね」
「記憶がないからな」
「じじいだからか」
据わった目で威嚇された。
「バロールに入団してほしかったわけじゃない。
私がいた頃とはまた異なる組織だ」
コーマックはゆっくり呼吸する。
「ホルスト卿とは手紙をやりとりしていた。
外の生活も慣れていらした。小さな事業なら認められていたから仕事もあった。
ローガン王になったことには不満はない。
ただ、時折やるせないという話はしておられた」
やるせない。
その言葉は、コーマックとホルストの間の共通項な気がした。
「だからって内乱を起こそうとしてたなんて噂は信じ難い」
「あー……。知ってるんだ」
うっそりとした目でグラントは宙を仰ぐ。
「西の辺境伯から聞いたか」
全領主と手紙をやりとりしているじじいだ。
誰がそんなことをグラントに教えそうか見当がつくらしい。
「ちょっとね」
政の前線からは退いたはずのコーマックに言い当てられた。
しようのないことだがちょっと悔しい。
「ヘーレ公こそ王宮に反感を持っている者の筆頭だ。
昨夏に父上が急死されてあとを継いだのだが、すぐに謁見を申し込んだ。
あまりに要求の数が多いので仕方なく城壁内へ招いたと聞く。
旗印になるのを嫌がって、ホルスト卿の名を借りて噂しているように感じる」
「じじいはホルスト卿が追放された時期、ずっと一緒にいたの?
ジェロディが同じ隊にいたんでしょ?
二人でいてなんでそんなことに?
第一、ジェロディがいたのにじじいが大怪我するなんて。
ありえない話だよね」
「失敗したからだって、話したことなかったか」
「ない。ダヴィ殿下に聞いた。それも変な話だと思ったんだ。
戦場で取り返しのつかない失敗して、できませんでしたって帰らないよね?
じじいもジェロディも」
「帰るしかない時もある」
「……その場では任務完了だと思わされたんじゃない?」
グラントの、そんなに確信もなさそうな推論に、コーマックは黙った。
「昨夜レミーと近くで話した時思ったんだ。
この人、いく筋も何手先までも組み立ててからくるんだなあって。
理由は全く心当たりがないけれど、わたしは彼の邪魔をしている。
話しかけたのは、手を考えたいから」
確認するような目を、コーマックは見返す。
困ったようでもあり、褒めたいようでもあった。
「そうだな。レミー……」
彼のことをなんと評していいのか。
ずっと言葉にしないままだった。
「まさか王に近いところで実行に移す裏切り者がいるとは思わなかった。
それが失敗だ」
腹の内側から食い破られるなど想像していなかった。
レミーは最初から国を取ろうとしていた。
悪名を背負うことなくだ。
コーマックが見たことを話し始める。
グラントは黙って聞いていた。
コーマックの長話など初めてだった。
戦争が終結し、ホルストは外国にある裁判所へ調印に向かった。
コーマックはその護衛で部隊を連れて付き添った。
その帰り道に国籍不明の軍隊に襲われ、負傷した。
ジェロディはその数日前に別の任務を引き受けていた。
どこかで追いつくと言った魔法使いは間に合わなかった。
傷の程度を隠したまま、コーマックはホルストを王都に送り届けた。
王宮では熱病が発生していて、対応にあたっていたジェロディはコーマックの傷をみられなかった。
熱病が治まった時、ホルストの屋敷から呪者と捧げ物が発見された。
先王とローガンが助かった。
継承権の高い兄弟とその家族は病で没した。
ジェロディがコーマックの背中をみた時、石の破片を食い込ませたまま傷は塞がっていた。
どうにもできなかった。
ホルストは疑いを覆せず、森の公爵の身分を受け入れて都を追放になった。
コーマックはすぐに辺境伯を打診され、それを受けた。
後継にジェロディを指名したが、彼はそれを断ってバロールを辞めた。
ホルストの出国に合わせて賊軍を煽り、襲わせる。
王子に不利な証言を集める。
当人の名を騙り呪師を送りこみ、捧げ物まで。
ジェロディに別件を用意したのもレミーだ。
コーマックの負傷は儲け物だったろう。
「まさか、当時騎士になったばかりの人間がそこまで大それたことを実行に移すとは。
全く考えなかった。
ひとのせいにするのも嫌だったしな。
やつの画策だと確信を持ったのは何年も後だ」
「彼はもともと身分は高かったんでしょ?
黙ってたって出世したんじゃないの?」
「そうだろうな。かつて王族の一つだった家の出身だ。
現王の前の世代までは後継者に困らない状況でな。
レミーの先祖は継承権を放棄したんだ。身分も伯爵でいいとなった」
足音が聞こえて、コーマックは話を終わりにした。
「もう記憶がもたないから二度としない」
「平気だよ。聞きたくなったら勝手に聞き出す」
ホールを覗きに来た女中長が二人の姿に驚いた顔をする。
「起きてらしたんですか。それなら声をかけてくださいな。
お茶も出さずにいましたよ」
フットマンを呼び出してキッチンへやった。
「グラント、明日は市場へ行きたいんです。
予定は空いていますか?」
あっという間にテーブルの上へあれこれ並べていく。
「わたしも行くんですか?」
「そうですよ」
女中長の心の予定に書かれていることは、実行しないと恨みを買う。
「はい」
大人しく返事をした。
「ラグラスの従者さんたちはいい方々ですね。
いい土地と縁があって本当によかった」
「頼りにしています。彼らが土地の隅々まで知っているから、わたしが知らなくともまわっていく」
「領主はそれくらいでいいと思うんですよ。
ねえ、旦那さま。庁を作ってしまえば丸投げなんですから」
それはそれで責任重大な気もする。
「私、次のお出かけはラグラスに行きたいです。
どの季節も楽しみがあると言っていましたよ。
天候の穏やかな初夏が一番楽と教えてもらいました」
「女中長さんなら、いつでも」
そう言ったグラントに何を言ってるという表情を見せた。
女中長は横になっている辺境伯を指差す。
「連れて行きますよ? 旦那さまも」
「いらないです。怖いもの」
昼下がりにシェリーを送るためグラントとケリーは館を出た。
コーマックをみているのはフットマン。
レイとジェロディは朝方すでに帰っている。
リゼットを送るのにケイレブが歩くか馬車かと言い合っていた。
「フォール家に、挨拶に伺っても構わないか」
怖い顔の辺境伯に尋ねられ、リゼットは初め驚く。
ケイレブの勤務先だと気がついて頭を下げた。
「ぜひいらしてください、辺境伯。
宅は小さくて驚かれるとは思いますが、どうぞ」
北の辺境領の馬車が家の前に止まった時、母親は娘に何かあったと思い込んだらしい。
フットマンが用向きを伝えに行く前に馬車に辿り着いていた。
コーマックから昨晩の礼と護衛の補充が必要か聞かれ、家人が二人だけの伯爵家は狼狽えた。
リゼットの護衛がなぜコーマックと関わっているのか。
護衛と言っても娘が気軽に頼んだ幼馴染。
理解が追いついていない。
ケイレブが昨夜グラントの身も守ってくれたこと。
辺境伯領へ赴くこと。
そこでの業務内容は辺境伯の代行で、慣れてきたら後継としたいことをコーマックは告げた。
小さい頃から知っているケイレブがゆくゆくは辺境伯。
「あーこりゃ大変だ」
家を後にするときケイレブが呟いた。
今さらどんな土地だっけと家族じゅうで言い合っているのが聞こえる。
楽しい時も苦しい時も、パニックに陥る時も一緒だ。
知っていたはずの娘まで両親に付き合っている。
仲の良い家族なのだ。
北の荒地は、平時は住み良い。
資産価値は高い方で、ほとんど公国と言っていいほど独立した秩序を持っていた。
コーマックが整備を進めて二十年経っている。
家つき伯爵に買い取るなど不可能な資産価値。
そして領主には高い軍事能力が求められる。
人間だけでなく自然災害ともたたかうからだ。
フォール家では会議が緊急招集された。
そんな日、グラントは女中長について街区をうろうろしている。
「私のところはもう、孫に子どもが生まれるんですよ」
彼女の家の世代の進みは早い。
肌へのあたりが柔らかそうな布を選んで女中長はご機嫌だった。
「春にはノルトエーデにいらっしゃいね。
かわいい子に会えますよ」
「楽しみです」
それにしても、購入する布地の量が多い。
「女の子が産まれそうなのですか?」
ワンピースを作るような布地を手に取って尋ねた。
それは別口です、と返事が来る。
エリンの店でシェリーの商品を買い占めてからシュトラールに戻った。
持って帰る荷物を箱に詰めて、さらに行くところがあるとグラントを誘う。
「エムリンのご家族にこれを渡すんです」
先ほどの布地を示した。
「頼りにしている子が長く不在にするんです。
不安に決まってます。どんなことでも言ってくれるようにこちらから話さないと」
女中長は冷ましたての焼き菓子もカゴに入れてエムリンの家を訪れる。
ちょっと前まで中三階建みたいだった彼の家は、今は普通の石造りの平屋になっていた。
寝室とその他の部屋がちゃんと分かれている。
女中長は家にいたエムリンの祖母と弟たちにお土産を渡した。
祖母とは年が同じくらいだった。
北の荒地の様子を教えて、大切な子を送り出してくれることに礼を言う。
そして、どうか騎士になるまで勤めさせてほしいと願った。
「さあ、私の用はこれで終わりです。
差し出がましいことにも咎めずにいてくれてありがとう、グラント」
「いえ、北の荒地に行くというと都の人間は怖がりますから。
ありがとうございます」
船に乗って行ってくる、と聞いただけで今生の別れのようにグラントを送り出してくれたお婆さんたちを思い出す。
「グラントはこれから南に国を築くんですよ。
だんな様以上にはりきらないといけません」
「……、わたしがはりきったとこ、見たことあります?」
うっそりとグラントは聞いた。
自分でもどれがそうなのか分からない。
「いつでしょうねえ。でも、これからきっと見られますよ」
「そうですか」
なんだか想像がつかないが。
女中長はグラントの肩を引いた。
なんだろうと屈むと、鬱陶しい前髪をくしゃくしゃにされる。
「ちゃんとできますから。心配しないで」
明くる月の初めの日、コーマックは領地に戻って行った。
ノルトエーデの兵士の制服を着たケイレブとエムリンを連れて。
同じ日、納税に必要な会計書類を積んで、バレットの船も出発した。
エルネストとトーニャが一ラグラスに帰る。
ポーターと一緒だ。
ケリーは学校が始まって、不満げに登校した。
リゼットは今まで働いていた貴族の家の年季が明けた。
そのタイミングでシェリーに雇われてセリッサヒルで働くことになった。
屋敷で開催される事業に携わると聞いている。
レイは婚約が白紙になったことを知らせてきた。
嬉しかったのだろう。
小瓶に戻った苔の塊を棚に収めて、グラントは安心したように息を吐く。
またちまちまと白い石に魔力を貯めていた。
執務室にはポーターの置いて行った宿題が山になっている。
片付けておかなければならなかった。
静かだ。
ウーシーの家は今、賃貸に出している。
そちらから作業する音が聞こえることはなかった。
「じじい、月が変わったら出るの?」
それはあと二日後。
「そうだ」
ホールの壁際にあるソファに横になっている北の辺境伯は、いい御身分だ。
テーブルの椅子をひいてきてそばに座り、背中がしんどそうな老将を見下ろす。
「エムリンを泣かさないでよ。
逃亡したって彼は悪くない。じじいのせいだ」
夜更かしした後の人間たちは、昼近くなってもまだ部屋にいた。
「心得てる。グラントのおかげで加減は知っている」
「最高に迷惑」
「それでもやり果せるんだから、加減は合ってるってことだ」
とんだハラスメントである。
「じじいって、ホルスト卿とやりとりしてた?
昨夜、じじいが配下にいたことダヴィ殿下から初めて聞いた。
じじいもジェロディも騎士団に入れっていうくせに、騎士団の自慢話なんて一切しないね」
「記憶がないからな」
「じじいだからか」
据わった目で威嚇された。
「バロールに入団してほしかったわけじゃない。
私がいた頃とはまた異なる組織だ」
コーマックはゆっくり呼吸する。
「ホルスト卿とは手紙をやりとりしていた。
外の生活も慣れていらした。小さな事業なら認められていたから仕事もあった。
ローガン王になったことには不満はない。
ただ、時折やるせないという話はしておられた」
やるせない。
その言葉は、コーマックとホルストの間の共通項な気がした。
「だからって内乱を起こそうとしてたなんて噂は信じ難い」
「あー……。知ってるんだ」
うっそりとした目でグラントは宙を仰ぐ。
「西の辺境伯から聞いたか」
全領主と手紙をやりとりしているじじいだ。
誰がそんなことをグラントに教えそうか見当がつくらしい。
「ちょっとね」
政の前線からは退いたはずのコーマックに言い当てられた。
しようのないことだがちょっと悔しい。
「ヘーレ公こそ王宮に反感を持っている者の筆頭だ。
昨夏に父上が急死されてあとを継いだのだが、すぐに謁見を申し込んだ。
あまりに要求の数が多いので仕方なく城壁内へ招いたと聞く。
旗印になるのを嫌がって、ホルスト卿の名を借りて噂しているように感じる」
「じじいはホルスト卿が追放された時期、ずっと一緒にいたの?
ジェロディが同じ隊にいたんでしょ?
二人でいてなんでそんなことに?
第一、ジェロディがいたのにじじいが大怪我するなんて。
ありえない話だよね」
「失敗したからだって、話したことなかったか」
「ない。ダヴィ殿下に聞いた。それも変な話だと思ったんだ。
戦場で取り返しのつかない失敗して、できませんでしたって帰らないよね?
じじいもジェロディも」
「帰るしかない時もある」
「……その場では任務完了だと思わされたんじゃない?」
グラントの、そんなに確信もなさそうな推論に、コーマックは黙った。
「昨夜レミーと近くで話した時思ったんだ。
この人、いく筋も何手先までも組み立ててからくるんだなあって。
理由は全く心当たりがないけれど、わたしは彼の邪魔をしている。
話しかけたのは、手を考えたいから」
確認するような目を、コーマックは見返す。
困ったようでもあり、褒めたいようでもあった。
「そうだな。レミー……」
彼のことをなんと評していいのか。
ずっと言葉にしないままだった。
「まさか王に近いところで実行に移す裏切り者がいるとは思わなかった。
それが失敗だ」
腹の内側から食い破られるなど想像していなかった。
レミーは最初から国を取ろうとしていた。
悪名を背負うことなくだ。
コーマックが見たことを話し始める。
グラントは黙って聞いていた。
コーマックの長話など初めてだった。
戦争が終結し、ホルストは外国にある裁判所へ調印に向かった。
コーマックはその護衛で部隊を連れて付き添った。
その帰り道に国籍不明の軍隊に襲われ、負傷した。
ジェロディはその数日前に別の任務を引き受けていた。
どこかで追いつくと言った魔法使いは間に合わなかった。
傷の程度を隠したまま、コーマックはホルストを王都に送り届けた。
王宮では熱病が発生していて、対応にあたっていたジェロディはコーマックの傷をみられなかった。
熱病が治まった時、ホルストの屋敷から呪者と捧げ物が発見された。
先王とローガンが助かった。
継承権の高い兄弟とその家族は病で没した。
ジェロディがコーマックの背中をみた時、石の破片を食い込ませたまま傷は塞がっていた。
どうにもできなかった。
ホルストは疑いを覆せず、森の公爵の身分を受け入れて都を追放になった。
コーマックはすぐに辺境伯を打診され、それを受けた。
後継にジェロディを指名したが、彼はそれを断ってバロールを辞めた。
ホルストの出国に合わせて賊軍を煽り、襲わせる。
王子に不利な証言を集める。
当人の名を騙り呪師を送りこみ、捧げ物まで。
ジェロディに別件を用意したのもレミーだ。
コーマックの負傷は儲け物だったろう。
「まさか、当時騎士になったばかりの人間がそこまで大それたことを実行に移すとは。
全く考えなかった。
ひとのせいにするのも嫌だったしな。
やつの画策だと確信を持ったのは何年も後だ」
「彼はもともと身分は高かったんでしょ?
黙ってたって出世したんじゃないの?」
「そうだろうな。かつて王族の一つだった家の出身だ。
現王の前の世代までは後継者に困らない状況でな。
レミーの先祖は継承権を放棄したんだ。身分も伯爵でいいとなった」
足音が聞こえて、コーマックは話を終わりにした。
「もう記憶がもたないから二度としない」
「平気だよ。聞きたくなったら勝手に聞き出す」
ホールを覗きに来た女中長が二人の姿に驚いた顔をする。
「起きてらしたんですか。それなら声をかけてくださいな。
お茶も出さずにいましたよ」
フットマンを呼び出してキッチンへやった。
「グラント、明日は市場へ行きたいんです。
予定は空いていますか?」
あっという間にテーブルの上へあれこれ並べていく。
「わたしも行くんですか?」
「そうですよ」
女中長の心の予定に書かれていることは、実行しないと恨みを買う。
「はい」
大人しく返事をした。
「ラグラスの従者さんたちはいい方々ですね。
いい土地と縁があって本当によかった」
「頼りにしています。彼らが土地の隅々まで知っているから、わたしが知らなくともまわっていく」
「領主はそれくらいでいいと思うんですよ。
ねえ、旦那さま。庁を作ってしまえば丸投げなんですから」
それはそれで責任重大な気もする。
「私、次のお出かけはラグラスに行きたいです。
どの季節も楽しみがあると言っていましたよ。
天候の穏やかな初夏が一番楽と教えてもらいました」
「女中長さんなら、いつでも」
そう言ったグラントに何を言ってるという表情を見せた。
女中長は横になっている辺境伯を指差す。
「連れて行きますよ? 旦那さまも」
「いらないです。怖いもの」
昼下がりにシェリーを送るためグラントとケリーは館を出た。
コーマックをみているのはフットマン。
レイとジェロディは朝方すでに帰っている。
リゼットを送るのにケイレブが歩くか馬車かと言い合っていた。
「フォール家に、挨拶に伺っても構わないか」
怖い顔の辺境伯に尋ねられ、リゼットは初め驚く。
ケイレブの勤務先だと気がついて頭を下げた。
「ぜひいらしてください、辺境伯。
宅は小さくて驚かれるとは思いますが、どうぞ」
北の辺境領の馬車が家の前に止まった時、母親は娘に何かあったと思い込んだらしい。
フットマンが用向きを伝えに行く前に馬車に辿り着いていた。
コーマックから昨晩の礼と護衛の補充が必要か聞かれ、家人が二人だけの伯爵家は狼狽えた。
リゼットの護衛がなぜコーマックと関わっているのか。
護衛と言っても娘が気軽に頼んだ幼馴染。
理解が追いついていない。
ケイレブが昨夜グラントの身も守ってくれたこと。
辺境伯領へ赴くこと。
そこでの業務内容は辺境伯の代行で、慣れてきたら後継としたいことをコーマックは告げた。
小さい頃から知っているケイレブがゆくゆくは辺境伯。
「あーこりゃ大変だ」
家を後にするときケイレブが呟いた。
今さらどんな土地だっけと家族じゅうで言い合っているのが聞こえる。
楽しい時も苦しい時も、パニックに陥る時も一緒だ。
知っていたはずの娘まで両親に付き合っている。
仲の良い家族なのだ。
北の荒地は、平時は住み良い。
資産価値は高い方で、ほとんど公国と言っていいほど独立した秩序を持っていた。
コーマックが整備を進めて二十年経っている。
家つき伯爵に買い取るなど不可能な資産価値。
そして領主には高い軍事能力が求められる。
人間だけでなく自然災害ともたたかうからだ。
フォール家では会議が緊急招集された。
そんな日、グラントは女中長について街区をうろうろしている。
「私のところはもう、孫に子どもが生まれるんですよ」
彼女の家の世代の進みは早い。
肌へのあたりが柔らかそうな布を選んで女中長はご機嫌だった。
「春にはノルトエーデにいらっしゃいね。
かわいい子に会えますよ」
「楽しみです」
それにしても、購入する布地の量が多い。
「女の子が産まれそうなのですか?」
ワンピースを作るような布地を手に取って尋ねた。
それは別口です、と返事が来る。
エリンの店でシェリーの商品を買い占めてからシュトラールに戻った。
持って帰る荷物を箱に詰めて、さらに行くところがあるとグラントを誘う。
「エムリンのご家族にこれを渡すんです」
先ほどの布地を示した。
「頼りにしている子が長く不在にするんです。
不安に決まってます。どんなことでも言ってくれるようにこちらから話さないと」
女中長は冷ましたての焼き菓子もカゴに入れてエムリンの家を訪れる。
ちょっと前まで中三階建みたいだった彼の家は、今は普通の石造りの平屋になっていた。
寝室とその他の部屋がちゃんと分かれている。
女中長は家にいたエムリンの祖母と弟たちにお土産を渡した。
祖母とは年が同じくらいだった。
北の荒地の様子を教えて、大切な子を送り出してくれることに礼を言う。
そして、どうか騎士になるまで勤めさせてほしいと願った。
「さあ、私の用はこれで終わりです。
差し出がましいことにも咎めずにいてくれてありがとう、グラント」
「いえ、北の荒地に行くというと都の人間は怖がりますから。
ありがとうございます」
船に乗って行ってくる、と聞いただけで今生の別れのようにグラントを送り出してくれたお婆さんたちを思い出す。
「グラントはこれから南に国を築くんですよ。
だんな様以上にはりきらないといけません」
「……、わたしがはりきったとこ、見たことあります?」
うっそりとグラントは聞いた。
自分でもどれがそうなのか分からない。
「いつでしょうねえ。でも、これからきっと見られますよ」
「そうですか」
なんだか想像がつかないが。
女中長はグラントの肩を引いた。
なんだろうと屈むと、鬱陶しい前髪をくしゃくしゃにされる。
「ちゃんとできますから。心配しないで」
明くる月の初めの日、コーマックは領地に戻って行った。
ノルトエーデの兵士の制服を着たケイレブとエムリンを連れて。
同じ日、納税に必要な会計書類を積んで、バレットの船も出発した。
エルネストとトーニャが一ラグラスに帰る。
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ケリーは学校が始まって、不満げに登校した。
リゼットは今まで働いていた貴族の家の年季が明けた。
そのタイミングでシェリーに雇われてセリッサヒルで働くことになった。
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「君たちを、大陸最強にプロデュースする」
「「「「……はぁ!?」」」」
落ちこぼれ軍師と、訳あり美少女たちの逆転劇が始まる。
俺を捨てた奴らが土下座してきても――もう遅い。
◆爽快ざまぁ×美少女育成×成り上がりファンタジー、ここに開幕!
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
『王都の神童』と呼ばれた俺、職業選定でまさかの【遊び人】三連発で追放される。……が、実は「全職業のスキル」を合算して重ねがけできる唯一のバグ
よっしぃ
ファンタジー
王都で「神童」の名をほしいままにしていた少年、ディラン・アークライト(17歳)。
剣を握れば騎士団長を唸らせ、魔法を学べば賢者を凌駕する。誰もが彼を「次代の勇者」と信じて疑わなかった。
しかし、運命の職業選定で彼が得たのは――【遊び人】。
それも、三つの職業スロットすべてが【遊び人】で埋まるという、前代未聞の怪現象だった。
「期待外れだ」
「国の恥晒しめ」
掌を返した周囲によって、ディランは着の身着のままで街を追放される。 だが、かつて神童と呼ばれた彼の「分析力」は死んでいなかった。
『……Lv1なのに、ステータスが異常に高い? それに経験値が分散せず、すべて加算されている……?』
彼だけが気づいた真実。
それは【遊び人】という名に偽装された、この世界の管理者権限(Free-Hander)であり、全職業のスキルを制限なく使用・強化できるバグ技(デバッグモード)への入り口だったのだ。
これは、理不尽に捨てられた元・神童が、その頭脳とバグ能力で世界を「攻略」し、同じく不遇な扱いを受けていた美少女騎士(中身は脳筋)と共に、誰よりも自由に成り上がる物語。
【著者プロフィール】アルファポリスより『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』を出版、オリコンライトノベル部門18位を記録。本作は2月に2巻刊行予定。
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