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昔話
招く城
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白い石でできた小さな城だった。
物見塔がひとつ海岸を望む。
小さな港にはガレー船がいくつか繋いであった。
次の春が来たら、女王はこの城を出る。
残った領民たちとともに。
城の主はアネット女王。
シェリーは彼女のそばで記録をつけていた。
ここでは目も見えるし、普通に歩ける。
何かの精霊の力でこの城で昔起こった出来事の中にいた。
この城にとらわれたのは秋が来てすぐのことだった。
シェリーの屋敷を一部公開して、観光客にお茶会を提供する。
そういう事業を始めることになった。
ノルトエーデの観光庁に相談して希望者を募る。
短い秋の間に、また森の木を引っこ抜いて整備することになった人がいた。
大変な作業である。
納税の申告が始まる季節でもあるのに。
お願いすることにした。
今度は近所。
前にやった距離の半分もない。
ものの数日で作業を終えて、グラントは事務仕事に戻った。
あとを引き受けた北の兵士たちが機関車の軌道を敷設中である。
作業の音を聞きながら、馬車で辺境領に入った。
訪問の目的は家人たちの仕事の確認。
お茶会を世話する侍女の中にはリゼットもいる。
似たような仕事を貴族の家で続けてきた。
彼女は頼りになる。
ケイレブを冷やかしにも行けるので楽しそうだ。
この日、シェリーは個人的にコーマックに聞いてみたいことがあった。
白い石の城の夢を何日かずっと見ている。
そこは湾の向こうの土地に実際にある城で、時々人を呼ぶのだ。
通称は墓である。
コーマックはその夢のことを知っていた。
城に呼ばれているからその夢をみる。
その場に近寄れば過去の世界に入ってしまう。
城主の願いを聞いているとそのうち帰してもらえる。
ケイレブとエムリンを伴って行ってくるといい。
そのうち。
数年経っている。
城に近づいてすぐ女王に謁見した。
シェリーは記録係として雇われた。
兵士二人はあっという間に兵舎へ配置された。
衣服は見たことがないくらい昔のものである。
ウールをしっかり編んだ重い服だ。
真冬にはさらに海獣の皮の上着を着こんで過ごす。
ここはシュッツフォルトより更に寒い。
氷のない季節は二ヶ月しかなかった。
夏がきても生えるのは苔ばかり。
氷が薄くなると、領民の男たちは慌てて船を出して出稼ぎに行く。
兵士の中には新しく来たイーヴァリという青年がいた。
年の近そうなエムリンと仲良くなった。
イーヴァリは銀糸のような髪と月のような色の瞳を持つ背の高い人だ。
生まれはずっと遠い地方だと話していた。
彼は何でもできる。
漁に出ても狩りに出ても、必ずたくさんの獲物を持ち帰った。
他の国の人間に攻め込まれても彼がいれば撃退できた。
そんな彼と一緒にいるエムリンは強くなった。
最初の年より肩が大きくなっている。
イーヴァリを真似てか髪も伸びた。
確かにこの城で時間が経っている。
ケイレブは管理職について城で育成を担当していた。
最初は焦っていた顔つきも、年数が経つと落ち着いている。
もともと状況の変化に柔軟な人だ。
最大の心残りはリゼット。
彼はよくシェリーのところへ来ては彼女を案じている。
というか、戻ったら何を言われるか恐れていた。
ここでは、シェリーは目が見える。
普通に歩けもした。
シェリーは普段、城の中で他の家人と共に働く。
そして月に何度か女王の語る話を書き留める。
彼女が女王の座に着いたばかりの頃だった。
城の物見塔に獣が現れるようになった。
月のない夜に出てくる、銀の毛の大きな狼だ。
ひとの言葉を話せる。
女王は不思議とその獣が恐ろしくなかった。
狼はいい話し相手になってくれた。
いつの間にか、彼ほど安心して話せる者はいないというほどにだ。
少しして、銀糸ような長い髪をした青年が城の兵士に加わった。
剣の扱いに長けている彼は目を引く。
女王はすぐにあの狼だと分かった。
彼はイーヴァリと名乗った。
イーヴァリのおかげで国の生活はつないでこれた。
彼はよく女王に寄り添い助けた。
年々衰退する国。
きっと自分が最後の王であろうということは承知している。
その年の夏の終わり、商いから戻った領民の中におかしな病を持ち込んだ人間がいた。
咳が止まらなくなって伏せったと思ったら、二週間ほどで息を引き取った。
一家は次々と倒れ、同じ病で命を落とした。
国中が戦々恐々となった。
もう、この土地を捨て、春には住みやすい土地へ移住が決まっているのに。
その目前で妙な病が流行り出した。
「ひと足早く、アネットをよその土地へ移したらいい」
月が出た頃に銀の毛並みの狼が女王に寄り添った。
「女王が病を得ては、いよいよ国は滅ぶ」
イーヴァリの言うことはもっともである。
あまりに資源の少ないこの国では、本当の厳寒期には一部の領民が城で暮らす。
いつからか薪を用意できなかった領民のためにそうするようになっていた。
そんな中で病が流行っては大変だ。
「女王が先にいなくなるわけにはいかない」
アネットは生真面目に答える。
この国のことよりイーヴァリは彼女の身が心配なのだ。
このひとが病に倒れてしまったら。
その光景は何より恐ろしい。
その夏の終わり、城の兵士たちが総がかりで薪を集めた。
城に集まる日をなるべく遅くしようと、領民の家に直接届けることにしたのである。
そんな努力も甲斐なく、厳冬になった。
咳をして体調を崩したままの領民が城へやってきた。
城の半数以上の人間が咳をし出し、兵士たちはその対応に駆り出される。
女王は完全に隔離された状態で冬を過ごしていた。
それなのに、水面に張る氷が薄くなり始めた頃、咳が出た。
イーヴァリはそれからずっと付き添った。
数日後には話せなくなった女王のそばからずっと離れなかった。
女王の容態が明かされないまま、船は春に港を出て行った。
彼女の乗るはずだった白い船だけが残された。
胡乱な顔の魔法使いが、顔の怖い老人を見ている。
リゼットから連絡をもらったグラントが、すぐにやってきた。
「行かせたの? 墓に? 行方不明になると知っていて?」
館の執務室で詰められても、老将は平然としている。
「呼ばれたんだから仕方ないだろう。
行くまで夢を見続ける」
「そのうち諦めるかも知れないだろ。
なんでこちらから差し出すんだ」
「殿下が行きたいとおっしゃった」
「危険の説明が足りなかったからじゃないのかな」
グラントはかつてその城に囚われて、二週間この世界から消えた。
もう一週間戻っていないとリゼットは心配している。
三日で済むはずの旅程で。
「城の女王は自分の身に起きたことを書きとらせるんです。
文字が書ける人間は長くとらわれる。
わたしは二週間ほどで帰りました。
ケイレブもエムリンも一緒にその世界にいると思います」
「無事にみんなで戻れますか」
リゼットははらはらした顔でグラントを見つめる。
「わたしが迎えに行ってきます」
魔法使いは杖で軽く床を叩いた。
港の兵士に頼んで湾を渡らせてもらう。
そこから二日歩けば目的地、ノヴェール城へ着いた。
時々城へ生きた人間を呼ぶのは、港に放置された船の櫂だ。
歴代の王に大切に使われて、精霊が宿った。
精霊は代々の王が好きだった。
白く塗られ、美しい紋を描かれた船体もお気に入りだ。
最後の当主、その女王を運べなかったことが心残りで、今でも悪戯を繰り返す。
「ヴィジリ」
平坦な声でその精霊を呼んだ。
グラントのことを覚えているのか、彼女は姿を現さない。
杖を差し向けて船を底から持ち上げて揺すった。
「寝ぼけてないで出ておいで」
海水がばっさばっさと海へ落ちる。
ガレー船の櫂の窓から放置された櫂が飛び出したり引っ込んだりした。
「竜骨を折られたいのか」
船が垂直に立つ。
そこで慌てたように白い髪の女性がマストに現れた。
灰がかった青い色の瞳が慄いたように魔法使いを見る。
一見シェリーの侍女の中にいそうな姿だった。
「今城にとらえている人間を出せ。
無事にだよ」
「待って待って。もう出てくるから。
物語はもう終わった」
精霊の答えに、グラントは船を海面に戻した。
雪解け水の侵入を受けてバランスを崩していた船は正しい位置に落ち着く。
「おまえが今回いたずらしたのは、わたしの友だちだ。
もう十日も出てきていないだろう」
「女王の話をずっと書きとめてくれてた。
グラントの友だちだったんだ。どうりでね」
けろっとしているヴィジリの体を魔法で掴んだ。
「悪戯者」
うっそりとした顔で杖を振り回す。
悲鳴をあげた精霊は突然空中に放り出された。
陸に落ちるかと思われた瞬間、布に包まれたような感覚になる。
また捕らわれた。
「船を動かす準備をして。
おまえごと連れて帰る。
悪戯はもうたくさんだよ」
間近に覗き込んだグラントの瞳は、吸い込まれそうな黒い色をしている。
「承知しました」
大人しくそう答えると、ヴィジリは見えない布から解放された。
グラントが城へと入っていく。
まっすぐに城主の居住区へと足を踏み入れた。
玉座に戴かれた女王の王冠の埃を払う。
グラントが来たのは数年前。
その時は城内で亡くなったままの姿だった。
厄災の後をきれいにして、慰めた。なのに。
あの櫂。
殺気が漏れかけたとき、ひとの気配を感じた。
驚いて呼びかける声に振り向く。
「ここは何年後ですか」
まずそう問いかけたのはエムリンだった。
しきりに頭を触っている。
何年か過ごしたのだろうな、とグラントはその様子を眺めた。
「慌てなくていいよ。まだ十日しか経ってない」
グラントの言葉によけい混乱する。
「もう十年近く経ったんです。城で雇われてから」
「櫂の精霊ヴィジリの悪戯だ。
シェリーと一緒に過去の世界に囚われたんだ。
実際はまだ秋も終わってない」
ケイレブは言葉を失っていた。
シェリーは目が見えなくなったことで理解したらしい。
グラントは港へ出て白いガレー船へ案内した。
風に雪がひと粒混じって飛んでくる。
港には薄氷が浮かんでいた。
「あれが犯人」
杖で、甲板を清掃する精霊を指した。
また怒られるのかと肩を震わせている。
「ちゃんと準備したよ。船はちゃんと動く」
「では、ノルトエーデの港へわたしたちを運んで」
精霊の力で船を動かした。
まるで指揮者のように櫂を操って、ヴィジリは気分良さそうに風を受ける。
エムリンがストーブの点火を試みる間、他の人間は食料を確保した。
脂を蓄えた大きな魚がとれた。
調理場だったところで刃物を探していると、杖をついたシェリーが来た。
「私も一緒に探します」
「砥石は残っていたよ。後は刃物が見つかれば」
棚の中の錆びたものを確かめながらグラントが言う。
「ヴィジリはね、落ち込んでいる人間に狙いを定めて呼びつけるんだよ」
かつてそういう状況の時に呼びつけられた。
グラントはナイフらしきものを見つけてほっと息をついた。
「シェリーは何に落ち込んでたの?
新しく始める事業が心配だった?」
海水を持ってきて桶にはる。
その音を聞きながら、シェリーは首を振った。
「それは心配より楽しみの方が大きい」
秋がきてから胸に砂が詰まるような心地になる時がある。
気にしないようにしていたのだが。
舞踏会で妹君から聞いた「いらない」という親の言葉だ。
それがふと力を奪っていくのだ。
屋敷での事業はリゼットも加わって、本当に楽しい。
それとは別に、背中を掴まれてどこかへ引き下ろされる気分になる時がある。
生きる力を奪い取られるような。
それをグラントに伝えたら、なんと言うのだろう。
一生懸命に打ち消してくれるだろうか。
それとも、なかったことのように話題を変えるだろうか。
果たして、しばらく唸った友だちはシェリーに平たい鍋を渡した。
洗ってと言うように道具を持たせて水の場所を教える。
「わたしはシェリーがたいせつ」
刃の錆を落としながらグラントは言った。
「親が与えないなら、そこにわたしの言葉を置いて。
わたしや、友だちの言葉を。
いますぐは満たせないけど。
シェリーは大切な友だち。大切にされるべきひと」
シェリーが噛み締めるように笑う。
「ありがとう、グラント。
グラントは本当にすごい魔法使い」
それには苦笑して、グラントは答えた。
「わたしは普通の魔法使いです」
なんとか調理した魚は、ケイレブの相談を受けながら食べた。
港で仁王立ちしてたらどうしようって恐れていた。
予想は当たっていた。
ケイレブはリゼットのことをよく分かっている。
雪の積もらないノルトエーデで、程なく機関車が完成した。
そこにヴィジリを据えて、仕事に就かせることにした。
物見塔がひとつ海岸を望む。
小さな港にはガレー船がいくつか繋いであった。
次の春が来たら、女王はこの城を出る。
残った領民たちとともに。
城の主はアネット女王。
シェリーは彼女のそばで記録をつけていた。
ここでは目も見えるし、普通に歩ける。
何かの精霊の力でこの城で昔起こった出来事の中にいた。
この城にとらわれたのは秋が来てすぐのことだった。
シェリーの屋敷を一部公開して、観光客にお茶会を提供する。
そういう事業を始めることになった。
ノルトエーデの観光庁に相談して希望者を募る。
短い秋の間に、また森の木を引っこ抜いて整備することになった人がいた。
大変な作業である。
納税の申告が始まる季節でもあるのに。
お願いすることにした。
今度は近所。
前にやった距離の半分もない。
ものの数日で作業を終えて、グラントは事務仕事に戻った。
あとを引き受けた北の兵士たちが機関車の軌道を敷設中である。
作業の音を聞きながら、馬車で辺境領に入った。
訪問の目的は家人たちの仕事の確認。
お茶会を世話する侍女の中にはリゼットもいる。
似たような仕事を貴族の家で続けてきた。
彼女は頼りになる。
ケイレブを冷やかしにも行けるので楽しそうだ。
この日、シェリーは個人的にコーマックに聞いてみたいことがあった。
白い石の城の夢を何日かずっと見ている。
そこは湾の向こうの土地に実際にある城で、時々人を呼ぶのだ。
通称は墓である。
コーマックはその夢のことを知っていた。
城に呼ばれているからその夢をみる。
その場に近寄れば過去の世界に入ってしまう。
城主の願いを聞いているとそのうち帰してもらえる。
ケイレブとエムリンを伴って行ってくるといい。
そのうち。
数年経っている。
城に近づいてすぐ女王に謁見した。
シェリーは記録係として雇われた。
兵士二人はあっという間に兵舎へ配置された。
衣服は見たことがないくらい昔のものである。
ウールをしっかり編んだ重い服だ。
真冬にはさらに海獣の皮の上着を着こんで過ごす。
ここはシュッツフォルトより更に寒い。
氷のない季節は二ヶ月しかなかった。
夏がきても生えるのは苔ばかり。
氷が薄くなると、領民の男たちは慌てて船を出して出稼ぎに行く。
兵士の中には新しく来たイーヴァリという青年がいた。
年の近そうなエムリンと仲良くなった。
イーヴァリは銀糸のような髪と月のような色の瞳を持つ背の高い人だ。
生まれはずっと遠い地方だと話していた。
彼は何でもできる。
漁に出ても狩りに出ても、必ずたくさんの獲物を持ち帰った。
他の国の人間に攻め込まれても彼がいれば撃退できた。
そんな彼と一緒にいるエムリンは強くなった。
最初の年より肩が大きくなっている。
イーヴァリを真似てか髪も伸びた。
確かにこの城で時間が経っている。
ケイレブは管理職について城で育成を担当していた。
最初は焦っていた顔つきも、年数が経つと落ち着いている。
もともと状況の変化に柔軟な人だ。
最大の心残りはリゼット。
彼はよくシェリーのところへ来ては彼女を案じている。
というか、戻ったら何を言われるか恐れていた。
ここでは、シェリーは目が見える。
普通に歩けもした。
シェリーは普段、城の中で他の家人と共に働く。
そして月に何度か女王の語る話を書き留める。
彼女が女王の座に着いたばかりの頃だった。
城の物見塔に獣が現れるようになった。
月のない夜に出てくる、銀の毛の大きな狼だ。
ひとの言葉を話せる。
女王は不思議とその獣が恐ろしくなかった。
狼はいい話し相手になってくれた。
いつの間にか、彼ほど安心して話せる者はいないというほどにだ。
少しして、銀糸ような長い髪をした青年が城の兵士に加わった。
剣の扱いに長けている彼は目を引く。
女王はすぐにあの狼だと分かった。
彼はイーヴァリと名乗った。
イーヴァリのおかげで国の生活はつないでこれた。
彼はよく女王に寄り添い助けた。
年々衰退する国。
きっと自分が最後の王であろうということは承知している。
その年の夏の終わり、商いから戻った領民の中におかしな病を持ち込んだ人間がいた。
咳が止まらなくなって伏せったと思ったら、二週間ほどで息を引き取った。
一家は次々と倒れ、同じ病で命を落とした。
国中が戦々恐々となった。
もう、この土地を捨て、春には住みやすい土地へ移住が決まっているのに。
その目前で妙な病が流行り出した。
「ひと足早く、アネットをよその土地へ移したらいい」
月が出た頃に銀の毛並みの狼が女王に寄り添った。
「女王が病を得ては、いよいよ国は滅ぶ」
イーヴァリの言うことはもっともである。
あまりに資源の少ないこの国では、本当の厳寒期には一部の領民が城で暮らす。
いつからか薪を用意できなかった領民のためにそうするようになっていた。
そんな中で病が流行っては大変だ。
「女王が先にいなくなるわけにはいかない」
アネットは生真面目に答える。
この国のことよりイーヴァリは彼女の身が心配なのだ。
このひとが病に倒れてしまったら。
その光景は何より恐ろしい。
その夏の終わり、城の兵士たちが総がかりで薪を集めた。
城に集まる日をなるべく遅くしようと、領民の家に直接届けることにしたのである。
そんな努力も甲斐なく、厳冬になった。
咳をして体調を崩したままの領民が城へやってきた。
城の半数以上の人間が咳をし出し、兵士たちはその対応に駆り出される。
女王は完全に隔離された状態で冬を過ごしていた。
それなのに、水面に張る氷が薄くなり始めた頃、咳が出た。
イーヴァリはそれからずっと付き添った。
数日後には話せなくなった女王のそばからずっと離れなかった。
女王の容態が明かされないまま、船は春に港を出て行った。
彼女の乗るはずだった白い船だけが残された。
胡乱な顔の魔法使いが、顔の怖い老人を見ている。
リゼットから連絡をもらったグラントが、すぐにやってきた。
「行かせたの? 墓に? 行方不明になると知っていて?」
館の執務室で詰められても、老将は平然としている。
「呼ばれたんだから仕方ないだろう。
行くまで夢を見続ける」
「そのうち諦めるかも知れないだろ。
なんでこちらから差し出すんだ」
「殿下が行きたいとおっしゃった」
「危険の説明が足りなかったからじゃないのかな」
グラントはかつてその城に囚われて、二週間この世界から消えた。
もう一週間戻っていないとリゼットは心配している。
三日で済むはずの旅程で。
「城の女王は自分の身に起きたことを書きとらせるんです。
文字が書ける人間は長くとらわれる。
わたしは二週間ほどで帰りました。
ケイレブもエムリンも一緒にその世界にいると思います」
「無事にみんなで戻れますか」
リゼットははらはらした顔でグラントを見つめる。
「わたしが迎えに行ってきます」
魔法使いは杖で軽く床を叩いた。
港の兵士に頼んで湾を渡らせてもらう。
そこから二日歩けば目的地、ノヴェール城へ着いた。
時々城へ生きた人間を呼ぶのは、港に放置された船の櫂だ。
歴代の王に大切に使われて、精霊が宿った。
精霊は代々の王が好きだった。
白く塗られ、美しい紋を描かれた船体もお気に入りだ。
最後の当主、その女王を運べなかったことが心残りで、今でも悪戯を繰り返す。
「ヴィジリ」
平坦な声でその精霊を呼んだ。
グラントのことを覚えているのか、彼女は姿を現さない。
杖を差し向けて船を底から持ち上げて揺すった。
「寝ぼけてないで出ておいで」
海水がばっさばっさと海へ落ちる。
ガレー船の櫂の窓から放置された櫂が飛び出したり引っ込んだりした。
「竜骨を折られたいのか」
船が垂直に立つ。
そこで慌てたように白い髪の女性がマストに現れた。
灰がかった青い色の瞳が慄いたように魔法使いを見る。
一見シェリーの侍女の中にいそうな姿だった。
「今城にとらえている人間を出せ。
無事にだよ」
「待って待って。もう出てくるから。
物語はもう終わった」
精霊の答えに、グラントは船を海面に戻した。
雪解け水の侵入を受けてバランスを崩していた船は正しい位置に落ち着く。
「おまえが今回いたずらしたのは、わたしの友だちだ。
もう十日も出てきていないだろう」
「女王の話をずっと書きとめてくれてた。
グラントの友だちだったんだ。どうりでね」
けろっとしているヴィジリの体を魔法で掴んだ。
「悪戯者」
うっそりとした顔で杖を振り回す。
悲鳴をあげた精霊は突然空中に放り出された。
陸に落ちるかと思われた瞬間、布に包まれたような感覚になる。
また捕らわれた。
「船を動かす準備をして。
おまえごと連れて帰る。
悪戯はもうたくさんだよ」
間近に覗き込んだグラントの瞳は、吸い込まれそうな黒い色をしている。
「承知しました」
大人しくそう答えると、ヴィジリは見えない布から解放された。
グラントが城へと入っていく。
まっすぐに城主の居住区へと足を踏み入れた。
玉座に戴かれた女王の王冠の埃を払う。
グラントが来たのは数年前。
その時は城内で亡くなったままの姿だった。
厄災の後をきれいにして、慰めた。なのに。
あの櫂。
殺気が漏れかけたとき、ひとの気配を感じた。
驚いて呼びかける声に振り向く。
「ここは何年後ですか」
まずそう問いかけたのはエムリンだった。
しきりに頭を触っている。
何年か過ごしたのだろうな、とグラントはその様子を眺めた。
「慌てなくていいよ。まだ十日しか経ってない」
グラントの言葉によけい混乱する。
「もう十年近く経ったんです。城で雇われてから」
「櫂の精霊ヴィジリの悪戯だ。
シェリーと一緒に過去の世界に囚われたんだ。
実際はまだ秋も終わってない」
ケイレブは言葉を失っていた。
シェリーは目が見えなくなったことで理解したらしい。
グラントは港へ出て白いガレー船へ案内した。
風に雪がひと粒混じって飛んでくる。
港には薄氷が浮かんでいた。
「あれが犯人」
杖で、甲板を清掃する精霊を指した。
また怒られるのかと肩を震わせている。
「ちゃんと準備したよ。船はちゃんと動く」
「では、ノルトエーデの港へわたしたちを運んで」
精霊の力で船を動かした。
まるで指揮者のように櫂を操って、ヴィジリは気分良さそうに風を受ける。
エムリンがストーブの点火を試みる間、他の人間は食料を確保した。
脂を蓄えた大きな魚がとれた。
調理場だったところで刃物を探していると、杖をついたシェリーが来た。
「私も一緒に探します」
「砥石は残っていたよ。後は刃物が見つかれば」
棚の中の錆びたものを確かめながらグラントが言う。
「ヴィジリはね、落ち込んでいる人間に狙いを定めて呼びつけるんだよ」
かつてそういう状況の時に呼びつけられた。
グラントはナイフらしきものを見つけてほっと息をついた。
「シェリーは何に落ち込んでたの?
新しく始める事業が心配だった?」
海水を持ってきて桶にはる。
その音を聞きながら、シェリーは首を振った。
「それは心配より楽しみの方が大きい」
秋がきてから胸に砂が詰まるような心地になる時がある。
気にしないようにしていたのだが。
舞踏会で妹君から聞いた「いらない」という親の言葉だ。
それがふと力を奪っていくのだ。
屋敷での事業はリゼットも加わって、本当に楽しい。
それとは別に、背中を掴まれてどこかへ引き下ろされる気分になる時がある。
生きる力を奪い取られるような。
それをグラントに伝えたら、なんと言うのだろう。
一生懸命に打ち消してくれるだろうか。
それとも、なかったことのように話題を変えるだろうか。
果たして、しばらく唸った友だちはシェリーに平たい鍋を渡した。
洗ってと言うように道具を持たせて水の場所を教える。
「わたしはシェリーがたいせつ」
刃の錆を落としながらグラントは言った。
「親が与えないなら、そこにわたしの言葉を置いて。
わたしや、友だちの言葉を。
いますぐは満たせないけど。
シェリーは大切な友だち。大切にされるべきひと」
シェリーが噛み締めるように笑う。
「ありがとう、グラント。
グラントは本当にすごい魔法使い」
それには苦笑して、グラントは答えた。
「わたしは普通の魔法使いです」
なんとか調理した魚は、ケイレブの相談を受けながら食べた。
港で仁王立ちしてたらどうしようって恐れていた。
予想は当たっていた。
ケイレブはリゼットのことをよく分かっている。
雪の積もらないノルトエーデで、程なく機関車が完成した。
そこにヴィジリを据えて、仕事に就かせることにした。
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国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。
これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。
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【著者プロフィール】アルファポリスより『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』を出版、オリコンライトノベル部門18位を記録。本作は2月に2巻刊行予定。
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