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昔話
Wald 1
しおりを挟む現王、ローガンがまだ第四王子と呼ばれていた頃。
年の離れた長兄ホルストは武人としても高名で、民心も掴んでいた。
その子息にも男児がある。
ローガンは自分に王座など巡ってくることはないと信じきっていた。
父王は同盟を傘に意気軒昂である。
ローガンは戦地へ派遣されるたびに薬草を探した。
長子ダヴィのために薬効のある植物を求めていた。
もう大人だからそんなことはいらないと言われながら。
小さい頃の様子を思い出してつい探してしまう。
次子ジャックスは天真爛漫が直らない。
しきたりでバロールに見習い騎士として入団した。
もと王族の伯爵家へ預けている。
甘やかされていることは明らかだった。
戦など早くおしまいになればいいと思う。
もう国内に余力は残っていない。
二年前に都を襲撃されたのは、国内に残る兵力がなかったせいだ。
辺境領を長年きちんとしてこなかったせいもある。
そのことで父王と長兄は度々口論していた。
先代の事情を見ていた王は、それを汲まないホルストを快く思えなくなっている。
森の中を、バロールの軍服を着た魔法使いが走っていた。
季節は夏だが、月の半ばを過ぎたこの頃はもう暑くはない。
しかし束ねた栗色の髪の下からいく筋も汗が流れ落ちた。
「ガンナー! 止まれえええっ!」
森の道を外れ、高い崖を登っていく刈り上げ頭に叫ぶ。
彼は商人の様な格好で逃げていた。
後輩が牢獄を脱走してまだ発見されていない。
そう耳打ちされたのは今朝だった。
すでに何日も経っている。
今日中には上司が隊を率いて都に戻ることになっていた。
自分がふらふらと森に出かけるわけにはいかない。
そこをどうにか捕まえて連れ戻してくれないかと請われた。
無理だ。
面倒であることだし。
そう答えようとして次の瞬間、杖を握ることになった。
もう面会に来られなくて残念だねって、ジェロディに伝えてくれる?
それがガンナーの襲った警吏への言伝だった。
任務の合間に確かに牢獄へ足を運んだ。
一度だって彼は顔を出さなかったが。
行きたくて行ったはずがない。
ただ理由が知りたかった。
どこか、ガンナーは本意ではない犯罪を続けていたのではないかと思っていた。
そんな思いやりを揶揄って逃げた。
肚の雷管を刺激するのに十分だった。
「なんで魔法使いのくせに腕力あるんだよっ!」
言っても仕方がないが、悔しそうにジェロディは地面を踏む。
崖の上に出たガンナーは、その目をジェロディに向けた。
灰色の瞳は笑っている。
かぁっと頬が上気した。
ジェロディの杖の黄色い石が日を受けて光る。
「絶っっ対、逃がさん」
ガンナーの周りの木々が動き出した。
ジェロディの求めに応じて精霊たちが協力している。
「捕縛!」
命じられた刹那に木の精霊たちはガンナーを枝に絡め取っていた。
「くっそ、走るなよ……」
「年とったから?」
魔法使い用の手枷をかけられて、ガンナーはまだ余裕そうに軽口を叩く。
夜営を余儀なくされて兵士たちが慌ただしく木を切ったり枝を払ったりしていた。
「これ、昔っから気になってたんだ。
どういう仕組み?」
枷を歯で齧ってみながらガンナーが聞く。
これをされている間は杖を握っても魔力が外に出ないのだ。
「機密」
だるそうにジェロディは答える。
数年前にガンナーは逮捕された。
誘拐や暗殺など多くの犯罪への関与が疑われた。
現在確定しているのは誘拐が数件のみだ。
犯罪組織の頭、ボロの依頼で働いていたという。
同じ隊にいながらジェロディはそんなこと露ほども疑わなかった。
見習いの頃から目をかけていた魔法使い。
きっと自分より強くなると信じていた青年が。
犯罪者。
シュトラールに住居を移していたのもその時知った。
騎士団に入団したての頃、父親が戦死したとは聞いていた。
生活は大変そうだったが、前向きであるように見えたのに。
「早く帰んないとじいさん都に戻ってきちゃうんだよ。
おまえどうしてそんな時に脱走すんの?」
「へーえ。コーマック隊長いまどこ?」
つい昔のように話しそうになって、ジェロディはぐっと口を結ぶ。
「機密」
ぎゃはは、と破れたようにガンナーは笑った。
木の枝で屋根のついたテントに寝転ぶ。
牢獄の中で髪を切る機会などなかったはずだ。
だが彼は身ぎれいにしている。
協力者がいたか、または魔法でひとを操ったかだ。
先日、事実上戦争は終わったのだ。
同盟国でこの夏、反乱が起きた。
政権が変わり、同盟は破棄されている。
主軸を失ってはシュッツフォルトも戦を続けられなかった。
コーマックは戦地から引き揚げてくる。
その直後、終戦を宣言する書類に調印するため王太子とともに出国する。
ジェロディもその隊に名を連ねている。
間に合わなかったら置いて行かれる。
そしてコーマックは雷の如く怒るだろう。
三十路の心にそれはきつい。
「いいなあ。相変わらず隊長と仲良いんだ」
「羨ましいなら犯罪すんな」
「それほど羨ましくもないかな。隊長怖い」
「単純に犯罪すんな」
「付き合いって、あるじゃない?」
軽口では負けない元部下に、忌々しげに眉を顰めた。
「シュトラールなんかに頼りやがって」
その言いぐさにガンナーは笑い方を変える。
先ほどまでの懐かしむような色に、冷たいものが混じった。
「俺を助けてくれたのはあそこだけだったんで」
それには大いに異を唱えたいジェロディが何か言いかける。
けれどそのまま口を閉じた。
いまならほんの少し分かる。
二十歳のガンナーの孤独が。
まだ入団したてのガンナーは言い出せなかったのだ。
父親が実は逃亡の懲罰で最前線に送られて亡くなったこと。
そのため年金が出ないこと。
母親の無理難題に窮していること。
下の兄弟たちにまだこれから教育費がかかること。
ジェロディもまだ稚拙であった。
手を差し伸べていたつもりが、ガンナーは余計に頑なになっていた。
気がつけば家族を人質に取られたような状態だった。
ボロの命令だと言われれば、シュトラール中の人間の命令を拒めなくなっていた。
それを、ガンナーひとりの弱さだと思ってしまった。
「夜が明けたらすぐに出るからな。
とっとと寝てしまえ」
ジェロディは吐き捨てる。
揶揄うような言葉が返ってきた。
「腹が減って寝られねえよ。なんか出して」
「走り回ったおまえが悪い」
まるで逮捕なんてなかったかのようなこの態度が苛立たしい。
ガンナーが同じ騎士団の人間に捕らえられるまで、本当に疑わなかった。
枷をかけられた瞬間の、その目を見るまでは。
なるほどな。
連行される背中を見送って思った。
とっくに犯罪者だった。
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