130 / 175
くずれゆく森
一木の支うる所
しおりを挟む
王宮にあるダヴィの館は、城下町に近い。
人いきれというか、喧騒を感じていたいからだろうか。
人生の多くの時間を費やしてきた寝室には、枕の周辺にさまざまな装備があった。
「ありがたい。
シェリーが滞在していてくれて幸運だね。毎日会える」
ダヴィは、背中を寝台から上げられない。
季節は夏の盛りなのだ。
暑いくらいの昼間に、第一王子は毛布をしっかりと抱いている。
「きっと回復なさいますよ」
シェリーの傍でグラントは小さく笑顔を作った。
隣で心配のあまり真っ青になっているシェリーを見やる。
「本当だよ。殿下は回復する」
ダヴィがさらに体調を崩したと報せが入ったのは今朝のことだ。
重篤であると告げられて、すぐに顔を見にきている。
「シェリーにいよいよ図書館を頼むかもしれない。
全資料の場所を教えておくよ。
もしもその時は運営を引き継ぐっていう書類も作ってある。
今、署名してくれると安心なんだけど」
伯父の申し出にシェリーは首を振った。
そんなことしては、本当にこの頼れる人がいなくなってしまう。
そんな表情をしている。
グラントは魔法で余計なことはするなと医官に言われている。
強い薬を多種類処方されているのだ。
急に体調を変えられると均衡が崩れる。
とても怖い顔で念を押されていた。
調剤票も見せてもらえない。
国の薬学の最高位の人がする処方に興味があるのに。
面会の最中、静かに顔を伏せながら入ってきた者がいた。
調剤師だ。
薬が用意できたのかと席をあけかけたら、その彼はグラントに「静かに」と言う仕草をする。
「すみません、お願いしたいことがございまして」
非常に小さい声で耳打ちされた。
シェリーにちょっと出てくるからと言い置いて部屋を辞す。
「ありがとうございます」
深々と頭を下げて若い調剤師は礼を言った。
「私はいつも薬草の採集からはしておりませんで……。
一つだけ場所がわからない薬があるのです。
薬草園で一緒に探していただけませんか」
今日は定期の調剤師たちの会合があるらしい。
邪魔する勇気がなくてグラントのところにやってきた。
承諾して、そっと図書館の隣へ忍びこむ。
探しているのが激しい作用のある植物で、グラントはぎょっとした。
小さな子どもが口にすれば命を落としかねない。
「ダヴィ殿下に? 本当ですか」
見つけられないならいっそ加えない方がいいのでは。
そんなことを思った。
「ええ。もう一年以上前から体調を崩された際に処方されております。
初めは私どもも驚きました。
けれど初めての処方のとき、熱があっという間に引いて快癒されました」
「それからずっとですか? 熱が上がるたびに?」
「そうです」
調剤師の手元の紙を覗いて処方した人間の名前を見た。
相当に位の高い呪い師が配合を考えている。
王宮の神官の承認もあった。医官の署名もある。
薬学にそれぞれ精通した彼らが言うなら、間違いないのだろう。
混ぜこむ量はほんの微量だ。
それならそういうこともある、……のか?
ダヴィのからだの様子を思い浮かべる。
処方の日付は本日で、ダヴィの様子を確認しての量のようだ。
疑いない。そんな余地はない。
だが、不安になった。
「ダヴィ殿下の病のかかりやすさは、体質ですよね」
確認すると、そうだと返答がくる。
「病だけではなく、薬剤に対しても過敏に反応するのではないですか?」
「それは報告されておりませんが……。
この何ヶ月で発熱が長引くようにはなっておりますね」
「薬の見直しは頻繁に行われていますか?」
目当ての植物を探しながらグラントは尋ねる。
「はい。毎朝行っております。
ダヴィ殿下の体調を見て加減せねばならないので」
大きな葉をめくり、調剤師は答えた。
「では、明日の朝にでも議題に乗せられますか?
確かに効果のある処方なのかもしれませんが。
今は内臓に負担がかかっているようでした。
今現在の発熱の原因はそれです。
少し当該薬剤を取り除いて様子を見てはいかがでしょう」
大それた発言に、調剤師はグラントの背中を見つめる。
「すみません、疑うわけではないのですが。
何を根拠に示せば良いですか?」
そうだ。グラントはなんの習練もおさめていない。
加えてこの人は薬草も今ひとつ見分けられないのだ。
今ひとつ、説得力が足りない。
グラントは砂漠地帯の植物の影から葉を一枚摘み取る。
「わたしが魔法で見ただけでは、やはり根拠にはなりませんね。
申し訳ありません」
目当ての植物を調剤師に渡した。
相手は考えるような顔つきになって、書付帳を取り出す。
「熱は確かにずっと続いていらっしゃる。
もしかしたら元の原因とは違ってきているかもしれないですね。
薬の間隔をあけてみるという議論はしてもいいかもしれません」
相談するつもりなのだと少しほっとした。
ダヴィの館に戻ると、シェリーが廊下を歩いているのが見えた。
「どうしたの?」
グラントを探す手をとる。
震えていた。
「ダヴィ殿下が意識を失われた」
定時の医官の診察の時に返事ができなくなったという。
シェリーには何が起こったのか分からない。
怖くてグラントを探していた。
医官も家人も慌てている。
ダヴィをなんとか回復させなければという動作には見えなかった。
ついに逝くのかというような。
グラントの手に一瞬力が入る。
「シェリー、ごめんね。少し一人にするけど。
……行かないと」
手を解いて離れた。
シェリーを支える柱が折れる。
そんな恐ろしさが背を押した。
一木
ダヴィは自分をそんなふうに言ったけれど。
支うる所は大切な場所。
彼がシェリーに与えているのは親のように寄り添う心だ。
廊下を走っていって扉を開く。
仰天して医官が振り返った。
その顔を見た瞬間、グラントは命じる。
「出て」
杖を引き抜いて床を打った。
「早く」
魔法使いの剣幕に、医官を始め寝室にいた家人が全員廊下に出る。
グラントは扉を閉めた。
「僧侶、ダヴィ殿下を死なせるな」
杖から出た神官服の男性が、ダヴィの腹に手を添える。
ややあって僧侶が手を離すと、続けて精霊を呼んだ。
「エニ、出てこい」
金色に輝く精霊、エニが姿を現す。
彼女は部屋を見回して、天蓋の下の人間を見つけた。
枕元の木製の棚を興味深そうに眺める。
「こんにちは」
ダヴィを見て小さくお辞儀をした。
「ダヴィ殿下」
エニが挨拶したということは、意識が戻っている。
「今、傍に精霊エニがおります。
魔法を受け取ってください。
エニの授ける魔法は一つだけ。
一つだけですが、必ずその人の役に立つ魔法です」
僧侶の後のエニはなかなかの事だ。
平素なら絶対に断る。
「受け取ると言って、殿下」
ダヴィはゆっくりと目を開いて、微かに笑う。
「すごいね。これが古代の精霊エニ。
……こんにちは。嬉しい、こんなにすごいものを見せてくれるなんて」
ダヴィは本で読んで知っている。
エニという精霊のこと。
「ダヴィ殿下、ご機嫌よう。
私はこの杖の石に宿る精霊エニです。
私が授けるのはあなたに必要な魔法です。
受け取りますか?」
エニもダヴィに付き合ってゆっくりと応対した。
「ダヴィ殿下、受け取ってください。
きっと体は病を得にくくなります。
……受け取って……、生きてください」
息が切れているグラントに、ダヴィは首を振った。
「受け取ってどうするの。私は今夜にも魂が抜けていきそうだよ」
「そんなことありません。
ダヴィ殿下は今、病で体調を崩されているのではない。
わたしはそう見ています」
あの、医官の振り向いた時の顔。
ダヴィまで同じ表情をしている。
天に帰る日だというような顔だ。
グラントは杖を握りしめる。
今ではないはず。
ダヴィは王座につくべき人だ。
「わたしの魔法で少しはよくなっています」
「……」
寝台の上で、彼は苦く眉根を寄せる。
「生きて何ができるかな。
私には如何しても、その答えがはっきり見つからないんだよ」
「シェリーの父上に」
言い募るグラントを、エニは微笑みながら見ていた。
「なってください、殿下。
あなたがシェリーの父上ならどんなに…」
「都合のいい時だけ父にはなれない。
私はあくまでシェリーの伯父。父親はジャックスだ」
どんなに、とダヴィは呟く。
「どんなにシェリーを思っていようと、私は父じゃない」
それでも受け取ってほしい。
生きていてほしいのだ。
「……いなくならないで」
ダヴィはそこでやっとグラントの息切れに気がついた。
エニを見て、そして、シェリーの言っていたことを思い出す。
魔力に対して体力が追いついていないと、魔法使いとして仕事を得ることを諦めた。
ふと小さな笑いがもれる。
グラントの体力がないのではない。
扱っている魔力が、魔法が、大きすぎるだけだ。
ひとには到底望めないようなことをやってのけている。
「エニ、私は魔法を受けとる資格があるのかな」
「ありますとも」
黄金色の貴婦人エニは微笑んで頷いた。
ダヴィは楽しそうに笑い返す。
「もしかしたら、私が魔法を身につけた後、人が変わってしまったら?
もしかしたらシェリーのことなんか、見向きもしない冷たい人間になってしまったら?
グラントは、エニは、魔法なんてあげなきゃよかったって、思うのではないかな?」
エニはその言葉に高らかな笑い声を上げた。
「それをも私の欲するところでございます、ダヴィ殿下」
エニは変化が見たい。
魔法を得たことで変わる人間の行く末が愉快でたまらないのだ。
「古の精霊のことなど慮ることはないのです。
私はその範疇の外にいる者」
エニの表情が、その時初めてダヴィに見えた。
気まぐれで、悪戯が好きでとうとう怒られた精霊だ。
今でも変わらない。
エニは慈愛から魔法を授けるのではない。
その目を見たらそれがよく伝わった。
少しの間目を大きくして、やがてダヴィは唇を噛むように笑った。
「受けとる。エニの授ける魔法を、私は受けとる」
エニの両手から、白い玉のような光が落ちる。
それはダヴィの胸に当たって、消えた。
「……ああ、……よかった……っ」
息も絶え絶えにグラントが息をつく。
もうもたないかと思った。
最後の方は話なんて聞いている余裕はない。
廊下を早足で来る足音がした。
家人や医官が戻る前に説明する。
「魔法使いの杖になるものは、殿下の身近にあるものです。
思い入れのあるような道具で試してみてください。
使い方は何度か試すうちに分かります」
エニが姿を消したその時、扉が勢いよく開いた。
背中が打ち据えられてグラントは膝をつく。
「殿下に何をした」
護衛に怒鳴られた。
シェリーの制止する声がする。
ダヴィはゆっくりとそちらを見た。
「よい」
先ほどまで命を諦めていたとは思えないほどしっかりした声がかかる。
「ラグラス公はわたしを診てくれただけ。
親切心からしたことだ。具合もましになった。
狼藉は働いていない。赦せ」
王子の言葉に護衛はグラントを放した。
「グラント平気?」
シェリーが探すのに手を握り返す。
「ごめんね、ひとりにして」
「ダヴィ殿下は……」
「受け取った」
その一言で、シェリーの表情に期待の色が広がった。
「もう、面会は終わりです」
廊下から医官が厳しい声をかける。
「何をしたのですか、ラグラス公。
詳しくお聞かせください。薬の働きが合わなくなったらどうする気ですか」
寝室を引っ張り出された。
シェリーを支えたまま、館のホールへ連れて行かれる。
「内臓の腫れている箇所を冷やしただけです。
薬が原因で発熱しているように見えたので」
「容体の急変した病人にそんな激しい変化を与えてどうするのですか」
「だからです」
引き下がらないグラントを、医官は睨みあげた。
「今回は偶然うまく持ち直したに違いありません。
二度と、二度とこのような真似はなさらないことです。
次は殿下がなんと言ったってあなたを斬るように命じますよ」
グラントは杖でとんと床をつく。
その顔は硬ばっていた。
また、先ほどの顔が浮かんだのだ。
ダヴィの命はこれまでだろうと決めつけていた。
「あなたこそ覚悟をお願いいたします」
体調を崩しやすい第一王子。
それは事実であったろう。
「絶対に、ダヴィ殿下を平癒させて」
医官は魔法使いの杖を見やった。
強い声音にシェリーは心配そうな顔になる。
彼女をを促してグラントは廊下を歩き出した。
「ダヴィ殿下はきっと大丈夫」
廊下を歩く間、何度も言い聞かせる。
願いのようなか細い言葉だった。
人いきれというか、喧騒を感じていたいからだろうか。
人生の多くの時間を費やしてきた寝室には、枕の周辺にさまざまな装備があった。
「ありがたい。
シェリーが滞在していてくれて幸運だね。毎日会える」
ダヴィは、背中を寝台から上げられない。
季節は夏の盛りなのだ。
暑いくらいの昼間に、第一王子は毛布をしっかりと抱いている。
「きっと回復なさいますよ」
シェリーの傍でグラントは小さく笑顔を作った。
隣で心配のあまり真っ青になっているシェリーを見やる。
「本当だよ。殿下は回復する」
ダヴィがさらに体調を崩したと報せが入ったのは今朝のことだ。
重篤であると告げられて、すぐに顔を見にきている。
「シェリーにいよいよ図書館を頼むかもしれない。
全資料の場所を教えておくよ。
もしもその時は運営を引き継ぐっていう書類も作ってある。
今、署名してくれると安心なんだけど」
伯父の申し出にシェリーは首を振った。
そんなことしては、本当にこの頼れる人がいなくなってしまう。
そんな表情をしている。
グラントは魔法で余計なことはするなと医官に言われている。
強い薬を多種類処方されているのだ。
急に体調を変えられると均衡が崩れる。
とても怖い顔で念を押されていた。
調剤票も見せてもらえない。
国の薬学の最高位の人がする処方に興味があるのに。
面会の最中、静かに顔を伏せながら入ってきた者がいた。
調剤師だ。
薬が用意できたのかと席をあけかけたら、その彼はグラントに「静かに」と言う仕草をする。
「すみません、お願いしたいことがございまして」
非常に小さい声で耳打ちされた。
シェリーにちょっと出てくるからと言い置いて部屋を辞す。
「ありがとうございます」
深々と頭を下げて若い調剤師は礼を言った。
「私はいつも薬草の採集からはしておりませんで……。
一つだけ場所がわからない薬があるのです。
薬草園で一緒に探していただけませんか」
今日は定期の調剤師たちの会合があるらしい。
邪魔する勇気がなくてグラントのところにやってきた。
承諾して、そっと図書館の隣へ忍びこむ。
探しているのが激しい作用のある植物で、グラントはぎょっとした。
小さな子どもが口にすれば命を落としかねない。
「ダヴィ殿下に? 本当ですか」
見つけられないならいっそ加えない方がいいのでは。
そんなことを思った。
「ええ。もう一年以上前から体調を崩された際に処方されております。
初めは私どもも驚きました。
けれど初めての処方のとき、熱があっという間に引いて快癒されました」
「それからずっとですか? 熱が上がるたびに?」
「そうです」
調剤師の手元の紙を覗いて処方した人間の名前を見た。
相当に位の高い呪い師が配合を考えている。
王宮の神官の承認もあった。医官の署名もある。
薬学にそれぞれ精通した彼らが言うなら、間違いないのだろう。
混ぜこむ量はほんの微量だ。
それならそういうこともある、……のか?
ダヴィのからだの様子を思い浮かべる。
処方の日付は本日で、ダヴィの様子を確認しての量のようだ。
疑いない。そんな余地はない。
だが、不安になった。
「ダヴィ殿下の病のかかりやすさは、体質ですよね」
確認すると、そうだと返答がくる。
「病だけではなく、薬剤に対しても過敏に反応するのではないですか?」
「それは報告されておりませんが……。
この何ヶ月で発熱が長引くようにはなっておりますね」
「薬の見直しは頻繁に行われていますか?」
目当ての植物を探しながらグラントは尋ねる。
「はい。毎朝行っております。
ダヴィ殿下の体調を見て加減せねばならないので」
大きな葉をめくり、調剤師は答えた。
「では、明日の朝にでも議題に乗せられますか?
確かに効果のある処方なのかもしれませんが。
今は内臓に負担がかかっているようでした。
今現在の発熱の原因はそれです。
少し当該薬剤を取り除いて様子を見てはいかがでしょう」
大それた発言に、調剤師はグラントの背中を見つめる。
「すみません、疑うわけではないのですが。
何を根拠に示せば良いですか?」
そうだ。グラントはなんの習練もおさめていない。
加えてこの人は薬草も今ひとつ見分けられないのだ。
今ひとつ、説得力が足りない。
グラントは砂漠地帯の植物の影から葉を一枚摘み取る。
「わたしが魔法で見ただけでは、やはり根拠にはなりませんね。
申し訳ありません」
目当ての植物を調剤師に渡した。
相手は考えるような顔つきになって、書付帳を取り出す。
「熱は確かにずっと続いていらっしゃる。
もしかしたら元の原因とは違ってきているかもしれないですね。
薬の間隔をあけてみるという議論はしてもいいかもしれません」
相談するつもりなのだと少しほっとした。
ダヴィの館に戻ると、シェリーが廊下を歩いているのが見えた。
「どうしたの?」
グラントを探す手をとる。
震えていた。
「ダヴィ殿下が意識を失われた」
定時の医官の診察の時に返事ができなくなったという。
シェリーには何が起こったのか分からない。
怖くてグラントを探していた。
医官も家人も慌てている。
ダヴィをなんとか回復させなければという動作には見えなかった。
ついに逝くのかというような。
グラントの手に一瞬力が入る。
「シェリー、ごめんね。少し一人にするけど。
……行かないと」
手を解いて離れた。
シェリーを支える柱が折れる。
そんな恐ろしさが背を押した。
一木
ダヴィは自分をそんなふうに言ったけれど。
支うる所は大切な場所。
彼がシェリーに与えているのは親のように寄り添う心だ。
廊下を走っていって扉を開く。
仰天して医官が振り返った。
その顔を見た瞬間、グラントは命じる。
「出て」
杖を引き抜いて床を打った。
「早く」
魔法使いの剣幕に、医官を始め寝室にいた家人が全員廊下に出る。
グラントは扉を閉めた。
「僧侶、ダヴィ殿下を死なせるな」
杖から出た神官服の男性が、ダヴィの腹に手を添える。
ややあって僧侶が手を離すと、続けて精霊を呼んだ。
「エニ、出てこい」
金色に輝く精霊、エニが姿を現す。
彼女は部屋を見回して、天蓋の下の人間を見つけた。
枕元の木製の棚を興味深そうに眺める。
「こんにちは」
ダヴィを見て小さくお辞儀をした。
「ダヴィ殿下」
エニが挨拶したということは、意識が戻っている。
「今、傍に精霊エニがおります。
魔法を受け取ってください。
エニの授ける魔法は一つだけ。
一つだけですが、必ずその人の役に立つ魔法です」
僧侶の後のエニはなかなかの事だ。
平素なら絶対に断る。
「受け取ると言って、殿下」
ダヴィはゆっくりと目を開いて、微かに笑う。
「すごいね。これが古代の精霊エニ。
……こんにちは。嬉しい、こんなにすごいものを見せてくれるなんて」
ダヴィは本で読んで知っている。
エニという精霊のこと。
「ダヴィ殿下、ご機嫌よう。
私はこの杖の石に宿る精霊エニです。
私が授けるのはあなたに必要な魔法です。
受け取りますか?」
エニもダヴィに付き合ってゆっくりと応対した。
「ダヴィ殿下、受け取ってください。
きっと体は病を得にくくなります。
……受け取って……、生きてください」
息が切れているグラントに、ダヴィは首を振った。
「受け取ってどうするの。私は今夜にも魂が抜けていきそうだよ」
「そんなことありません。
ダヴィ殿下は今、病で体調を崩されているのではない。
わたしはそう見ています」
あの、医官の振り向いた時の顔。
ダヴィまで同じ表情をしている。
天に帰る日だというような顔だ。
グラントは杖を握りしめる。
今ではないはず。
ダヴィは王座につくべき人だ。
「わたしの魔法で少しはよくなっています」
「……」
寝台の上で、彼は苦く眉根を寄せる。
「生きて何ができるかな。
私には如何しても、その答えがはっきり見つからないんだよ」
「シェリーの父上に」
言い募るグラントを、エニは微笑みながら見ていた。
「なってください、殿下。
あなたがシェリーの父上ならどんなに…」
「都合のいい時だけ父にはなれない。
私はあくまでシェリーの伯父。父親はジャックスだ」
どんなに、とダヴィは呟く。
「どんなにシェリーを思っていようと、私は父じゃない」
それでも受け取ってほしい。
生きていてほしいのだ。
「……いなくならないで」
ダヴィはそこでやっとグラントの息切れに気がついた。
エニを見て、そして、シェリーの言っていたことを思い出す。
魔力に対して体力が追いついていないと、魔法使いとして仕事を得ることを諦めた。
ふと小さな笑いがもれる。
グラントの体力がないのではない。
扱っている魔力が、魔法が、大きすぎるだけだ。
ひとには到底望めないようなことをやってのけている。
「エニ、私は魔法を受けとる資格があるのかな」
「ありますとも」
黄金色の貴婦人エニは微笑んで頷いた。
ダヴィは楽しそうに笑い返す。
「もしかしたら、私が魔法を身につけた後、人が変わってしまったら?
もしかしたらシェリーのことなんか、見向きもしない冷たい人間になってしまったら?
グラントは、エニは、魔法なんてあげなきゃよかったって、思うのではないかな?」
エニはその言葉に高らかな笑い声を上げた。
「それをも私の欲するところでございます、ダヴィ殿下」
エニは変化が見たい。
魔法を得たことで変わる人間の行く末が愉快でたまらないのだ。
「古の精霊のことなど慮ることはないのです。
私はその範疇の外にいる者」
エニの表情が、その時初めてダヴィに見えた。
気まぐれで、悪戯が好きでとうとう怒られた精霊だ。
今でも変わらない。
エニは慈愛から魔法を授けるのではない。
その目を見たらそれがよく伝わった。
少しの間目を大きくして、やがてダヴィは唇を噛むように笑った。
「受けとる。エニの授ける魔法を、私は受けとる」
エニの両手から、白い玉のような光が落ちる。
それはダヴィの胸に当たって、消えた。
「……ああ、……よかった……っ」
息も絶え絶えにグラントが息をつく。
もうもたないかと思った。
最後の方は話なんて聞いている余裕はない。
廊下を早足で来る足音がした。
家人や医官が戻る前に説明する。
「魔法使いの杖になるものは、殿下の身近にあるものです。
思い入れのあるような道具で試してみてください。
使い方は何度か試すうちに分かります」
エニが姿を消したその時、扉が勢いよく開いた。
背中が打ち据えられてグラントは膝をつく。
「殿下に何をした」
護衛に怒鳴られた。
シェリーの制止する声がする。
ダヴィはゆっくりとそちらを見た。
「よい」
先ほどまで命を諦めていたとは思えないほどしっかりした声がかかる。
「ラグラス公はわたしを診てくれただけ。
親切心からしたことだ。具合もましになった。
狼藉は働いていない。赦せ」
王子の言葉に護衛はグラントを放した。
「グラント平気?」
シェリーが探すのに手を握り返す。
「ごめんね、ひとりにして」
「ダヴィ殿下は……」
「受け取った」
その一言で、シェリーの表情に期待の色が広がった。
「もう、面会は終わりです」
廊下から医官が厳しい声をかける。
「何をしたのですか、ラグラス公。
詳しくお聞かせください。薬の働きが合わなくなったらどうする気ですか」
寝室を引っ張り出された。
シェリーを支えたまま、館のホールへ連れて行かれる。
「内臓の腫れている箇所を冷やしただけです。
薬が原因で発熱しているように見えたので」
「容体の急変した病人にそんな激しい変化を与えてどうするのですか」
「だからです」
引き下がらないグラントを、医官は睨みあげた。
「今回は偶然うまく持ち直したに違いありません。
二度と、二度とこのような真似はなさらないことです。
次は殿下がなんと言ったってあなたを斬るように命じますよ」
グラントは杖でとんと床をつく。
その顔は硬ばっていた。
また、先ほどの顔が浮かんだのだ。
ダヴィの命はこれまでだろうと決めつけていた。
「あなたこそ覚悟をお願いいたします」
体調を崩しやすい第一王子。
それは事実であったろう。
「絶対に、ダヴィ殿下を平癒させて」
医官は魔法使いの杖を見やった。
強い声音にシェリーは心配そうな顔になる。
彼女をを促してグラントは廊下を歩き出した。
「ダヴィ殿下はきっと大丈夫」
廊下を歩く間、何度も言い聞かせる。
願いのようなか細い言葉だった。
0
あなたにおすすめの小説
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
身代わりで呪いの公爵に嫁ぎましたが、聖女の力で浄化したら離縁どころか国一番の溺愛妻になりました〜実家が泣きついてももう遅い〜
しょくぱん
恋愛
「お前のような無能は、死神の生贄にでもなっていろ」
魔力なしの無能と蔑まれ、家族に虐げられてきた伯爵令嬢レティシア。 彼女に命じられたのは、近づく者すべてを病ませるという『呪いの公爵』アレクシスへの身代わり結婚だった。
鉄格子の馬車で運ばれ、たどり着いたのは瘴気に満ちた死の城。 恐ろしい怪物のような男に殺される――。 そう覚悟していたレティシアだったが、目の前の光景に絶望よりも先に別の感情が湧き上がる。
(な、何これ……汚すぎるわ! 雑巾とブラシはどこ!?)
実は、彼女が「無能」と言われていたのは、その力が『洗浄』と『浄化』に特化した特殊な聖女の魔力だったから。
レティシアが掃除をすれば、呪いの瘴気は消え去り、枯れた大地には花が咲き、不気味だった公爵城はまたたく間にピカピカの聖域に塗り替えられていく。 さらには、呪いで苦しんでいたアレクシスの素顔は、見惚れるほどの美青年で――。
「レティシア、君は一体何者なんだ……? 体が、こんなに軽いのは初めてだ」
冷酷だったはずの公爵様から、まさかの執着と溺愛。 さらには、呪いが解けたことで領地は国一番の豊かさを取り戻していく。
一方で、レティシアを捨てた実家は、彼女の『浄化』を失ったことで災厄に見舞われ、今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくるが……。
「私は今、お城の掃除と旦那様のお世話で忙しいんです。お引き取りくださいませ」
これは、掃除を愛する薄幸令嬢が、その愛と魔力で死神公爵を救い、最高に幸せな居場所を手に入れるまでのお話。
【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~
ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。
王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。
15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。
国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。
これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。
神様の忘れ物
mizuno sei
ファンタジー
仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。
わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。
【運命鑑定】で拾った訳あり美少女たち、SSS級に覚醒させたら俺への好感度がカンスト!? ~追放軍師、最強パーティ(全員嫁候補)と甘々ライフ~
月城 友麻
ファンタジー
『お前みたいな無能、最初から要らなかった』
恋人に裏切られ、仲間に陥れられ、家族に見捨てられた。
戦闘力ゼロの鑑定士レオンは、ある日全てを失った――――。
だが、絶望の底で覚醒したのは――未来が視える神スキル【運命鑑定】
導かれるまま向かった路地裏で出会ったのは、世界に見捨てられた四人の少女たち。
「……あんたも、どうせ私を利用するんでしょ」
「誰も本当の私なんて見てくれない」
「私の力は……人を傷つけるだけ」
「ボクは、誰かの『商品』なんかじゃない」
傷だらけで、誰にも才能を認められず、絶望していた彼女たち。
しかしレオンの【運命鑑定】は見抜いていた。
――彼女たちの潜在能力は、全員SSS級。
「君たちを、大陸最強にプロデュースする」
「「「「……はぁ!?」」」」
落ちこぼれ軍師と、訳あり美少女たちの逆転劇が始まる。
俺を捨てた奴らが土下座してきても――もう遅い。
◆爽快ざまぁ×美少女育成×成り上がりファンタジー、ここに開幕!
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
『王都の神童』と呼ばれた俺、職業選定でまさかの【遊び人】三連発で追放される。……が、実は「全職業のスキル」を合算して重ねがけできる唯一のバグ
よっしぃ
ファンタジー
王都で「神童」の名をほしいままにしていた少年、ディラン・アークライト(17歳)。
剣を握れば騎士団長を唸らせ、魔法を学べば賢者を凌駕する。誰もが彼を「次代の勇者」と信じて疑わなかった。
しかし、運命の職業選定で彼が得たのは――【遊び人】。
それも、三つの職業スロットすべてが【遊び人】で埋まるという、前代未聞の怪現象だった。
「期待外れだ」
「国の恥晒しめ」
掌を返した周囲によって、ディランは着の身着のままで街を追放される。 だが、かつて神童と呼ばれた彼の「分析力」は死んでいなかった。
『……Lv1なのに、ステータスが異常に高い? それに経験値が分散せず、すべて加算されている……?』
彼だけが気づいた真実。
それは【遊び人】という名に偽装された、この世界の管理者権限(Free-Hander)であり、全職業のスキルを制限なく使用・強化できるバグ技(デバッグモード)への入り口だったのだ。
これは、理不尽に捨てられた元・神童が、その頭脳とバグ能力で世界を「攻略」し、同じく不遇な扱いを受けていた美少女騎士(中身は脳筋)と共に、誰よりも自由に成り上がる物語。
【著者プロフィール】アルファポリスより『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』を出版、オリコンライトノベル部門18位を記録。本作は2月に2巻刊行予定。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる