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第四章
ふたりの時間【3】
しおりを挟む夕焼けの色って、こんなに鮮やかだったかな。
「西日が眩しいな。こっちにするか」
「うん」
カフェテリアの内部に射し込み、窓寄りのテーブルと床を染めている夕陽のオレンジ色。かーくんに続いて近づいた奥の席から見たその色彩は、なぜか初めて見るような鮮明さで、私を不思議な心持ちにさせた。
同時に、目に痛いほどの彩度を持ったそれが、きゅうっと胸を締めつけてくる。
雲間を割って現れた、傾いた太陽。そこから降り注ぐ、雨上がりのオレンジ色の光。穏やかで柔らかなその色合いは、どういうわけか、ひりつくような痛みを私に与えてくる。
「始めるぞ。当日、まず、学年の実行委員から選出されたメンバーで――」
私が椅子に腰をおろし、ペンを持ってノートを広げたのを確認するなり前置きなしに開始された説明を聞きながら、今まで当たり前のように見てきた夕景が私の胸に迫ってくる理由を思った。
これが最後、だから。
偶然にも、私たち以外は誰も居合わせない、かーくんとの『ふたりきりの時間』。終わりを迎える場所として望んでやって来たここで得た、〝初めての刻〟とともにある光景だからだ。きっと。
「その後、体育館での発表を行う団体の入れ替え担当に俺が出るから、その間のクラスのまとめを頼む」
「わかった。任せて」
淡々と打ち合わせを進めていく相手に普段通りの受け答えをしつつ、終末に向けて静かに時を刻む。いまだ、カフェテリアにいるのは私たちふたりだけだ。聞き慣れた甘いテノールが響くのみ。
そうして、一日の終わりを教えてくれる夕光が、徐々に私たちの足元へと伸びてきている。その光は、まるで教会の祭壇を飾る宗教画の慈悲の光のように優しく降り注ぎ、私を見ることなく声を発し続ける人の眼鏡のフレームを煌めかせる。
向かい合って座っているにもかかわらず、私たちふたりの視線が絡むことは一度もない。
「――以上だ。他に何か、今、打ち合わせておくことはあるか?」
淡々と流れゆく時が終わり、手元のノートから顔を上げて、かーくんが私に問いかけてくる。ここに来て初めて、まともに目が合った。
「ううん、何もない。ありがとう」
けれど、やっと絡んだその視線を、今度は私が自ら外す。かーくんがかけている眼鏡のレンズが夕陽を弾いて光り、私を見ているはずの瞳をはっきりと見ることは叶わなかったから。
見られないなら仕方ない。高望みするだけ、時間の無駄だ。それよりも、打ち合わせが終わったなら私にはやることがある。
「打ち合わせることがないなら、体育館に移動するか?」
「あっ、ちょっと待って」
既に閉じていたノートを手に立ち上がる気配を見せた相手を、慌てて引きとめた。
まだ、駄目。体育館には、まだ行けない。ここに来た目的を私はまだ果たしてない。
「あのっ、打ち合わせじゃないんだけど。少しだけ、話せない? かーく……土岐くんに、見せたい物があるのよ」
「俺に?」
「そう。ねぇ、これ、見覚えない?」
「これは……」
私がバッグから手早く取り出した物を見て、かーくんが息を飲む。夕暮れのオレンジ色に照らされた学ランの輪郭から、立ち上がる気配が消えた。
良かった。あと少しだけ、ここに居て? お願い。
私が、自らの手で幕引きをする、〝その時〟まで。
「懐かしいな」
夕映えを背景に、ひと言。かーくんの声が静かに響き、テーブルに片肘が乗せられた。
頬杖をついて傾けられた顔に、濃茶色の髪がサラリとかかる。
「笑ってるな、皆」
「……ん、そうね」
その視線が注がれているのは、私がテーブルに広げたアルバム。初等科に上がってすぐの頃、幼なじみメンバー全員で出かけた遊園地で撮った写真が収められているものだ。
「歌鈴も笑ってる」
「うん」
「楽しかったな、この日は」
「うん、楽しかった。すごく」
同じ写真を覗き込み、同じ刻に思いを馳せる。
そうして、同じその日を思い出している相手の表情をそっと窺い見る。普段、あまり感情を表に出さないこの人が、愛おしんでいる相手にのみ向ける、柔らかで甘い笑みを。
「あのね、歌鈴の夢を見たの。つい、最近」
私は、ずるい。
「夢を?」
歌鈴にかこつけて、かーくんの笑みを引き出してる。
「そう。夢の中でたくさん話をしたから、懐かしくなってね? 土岐くんと一緒にアルバムを見たくなったの」
「そうか。歌鈴が夢に……」
亡くした妹と過ごした日々を思い、相手がしっとりと穏やかな雰囲気を纏う、この時を狙っていたのだから。
「あのっ、それでね。歌鈴と話したことで、私、決めたことがあって。それを今、土岐くんに聞いてもらいたいの。いいかなっ?」
そして、ずるい自分の姿に恥入りながらも、早口で言い切った。
だって、少しでも良い雰囲気の時に言いたい。結果は、わかりきってるから。
「俺に? いいけど」
こんな風に即答してくれる人が、この数分後には私を見る目を変えてしまうとわかっているから。せめてその前に、好きな人の甘やかな笑みを脳裏に刻んでおきたかったのよ。
「あの……あのね?」
どうしよう。
「私……ずっと、ね?」
声が、震える。テーブルに置いた手も。
どうしよう。急激に喉が渇いて、上手く言葉が紡げない。今しかないのに。誰もいない空間で、かーくんが私の言葉をじっと待ってくれている。今が、チャンスなのに。
言わなきゃ。前に進むために。ここで、区切りをつけなきゃ。
言うのよ、鮎佳。勇気を出せ!
「私っ、ずっとねっ……」
「あのぅ、すみませーん!」
え?
「土岐くんと、女子マネさんっ。こんなところで、ふたりっきりで仲良く、何のお話ですかぁ?」
「花宮か。学園祭の打ち合わせ中だが、俺たちに何か用か?」
いつの間に、そこに来ていたんだろう。私の死角から飛んできた声にかーくんが反応し、息を詰めて発していた私の〝想い〟は途中で行き場を失った。
「あー、なるほど。学園祭の打ち合わせですか。本番は二日後ですもんねっ。実行委員、お疲れ様ですー」
歯切れのいい声色が放たれるごとに、場の空気が変わっていく。全身を締めつけていた緊張の糸が一気に緩み、はらはらとほどけ落ちていくのを感じた。
緊張の名残をとどめているのは、テーブルの上できつく握り込んだ両手だけ。
「そこの自動販売機にジュースを買いに来たらおふたりがいたので、つい声をかけちゃいました。お邪魔しちゃってごめんなさい。土岐くんに女子マネさんっ」
最後のひと言で呼びかけられたような気がしたから、俯いていた顔を上げてみた。
即座に、かちりと視線が合う。テーブルから上げた目線の先では、ぱっちりと大きな瞳が真っ直ぐに私を見おろしている。それで、この子にずっと見られていたのだと知った。
隣のクラスの花宮萌々さん。かーくんの彼女、白藤さんの友だちだ。
「じゃ、失礼しますねー」
私と目線が合ってすぐ、相手のほうからそれが逸らされた。
私が、つい、眉間にしわを寄せてしまったからだろうか。あまりのタイミングの良さに、わざと邪魔しに来たのかもしれないと疑ってしまって。
あぁ、でも、親友の彼氏が他の女子といる現場を見たら、何をしてるのか確認くらいはするかも。
「なんだ、花宮は。何の用もないのに話しかけてきたのか。ところで都築、さっきの続きを聞いてもいいか?」
「もう、いいの……大丈夫。よく考えたら、自分で解決できることだった。お騒がせしてごめんなさい」
花宮さんが立ち去ってすぐに話の続きを促されたけれど、緩く首を振った。
もう、そんな気にはなれない。無理。
いったん切れた緊張の糸を再び同じように繕り合わせられる精神の余裕なんてない。何の余力も残ってない。もう、無理。
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