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第四章
天花舞う【6−2】
しおりを挟む「涼香ちゃん。ちょっと、こっちに来てくれる?」
後頭部をハンマーで殴られたような衝撃に耐え、何とか無表情の仮面を保とうと努力する俺の前を、白藤さんと笹原を連れた秋田が横切った。
少し離れた場所で、彼女の肩に手をかけて話し始めた秋田と笹原。二人を相手に盛んに首を振っては何かを答えている彼女。三人の様子をじっと見つめながら、立ち尽くす俺。
山田と明石は先に宿泊先に戻ったようだ。俺たちも、そろそろ戻らないといけない。
雪は断続的に降っているし、随分冷え込んできている。少しでも早く戻るべきだろう。
「土岐くん、お待たせ」
「……いや」
「ほら、涼香ちゃん?」
秋田に促されて、笹原にぴったりとくっついていた彼女が俺の前に進み出てきた。
伏し目がちな表情から、小さく声が零れ出る。
「あの……さっきは、ごめんなさい」
両手をぐっと握りこんで、俯いたまま言葉が続けられる。
「誤解させるような発言しちゃって……あの……明日から、よろしくお願いします!」
最後は、頭を下げて勢いよく告げて、また笹原の腕を掴みに戻っていってしまった。
少しずつ後ずさっていく姿を見ながら、告げられた言葉を理解していく。
……何だって? 明日からよろしく、ということは、俺とペアで行動してもいいって意味だよな? 俺とじゃ『無理』だったはずの彼女の、この急激な変化は……。
「――秋田」
迸る感情のままに、低い声が漏れ出る。
「なぁに? 土岐くん」
それに涼しい顔で返してくる秋田に、一瞬で黒い感情が湧き上がる。
「お前……白藤さんに何を言った?」
「特に、何も?」
同じトーンで涼しげに返してくる秋田に、更に怒りが増す。
「何も言わなくて、謝ったり、態度が急変したりするわけないだろうが! 言えよ!」
感情に任せて、怒気を帯びた口調になってしまったが、止められない。
「大したことは言ってないよ。それに、謝罪したのは涼香ちゃんの良心からくる意思じゃない?」
透き通るような瞳で、彼女の心に触れる言葉を放った秋田に、少し頭が冷えた気がした。
「……だから、何を言ったのかを聞いてる」
一度大きく息を吐いて、冷静に聞き直した。
「涼香ちゃんが無理だって言うなら、美也ちゃんに土岐くんとペアになってもらうしかないね。と言っただけだよ」
「は?」
「ね? 本当に大したことは言ってないでしょ?」
にっこりと笑顔が向けられたが、意味がわからない。
秋田は、俺と笹原をペアに、と提案した。それで、彼女が態度を変えた。つまり、俺とペアになるのを白藤さんが了承したのは……。
なぜなんだ? 全くわからん!
「ふふっ。それにしても、あの土岐くんがこんなに感情を露わにするなんてねぇ。チカ、いいもん見ちゃった!」
急展開の理由を推察することに脳をフル稼働させていると、今日一番の笑顔を見せた幼馴染が近づいてきた。
「でも、いいの? さっきの怒声、涼香ちゃんにも聞こえてるかもよ?」
そして小声での指摘に慌てて彼女のいた方向に目を向けると、青ざめた顔にぶつかった。
「しまった」
思わず、表情と声に悲痛さが表れてしまう。
また、怖がらせた。取り返しがつかない程の失態だ。
その場で頭を抱えて座り込みたい衝動に駆られたが、どうせ見るなら地面じゃないほうがいい。空を見上げた。
鉛色の空から、絶えず降り続いてくる白く舞うものを見つめて。頭を冷やすために、その冷たさに浸ってみる。
顔に、喉に、耳に、キリキリと冷えた感触が与えられて。波立つ心が、次第に鎮まっていくのを感じる。
そうして、ふと思い出す。声を。言葉を。
『――かっちゃん』
あぁ、そうだ。あの時、〝アイツ〟は……。
「土岐くん?」
「え?」
瞑目して記憶を辿っていたら、離れた位置にいたはずの彼女が目前にまで近づいてきていた。
「あの、お顔に雪が」
遠慮がちに、俺の目元を指し示してくるが、大丈夫か? 俺に怯えていたんじゃないのか? そう思うと同時に、近寄ってきてくれたことに激しく安堵している。
そんなに長い時間じゃないが、雪を顔で受け止めてたんだ。当然、顔も髪も白くなっているはずだ。そのことを言ってるんだな。
「あぁ。真っ白で、おじいさんみたい?」
サングラスを外して拭きながら、少しおどけてみせた。
「あっ。あ、あ、あのっ。そんなことないよっ。全然!」
力強く否定をしてくれるが、やっぱり視線は合わない。
サングラスをかけ直して、もう一度。
「白藤さん?」
「は、はい」
首を傾げて覗き込んでみたら、おずおずとだけど、見上げてくれる。良かった。
赤く染まった頬が、何とも言えず可愛らしい。が、落ち着かない様子で、すぐにまた目は逸らされる。
「あ、あの……何、してたの? こんな風に雪を浴びて」
変わらずに目線は逸らしたままだが、話しかけてはくれるのか。
「あぁ、ちょっとね。昔のことを思い出してたかな」
君を怖がらせたから頭を冷やしてた、なんて言えるはずもなく。良心が痛むが、当たり障りのない回答をすることにした。まるっきり嘘でもないしな。
「昔?」
あ、目が合った。俺の話を聞く姿勢を取ってくれたことを嬉しく感じて、続ける
「うん。こんな雪の日だったんだけど」
上を見上げて、手袋を外した片手を空に向けて、突き上げるように広げた。
「白藤さん。天花って、知ってる?」
空を仰いだまま、話しかける。
「てんか?」
「そう、天の花と書くんだよ」
空に向けた手を、目の前に持ってきて。点々と手のひらに乗った雪が体温で溶けるのを見届けてから、言葉を紡いだ。
「天花はね。天上界に咲くという、神秘的な美しさを持った花のことなんだ。そして、雪の別名でもあるんだよ」
「お花?」
少し見開いた瞳。無防備な表情が、もの問うように俺を見上げてきた。
「うん。空から舞いおりる雪が、天から降ってくる花のように見えることから、そう名づけられたらしいよ」
もう一度、空を見上げてみる。
「昔、こんな風に降る雪を眺めながら祖母に教えてもらったんだ」
「おばあ様が……」
すると、彼女も同じように空を見上げる。
「本当ね。私も雪のお花が降ってきてるように感じるわ。天花って素敵な命名ね」
絶え間なく降り続いてくる、白い花々。それは静かに、共に天を仰ぐ俺たちに、音もなく降りそそいで。
「綺麗なお花。まるで、神さまからの贈り物のようね?」
白い息と共に零れ出た、彼女の透明な声。それが、尾を引くように響いて、思い出の声と重なっていく。
小さく、か細い。あまりにも耳に馴染みすぎた、儚く澄んだ声――。
『かっちゃん、見て? キラキラしたお花が、たくさん降ってきてるわよ? まるで、神さまから私たちへの贈り物みたい! とっても綺麗ねぇ』
歌鈴。お前の声に重なるよ。
「――歌鈴」
なぁ。どうやら、俺の大切な子は、お前と同じ感性を持ってるみたいだ。
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