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第六章
花霞にたゆたう君に − memories −【2】
しおりを挟む「……おい、歌鈴?」
どうしたんだ?
「かっちゃん?」
何で、こんな……。
「来てくれたの? 嬉しい」
「お前……」
どうして。
「かっちゃん、会いたかった」
お前、どうして、こんなに弱ってるんだ?
「ごめんね? せっかく……ケーキ、持ってきてくれたのに。私、食べられそうに、ない」
「もう、いい。喋るな」
ひと言話そうとする度に、大きく呼吸しながら、やっと発声してる状態なのがわかる。
調子が良くないとは聞いてたけど、実際に目にするまでは信じられなかった。
本当に、何があったんだ? たった二ヶ月で、この変わりようは。
「ねぇ、ゆきちゃん、は?」
「幸音は、少し風邪気味だから。父さんとデイルームで待ってるよ」
「そう。残念だなぁ。一緒に、ローソク消したり……したかった、のに。あのね、かっちゃん、そこに……」
震える指先が、床頭台の棚を指差した。
「クリスマスプレゼント、よ?」
言われるままに棚から取り出したのは、小ぶりな赤いラッピングバッグ。
「あのね。ランチョンマット、なの。パパと、ママ……かっちゃんと、ゆきちゃん。皆のぶん、よ?」
はぁ、と。大きく息を吐いた後。ふふっと、思い出したように微笑む。
「そうちゃん先生、に頼んでね。院内学級のミシン、を……ここに運んでもらった、の」
「歌鈴、もう……」
もう、喋るな。
そう言いたいのに、言えない。苦しそうなのはわかってるのに。さえぎることが出来ない。
「それから、ね。どれが、誰のかわかるようにね……刺繍で目印、つけたの」
「……ん。ありがとな」
「ゆきちゃん、のはね。雪だるま。それで……パパが、トナカイさん……ママが、イチゴ。かっちゃんは、サンタさん、だよ? ね? 皆に、ぴったりでしょ?」
「そうだな……なぁ、お前のは? 歌鈴のは、何の刺繍なんだ?」
「ふふっ……やっぱり、かっちゃんは、優しいねぇ。私のも……聞いてくれるんだもん、ねぇ」
なぁ、歌鈴。そんな風にするなよ。そんな、泣き笑いのような表情。お前には似合わないぞ? いつもみたいに笑ってくれよ。
「私の、刺繍はね――」
『――かっちゃん、見て! キラキラしたお花が、たくさん降ってきてるー。まるで、神さまから私たちへの贈り物みたい! 綺麗ねぇ』
いつだったか、歌鈴が言った言葉が不意に思い出された。
小さな頃から病弱だった歌鈴だけれど、ずっと入院生活を送ってたわけでもなく。病状が落ち着いた時などは、半年や数ヶ月という期間、自宅に戻ることもあった。当時まだ存命だった祖母の住む信州に行ったのも、その頃だ。
月明かりに照らされて、しんしんと降り積もる青白い雪を窓から眺めていた俺たちに、祖母が天花について話してくれた。
天上界に咲き誇る、美しい花。雪が空から舞い降りる情景に神々しいその花々をなぞらえて、降る雪にその名を冠した人がいたこと。
祖母の話を聞いても、俺にとっては雪が積もってればスキーで遊べるから嬉しい、程度の感覚しかなかったんだが。歌鈴は幻想的な情景と命名の理由がいたく気に入ったようで、『天上界からの贈り物』について、その後、何度も話題に出していた。
冬の寒さは格別の奈良だが、雪は滅多に降らないという。
が、今、窓から望める景色。そこには、透き通った薄蒼色の空と白い雲を背景に風花が舞っている。風に煽られて白い花が舞い踊っているかのように、小さな雪片が青空と一体化している。
――歌鈴。お前に見てもらいたくて、降ってるんじゃないのか? 天上界からの贈り物だぞ。見てみろよ。なぁ、一緒に見よう? 目、開けろよ。
俺たちにクリスマスプレゼントを渡してくれた、あのクリスマスイブの日以来。日に日に衰弱した歌鈴は、あまり目を開けず、言葉を発することも少なくなっていた。
「歌鈴? 雪が……天花が、降ってるぞ」
だが、話しかければ反応はあるんだ。
「歌鈴? 起きられるか?」
耳元で、ゆっくりと声をかける。意識の奥底に訴えかけるように。少しすると、長い睫毛が小刻みに震えて、ゆっくりと目が開けられる。
「かっちゃ……」
か細い声。歌鈴らしくない、儚い響きが零れる。
「夢、見てた」
「何の夢?」
「皆で……鬼ごっこして、るの。石舞台で」
「石舞台古墳か? ふっ。楽しそうだな」
「うん。楽しいの……すごーく楽しい、夢だった」
こうして話していても、時々意識が混濁することがあるんだが、今日はそれがないようだ。
「ね。今日、何日?」
「一月六日だよ」
「そっか。冬休み、終わる……ねぇ」
「……あぁ」
そう。終わってしまう。今夜、俺は東京に戻らなければいけない。これでも無理言って今日までずっとここにとどまってたんだが。
本当なら、クリスマスの翌日に戻る予定だった。が、冬休みの間だけでもここに居たいと我が儘を言った俺に、十束先生が手を差し伸べてくれた。一人暮らしだから構わないと、家に泊めてくれてたんだ。でも、それも今日までだ。
「また、来るよ。約束したからな。榊先生の講演、俺と一緒に行くんだろ?」
「うん。約束、したもんね……楽しみ」
「俺も楽しみだ。絶対に行こうな」
約束の言葉を、交互に紡ぐ。
もしかしたら無理かもしれないって、頭のどこかでわかってるけど。それでも、これは〝二人の約束〟だから、口にする。
「そうだ。窓の外、見てみろよ。天花が降ってるぞ」
「う、ん……あんまり……よく、見えない、よ」
「身体、起こすか?」
「……ん」
窓が見えやすいよう、ベッドの背もたれを起こしてやる。起き上がった姿勢を自分で維持出来ない歌鈴のために、横から背中に手を回してその身体を支えた。
何度もこうして触れて、もう知っているはずなのに。掴んだ肩のあまりの薄さに、一瞬、声を失う。胸が締めつけられる。
「寒くないか?」
胸の中に広がっていく言い知れない恐怖感で、冷たくなっていく指先。今にも震えだしてしまいそうなそれを誤魔化すように。手のひらに余裕で収まる細い肩を、小さくなった背中を撫でさすって。
痛々しいくらいに痩せ細ってしまった身体を。そっと、本当にそっと、抱きしめた。
「あったかぁい」
「そうか? なら、ずっとこうしててやる」
抱いた肩にほんの少しだけ力を入れて、もう片方の手で小さな歌鈴の手を覆うように包んだ。
元々華奢なそれらは更に肉づきを失っていたけれど、触れた手の甲の滑らかな手触りは変わらない。そっと頬を擦り合わせて、しばらくそのまま、じっとしていた。俺の体温を分け与えるように。
「天花、見えてるか?」
「うん。綺麗……素敵ね。外に出たい、な。手のひらに、乗せたり……降ってくる雪、舐めてみたい」
「ん? 雪には大気中の汚染物質も含まれてるんだぞ?」
「もぉ……かっちゃんは、夢がないなぁ。彼女、には……そんな会話しちゃ、駄目よぉ」
ふわりと笑いながら、力の入らない身体を俺に預けて。
「でも……そのまんまのかっちゃんを、好きに……なってくれる子。きっと、現れるよ? これは……その、おまじない」
頬に、柔らかな感触があてられた。
「ね。かっちゃん、お願い……私にも、おまじない……かけて? 私も……素敵な恋、したい」
「ん……わかった」
少し身体をずらして、前髪に触れる。濃茶色の髪をサラリとかき分けて、指を差し込んで頭を支えた。
昨日、歌鈴の希望でベッド上でシャンプーをした。「気持ち良い」と目を細めて嬉しそうにしてた様子が、思い出される。
「なぁ。また、シャンプーしてやろうか?」
「うん。かっちゃん……上手だから、好き」
「今度は、特別にヘッドスパもしてやろう」
「ふふっ。アロマオイルは……厳選して、ね?」
久しぶりに見た、いたずらめいた笑み。キラキラと輝く瞳に見つめられて。力を取り戻したかのような光を見られたのが嬉しくて。本当に嬉しくて、愛おしくて。
「任せとけ」
白く滑らかな頬に、愛情を込めて、そっと唇を押し当てた。
「よし。歌鈴にも、おまじないがかかったぞ」
「ありがと。嬉しい」
穏やかな時間が、静かに過ぎていった。見つめ合って。微笑んで。密やかに会話を交わす。
「……んー。眠くなってきた、みたい」
小さく欠伸をした歌鈴が手を伸ばしてきて。絡め合った指に、きゅっと力が込められた。
「かっちゃん、大好き。パパもママも、ゆきちゃん、も……みんな……大好き、よ」
満足そうに微笑み、眠りについた。
そして、この言葉を最後に、昏睡状態に入ってしまった。
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