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第六章
花霞にたゆたう君に − memories −【3】
しおりを挟む昏睡状態に入ってすぐ、十束先生から今夜が山場だと言われた。母さんが父さんに連絡しに行ってる間も、俺は眠り続ける歌鈴のもとを動かなかった。
「歌鈴? 聞こえてるか? 父さんが幸音を連れて、もうすぐ来るからな? そうだ。それまで、昔のことでも話しながら過ごそうか」
どんなに意識レベルが低下していても、聴覚だけは残っているという。歌鈴の耳元に顔を寄せて、ゆっくりした口調でいろんな話をした。
思い出話は、いくら話しても尽きることはなかった。歌鈴がまだ発病する前、一緒に遠足に行った公園の名前を出した時、「うぅ」と何かを言いたげな反応があって。『あぁ、聞こえてるんだ』と安心して、また続けた。
そうして、日付が変わった深夜。突然、病室内に歌鈴の声が響いた。「あぁぁ……」と言ったのか。「かぁぁ……」だったのか。正直、どっちなのか、はっきりと聞き取れなかった。
静かに眠り続けていた歌鈴が、不意に声を発したということと。それまでずっと、か細い声ばかりを聞いていたのに、部屋に響いたその声は、か細さとは無縁の張りのある声だったことに驚いてしまったからだ。
「歌鈴っ!」
目を覚ましたのかと期待して、俺と父さん、母さんが、歌鈴の枕元に集まった。
目は、開いていた。
固唾を呑んで、次の言葉を待つ俺たちが見守る中。声を発した時のままの口の動きで、「はぁぁ……」と、深く息を吸い込んで。そのまま呼吸が止まった。
嘘みたいだ。
すぐに駆けつけた十束先生が心臓マッサージを行う姿も。しばらく経って、深く深く頭を下げた姿も。それを受けとめた沈痛な表情の父さんと、涙を流す母さんも見てたのに……これが現実じゃないような、そんな気がする。
肌の色も、唇の形も。どこも何も変わらないのに。呼吸が、鼓動が止まったから、もうこの世の存在じゃないのか?
嘘だろ? だって、こんなにも温かいんだぞ?
そっと掬いとった手は、まだ血が通っているかのように温かみを残してるのに。前髪をかき分けて露わにした額から瞼、こめかみへと順番に唇を押し当てていっても。すりすりと頬ずりを繰り返しても。くすぐったそうに笑っていた時と変わらない温もりを感じられるのに。
「もう……息、してないのは……なんで、だ?」
歌鈴が最後に発した声が、頭から離れない。
「なぁ。何を伝えたかったんだ? 誰に、どんなことを……」
考えても仕方ないことなのに。最期の声が耳にこびりついて離れない。
「お前。幸せだった、か?」
静かに眠る顔を見つめながら、その頬に手を伸ばす。
「もっと、弱音を吐いても良かったんだぞ。もっと、もっと。俺に我が儘、言えば……言って……くれ、ればっ」
――ポタリ
歌鈴のパジャマに雫が落ちる。
「なぁ? せっかく、お前に選んでもらったけど……この眼鏡、今は役に立ちそうに、ない」
お前の顔を見ていたいのに。
「眼鏡、かけてるのに……何にも見えない、んだ」
とめどなく溢れてくるもので、視界が歪む。ベッドのシーツに点々と染みが出来ていく。
「大切な……大好きな、お前の顔……見ていたい、のに……もっと……もっとっ」
こんな風に触れられるのは、もうこれが最後だとわかってるのに。ちゃんと目に焼きつけておきたいのに。
「……っ、歌鈴っ」
静かに眠る歌鈴の頬を、両手で撫でながら。
「家族と離れて寂しかっただろ? 闘病生活は、つらかったろ?」
いつも明るく笑ってた歌鈴には、一度も面と向かって聞けなかった言葉をかける。
「お前と兄妹で……双子に生まれてきて、幸せ、だったぞ」
気恥ずかしくて、口に出せなかった言葉を。
「歌鈴。お前のこと、大好きなんだ。もっと、もっと。もっと一緒に過ごしていきたかったっ! お前と、一緒にっ」
手、肩、そして頬、髪。時を惜しむように触れて。「もう時間だから」と父さんに止められるまで、ずっとずっと話しかけていた。
――――*――――
かっちゃんへ。
かっちゃん宛のお手紙があったから、びっくりした? これ、歌鈴ちゃんからのラブレターでーすっ。
まずは、ひと言。あのね、私、幸せだった。すごくすごく幸せだったよ。
ふふっ。これは、一番に書いとかないとと思って、書きましたー。
だって、かっちゃん「お前、幸せだったか?」なんて、疑いそうだもんねっ!
だからね、ちゃんと書いておこうと思ったの。嘘じゃないよ。これはね、本当の気持ち。
うーん。まぁ、でも。正直に言うと、皆と離れて暮らすのは寂しかったし、つらい思いもしたよ。悲しくて、泣いちゃった時もあったし。
けど、それ以上に皆からもらった愛情が、優しくて、あったかくて、嬉しかったの。
パパ、ママ、かっちゃん、ゆきちゃん。皆からの愛情に包まれて、歌鈴はほんとに幸せでした。
ねぇ、かっちゃん。
かっちゃんのことだから、私が生きられたはずの人生のぶんまで頑張ろうとか、思っちゃいそうだよね?
何にも言わなかったら、二人ぶんの人生を普通に背負いこんじゃいそうだから、先にクギを刺しときます。
あのね、かっちゃんのぶん、だけでいいの。
かっちゃんが、大好きな人と出逢って、その人と一緒に過ごす毎日が最高に幸せなんだと思えたら。それが、私の『もう一つの幸せ』になるから。
だから、かっちゃんは、かっちゃんだけの幸せを見つけて、それを護っていけばいいだけなのよ?
かっちゃんが、いつも笑顔でいられる毎日を。遠くから、たまーに、それとなーく、見守っとくね。
私にガッツリ見られてたら、いくらかっちゃんでも恥ずかしいでしょ? 私も恥ずかしいし、照れちゃうよ。きっと。
かっちゃん、大好きをありがとう。
歌鈴に幸せをくれて、ありがとう。
ずっとずっと。ずーっと、大好き!
――――*――――
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