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待て、は得意じゃない
しおりを挟む俺は、器用なほうだと思う。
頭の回転が速いから突発的なことにもすぐに対応できる。それ以前に、目端が利くから思いがけないハプニングが起こる前に大抵のことは回避できてる。
勉強もスポーツも、音楽も武道も、『特技』に認定していいレベルには達してる。
こんなことを自分で言うと鼻持ちならない自惚れ野郎だと敬遠されるのもわかってる。けど、そもそも自分のこういうところを俺は美点だと思ってないから問題はない。
会社経営をしている親や親族に付いて小さな頃から社交の場にも出てるから、誰にもそつのない応対が可能。
無用な敵を作らない術も身についているし、万一、攻撃対象にされた場合も内心を読み取らせずに笑顔でやり過ごせるメンタルも持っている。
つまり、俺の〝器用〟は全て得意分野だ。
もしも各分野にポイントが付与されることがあったら、器用のオールラウンダーと言ってもいいと思う。
が、同時に、どれひとつ取っても自分から欲して得た財産じゃない点で、自慢するに値しない。
器用のオールラウンダーの中身は、実は空っぽなんだ。
たったひとつ、確実に俺自身の財産と言い切れる、恋人に関する想いを除いては。
「郁水。どうしてキレてるんだ?」
「あ?」
「だから、なぜそんなに怒ってるのかを聞いてる」
「あああぁっ? うるさい! 基矢、うるさい!」
「郁水……」
「黙れよ。何もわかんないんだろ? 俺がキレた現場を見てるくせに、なんで俺が怒ってるのかわかんねぇなら聞こうとすんな。知りたいとか思うなよ。黙れ!」
「……」
「は? だからって、ソッコー黙るのか。お前そういうとこだぞ。マジで!」
「そういう? とは、どういう点を指してるんだ?」
「まっ、まず、理解力が乏しいとこだ!」
「ひとつじゃないのか。じゃあ、他には?」
「あとは! 俺をずっと抱っこしてるとこだ! ふざけんな。俺は幼児じゃねぇぞ」
お前と同学年。同じ四月生まれで、二十歳。成人男性だ!
何が悲しくて、同い年のヤツにお父さん抱っこされて大学のキャンパスを移動しなきゃいけない?
「おろせよ!」
「駄目だ。おろした途端、郁水はさっきのヤツに喧嘩売りに行くだろ?」
「行く。アイツ、許さない。ボコる。徹底的に叩きのめす」
「だから駄目。郁水が珍しく自制心を無くしてるのに、俺が止めに入らない理由がない。抱っこは継続だ。全く、らしくないぞ」
――らしくない。基矢が、やや小さな声で最後に付け加えたワードに、顔が強張る。
俺らしくないと言われた。大学のキャンパスという公の場で激昂し、その相手とあわや殴り合いになりかけたからだが、どれだけ俺らしくなかろうが、暴力に訴えてでもアイツに謝罪させたかった。
待ち合わせ場所からものすごい勢いで走ってきた基矢が俺をサクッと抱え上げて強制的に仲裁したせいで、それは叶わなかったけど。
「俺らしさ皆無で上等! アイツ、お前を馬鹿にして侮辱してたんだぞ。なのに、なんで俺が怒って、お前がそれを止める側なんだよ。お前も怒れよ。俺より怒れよ!」
俺より十五センチ高い長身の男に運ばれながら、その頭をぺしっと叩く。腹立つ!
ついさっき、俺が胸ぐらを掴んで激昂した相手は、基矢と同じゼミの学生。
入学時から基矢を敵視して、何かとネタを探しては突っかかってくるムカつくヤツだ。
「一色ってさ。コンパには全然顔出さないし、ゼミの交歓会に来ても教授に挨拶したらすぐに帰るし。なんか偉そうでムカつくんだよなー」
通りすがりに耳に入ってきた基矢の名前に、俺の足はピタリと止まった。
コンパを断ることと、偉そう、が直結するわけない。お前の主観で日本語の文法を勝手に捻じ曲げるな。ゼミの交歓会だって、企業関連の重要なものは全部出席してる。
基矢はな、大学以外の時間をじいさんの後継者としての勉強の時間に充ててるんだ。お前の言う交歓会(飲み会)を早退するのは仕方ないことなんだよ!
「付き合い悪いし、表情は硬いし、あれじゃモテないよなぁ。お気の毒ー。だから野郎とばっか連んでるんだな」
外部進学のお前は知らないだろ。『バスケ部の一色くん』に中学から固定ファンがついてたこと。少数だが、すげぇ熱量の声援が試合の度に繰り広げられてたんだぞ。
「でさぁ、一色に聞いてみたんだ。女の経験あるのかって。そしたら『無い』って! お可哀想! アイツ、成績は良いけどムッツリで不能なまま卒業するんだぜ!」
ここで俺の我慢の限界が来た。
外部進学生を相手に基矢の立場を説明してやる義理は無いが、俺自身がキレた。親しい者以外には見せない顔で相手に掴みかかったんだ。
大抵のことはスマートにやり過ごす自信があったが、基矢に関することでは俺は堪え性が無い。
何でも得意レベルの俺だけど、こういう時の『待て』は得意じゃない。
「『怒れ』って言われてもなぁ。もう先に郁水が怒鳴ってたじゃないか。普段は人当たりの良い笑みでスルーしてるお前が代わりに怒ってくれたから、もういい。それに女性の経験はこれから先もゼロでいいし、お前限定のムッツリなのも当たってる」
「そういうことじゃないんだよ。いや、経験値や俺限定の話はそれでいいけども! アイツ、お前がゲイだって言いふらすって言ってたんだぞ。俺がその相手だって!」
「……何? 郁水の名前を出す、だと? ——郁水、ちょっとここで待ってろ」
「え? 基矢?」
「すぐ戻る。あのモブをシメてくるだけだ。俺のことなら何を言ってもいいが、郁水を傷つけるヤツは許さない。例え、どんな理由でも。悔い改めるまで許さない」
それまでヘラヘラと俺の話を流してた相手が表情を一変させ、その場に俺をおろすなり背中を向けた。
シメる? 俺のことは止めたのに? いや、やりたいならやればいいけど……。
「待て、基矢! 行くのは構わないけど、その手にある分厚い辞書は何だ。それをどうするつもりだよっ? 落ち着け! 実際に振り下ろしたりすんなよっ!」
基矢がヤツを内心でモブ呼びしてたことより先に、その右手にある辞書の用途を尋ねた。
常に鷹揚な俺の恋人は、実は俺より『待て』が出来ない性分らしい。
【了】
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