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弐
濡れる朝顔の、儚さと… 【十】
しおりを挟む「光成様?」
――ぴくんっ
あ……。
「申し上げにくいのですが、光成様のお声も少々響いております。お控えくださると、俺、ありがたいです」
「あ、私としたことが……申し訳、ありません」
驚いた。
驚きすぎて、建殿の目元を拭っている体勢のまま謝罪した。
建殿しか見ていなかった私が悪いのだが、私まで真守殿に注意を受けてしまった。
「いいえ。そちらの蔵人様の喚き声に比べれば、光成様のお声は小鳥のごとき可愛らしさですので何の問題もないのですが、場所が場所ですので」
けれど、もっと驚いたのは、真守殿との距離だ。
私の声を小鳥に例え、にっこりと微笑んでいる年下の陰陽生《おんみょうせい》は、ごく間近から私を見上げている。いや、『見上げている』というのは、おかしいか。なぜなら――。
「真守殿。時と場合をわきまえず、声を張り上げてしまいました。お詫びします」
「いいえ、本当にお気になさらず」
変わらずににっこりと笑顔を向けてくる相手の顔が、私の肩の上にあるからだ。
建殿に向いていて無防備だった背後から、私の肩に顎が触れるほどの近さで、話しかけられている。
つまり、背中にも真守殿の身体の感触が……。
手にしている建殿の袍《ほう》の袖がくしゃくしゃになるほど握りしめている自覚があるが、頭の中は真守殿への疑問でいっぱいになっていく。
この急な密着は、いったいどうしたことだろう?
「お、おい。少し近づきすぎじゃないか? そこまで光成に顔を寄せて話す必要ないだろう?」
うん、そう。建殿の言う通り、かなり近い。というより、密着している。
「お付き添いの蔵人様には関係ありません。俺は今、光成様とだけ話してるんですから」
が、もしかすると、これは、“あれ”なのではないか?
「んなっ! そんな言い方はないだろっ。だいたいお前、さっきから……ぶふっ!」
「建殿は、ちょっと黙っていてください」
取りあえず、やかましいほうを先に黙らせる。
真守殿に確認したいことがあったし、私を間に挟んで興奮してる建殿の顔が近い。
そういうのは困る。む、胸が何やら、おかしな速さで波打ってしまう。
だから、くるりと首を動かし、顔を近づけても何ともない真守殿のほうを向いた。
「真守殿? こう、ですか? これで合ってますか?」
そうして、真守殿の頭を撫でてみた。真守殿のこの密着は、このための催促なのかもしれないと思ったから。
「あ……ふふっ。嬉しいです。光成様」
あぁ、良かった。合っていた。やはり、この対応で間違っていなかったようだ。
「ふふっ」
真守殿の全開の笑顔を目にして、私の口からも笑みが零れていく。
以前、聞いていたのだ。多くの弟妹たちに囲まれている真守殿は、ずっと『兄』という存在に憧れていたのだと。
そして『一度でいいから兄に甘えてみたい』と言うものだから、いつも撫子《なでしこ》にしているように頭を撫でてあげたら大喜びで。それ以来、時折こうして、互いに甘え、甘やかすひと時を持つようになった。
私も、年の近い弟がいないから、なにげに嬉しい。
「光成様のお手、いつも優しく触れてくださるから、嬉しいです。本当の兄君みたいで、気持ちが温かくなります」
それに、こんな可愛らしいことも、あどけない笑顔で言ってくれるし。
「私も、真守殿のことは実の弟のように可愛く思っていますよ」
だから、私らしくもない、こんな言葉まで返してしまう。辛辣な物言いで皆に煙たがられて、つんつん尖っている様から『ひげの松葉の君』と呼ばれていた私とは思えない、甘い態度だ。
まぁ、頭を撫でると言っても、烏帽子を被っている横からそっと指先で触れているだけなのだが。
「みみっ、光成! 『実の弟』って、お前……お前には、れっきとした本物の『実の弟』が、いるじゃないか。よその少年を弟呼ばわりして撫で回す必要なんかないだろ!」
「……っ、『撫で回す』って何ですか。人聞きの悪い! それに、由良丸《ゆらまる》は、まだ三つです。真守殿のように、しっかりとした会話が成り立たないのですから仕方ないでしょう?」
けれど、兄弟の雰囲気を楽しむやり取りは、途切れた。
「『仕方ない』ってなんだ。由良丸が話し相手にするには幼いから、代わりによその少年を弟あつかいするのか? 由良丸は撫子の君にそっくりで、とても可愛らしいと自慢してたくせに! それなら、私が弟になってやる。ほら、私を撫でてみろ!」
真守殿の頭を撫でていた私の手を掴み、自分の頭へと強引に持っていった、わけのわからない人のせいで。
「ばっ、馬鹿なこと言わないでください。可愛くもない人を撫でたりできません!」
――ばちーんっ
そして気づけば、その人の頭を思いっきり叩《はた》いてしまっていた。
私は、いったい何をしているのだろう。
「光成、ひどい! 痛い! ひどい!」
「光成様。お付き添いの方の冠が吹っ飛んでしまわれるほどの勢いでしたが、お手は大丈夫ですか? 痛めては、おられませんか?」
「だ、大丈夫。何ともありません」
吹っ飛んだ冠を拾いながら喚いてる建殿は取りあえず無視し、私の身を案じてくれる真守殿に大丈夫だと告げる。
全然、『大丈夫』な状態ではないと、心中ではしっかりと自覚していたが。取りあえず。
これではいけない。ふと我に返って焦る。辺りは、すっかり夜の帳に覆われているのだ。
この場に来てから、もう随分と時を費やしてしまっている。ここには、大事なお役目で来ているというのに!
「真守殿。色々と横道に逸れてしまいましたが、そろそろ本来の目的に戻りましょう。さっ、建殿も参りますよ!」
『横道に逸れた』のは私にも多分に責任があるとわかっていたが、それには都合よく目を瞑る。まだ何やら非難めいたことを口にしている付き添いの襟首をひっつかんで歩き出すことにした。
とにかく、この場から離れて気持ちを切り替えよう。
「光成様。ひとつ、お尋ねしてもよろしいですか?」
「何でしょう?」
そうして、後ろ手に建殿を引っ張りつつ歩く私の真横に並んだ真守殿が、何やら問いかけてきた。
器用にも、かなりな早足で歩く私の耳元にその唇を寄せ、ごくごくかすかな声が届いてくる。
「お会いした時から、ずっと気になっていたのですが。光成様と、お付き添いの蔵人様。おふたりの衣《きぬ》に焚《た》きしめられている薫りが全く同じ香《こう》の配分なのは、偶然ですか? よもや、衣を重ねて共寝《ともね》をするような間柄だから、ではございませんよね?」
「……っ。とっ、ともっ……? そっ、そんなわけ、ありませんっ!」
――ごつんっ
「痛っ!」
あ……しまった。また、やってしまった。
どうしよう。真守殿の囁きに動揺したせいで、襟首を掴んでいた建殿を思いっきり横に振り飛ばしてしまった。
つまり、建殿は今、殿舍の壁に正面衝突のような形で顔をぶつけている。
かなり申し訳ないありさまだ。けれど、これは仕方のないことだとも思う。
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