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弐
濡れる朝顔の、儚さと… 【十一】
しおりを挟む「ままっ、真守殿! お戯れが過ぎます! あなたがおっしゃったこと、私には何の心当たりもないことです!」
いや、ある。心当たりは、ありすぎるほどにある。
「おふざけは、いい加減になされてくだいねっ。迷惑ですから!」
しかし、それを認めるわけにはいかない。なぜなら――。
「こちらの建殿は、“いつも迷惑をかけられている、単なる同僚”です。先ほどのような邪推は、二度となさらないでください!」
真守殿が疑問に思ったことは、半分、合っている。
私たちふたりの衣《きぬ》に焚きしめられている薫りが同じなのは、『偶然』ではない。
建殿がいつも衣に焚きしめている沈香《じんこう》と丁字香《ちょうじこう》、それに甲香《こうこう》の配分を、私が真似ているからだ。
好きな人と同じ薫りを纏いたいと、思ったから。
そうすることで、少しでも、この人に近づけるような気がしたから。
真守殿がおかしな邪推をした、互いの衣と衣を重ねて一夜を共にする恋人たちが纏う移り香のことも、ほんの少しなら考えた。
が、それは恋人同士のような後朝《きぬぎぬ》の別れを、建殿と経験したいからじゃない。
自分が建殿にとって、そんな対象になりうる存在だとは欠片も思っていない。
けれど、同じ薫りを焚きしめることで、いつでも建殿に包まれているような、そんな気分に浸ることくらいは許してもらおうと。
そんな、図々しくも儚い夢を、愚かな私は見てしまっていたのだ。
「光成様、申し訳ありません。俺、大変失礼なことをお尋ねしてしまいました」
「……っ。い、いえ。私こそ、大声を張り上げてしまい、お恥ずかしいです」
ほんの数瞬、自分の物思いに沈んでしまっていた。
だから、ごく間近から真守殿の声が届いたことでとても驚いたのだが、かえって、それで我に返ることができた。
「冷静に考えれば、光成様とそちらの蔵人様は男性同士なのですから、後朝《きぬぎぬ》の別れを交わす間柄のわけはなかったのに。本当に申し訳ないです。俺、職業柄、鼻が利くもので薫りが気になって、つい要らぬことを申し上げてしまいました。悪気はなかったんです」
「も、もうその話題は、勘弁してくださいっ」
我に返った後だからこそ、居たたまれない。
『後朝《きぬぎぬ》の別れ』と、改めて口にされると余計だ。
先ほどと同じく、身を寄せての囁きで謝罪してくれているから、建殿にこのやり取りが聞こえていないことだけが救いではあるのだが。
「あ、謝罪するつもりが、さらに追い討ちを……すみません。では俺は、あちらの方を――」
大げさな身ぶりではあったが、耳を塞いで『勘弁してください』とお願いしたおかげで、真守殿の追い討ちは止まった。
良かった。これで、ほっと、ひと息つけ……。
「あの、お付き添いの蔵人様? 大丈夫ですか?」
いや、全然良くはなかった。
「たっ、建殿! 壁にめりこませてしまい、申し訳ございません!」
すっかり意識の外に追いやっていた建殿の現状をやっと思い出し、蛙《かわず》が飛び上がったような姿で情けない有り様をさらしている人のもとへと、急いで駆け寄った。
「……痛たたたたっ。鼻がっ……私の鼻がぁ」
――ぴくんっ
「おぉ、痛い。いやぁ、ひどい目に遭った。鼻が潰れてしまうかと思ったよ」
「……っ」
「あー、本当に痛かった。まさか、あんな目に遭うとは思ってもみな……」
「建殿っ、いい加減になされてください。もう幾度もお詫び申し上げておりますでしょう? ですのに、いつまでもそのように嫌みったらしくっ」
あー、苛々する! 悪いことをした自覚はあるから、誠意を込めてあんなに謝罪したというのに。
この人ときたら、助けに走った私に恨みがましい目線をくれた直後から、ずっとこんな感じなのだ。
まるで見せつけるように鼻をさすっては、ぐちぐちと『痛い』を連呼して。しかも、どういうわけか、それを私の右横にぴったりとくっついて聞かせ続けてくる。
私の左側には真守殿が、これまたぴったりと並んでいるから、両肩にふたりの身体が密着しているという、至極歩きにくい状態だ。
「あなた様のお鼻はもとから潰れておりますから、多少へこんでいても大差ありませんよっ」
苛つきのあまり、こんな憎まれ口をきいてしまっても仕方ないと思う。
「何だと? 私の鼻のどこが潰れているというのだ。確かに、私は平凡な顔立ちだが、鼻は潰れてないぞ。ちょっと自分が『相当な美形』だと思って、『ごく普通』を馬鹿にするなっ」
「びっ、びびっ……えっ?」
びっ、びけ……美形?
「うあぁ、なんだか、むかついてきたぞ! おい、光成! いつもいつも、私がうっとりとお前に見惚れていると思ったら大間違いなんだからな! 刺々しい美人もとても良いが、たまには内面も可愛くなれ!」
「え……いつ、も? うっと……え?」
なんだ? 建殿は、今なんと言った?
聞き間違いでなければ、わ、私のことを、いつもうっとりと見惚れ……?
「たっ、建殿っ。あの、今のお言葉は……」
「光成様、ここで始めましょう。お付き添いの蔵人様は、こちらにいらしてください。お手伝いをお願いしたいのです。ささっ、こちらに!」
あ……。
聞き間違いかどうかを確かめるべく建殿の袖を掴もうとした私の手は、相手に届く前に、その対象を失った。建殿をぐいぐいと引っ張って、先を歩き出した真守殿によって。
宙に浮かんだままの手をぐっと握り込み、そのまま胸元へと持っていく。鼓動が跳ね上がり、どくどくと脈打っている、その場所へと。
「はあぁ……」
大きく息をついた。
どうしよう。鼓動がおさまらない。きっと、顔も赤い。
これから大切なお役目をこなさなければならないというのに、こんなことでは……。
「光成様、よろしいですか?」
「はっ、はい。今、参りますっ」
駄目だ。こんなことでは、いけない。
切り替えろ、光成。狼狽えたまま仕事に取り組むなど、主上《おかみ》の御用を務める蔵人として、あってはならないことだぞ。
――ぱちんっ!
両頬を思いっきり叩《はた》き、気合いを入れ直す。
よし!
正面を真っ直ぐ見据え、背すじをぴんと伸ばす。そうして、静かに踏み出した。
「真守殿。では、よろしくお願いいたします。――儀式を始めましょう」
真守殿の陰陽の術で、内裏《だいり》に巣くっている妖《あやかし》を見つけ、退治するのだ。
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