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参
散ずる桔梗に、宿る声 【四】
しおりを挟む「なんだ、声が出るじゃないか。心配させるなよ、全く。ふうぅ……良かったぁ」
良かった、ですって? “何”が?
「あー、もう! 妖《あやかし》がお前に爪を向けて飛びかかった時は、生きた心地がしなかったぞ?」
――ぽすんっ
全然、良くありません。
建殿? 『ぽすんっ』って、何ですか?
なぜ、あなたが、私の上に覆い被さっているのです? その上、『ぽすんっ』って……。
鼻がつきそうなほどの至近距離で、とんでもなく良い笑顔をひらめかせた挙げ句、『ぽすんっ』って。
私の首筋に顔を埋めてきてるのは、なぜです?
「ああぁ、本当に無事で良かったぁ。しかし、良い匂いだなぁ。お前」
「……い」
あまつさえ、そこで大きく息を吸っては吐く、を繰り返しているのはっ?
「……さ、い」
「んー? 何か言ったかぁ?」
私の背にあなたの両手が回され、きつく抱きしめられながらのこの現状は、いったいどういうことですっ?
「どいてください。重いではないですかっ!」
――ぐごっ!
「ぐふぇぇっ!」
よし、これで軽くなった。
それと、妖《あやかし》から助けてくださって、ありがとうございます。
「ふぅ……」
仰向けに転がった命の恩人に心の中で御礼を述べてから、ひとつ息をつく。
妖猫の爪から助けられ、首筋の匂いを嗅いできた不埒なお方の腹を蹴り上げて撃退するまで、ほんの呼吸数回ぶんのこと。
けれど、全身で感じた建殿の体温がもたらした鼓動の跳ね上がりは、とんでもなく大きく、一向におさまりを見せない。
――ふぎゃぁ、ぁっ
「光成様! 大丈夫ですかっ?」
さらに、妖猫の尾を引く鳴き声が徐々に遠くなっていくのを感じながら、駆け寄ってきた真守殿の焦った顔を見上げた。そして、立ち上がる。
「だ、大丈夫、です。私のことより、妖《あやかし》は、どうなりました?」
「土佐が追いかけてます」
「土佐、とは?」
「叔父上の式神です。狗神《いぬがみ》なのですよ。光成様が、そこに転がっておられる蔵人様ごと地面に伏せられたことで標的を失ったのか、妖《あやかし》はそのまま木々をつたって逃げ始めたのです」
鼓動を抑え込むように胸に手をやりつつ、真守殿が指し示す方角を見れば、灰色の大きな犬が疾走していく姿が見えた。その向こうに、枝から枝へと飛び跳ね、小さくなっていく妖猫の白い体躯も。
なるほど。猫には犬というわけか。
「お付き添いの蔵人様も大丈夫ですか? いやぁ、素晴らしいお働きでした。光成様を守ってくださり、ありがとうございます」
「うぅっ……いやいや、守ることは守ったのだが、その相手に蹴り倒されてしまったよ。あははっ……うっ! いてててててっ」
「……えっ?」
真守殿の差し出した手を掴み、仰向けの体勢から起き上がった建殿を見て、血の気が引いた。
「たっ、建殿! ちちっ、血が! お首から血が流れっ……怪我をなさっておられるではありませんか!」
「あー、うん。妖《あやかし》の前に飛び出した時に、ちょっと引っかかれたみたいだなぁ。でも、少しひりひりするだけだから心配いらんぞ? それより私は、腹が……」
「え? 引っかかれ、た?」
真守殿の手助けで起き上がった人の元へ慌てて駆け寄れば、呆気にとられるほどに呑気な笑顔が返ってくる。
いやいや、心配は必要でしょう!
「なっ、何を呑気に笑っておいでなのです。こんなに血を流して! おおごとではないですか! 引っかかれたのでしょう? 妖《あやかし》に! はっ、真守殿! 妖猫の爪ということは、まさか毒があるのではっ?」
妖《あやかし》につけられた傷なのだ。これが原因で、建殿の身に何かあったら……。
「……っ、真守殿!」
恐ろしい予想に胸が潰れる思いで、建殿と真守殿、ふたりの袍《ほう》を掴んだ。
「どうしたら良いのですっ?」
うろたえた口調を隠すこともせずに喚く。
自分がとんでもなく取り乱している自覚は、ある。
が、どうしようもない。止められない。建殿を失うかもしれない恐怖だけが、私の思考を埋め尽くしていく。
「光成様っ、少し落ち着かれてください」
「落ち着けませんよ。建殿が、こんなにも『痛い、痛い』とおっしゃられているのですよ?」
落ち着け? 何をそんなに悠長な!
無理です。落ち着くなど、無理です。
それどころか、さらに頭に血がのぼって、掴んでいるふたりの襟元をぶるぶると揺らしてしまう。
「いや、陰陽生《おんみょうせい》の言う通りだ。少しでいいから落ち着け。そもそも……うっ。私が痛がっていたのは、お前に派手に蹴り上げられた腹の痛みだ。そんなに揺らすな……痛い、痛いっ」
「建殿、もごもごと口を動かすだけでは何をおっしゃられているのか聞き取れませんよ。あっ、痛みのあまり、声が出ないのですね! 見てください、真守殿。建殿のこの出血! 早く手当てせねば手遅れになってしまいます!」
「だから……お前がぶるぶると揺らすから、首から血が飛び散ってるんだよ。気づけ……うぷっ……気持ち悪い」
口元だけで何やら呟いた建殿の表情が、また変わった。
青ざめた顔色がさらに血色を失い、とうとう白目をむいてしまわれたのだ。
「建殿っ!」
その様子を眼前に見てしまった直後、頭の中で何かが弾け飛ぶ音を聞いた。
「真守殿、お願いです!」
真守殿にとりすがる。必死だ。
「早く、助けて差し上げてください!」
唇も、勝手に動いていく。
「建殿を助けてくださいっ。このお方は、とてもとてもっ……本当に、大切な方なのですっ!」
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