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番外編(参)
甘雨を仰ぐ【二】
しおりを挟む——がたんっ
え……。
「痛い! 今度は頭をぶたれたぞ!」
「ここは……」
「酷いではないか。まだ何もしていないのに! 殴っただけではなく、地面に転がすとは!」
「いいえ、私は何もしておりません。そんなことより、早く立ち上がってください。あなたが転がっているのは地面ではありませんよ」
「わっ、本当だ! どこだ、ここはっ?」
今、気づいたんですか。この異変に。
「塗籠のようです。一見、ですが」
喚きつつも素早く立ち上がった相手と背中合わせの体勢を取り、周囲を見回す。誰も居ない。ここに存在しているのは、私たち二人だけ。
「何も無いなぁ。燈台以外」
「建殿。そこに気づいたのでしたなら、他にも違和感を感じてくださいよ。全く、呑気な」
庭にいたはずの私たちが〝飛ばされた〟場所は、灯り以外、何も無い空間。
「ここがどこなのか、全く不明ですが、私たちはこの場所に移動させられたんですよ」
「はっ! だから、私が床に頭をぶつける形で転んでいたのか!」
「ほんの刹那、宙に浮いた感覚があったでしょう? 落下の際に受け身を取らなかったあなたが悪い。まぁ、何にしても、私たち二人を一瞬で庭から移動させたのが誰の仕業なのか。考えるまでもありません。——白焔! 出てこい! お前の仕業だろう!」
「光成、顔が怖い。すごく怖い」
知りませんよ。怒っているだけです。
「こんなふざけた真似をして、許さんぞ!」
「あららららっ? もう、ばれちゃったぁ?」
突然の怪異にも呑気に対応できる想い人を無視して声を張り上げれば、果たして、真っ白い妖猫がただちに壁をすり抜けて登場した。「てへっ」というおかしな笑い方の後に、ぺろりと舌を出す気持ち悪い動作とともに。
「やはり、お前か。どういうつもりだ!」
怒りのあまり、握り込んだ拳が震える。間延びした『もう、ばれちゃったぁ?』を聞かせた妖猫を睨むと、そやつが首をすくめた。
「そんなに怒らないでよう。いきなり異空間に招待したのは悪いと思ってるけどー、光成ちゃんと建に術をかけたのはアタシじゃなくて灰炎ちゃんなの。つまり! 今日も灰炎ちゃんの修行に付き合ってくださーい!」
「……何?」
「みつなり、たける。きょうも、よろしくたのむ」
前脚を上げて高らかに宣言した白焔の隣に、にゅうっと姿を現した子猫、灰炎。白焔の眷属から甲高くもたどたどしい声かけを尻尾をふりふり向けられ、頭痛がしてきた。
いい加減にしてくれ。今日もよろしく頼まれることが、なぜ決まっているのだ。
「待て。なぜ、私たちが当然のように灰炎の修行に付き合うことになっている。それでなくとも、ここ数日ずっと付き合っているぞ。先日は建殿と私の声が入れ替わる術、その前は……」
「はーい、時間が惜しいから、ちゃきちゃき始めるわよー」
「白焔っ」
「まぁまぁ、良いではないか。文句を垂れている暇があったら、うずら丸の修行に付き合ってやろう。なっ、光成!」
「ですが、建殿。私だけならともかく、いつもあなたを道連れにしてしまっているのですよ?」
「やはり私への気遣いで怒っていたのか。構わん、構わん。うずら丸が修行に励んでいる理由を知っているから大丈夫だ。妖力の制御が的確にできるようになれば、陰陽寮に居場所がもらえるのだろう? そうすれば、内裏にいる近江の君と頻繁に会える。お前の身内の役に立てるのなら、つむじ風で飛ばされるくらい朝飯前だぞっ」
「建殿……」
にぱーっと明るい笑みで請け負ってくれた人の気遣いが嬉しくて、胸が詰まる。
そして、灰炎に『うずら丸』と名をつけ、友だちとして可愛がっている血縁の娘、篤子の顔も浮かんだ。昨年、内裏で起こった妖騒動の原因である灰炎と篤子だが、灰炎の妖力制御の向上を条件に行動制限が緩和されることになった。だから、文句を言いつつも、私も修行に付き合ってやっているのだが。
「よろしいのですか? いつぞや、つむじ風で飛ばされた先が鞍馬山だったことにひどく憤慨なされていましたよね?」
「お、おう。確かに、あの時は生きた心地がしなかったが。回を重ねるごとに上達してると信じてるぞ。今日こそ頼むぞ、うずら丸っ」
「お声が震えておいでですよ。ですが、ありがたくお言葉に甘えて、建殿にも付き合っていただくこととしましょう。——白焔、今日の修行を始めても良いぞ」
「うふふんっ。そう言ってくれると思って、なんと、もう既に術にかけてるんでーす!」
「は?」
何? 〝既に術にかけてる〟と言ったか?
「はい、灰炎ちゃん。本日の術名、うきうきと発表しちゃってーっ!」
「はい、びゃくえんさま。みつなり、たける。きょうのじゅつを、はっぴょうするぞー。ててて、てっててー」
誰だ、灰炎に妙な掛け声を教えたのは。どうせ白焔か建殿だな。
「ごつごう、ようじゅつだ」
「ご都合……妖術……とは?」
何だ?
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