百戦錬磨のバードは美味なる籠絡に首ったけ!

冴月希衣@商業BL販売中

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麗しき女主人 -小麦と酵母亭- 【1】

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 ――そこにあるのは、世界をかたどる純麗の色。
沸き立つ大海原。さざめく白波。さながら蒼き絹布《けんぷ》がひらめく空に、我らが黒と翠緑の美の女神は――。



「はーい、ちょっと邪魔ー。そこ、邪魔ー。どいて、どいてー!」

「うおっ!」

 調子よく吟じていた詩歌が、途中でぶった切られた。

「うちの店先で怪しい呪文を垂れ流すの、やめてくれない? 営業妨害禁止!」

 僕の背中に痛烈な肘鉄を見舞ってきた、艶めく掠れ声の美女によって。

「酷い。呪文じゃないよ。歌! 古代から歌い継がれてる港町の恋歌を店の宣伝代わりに歌ってたんだから、営業妨害とは真逆だよっ」

「歌ぁ? 甘ったるい声で、ぐだぐだ垂れ流してた、あれが?」

 見事な一撃をくらった背中をさすりさすり抗議すれば、艶めかしい稜線を描く腰に両手を添えた相手が疑念を込めた視線を送ってくる。

 うーん、いつものことだけど、このパッチリと切れ上がった翠緑の瞳に見つめられると、胸の奥がぞわぞわする。

 やや太めの眉と、ぽてっとした下唇も官能的で堪んない。好きっ。

「そうだよ、恋歌! 僕のファナへの熱い想いを上乗せして歌ってたんだ。『今日も好き!』って」

「あ、そう。それはそうと、シン? あんた、来店してからまだ何の注文もしてないけど、客じゃないなら帰ってくれる?」

「わっ、するする。いつもの、お願いします! だから構って? 僕、お客!」

 店から追い出されるわけにはいかない。自己顕示は一時中断だ。

 傍らの椅子に素早く腰かけ、客として注文した。

「いつもの昼定食だね。了解。待ってな。今日も最高のパン、食べさせてあげるよ」

「うん、お願いしますっ」

 あでやかな笑みを残して店の奥へと去っていく豊満な肢体の持ち主に、笑顔で応える。心で泣きながら。

「ああぁ、今日も渾身の求愛、さらっと流されたぁ。僕に笑いかけてくれるのはパンを注文した時だけとか、心折れるぅ。自信喪失ぅぅ」

 ぼやき声が漏れぬよう、円卓に突っ伏す。心の底から、ぐったりだ。

 もう、幾度、求愛しただろう。ビール醸造所、兼、食堂『小麦と酵母亭』を切り盛りする麗しい女主人――――僕のひとめ惚れの相手に。

「やっぱり年下は対象外なのかな。僕、見た目は悪くないと思うんだけど」

 というか、人並み以上の容姿だという自覚はあるんだよ。

 緩く波打つ薄茶色の長髪に同色の瞳。容貌は女性に間違えられるほど整ってるし、細身だけど、そこそこ鍛えてる。

 おまけに歌だって上手い。職業が吟遊詩人だから当たり前っちゃ当たり前だけどさ。

 『語尾が甘めの中低音がお腹に来る。歌声を聴くだけで妊娠しそう』って言われたこともある。

 その声を武器に、得意のリュートで即興で作曲した恋歌をちょろっと贈るだけで、どんなお堅い女性でも必ず虜にしてきた僕なんだ。

 それなのに、ファナは僕の外見にも歌にもなびかない。

 どれだけ熱を込め、甘く囁いても、手慣れた大人の余裕であしらわれてしまうんだよ。まさに、鉄壁。難攻不落。

「あぁ、どうすればっ……いったい、どこをどう攻めたら僕に堕ちてくれるんだあぁ」

「お待たせ! ほら、シン。温かいうちにお食べ」

「はいっ、いただきます!」

 滑舌の良い掠れ声を聞き取り、ぼやきは即座に封印だ。

 がばっと頭を上げた反動で、結ばず垂らしたままの長髪が、ばさりと頬にかかる。

「ふふっ。全く、だらしがないねぇ。ほら、髪はちゃんと耳にかけるんだよ」

「……うん」

 不意打ちで至近距離に迫ってきた美しい笑みに、息を呑んだ。

 あでやかで妖艶、且つ、優しいそれに心の全てを持っていかれた僕の視界で、萌ゆる常葉《とこは》色が煌めく。

 ファナがいつも身につけている大きなエメラルドのピアスが、眼前に近づいたんだ。しなやかなその指で、乱れた僕の髪を梳き直してくれるために。

「今日の堅パンは、イチジクだよ。それと、ナツメヤシのロールパン。あと、『追い蜂蜜』は、ここに置いとくからね」

「うわぁ……!」

 素焼きの大皿にこんもりと乗ったパンの盛り合わせを見ただけで、口内に生唾が湧き出てきた。

 ころんと丸い堅パンの表面に埋まってるのは、干しイチジク。

 ぷちぷちとした食感が心地よく、噛めば噛むほど甘味が増すイチジクを堅パンの材料に選ぶなんて、心憎い。

 対して、楕円形にふんわり焼き上げてるロールパンに練り込んであるのはナツメヤシの実。

 ねっとりと柔らかな噛み応えが生地のふわふわ感と相まって、こちらも最高。いくらでも食べられる。

 しかもその最高のパンには、菜の花の蜂蜜が『追い蜂蜜』として無料でついてきて、味、栄養価、客への奉仕、ともに完全無欠っ。

「ありがとう。今日も美味しそうだ」

「ゆっくり、お食べ」

 へらーっと笑った僕の頭をそろりと撫でるという母親みたいなことをされたけど、僕は満面の笑みを崩さない。

 まるっきりの子ども扱いは切なくても、他の男性客にファナがこんな風に触れてるところを見たことがないから。

 手の掛かる弟程度に思われてても、僕はこの年上美女にぞっこんなんだ。

「それから、イチジクパンに合わせて、今日のビールはミントの配分が多めだよ。さぁ、思う存分、飲みな!」


 ――ドンッ!

 円卓を震わせて置かれたレバノン杉の酒器に、即座に手を伸ばす。

「おっす! いただきます!」

 諦めない。ファナは諦めない。

 例え、この食堂のウリがパンとビールで。僕の頭部よりも大きな容器になみなみと注がれたビールが、注文した品に必ず揃いで提供されると決まっていようとも。

「パンもビールも、あたしの作った物は一片、一滴たりとも残すんじゃないよ?」

「肝に銘じてます! ファナのパンとビールは、最高! 残すわけないよっ」

 押して押して、押しまくる。

 例え、『自身がビールを美味しく飲むためだけに、極上のパン作りに日々励む酒豪』が、この婀娜っぽくも気っぷのよい美女の実の姿だとしても――。


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