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麗しき女主人 -小麦と酵母亭- 【2】
しおりを挟む「……うっ、うぅ……」
あー、頭痛い。飲みすぎたぁ。
「おまけに、また負けたぁぁ」
客足がいったん途絶えた、夕刻の『小麦と酵母亭』。
その店内の端。僕の指定席である小さなひとり掛けの円卓に、どんよりとした声色が吸い込まれていく。
もう何連敗だろう。ファナとの逢瀬を賭けたビール飲み競争。また負けてしまった。
隣国で評判だという芝居の一座が来てるから見せてあげたい。一緒に行きたいのに。
『そんな暇があったらパンとビールの研究と仕込みをしたいけど、もしも、あたしに飲み比べで勝てたら、一緒に出かけてあげないこともない』って言葉を、しつこく誘って押しまくった成果で、やっと引き出せたというのに、惨敗続き。
「ファナ、いくら飲んでも酔わない体質だなんて、ずるいっ」
しかし、どうするかなぁ。ちんたらと負けを重ねてるうちに芝居の興行は昨日から始まっちゃってるんだよ。うーん……。
「あ、少しは復活したようだね。ハーブ水、飲むかい? シン」
「ありがとう。いただきます」
円卓に突っ伏していた頭を上げ、頬杖をついて思案してるところに錫《すず》製の杯が差し出された。
「美味しい……」
曇りなく磨き上げられた杯に注がれているのは、ファナのビール醸造所にある井戸の水で作ったハーブ水だ。
店のある港町『ルーン』は地下水脈が豊富で、町中いたる所に井戸がある。
その地下水を使い、美貌の職人が丹誠込めたパンとビールの旨さに胃袋を掴まれ、ついでに心も奪われてしまったのが、流浪の吟遊詩人。つまり、僕なんだけど。
「あんた、お酒弱すぎ。本当はあたしと飲み比べをするどころか、パンに付けてるビールを飲み干すのも、やっとだろ? 情けないねぇ」
「……っ、そんなこと……ないよっ」
べた惚れの相手は、こんなにも素っ気ない。
「あたし、わりと守備範囲広いほうなんだけど、あんたは駄目だわ。顔と声だけ良くても不合格だよ。せめてビール樽半分はイケるようになってから出直しといで」
「うっ……」
飲み比べで負ける度に、可哀想な子でも見るような目で見られてきたけど、今のファナの視線は堪えた。
さながら愛と豊穣の女神・イシュタルの如き慈愛のこもった眼差しだったけど、『お前は、自分に求愛できるどころか、対等な位置にすらいないのだ(つまり、その他大勢。虫けら以下!)』と言われたようなものだから。
「ううぅ……でも、めげない。めげるもんか。僕は諦めないぞっ」
けれど、決定的な通告を聞いて尚、僕の心には気合いがみなぎる。
だって、飲み比べで負けたくらいじゃ諦められないよ。惚れてるんだ。心の底から。
生まれ落ちて二十五年。これほどまでに僕の心を震わせ、愛おしさで満たしてくれる女性は、ファナだけ。
虫けら以下の対象外でも、愛情の闘争心だけは燃えさかってる。手に入れるまで諦めない。
「さてと。じゃあ、そのための資本が必要だよね。ひと働きしてきますか」
カウンターの奥で、夜のためのシチューの仕込みをしているだろう美貌の女主人に軽く手を振り、店を出た。宿の滞在費用、そして極上のパンとビールにつぎ込む金を稼ぐために。
「今夜は、どこの御屋敷にするかなぁ」
港町ルーンを内包する国『ウルドゥク』は、千年の歴史と繁栄を誇る古王国。
交易で栄える港町の有力者たちは皆、かなりの資産家だ。おかげで、有力者の邸を廻って歌を披露するだけで、僕の懐は常に温かい。
美しく愛しい、運命の女性。僕のファナ。
あの、高く結い上げていてさえ腰まで届く豊かな黒髪をほどく権利を得るには、まずは資金だ。
「で、その次に、酔い醒ましの薬だな……うん……」
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