君に何度でも恋をする

明日葉

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第2章 幕切れ

浅井と副社長

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「おい!何してるんだ!!」
 鋭い声が上から降ってくる。それに顔を上げるのと同時に、ふっと視界を影が覆う。
 浅井の少し前を歩いていた長身のが急に階段を駆け上がった。



 少し前。
 浅井は副社長に呼び出され、昼食を一緒に摂っていた。呼び出されて思い当たることはあるわけで。居心地悪く座っていると、この人自身がタレントなのではないかと思うような端正な顔立ちの副社長はわずかに口を歪めて笑顔に似たものを浮かべた。浅井とほとんど歳の変わらないこの副社長は切れ者で、そして、表情があまり変わらない。
「どうした。昼休みで戻るんだから、食え」
 短く言われても、さっさと用件を言ってもらえなければ居心地が悪くて食べる気にもならない。会社近くの定食屋で、自分と同じように日替わり定食を食べている副社長を眺めれば、なんて違和感だろうと気の抜けた感想は浮かんでしまうけれど。こじんまりした店の席は、副社長の長い手足には窮屈そうで、背を伸ばしてきれいに食事を進めていくのを眺めていれば、食べる姿はきれいだが、早い。待たせてはそれもまずい、と慌てて箸を手に取った。
 そんな浅井の様子を目の端に捉えながら、副社長、速水はため息をつく。ここ数ヶ月、社員の様子がおかしい。事情に気づくのが遅れた原因は、海外出張が続いて不在にしがちだったことと、自分の耳に入れないことが自分への気遣いだとおかしな勘違いを揃ってしてくれていたおかげのようだが。
「浅井。わたしに言うことがないか?」
 食事を終え、湯呑みに手を伸ばしながら声をかければ、同じように食べ終わった浅井の顔が凍りつく。そんなつもりはないのだが、社員からは怖がられている。不都合はないからそのままにしているが。遠巻きにされた方が、面倒も少ない。それが今回は裏目に出たが。
 緊張しながらも、だが、その浅井の顔の中に反発があるのも見逃さない。そう、浅井が「誤解」をしているのなら、反発するのが正解だ。そう思いながら、速水はそれは顔に出さない。
「先日、高木さんの指示に従いませんでした。そのことでしょうか」
「…ああ、そうだな。不愉快だ」
 苦々しく言い捨てた、そのあからさまに不機嫌な声に浅井は顔を上げた。普段であれば、この副社長の怒りには身が竦む。怒りは正当で、非は叱られる側にあることが当たり前だから。だが、今回は違う。そう思ってしまえば、反発は隠しようもなく、浅井は隠すことを諦めた。
 だが、速水はため息をつく。
「君がわたしに報告すべきことは、君がついている高嶺翔の現状だ。何かあれば、判断が必要になると言うのに、こちらに情報がないのでは後手に回る。実際、この後マスコミからアポが入っている。内容は言われていないが」
「あ…」
 高木のことで頭がいっぱいで、そして高木が速水の姪…年齢的に関係は違うのかもしれないが、とにかくそういう話であったから、そちらにばかり気が行ってしまっていた。
「も、申し訳ありません」
 だが、どうして知っているのか、という思いが顔に出たのだろう。
「2人が会う時に取り次いだのは、わたしの秘書だ。彼から報告は受けている。それに、彼女の方は記憶にないだろうが、わたしは彼女を少し知っている。とりあえず、問題はない。もう一つ、不愉快なのはその高木という社員だ」
「え」
「ずいぶんと辿れば、親類ではあるのかもしれないが、わたしは今回のことがあるまで存在も知らなかった。もちろん、入社にあたっての口利きなどするはずもない。そんな人間が、なぜわたしの名前の陰で会社を引っ掻き回しているんだ」
「…え?」
 間抜けに繰り返す浅井に、速水は鋭い目を向ける。
「なるほど」
 秘書の言っていたことは、間違いないようだ。秘書も、社長も、高木という社員の情報から隔離されていた。おそらく一番何かを知っているのは、人事部だ。そして、そこで情報操作がされた。かするかどうかのような細い遠縁だという事実を利用して、不在がちな自分の庇護を彼女に与えて好き勝手をさせた。社員は「噂」という形で広められたその情報と、実際に人事が動かないことで確信し、誰も口を開かなくなった。
 社長からも翔のこととあわせて報告を求められている。浅井を呼び出したことで両方確信を持てたと1人納得し、伝票を持って立ち上がった。



 そうして一緒に社に戻り、エレベーターを使うのは面倒だと非常階段に向かう速水を浅井は思わず追いかけた。
 上っていく途中で、その騒動は起きたのだ。
 何か、聞こえるな、とは思っていた。女性が話している声がする。そして、鋭い男の怒鳴り声。


 速水が素早く動き、顔を上げた浅井は、影がなんだか悟った。
 ふわりと、上から落ちてくる人影。そして、逃げていく足先だけが見える。女が、少なくとも2人。
 さらに、紙がたくさん降ってくる。
 それが1万円札だと分かり、分かればさらに混乱した。


 速水は、衝撃を吸収し、落ちてくる「誰か」に極力影響がないように抱きとめる。床を転がることなく、そして、落ちた位置と抱きとめた位置が近かったことが幸いして、おそらく痛みや衝撃はないはず。
 そう思って覗き込み、息を呑んだ。腕の中にいたのは、先ほど浅井に問い詰めた、花音だった。
「!花音さん!?」
 浅井も気づいて駆け寄ってくる。だが、速水はとりあえず、今も散らばって落ちていく札束を拾い集めるように浅井に指示をした。事情はわからないがそのままにしておくものではない。
 恐怖からか、すっかり血の気が引いた顔できつく目を瞑り、そして、手に何かを握り込んでいる花音。
「大丈夫か?おい?」
 声をかけると、微かに呻く声が聞こえる。
 上から駆け下りてくる足音がする。一瞥すれば、降りてきたのはこの後約束をしているはずの雑誌記者で。舌打ちしたい気分になるがそれを飲み込み、無表情を保つ。社内でのこんな騒動を見られるとは。
「その子、大丈夫か」
「あの声はあんたか」
「危ないと思って声をかけたんだが…間に合わなかった」
「…その言い方。ずっと盗み聞きでもしてたのか」
 険しい声に、軽く手を挙げて見せる男は、フリーのライターだ。雑誌にネタと記事を売っている。美味しそうなネタだ、と思えば、それは当たり前の行動だろう。むしろ、危ないからと止めようと入ったあたりに良心を感じはするが。
「副社長、それよりも彼女をっ」
 浅井の焦りぶりを訝りながら、腕の中の彼女に目を戻す。とりあえず怪我はないようだけれど。集め終わった金の扱いに困惑している浅井にライターが声をかけてくる。確か…弓削といったか。
「それはその子のだ」
「なんだって?」
「あの話の流れだったら、たぶんそうだろう。いらないとずっと突っぱねていたけど」
 事情が分からず困惑している浅井に速水は目を向ける。
「浅井、さっき何を焦っていた?」
「あ…」
 言葉に弓削を一瞥してから、浅井は言葉を選ぶ。翔からはっきりまだ聞いたわけではない。だが。
 速水の耳にだけ届くように囁けば、速水の顔が固まった。
 慌てたように速水が花音を抱き上げる。それまで固く握りしめていた手から、何かが落ちた。
 リング型の…それが、翔とペアのペンダントのチャームだと気づき、浅井はそれを拾った。
「浅井は仕事に戻れ。それと、その金は、とりあえずわたしが持っていく。わたしの荷物に入れろ」
 そう言ってから、速水はまっすぐに弓削を見上げた。
「弓削さん、だったかな。一緒に来てもらえるか。彼女をとりあえず医者に連れていく」
「ありがたいが、いいのか?おれに知られちゃ困ることもあるんじゃないのか?」
「あんたは見ていたんだろう。医者で何を聞かれるか分からない。事情がわかる人間が必要だ。情報よりも、こっちの方が大事だろう」
 一瞬、弓削が目を見張る。浅井も同じ気持ちだった。切れ者の副社長。怜悧な印象から、人間味のあるそのような反応が浅いには意外だった。だが、確かに冷血なわけではないのだ。社員やタレントを確実にいつも守っているのだから。
「悪かった。あんたの言う通りだ」
「あなたとのアポは、その後でいいか」
「もちろんだ」
 再び階段を降りかけ、速水は浅井を振り返った。
「わたしからの指示があるまで、翔には何も言うな」
「え、しかし…」
「だめだ」
 言いおいて、走り降りていく。弓削が、地下駐車場に自分の車があるからそれでと言っているのが聞こえた。




 そして、指示はないまま。
 次の日、高木が翔に用があるとやってきて。それを伝えるために翔を待っていたが、昨日のことを伝えるわけにはいかないと気重だったが。そんな様子に気づくこともない翔の様子がおかしいと、浅井が気づいたのは、翔が事務所から血相を変えて出ていく時だった。
 追いかけたが、追いつかない。
 まだ、言ってはいけないのか。なぜ…。
 翔を見失い、浅井はフロアをあがる。速水に会うしかない。

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