君に何度でも恋をする

明日葉

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第2章 幕切れ

弓削

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 ルームミラーから後部座席に目をやり、弓削は自分でもなんと表現したら良いのか分からない気分で、目を前に戻した。ハンドルを握る手に力が入る。
 貧血でも起こしているのか、青ざめた顔で横たわっている姿が、いやでもルームミラーに映る。嫌味なほどに端正な顔の男が、自身の脚に彼女の頭を乗せ、額に手を置いて指で無意識にか、前髪を撫でているのも気にくわない。
「あんたの女だったのか?」
 声をかければ、想像以上に不機嫌な声だった。
 彼女は、ゴシップ記事のネタでしかない…はずなのだが。人気俳優と同棲している記事を掲載すると、事前に連絡を入れてあった、その件で今日はあの場所に行ったはずだったのに。
 自分の不機嫌の原因は少しは分かる。彼女は、記事にするのを躊躇うほどに、普通の「若い女の子」に見えた。それも、常識的で真面目な。そんな自分の見る目が間違えていたのか、という落胆。速水という副社長が彼女に見せる距離感は、自社のタレントが隠れて交際している相手に向けるそれではない。むしろ、彼自身にとって大事なもののようで。つまり、タレントの方を隠蓑に使うような、そんな強かな女だったのか、と。
「何を勘違いしているのか知らんが、彼女はわたしのことは知らないよ」
 あっさりと応じながら、速水は弓削に道を指示する。それより、と、言われるままに車を走らせる弓削に、速水は目を向けた。嘘や誤魔化しは見抜こうとするような視線を感じて、弓削は気を引き締め直す。
非常階段あんな場所で、何をしていたんだ」
「おかげで、最悪の事態にはならなかっただろう」
「答えになっていない」
「…」
 ぐしゃぐしゃと髪を掻き、弓削は少し乱暴にため息をついた。
「あんたとの約束の時間までの暇つぶしだよ。俺が表にいれば、嫌な顔をされるからな」
「あんな場所で出会しても、裏で何かを盗み聞きしようとしていたのかと、勘繰られるだろうがな」
「違いない」
 それは否定せず、無感動に声だけで笑う。そういう仕事なのだ。仕方ない。
 で?と、短く促されれば、肩を竦めて見せるだけだ。
「後で映像を見せてやるよ。おかしい雰囲気だったから記録していた」
「職業病か。ありがたく見せてもらう」
「…その子、手に何か持ってただろう?」
「ああ」
 浅井に言って荷物に入れさせた物を速水は思い浮かべる。アクセサリーのようだったけれど。
「それまで静かに言葉で返してたんだけどな。それを取り上げられそうになって抵抗して、あの状況だ」
「取り上げる?」
「ペンダントだったな。引きちぎられてたよ。首の周り、怪我してないか?」
 言われて初めて気づいた。首の周りに傷がつき、もう血は固まっている。




「おい、どういうことだ」
 速水に言われるままに車を走らせて到着した病院で、速水が車の中から連絡をしていたため、すぐに通された診察室。中に入れてもらえずに追い出されながら、その時に看護師が笑顔で言った台詞に弓削は目を瞠った。
「わたしもさっき、浅井から聞いた」
「それで焦ってたのか…一言、言えよ」
「事情が分からないのに、話せることもない」
 取りつく島もない返答に鼻じらむ。この鉄面皮が先ほど車の中で彼女に見せていた柔らかい表情は何を意味するのか。探る視線に気づいていながら、表情も変えず口も開こうとしない。
 いや。思い出したように目を向けられた。
「映像があると言っていたな。今のうちに見せてくれ」
「これは使える映像だ。きちんと返してもらうぞ」
 見せた後で壊されてはたまらない。
「わたしが手に持たなければいいだろう」
 それなら、と、端末に映像データを取り込み、弓削が持ったまま速水に見せた。


「あなた、うちの高嶺の前から姿を消して、二度と現れるな、と伝言よ」
「伝言?」
 不安そうな中に怪訝な色が混じった声で聞き返し、その目が、口を開いた威圧的な女性…高木から、その隣の小柄な女性に向けられる。
「そんな話の場所にどうして優美香が」
「あなたのことを知っているっていうから、どんな人なのか聞いたのよ。もともと知り合いで。そんなことはいいの。これ、手切金で預かっているわ。これを持って、このまま消えて。会社と、そして、彼本人の意思よ」
「手切金?」
 眉根を寄せ、唇を噛む様子が見える。
「そんなもの、いりません」
「欲深いわね。彼はファンを大事にするから、あなたのことも放っておけなかったんでしょうけど。少し面倒を見るつもりが長くなって困っているのよ。マスコミもかぎつけて、記事にすると言ってきている。彼に今来ている仕事、監督がスキャンダルを嫌うからそんなことになったら迷惑なのよ」
「そうじゃなくて。彼の迷惑になるつもりはないんです。もう…なっているんでしょうが。そんなものもらわなくても、いなくなりますから」
「信用できないのよ。彼と、わたしたちの安心料よ。そんなもの受け取れば、二度と顔を見せられないでしょう?」
「いりません」
「強情ね…優美香、あなた、この金額で大丈夫って言ったじゃない」
「相変わらず、男好きね。花音。被害者ぶって、同情買うつもり?いい子ぶるの、得意だもんね。この間の件もそうだし。いい子ぶったって、結局本性が出て逃げられてるのに」
「優美香…」
 顔を上げた花音の首元に、高木の視線がいった。
「それ…彼とペア?そんなもの持っていられたら困るのよ。彼の方はもう、捨てているはずだけど。今日あなたにこの話をすることになっているから」
 言った途端、その手が花音にのびた。
 乱暴にペンダントを掴み、もう片方の手が先ほどから手切金、と言っていた物を花音の鞄にねじ込もうとする。
「やめて!これは…誰にも見せるつもりはないから」
 一点ものではない、だから、誰とペアだと分かることもないだろうに。
 階段の上で、もみ合いになる。優美香、と呼ばれた女性が高木に手を貸して花音に手を伸ばしたところで、弓削の鋭い怒鳴り声が入り、画像が乱れた。




「強要、もしくは脅迫…横領、傷害」
 ふむ、と速水が罪状を並べる。確かに、弓削自身もそれらの証拠になると思って回していたわけだが。
「横領?」
「十中八九、会社の金だろう」
「おっかねえ女だな。ああ、あんたの子飼なんだっけ?」
 言い終わる前に舌打ちが聞こえた。こっちはこっちで怖えぇな、と首を竦めながらも人の悪い顔でにやりと笑った。
「じゃあ、やっぱりあっちの噂が当たりか」
 片眉を上げ、無言の圧をかけられるが、さすがに応じない。弓削にとって情報は生命線だ。
 そんなやり取りをしているところで、ようやく診察室に招き入れられた。が、彼女にしてみれば知らない男二人に囲まれることになるわけで、当然固まっている。やれやれと思いながら、弓削はその顔を覗き込んだ。とりあえず顔色は戻っているが、今は違う意味で顔色が悪い。
「なあ、あんた。あんたを突き落とした奴ら、どうしたい。訴えるなら、ここに証拠はある」
「……」
 不思議そうな顔で弓削を見上げていたが、ようやく、といった様子で口を開いた。
「それに使わなかったら、その証拠、どうするつもりなんですか?」
 鋭いな、と思いながら、弓削はにやりと嗤う。
「俺はライターだ。使い道なんて、いくらでもある」
「訴えるつもりは、ないです。正直、関わりたくないので」
 人がいいのか、と思えば、思いの外辛辣な理由をさらりと口にする。それに知らず笑みを深めて弓削は頷いた。確かにあれは、関わらないほうがいい人種だ。
「俺は弓削。こっちは、あんたがいたあの会社の副社長だ」
「副社長…あの。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
 慌てて頭を下げようとするのを、何の冗談か、速水は下げようとした額の下に手を差し入れて邪魔をした。びっくりした顔で速水を見上げ、それでも言葉を続けようとする。
「もう、ご迷惑にならないようにしますから。でも、あのお金は本当にいりません。わたしの方が、お渡ししないといけないところなので」
「渡す?」
 思わず聞き返す声が、弓削と速水できれいに重なった。躊躇いがちに事情を話すが突飛な内容に思わず顔を見合わせた。
「わたしの秘書は、それを知っていて引き合わせたのか…」
「いえっ」
 呆れた声に、慌てて否定の声を上げる。
「何も知らないです。何も説明せずに、お願いを聞いてくれたんです」
「危機管理上それも困るんだが。まあいい。だが、この金についてわたしは、と言うより、会社は関与していない」
「じゃあ本当に高嶺さんが…」
 それはないだろう、と速水が言うのを聞いているのか聞いていないのか、彼女はその目を医師に向けた。
「わたし、もう帰ってもいいですか?」
「そうだなぁ…ちょっと様子を見たいから泊まって欲しいんだけど?」
 穏やかな医師は、緊張感のない様子でにっこりと応じる。これまでのやり取りを聞いていたが、気にする様子もない。不穏な言葉も飛び交っていたはずなのだが。
「わたしの友人だ。気にするな」
 弓削の考えを読んだように速水は言い、それから、困った顔になっている花音に目を戻した。
「どうするつもりだ」
「今日、彼が帰る前に出て行かないといけないので、職場には午後休む連絡を入れて、諸々片付けようかと」
「分かっているだろう。翔の意思じゃない。あいつが傷ついて怒り狂うぞ」
「でも、邪魔になっているのも、事実です。それに、今は安全も正直、確保したいです」
「そうだねー」
 気の抜けた声が割って入る。
「今回は、たまたま運良く大丈夫だったけど。次はどうなるか分からない。訴えたところで、簡単に自由になってしまえばかえって恨まれて危険になるかもしれない。そのままでも、相手が満足する結果になっていなければ、危ないことは続くね」
 顎を撫でていた手を止めて、名案とばかりに彼は弓削と速水に笑顔を向けた。
「入院の支度をしておいで。そこの人たちが手伝ってくれるから。すっかり片付けて、そこのむさくるしくておっかない顔のお兄さんにもう一度連れてきてもらってね」
「おい」
「速水は、彼女に手を貸してあげて。自分で行かなくてもいいよ」
「いや、話を大きくするよりは…相変わらずマイペースなやつだな」




 驚いた顔をしている花音を置き去りに、勝手に話がまとめられ。
 真っ先に花音がやったことは、速水に会社の住所を聞いて、翔宛にお金を送った。これで、このお金は会社に戻るだろう。何も書かずに、自分から翔あてだったことで、あれほどにいらないと言われた報酬を、しかも手渡しではなく送りつけてきたかと怒るだろう。
 そして、「隼人」を迎えに行き、「れん」の世話をし。手紙を書き。
 速水は、秘書に指示を出し、必要とあらば翔の足止めができるよう手を回し。
 翔とはちあわせることなく、隼人と一緒に病院に戻った。
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