君に何度でも恋をする

明日葉

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第2章 幕切れ

速水

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 ノックの音に返事をして顔を上げると、秘書に案内された浅井が入ってきた。来るだろう、と予想はしていたため、内線での面会の電話にすぐ応じた。
「失礼します」
 固い声で入ってきた浅井の顔を眺め、速水は来客用のテーブルに移る。浅井を招き入れた秘書はそのまま部屋の中に残った。
 浅井に椅子を勧め、無言で用件を促すと、予想どおり、険しい顔で言い募る。
「いつまで、あいつに黙っていればいいんですか。それにあの金。あれは昨日集めてあなたに渡したものですよね?それともまた彼女が用意したと?」
「金?」
 事務所の住所に翔宛で届いていたという札束を、高木が翔に手渡した。それを聞いて速水が僅かに眉を上げる。
「個人宛の郵便物を、そのマネージャーではなく、全く関係ない部署の人間が持っているというのも、問題だな」
「そうではなくて!」
 苛立つ浅井を眺め、速水はため息をついた。まあ、気が立つのは分かる。
「それは、彼女が翔宛に発送した。ここの住所は彼女に聞かれてわたしが教えた」
「なっ」
、翔と会社からの手切金だと、あれを渡されていたところだった。そんなものは受け取れないからと。…まあ、それをああして送りつければ翔は怒るかもしれないと言っていたな」
「…すごい剣幕で出て行きましたよ」
「今日、仕事は?」
「大丈夫です」
 淡々と応じる自分の態度に浅井が苛立っているのは分かる。だが、速水の方も腹が立っていた。表に出せば際限がなくなるのは目に見えているから抑えているだけだ。
「その反応を見る限り、まあ予想はしていたが翔が知っている話ではない。そして、会社も絡んでいない。だが、彼女が自分の懐を痛めてそんな金を出すはずもない」
「!」
 浅井が目を見開くのを眺め、速水はその目を秘書に向けた。
「仙崎、経理もリストに入れておいてくれ」
「はい」
 応じた秘書、仙崎の声にも怒りがこもっているのを聞き取って、思わず口元に笑みが浮かぶ。特段の事情を聞くまでもなく、自社タレントと一般人を引き合わせるような、そんなことをしてやろうと思う相手に、高木は手を出したのだ。怒りはもっともだろう。普段であれば、そんなことをするような人間ではない。どれだけ相手が特別な相手であっても、公私混同をするようなことのない彼がなぜ、と、事後報告を受けたときに問い詰めた。
 答えは至ってシンプルだった。
 あんなに追い詰められた顔の彼女を見たのは、以来だったから、と。ただし、名前を告げて翔が断れば会わせるつもりはなかった。翔の方も、会いたがったのだと。
「君の質問への答えだ。翔には一切告げるな。今後ずっとだ」
「なっ」
 飛び出して行った時の剣幕でも思い出したのか、浅井の顔色がサッと変わる。だが、速水はその決定を変える気はない。
「彼女の意思だ」
「二人のことです。それなのに、翔のことは無視して彼女の意思だけを通すのですか」
 もっともな反論。だが、速水は静かな目で浅井を見据える。
「それが決定だ。わたしがやることは、この会社の膿を出すこと。不服があるなら好きにするといい。それで君を罰することはしない」
「好きに?」
「昨日見たことを翔に伝えればいい。だが、どうやって君や翔が聞きにきても、彼女の居場所も様子も、教えない」
「なっ」
「例え彼が移籍すると脅しても、だ」
 2人に縁があれば、いずれまた顔を合わせることもあるだろう、とそう言いながら速水は立ち上がった。
「君の仕事は、翔のマネージャーだ。翔が仕事に支障が出ないように、配慮しろ」
 それを合図に、仙崎が浅井を促して部屋から出す。驚いた顔のまま出て行く浅井には申し訳なかったが、浅井は翔の味方でなければならない。

 浅井が来る前に座っていた副社長のデスクに戻り、夜中に花音の病院を離れてからずっと行っていた作業の続きに取り掛かる。
 あの録音を使って女2人をどうにかするのは花音に拒否された。だが、この会社自体の問題は早急に解決しなければ会社の信用問題にもなる。その結果、あの女たちが罰せられたとしても、それは花音は関係のないことだ。




「副社長、花音さんがもう待っていますよ」
 運転席からの声に速水は顔を上げ、外に目をやる。待ち合わせをしていた場所に、花音と隼人、それに土師と弓削が立っていた。
「すまない、遅くなったか」
 車が止まるのももどかしく、足早に近づきながら言えば、花音が苦笑いになった。
「速水さんまで来てくださらなくても良かったんですよ?お忙しいのに」
「大丈夫だ」
 応じながら、高台を吹き抜けて行く風を感じる。風にそよぐ木々の音が心地よい。
 花音は、速水の秘書が仙崎だから、そしてあの場所に居合わせたからずっと速水が手を貸していると信じて疑わない。髪型が変わるだけで、あるいはそれが一緒でも「その人がそこにいるわけがない」と思うだけで、同一人物だと分からなくなるくらいに人を見分けたり覚えたりするのが苦手だと、聞いてはいたけれど。
「花音さん、おまたせしました」
 後から来た仙崎に、花音が屈託のない顔を向ける。それが少し、いや、かなり仙崎には腹立たしい。
「仙崎さん、その呼び方」
「呼び捨てにしたり馴れ馴れしい話し方をしたりすると、副社長に後からお叱りを受けるんです」
 さらっと答えてばらしてしまう仙崎を苦々しく見つめる。
「速水さん、それは…仙崎さんは兄貴の友だちなのに」
 絶句する花音の後ろから代弁するように土師が言う。頃合いを見計らうように、花音が土師を速水たちに引き合わせてくれていた。ここに仙崎がいたこともあるだろう。
 気づけば、弓削がホームビデオを回している。あの時から、まるで癖のように気がつくと弓削がホームビデオでこのありふれた様子を撮影していて、時折不在の時に気が向いたら取っておけと言い置いて行く。職業病だと言われ、花音は諦めたように納得し、あのカメラが弓削さんの目だと思うようになったと笑っていたが。速水は、いつかその機会があれば、誰かに見せるつもりなのではないかと思っている。例えば、翔が再会することがあれば。
 あの後、翔が勝手に婚姻届を出していたことが分かり、なんとも言えない表情でしばらく花音はかたまり、考え込んでいた。
 そしてある日聞くと、離婚届を書いて、翔の住所に送ったと言う。
 これで、翔の弟妹とは結局連絡をとっているのだから不思議な関係だ。彼らが花音を探し当て、挙句に兄である翔にそれを告げていないことも呆れてしまうが。
「仙崎、好きに話せ。ここからは仕事じゃない」


 花音が綺麗なブルーと白の花束を抱えている。
 揃って向かうのは、隼人の父親の墓前。出産を控えて、その後は引っ越しをするため頻繁には来られなくなるからと。
 もともと、転職の話を進めていた花音は、次の4月からの採用が翔と離れた後に決まった。それは、実家の近くのため、地元に帰ることになる。子供もいるのだから実家に戻れば良いとの話もあったが、花音はそれを受け入れず、この後はこの顔ぶれで今の内にできる引っ越しをしてしまう。
「花音、仕事結局辞めてないんだろ?」
「辞めるって、ちゃんと言ったのよ。秋に。年末まで仕事に行って、そのあと有休消化して、なくなったら無職になりますって」
 ダメだと言われたのだと言う。妊婦だと伝えれば通っただろうに、それは言わなかった。好きなタイミングで休んでいいから、引き継ぎをしながら3月末まで在籍しろと言われたらしい。その言葉に甘え、出産前後は有給にするらしいが…それはだめだと思うと、ここにいる誰もが思っている。ただ、隼人を産んだ学生時代も似たような事をやったというから、おそろしい。しかも、不思議なくらいにお腹が目立つようにならないため、なぜか言われなければ周囲には分からないというのも困った話だと速水はため息をつく。
 墓前に花を添え、花音がその前に膝をついた。手を合わせるでもなく、墓石の少し上の空を眺めるようにして、そして、ふっと笑った。
「土師さん、仕事変わるから、地元に帰るよ。でも、この近くからも通えないわけじゃないから。落ち着いたらまた、ちょくちょくここに来られるように、引っ越してきたいな。…ねえ、土師さん」
 柔らかく話しかける花音の声を、揃って聞いている。隼人は、花音の隣にやはり無造作に座っていた。こうやって、家族で過ごしているような風に、いつもここに来ているのだなと分かる。
「秋に、おじいちゃんが死んじゃったの。そっちで会ったら、よろしくね?…土師さん、叱られてるかなぁ。叱られたら…まあ、諦めて」
「おいっ」
 最後の言葉に土師が苦笑いで突っ込んだ。







 花音の地元。
 借りる部屋の保証人には速水がなった。他のものもなると言ったのだが、社会的地位が一番あるのは自分だと言えば彼らは引き下がるしかない。関係を考えればオレだろう、と、土師はぶつぶつと言っていたけれど。
 引っ越し作業には、花音の幼なじみも来ていた。
「…花音の周り、顔面偏差値たかっ」
「さえちゃん!」
 顔を見るなり、花音にこそっと言った声は丸聞こえだ。
「確かにこれだけいれば、男ではいらないねー。みんな心配してたけど」
 笑いながら咲恵は隼人の頭をくりくりと撫でる。
「優美香が女手だけいるなら行こうかって言ってたけど、呼ばれたのわたしだからって断ってきちゃったよ。イケメンがいたよって言ったら文句言われそう」
 咲絵の口からさらっと出てきた名前に速水は目をみはるが、花音は素知らぬ顔で、それでいいよ、とうなずいている。地元の友達、ということはそういうことなのか、とため息をつく。それに気づかずに、咲絵が怒ったように花音を睨んでいた。
「別にいいんだけどさ。花音が怒らないから、わたしまで怒れない」
「怒っても、どうにもならないでしょ、それ。それをわたしに怒らないでよ」
 目を逸らして居心地悪そうにする花音を見ながら、生まれた時からの幼馴染みだという彼女は、速水たちに改めて目を向けた。
「頑固なこの人に付き合ってくれてありがとうございます。こっちに帰ってきたら、わたしたちもいるので」
「わたしたち?」
「今日は来ていないけど、地元の仲間内では花音にみんな甘いから…大丈夫です」
「甘い…それは大丈夫なのか」
 思わず呟いた弓削の言葉は、速水も内心で呟く。しかも、その中にはあの女もいるのか、と。



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