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明日葉

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つらい思いをしないといいなぁ

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 人懐っこいのか、物珍しいのか。
 常磐は僕の隣に座ってにこにこと興味津々の笑顔を向けてくる。どう、扱えばいいのか。
 僕のことを、どう話しているのか。どういう立ち位置に居させてくれるのか。小さな子供よりもよほど挙動不審になって、緊張してぎくしゃくと動く僕を挟んで、藍沢が不満げに気安く常磐に声をかける。
「なんだ、そこなのか?」
「おかあさんのおともだちと、なかよくなるの」
「…誰に似たらこんな、人懐っこいコミュニケーションおばけになるんだろう」
 お前だろう、と思わず言いそうになるけれど、そんな気安い言葉は見上げる常磐の視線に負けて飲み込んでしまう。まずは、僕と常盤の距離を心算させてほしい。
 救いを求めるように橙子を見ると、くすくすと笑う彼女の顔は、あんなことを言っているけれど常盤と瓜二つで、間違いなく彼女が育てて、彼女の表情を見てこの子が育ってきているのを感じさせる。
「黒パパは?」
「今日はお仕事だよ。黒パパいないけど、俺がいるだろ?」
 緋榁の長男、光基みつきという名だから、みつ君、なのだという。彼はその年頃の少年らしいぶっきらぼうさに優しさを滲ませて答えると、立ち上がって勝手知ったる様子でキッチンに立つ。手慣れたもので、手際良くお茶を用意してそれぞれの前に並べた。常磐がみんなと同じものになるように、揃って冷たい麦茶だ。市販のものではなく、豆から煮出したものだと香りでわかる。現金なもので、橙子の家で出てくるものに何の抵抗もない。
 それを一瞥した光基は少し皮肉に口元を歪めた。
「そうやって、この人だけは特別、みたいにして見せて、情に訴えてんの?随分虫のいい話だな」
 想定はしていたけれど、良く思われてはいない。当たり前だろう。むしろ、ずっと橙子や常盤と関わってきていた藍沢や五十里、緋榁の僕への態度が良すぎるのだ。
 だが、自嘲的に目を逸らす前に橙子がそんな雰囲気をぶち壊した。
「何言ってるの、みつ君。みつ君だってわたしがそんなに甘くないの知ってるくせに。そんなことじゃ特に相手が蒼じゃわたしも今更絆されないし、そんな必要もないよ」
「橙子さん…」
 潔すぎてこちらが女々しく思えてくる。
 そんな橙子の様子は変わらなくて、そんな立場じゃないのに笑えてしまう。
 そんな僕のかすかに浮かんだ笑顔に、常盤が反応した。
「おかあさん、わらったよ」
「笑ったね、よかったね」
「うんっ。みつ君、いじめちゃ、めっ」
「俺かよ」
 腐ったようにぼやく少年は、口調のわりに不貞腐れた様子もなく、楽しげで、彼らが共有する僕が存在しない時間にモヤモヤする。そんな立場じゃないのに。
 そんな思いを読んだかのように、手が伸びてきて額を叩かれた。遠慮ないその仕草は橙子で、呆れたような、怒ったような顔をしてる。
「あのね、くだらない遠慮とか、理屈とか、余分なものを持ち込むなら今日こうしている意味がないんだからね?」
「あ…」
 あ、じゃない。
 と、橙子は怒った顔をする。
「蒼は、ずっと変わってない。そういうとこ」
「…」
 思わず俯くと、だから、と焦ったそうに言われる。
「言い返していいんだよ。対等な立場でここにいるんだから。確かに、今の蒼にとってはアウェイで、わたしの味方ばかりに見えてるんだろうけど、実際は違うんだからね」
「は」
「今もこうやってわたしがプリプリしている間にうちの天使はどんどん蒼の見方に傾いてくし。だからちゃんと言い返してくれないとフェアじゃない。それに、藍沢先生は、蒼寄りの中立だし」
「なんで」
「それはまた、おいおい」
 お前も、わかってるんだからその、怒りっぽいの直せよな、と笑いながら藍沢に窘められた橙子は、言葉の通り先ほどの光基のように常磐に叱られている。
 思うようにしていいんだ、と思いながら、先ほど、変わらない、と言った橙子の声が耳に残る。
 家族に、自分の性癖を話した時。僕は自分が悪いことをしているようで、ただただ申し訳なくて、何の言葉も持ち合わせていなかった。その時、橙子は何もそんな僕のことを言わなかったけれど、焦ったい思いをしていたのは感じていた。
 言われてみれば、あの時と同じ。なんでも言われるまま受け入れますという態度で、自分からは何も動いていない。自分の意思を伝えてすらいない。


「あの時」
「?」
 橙子の声に顔をあげると、困ったかおで笑っていた。
「いいも悪いもなくて、この子はもう、1人で随分悩んで苦しんで、それで受け入れたものは、いいとか悪いとかで答えるようなものではなくて。ただ、この子がつらい思いをしないといいなぁと、ぼんやりそう思ったんだけど、それをうまく言葉にできなくて、黙っていたんだって。蒼のお父さん」
 思わず、ぽかん、としてしまった。
 あの父が、そんなことを思っていたことも意外だった。他の、ゲイの知人には家族から縁を切られたり、いまだにカミングアウトしていなかったりと、家族だからこそ難しいところがある。父は何も言わなかったし、縁を切られもしなかったけれど、そんなことを思っていたのか、と意外な思いしかない。
「いつ、そんな話を」
「いつだったかなぁ。まだ、地元にいた頃だよ。で。常盤が生まれて、その気持ちが自分のものとして、すとん、と胸におさまったの」
「なんで」
「どう言ったって、なんだって、誰かが悪意で伝えたら、常磐は特殊な生まれの子だよ。それはもう、否定しても抗っても仕方ないくらいに事実だから。でも、わたしにとっては常磐はつらいことなんてかけらもない、幸せしかない存在だから、それを目一杯伝え続けて、常盤がつらい思いをしないといいなぁ、って思うの」
 だから、好きなように関わっていいよ、と橙子は笑う。
 それを制限した時点で、それを悪いことだと、良くないことだと感じさせてしまうから。そう考えていると自分が感じてしまうから、と。





 父が、僕に対して、僕が抱えた現実に対して抱いた感想。
 それは確かに、嫌というほど、今、僕も感じる。常盤が、自分の存在を自分で否定しなければならないような感情に飲まれないでほしい。


「常盤君、君のお父さんは?」
 あまりにも不躾だと、自分でも思う。
 でも、もう、どんなふうに話を組み立てればいいのかなんて、頭が働かない。彼が、どんなふうにそれを聞かされているのか。


「おとうさんは、いっしょにいないけど、いるよ。でも、あったことないんだ」

 少し、しょんぼりする幼い顔に、橙子の許可を、なんて、頭をかすめもしなかった。




「僕を、お父さん、て呼ぶのは、嫌かな?」




 じっと、見上げられた。


 そんな僕と常磐を、にこにこと橙子が眺めている視線を感じるけど、目が逸らせない。


 橙子との関係とか、そういうのはあとの話で。
 橙子は橙子、常盤は常盤で。こういうのが、本能なんだろうか。譲れない、と思ったんだ。




 思ったよりもずっしりと感じる、それでも小さな重みが膝に乗って、近くに寄った顔が、笑った。


「いいよ。おかあさんが、いいっていったら」



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