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しおりを挟む月末月初は仕事が忙しくなる凪瑚の生活スタイルにも琥太狼が慣れてきて、繁忙期であってもなんとか時間を作って子供達の面倒を見る生活をやめた頃。
繁忙期に時間をやりくりするのは大変だったけれど、その仕事のペースに慣れてしまうと結果的に全体的に残業も減って、繁忙期も以前ほどの遅い時間までかかることは無くなった。仕事量が減っているわけではないから、同僚たちは呆れていたけれど。
そんな頃、ようやく、データができたと琥太狼が凪瑚に連絡をよこした。基本的に毎週末会っていて、平日も時間が合えば食事などはしていて。そのついでに言われるかと思っていた凪瑚は、わざわざ連絡をくれたことに少し驚きながら、それでも胸がざわざわする。
紬とのやり取り。紬がいなくなった後、自分の感情が揺さぶられるのが怖くて、画面を開くこともできないくせに、それを失うのも怖くて、交換時期を過ぎたようなスマホをずっと使い続けていた。
どう、返事をしよう。
そんな逡巡を見透かすように、続けてメッセージが届く。
週末だし、会社の前まで迎えにいくよ。
やりとりを全て目にしているだろうに、琥太狼はそれについて何も触れてこなかった。聞きたいことや、言いたいことはあったろうに。
さりげなく、いつもいつも、琥太狼は優しい。
ありがとう。19時には終わらせるように頑張ります
返事を打って、すぐに返ってきた言葉に、自然と顔が緩んだ。
敬語(笑)
文字のやりとりだと、敬語が増える。それでも、癖みたいなもんだねと笑いながらも突っ込んでくる琥太狼のおかげで、だいぶ減ったと思うのだけれど。
「羽佐美、もう終わったの?」
「今日中の分は終わりましたよ。お先失礼します」
「あ、薄情者。俺の見積もりやってけ」
すれ違いざまに営業の先輩に揶揄われて、凪瑚は笑って手を振る。このやろ、と揶揄う人に、あ、と思い出して足を止める。
「小林さん、残ってます?」
「うん?あいつは今日は直帰だな」
ボードを確認して教えてもらうと、じゃあいいです、と凪瑚は頷く。週末だし、Hyggeにでも行っているのかもしれない。最近、あのバーにも足を運んでいないから、ふと行きたくなった。なんだか居心地の良い不思議な空間。きっと薫音の雰囲気なのだろう。
「なんだよ、小林だったら手伝った?」
「そんな区別はしませんよ。頼まれていた原価表できたので机に置いておいたんですけど。まあ、週明けにまた確認します」
「そうしろそうしろ」
薄情者、と言ったわりに、仕事の話をする凪瑚に苦笑いして先輩は追い払う仕草をする。忙殺されることも多いような仕事量を抱えることもあるけれど、可愛がってくれる人も多いから苦にならないで続けているのだと思っている。
あの、あんなことがあっても、戻ってきて居心地が悪い、と感じたことはほとんどなかった。警察を連れて乗り込んでこられたあの日は、周囲の受け取り方や対応が違えば最悪の日だったはずなのに。
そんなことを思いながらビルを出ると、広い歩道を挟んで街路樹の下に、背の高いシルエットがある。その立ち姿だけで遠目にもすぐ琥太狼だとわかる。行きすぎる人が振り返るのを眺めて、本当に、人目を引く人だなぁ、と小さく笑いが浮かぶ。
すぐに気づいた様子で、人並みを縫って大股に歩み寄ってくる姿は、颯爽としていて姿勢がいい。
などと感慨に浸っていると、あまりに自然な流れで肩を抱き寄せられた。そのままこめかみに唇があたり、凪瑚は完全に固まる。
外国暮らしが長かったから、を免罪符のように使ってこう言うことをちょいちょい仕掛けてくるのだが、完全に面白がられているとしか思えない。むくれる凪瑚に、面白がるように顔を覗き込んで琥太狼は当たり前のように指を絡めて手を繋いだ。
「お疲れ様。おかえり」
「……ただいま」
言いたいことはいろいろあるけれど、と思うのに。どれもこれも何度も言った言葉ばかりで、結果飲み込んでしまい、出てくるのはそんな言葉で。負けた、とため息をつく頃には凪瑚の表情も緩んでいた。
慣らされた、と言うべきなのか、開き直った、と言うべきなのか。
甘えるように琥太狼の引き締まった腕に額をすり寄せて、凪瑚は琥太狼の顔を見上げる。身長差のせいで媚びるのではなく自然と上目遣いになる楽しげな表情に、琥太狼はぐ、と衝動を飲み込み、涼しい顔でどうしたの、と言うような視線を向ける。
「会社の前にお迎えって、なんか恥ずかしいね。照れるね」
「…照れて饒舌だな、凪瑚」
「照れるんだよ、照れてるんだよ、って言わないと、琥太狼くんわからないんだもん」
「わかったところで、照れてるの可愛いからまたやってやろうとしか思わないよ?」
「な…」
絶句した凪瑚は、それは結果、ご褒美なんだけど、と頭に浮かんでフルフルと頭を振る。照れている、のは嬉しい、が根底にあるからだと言う自覚はある。
「いつか負かすから」
「いつも負けてるんだけどなぁ」
わかってないな、と苦笑いして、琥太狼はため息をつく。何を言っても何をしても、凪瑚にかなうはずがないのだ。と言うのに。
「凪瑚、ご飯は?」
「まだ」
「何か食ってく?うちで食べる?」
「ラーメン食べたい」
「了解」
ふは、と笑って琥太狼は凪瑚の手を握りなおす。小洒落た店や、凝った料理を出す店にあえて行くことはしない。気楽に行ける場所の方が、凪瑚も琥太狼も好きだった。
小さな定食屋やカウンターだけのラーメン屋などに琥太狼がいると違和感がすごい、と凪瑚は未だに毎回くすくす笑っているけれど。その楽しげな様子も琥太狼にとっては、食事が美味しくなるスパイスでしかない。
「飯食ったら、うちで一緒に見ような?」
「…1人で、見るよ?」
「お前、しまい込みそうだから。それに、加瀬さんじゃないけど、凪瑚の反応見てから渡すか決める。反応次第では、編集変えたいし」
「いいのに。やりとりの記録が残ればいいんだもん」
「見てから言えよ。記録だけのやつは、いつでも渡すから」
「ん」
小さく頷く様子が、小さな子供のように不安そうで、琥太狼は握っている手に力を込める。仕方のないやつ。
でも、やりとりをずっと追っていた琥太狼には、それも仕方ないんだろうと思えてしまう。失うには、大きすぎる存在。一瞬、琥太狼と接触を持っただけの人ではない、凪瑚と多くの時間を重ねていた人。
ラーメン屋に入り、琥太狼は醤油ラーメンを、凪瑚は塩ラーメンを。2人で1枚の餃子をシェアして、琥太狼が頼んだチャーハンを数口、凪瑚がつまみ食いして。
2人で琥太狼の家に帰り、先に風呂を済ませる。
凪瑚が入っている間に準備をしながら、琥太狼は部屋を見回す。
何度来ても、泊まっても、凪瑚はここに自分のものを置いて行かない。おこうとしない。自分の痕跡を残さないように。ある日突然、来なくなってもこの家に凪瑚のものは何も残らない。置いていいのに。琥太狼の生活を侵さないようにしている。琥太狼はそれを望んでいるのに。
凪瑚に任せておくといい加減な、凪瑚の肌の手入れを琥太狼がする。化粧水を琥太狼の掌で温めてから凪瑚の顔にあて、その後もしっかりと念入りに。そうしてから凪瑚の髪をドライヤーで乾かして、そのまま、しっかりと膝の間に抱え込んだ。
大きなテレビの前。
腕の中の凪瑚が緊張している。触れ合っているからではない緊張に、宥めるように琥太狼は腕を撫でてやりながら、機械を操作した。
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