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3 森でした
5日目
しおりを挟むノインは、正直ここ数日、散々だった。
あの偉そうなエルフよりも先に自分が見つけた娘を取り上げられた。栞里はこの期に及んで信じないだろうとノインでも残念ながら予想がついてしまうが、最上位にいる妖魔の1人なのだ。ただ、だからこそこの森との相性は悪い。下等な妖魔であれば近づいた瞬間に滅ぶだろうが、そこで動き続けられるのは、妖魔もまた認められればこの森に入ることも住むこともかなうことの証明なのかもしれないが。
とにかく、なんとも性に合わない空気に侵されていくのを阻むために体を小さくし続けたことがいけないのか。完全に栞里には小狐だと思われている。しかも、エルフの方はこちらの正体を正確に理解しているから、近づけないようにされた。
ただ、その間に栞里がなぜここにいるのか。そしてあの森の獅子どもがどうしているかと探りを入れ、嫌な予感に襲われて3日目の未明に忍び込んだが。返り討ちにあった。
ただ、確実に獅子は栞里を狙っている。エルフの言うとおり、境界に近づかずエルフから離れなければ危険はないだろうが、胸騒ぎが止まない。
忍び込んだときのエルフの様子は実に鼻持ちならなかった。余計なことを栞里に話したと、やつも余計なことを吹き込んでくれたが。
かつてはそのようなこともあったが、エルフに討伐依頼があったのなど、100年以上前の話だ。それも、こちらとて故あって暴れた結果のこと。一方的に言われるのは釈然としない。
その時は痛み分けとなったが、結果、しばらく力を溜めるために籠っている間に、世界の様相は変わっていた。狼が治め、統率が取れていたはずの獣人は獅子族にとって変わられ、だが統率はできずに狼の名の下に治め続けると言う事態になっており、人族の勢力は増していた。他の種族の住む場所が減り、さらに秘境に潜り込んだともいえる。
そうして、栞里が来て5日目。
なんと言ったのか知らないが、朝から呼ばれて栞里に抱き上げられた。いずれ、本来の姿になったら覚悟しろと思うが、撫でる手の心地よさにそれを忘れそうになる時があるから危ない。
ノインは、そんなことを思いながら、自分を膝に乗せている栞里を見上げる。
花の精のフローに髪を結われ、小さな花を散らされていく。後で止めるワンピースを着た栞里は、ノインであれば、そのまま誰の目にも触れないようにしたくなる仕上がりだった。
同じことを思ったのか、着替えの間は追い出されていたエルフはその姿を眺めて腹立たしいほどに甘ったるい笑顔になる。人族を毛嫌いしていたはずではないのかと言ってやりたいが、そのまま我が身に返ってくる言葉は口にしない。
「似合うぞ」
気障にも、頬に手を伸ばしたと思えば身をかがめて頬にキスをしたエルフに、栞里が目を白黒させている。そのまま軽く舐められて、逃げ場を求めるように胸に抱え込んだノインを抱く力が強くなった。
やめろ、と口を開く前に、栞里が後退りする。
ふと見れば、そんな初心な反応がよほど気に入ったのか、エルフが破顔している。
「はっ」
声を出して笑うなどあるのかと驚く間に、栞里の機嫌を損ねたらしい。
「ルーシェの意地悪!からかって!お昼まで絶交なんだからっ」
ゼッコウってなんだ、と首を傾げるノインは、追いかけてくるエルフの声を聞く。どうやらこのまま連れて行かれるらしい。
「こらっ。離れるなと」
「ノインがいるもん!」
飛び出した栞里が歩いている顔を腕の中から見上げ、落ち着いてきた頃合いを見計らって問いかける。
「ゼッコウとはなんだ」
「縁を切るってこと」
「昼まで限定で?」
「言わないで。我ながらなんて、子供じみた…」
どこの子供だと言いたくなるような悪態だ。自分の言動を思い返して悶絶しているのを呆れた思いで見上げながら、ふとノインは気付く。
この方向に歩いていくのは危ない。いや、もう…。気付くのが遅れたというよりも、何かに引き寄せられたとしか思えない。距離感がおかしい。栞里の足でこんなに短時間で。
「シオリ、戻れ。この先はっ」
「いたぞ!!」
重なる大音声に栞里の肩が震えた。
そちらに目を向けると、大柄な青年が4人。1人はこちらに背を向けている。向こう側の3人…2人かもしれない、と揉めているように見える。というのも、こちらを向いている1人、ミルクティ色の髪をした優しげな青年は距離を置いているように見えた。そして、こちらを向いた目が残念そうに逸らされる。
「どけっ」
一際大柄な青年が、背を向けている青年に怒鳴った。だが、怯む様子は背中からは窺えない。栞里は息を詰めて見守る。さっさと離れろ、とノインが言う声も聞こえない。腕の中で暴れ、栞里を引きずろうとするのに逆らうように。いや。地面に足が縫い付けられたように。
すぐそばにある泉の湧く音が聞こえるくらいに音ばかりが入り込んでくる。
「やめろ。力づくでなんて、あんな小さな人族を壊す気かっ」
「狼の匂いのする人族など、壊れたところで自業自得。それまでの間に少しでも聞き出せれば良いのだ。我々が見失った後の狼を知っているはずなのだ」
そんな、こちらに聞こえるようなやり取りの向こうで、穏やかな声が宥めに入る。
「やめろ。これまで自分はどれほど傷を負っても奪われても臣下の礼を崩さなかった公爵も、あの娘に何かあれば牙を剥くぞ」
ミルクティ色の青年だけがそこでは異質。
背中を向ける誰かより、その青年だけが栞里の意識にとどまる。
だが、それを疑問に思う時間は与えられなかった。
聴き慣れない金属音に目を向けると、大振りの剣を抜いた2人の青年が、背中を向ける1人を力づくで排除しようとしている。
その、背中のあるそこが境界のちょうど外側。それに栞里は気づけない。
実際のところ、栞里はこの辺りまでしか覚えていない。
ノインは、なぜか自分の声が届かない様子に地団駄を踏む。何かが邪魔をしているように思えてならない。
あんな茶番に騙されそうで危うくて。そう思っていれば、背を向ける獅子に斬りかかる様子を見て、栞里が身を乗り出した。
境界を越えてくれなくては、奴らは手を出すことができない。
庇おうとしたのか、指先が向こう側に出た瞬間、背を向けていたはずの獅子が力づくで栞里を引き摺り出した。
すぐさまノインも飛び出す。姿を変え、栞里を奪い取るように抱き抱えると、もう一つ伸びてきた手に目を向けた。1人、本気で止めようとしていた獅子が、やはり栞里に危害を加えさせまいとするように間に体を割り入れていた。
「貴様っっ」
裏切りに歯軋りをする兄弟に静かな目を向けている。
「たった今、善意を向けた相手になぜ牙を剥けるんだ」
呆れた声に兄弟3人はだからお前は甘いのだと剣を突く。
背後は境界。一度出て仕舞えばノインも、そしてもちろんこの獅子も、入れない。突き崩せない壁を背にして取り囲まれている状況。
しかも、あろうことか栞里を狙ってくる剣先にノインは妖術を使うことを思いつかず、体を割り込ませてしまう。
あの姿で過ごし、安穏と数日いただけで、勘が鈍ったのか。違う。頭が、沸騰していたのだ。愚かなことをした栞里に。そして、傷つけられそうだと言う目の前のことに。
不意に、背にしていた壁がなくなる感覚にバランスを崩した。同時に、痛みよりも熱さが顔の左半分に走る。それでも話さなかったはずの栞里の体が、何かに奪われる感覚に思わずその熱も忘れて目を向ければ、栞里の体が泉に落ちいく。
そして、すぐ近くに、やはり目を見開くあの、エルフ。追いかけてきていたのか、と。
だが、あの距離では引き入れたのはあれではない。なぜ、入れたのか。自分も、そして同じように落ちていく栞里に手を伸ばすこの獅子も。獅子の腹から血が吹き出している。
なぜか、諦めたような目で、エルフが栞里に声をかけていた。
「また、来るんだ」
聞いて、ノインは悟る。もう、帰ってしまうのか、と。
現れた時と同じように消えてしまった娘を探すように泉を見つめていると、迷惑そうな声が降ってきた。
向こう側の獅子たちはいつの間にかいない。どうせ、このエルフが何かをやったのだろう。
「獅子族、お前、計算づくではないだろうな」
「何がだ」
「ふん」
ルーシェは鼻を鳴らす。それが計算であれば、ここにいるわけもないと知りながら念を押さずにはいられなかった。
「ここの住人のために血を流すとはな…。妖魔と獅子族1匹ずつ、自由に出入りできるようになるとは。迷惑な話だ」
言いながら、ものすごく手荒に適当に、泉の水を2人にばしゃばしゃとかける。
「何をするっ」
文句を言うが、返事もない。
ただ、水を拭うと、ノインの顔を伝っていたはずの血が止まっている。獅子の腹の血も。ただ、獅子の傷が残ってるのを見れば、自分の顔も同じだろうとはわかる。
獅子が、痛ましげにこちらを見ていた。
「お前、左目が」
ああ、目をやられたのか、と思う。だが、右目を閉じても見える。視力を失ったわけではないようだ。それに。
「あの小娘がバカなことを仕出かすから」
この代償は、きっちりあいつからもらう。そう決めた。
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