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 夜会の身支度を、とアリア様に呼ばれた。自分の屋敷で使い回しのドレスのつもりでいたのだけれど、どちらにせよアリア様からの誘いを断れる立場にはない。
 お風呂は、なんとか1人で入らせてもらえたけれど、そこから先はだめだった。抵抗しちゃだめよ、とアリア様にやんわりと窘められ、しかも同じ空間での身支度となれば逃げ場はない。用意されているドレスを見て息を飲んだ。とても、手が出るようなドレスではない。
「あの…」
「あなたに、それを着て欲しいんですって」
「は…?」
 思わず聞き返すと、楽しげにアリア様は笑っている。その間にも髪の手入れをされている。正直、非常に気持ちが良い。別に、着飾るのが嫌いなわけではない。我が家の財政状況ではままならない上に、似合わないと自覚していたから使い回しも気にならなかった。
「殿下からのプレゼントよ」
「なっ」
 何をおっしゃっているんですか、と思わず食ってかかってしまう。婚約者が他の女性にドレスを贈る、その仲介をするってどう言うこと、と。なのに、アリア様は楽しげに笑っているし、自分たちの主人がそのような扱いを受けているのに公爵家の使用人たちも微笑ましげにしながらわたしの身支度にまで入念なのだ。
「わたくしも、見たいですし。それにね、カタリナ」
 にっこりと、逆らえない美しい笑顔から目が離せない。
「夜会で着飾るのは女が武装していると言うことなの。今夜はあなた、ちゃんと武装しないと、だめよ」
「今夜は、って」
 何かあるのですか、と続けてもアリア様はにっこりと笑う。
「安心して。殿下個人からだと、面倒だもの。リード様やわたくし、その他あなたも知っている殿下の側近からの連名よ」
「なおさら大袈裟ですっ」
「それにしても」
 ふと伸びてきたアリア様の手が鎖骨に触れる。不意打ちに思わず肩が跳ねた。
「つくづく、綺麗な体ね。コルセットの必要がないドレスにして正解だわ」
 コルセットは苦手だからありがたいのですが、そこじゃなくて、と落ち着かないでいるのに、指先が動いて、そのまま二の腕を撫でられた。
「わたくしは役得、殿下たちは、ざまあみろ、ですわ」
 にっこりと笑みを深めたアリア様が何を考えているのか、さっぱり分かりません。



 兄が迎えにくるのだとばかり思っていたら、そのまま公爵家の馬車で王宮に向かうと言われた。馬車の中でもアリア様は楽しげで。ただ、到着する少し前に、ふとまっすぐに見つめられる。
「カタリナ、今日の夜会には聖女も出席するわ。近づいてはだめよ?あと、1人にはならないこと」
「…近づく用事もありませんし大丈夫ですよ」
 1人には、なるだろうな、と思う。エスコートは兄だし、彼は忙しい。まあ、おそらくいるだろうアルフを見つけて、アルフが暇そうだったら一緒に話してお茶を濁すつもりではいるけれど。
 到着した馬車から先に降りて、つい、アリア様に手を差し伸べる。
「あら」
 と、楽しげに目を細めたアリア様のほっそりとした手を取って馬車から降りるのを手伝いながら、これがやっぱりご令嬢だよな、と思って、ハッとした。
 肩を震わせて笑っている殿下と、目を覆って天を仰いでいる兄がすぐ背後にいて、やってしまったことに気付いた。
「カティア、君は今日はエスコートされる側だ。殿下に対しても失礼だろう」
「あら、わたくしは殿下よりカタリナの方が嬉しいですわよ」
 にこやかに微笑みながら、まだ笑いがおさまらない様子の殿下が差し伸べた手に手を添えてカタリナ様は兄をいなしてしまう。まったく、と苦虫を盛大に噛み潰したらしき兄の顔を見上げて、さすがに目を逸らした。
 その視線の先に、凍りつく。ちょうど、到着したらしき馬車から降りてきて、手を差し伸べているのはリアム。降りてきたのは、噂のご令嬢。気づかれる前に、ちょうど兄に促されて会場に足を向ける。頭の上から、兄のため息が降ってきて、まだお小言が続くのかと身構えたのだけれど。
「あいつは本当に、何をやっているんだ」
 低い呟きの意味が読み取れずに、首を傾げてしまう。視線に気づいた兄は、ようやく、柔らかい笑みを向けてくれた。
「カティア、ここは騎士団と違って心得違いの令息も多い。だからといって、やりすぎるんじゃないよ?」
「やり過ぎなければ、いいのね?」
「呼んでくれれば、それに越したことはないんだけどな」
 無理な注文だとわかっていて口にする兄を笑って見上げ、久しぶりに、肩にこめかみを乗せて甘えた。騎士団の中では幹部と見習いでこんなことは考えもしない。
 ふと、視線を感じて周囲を見回してみたけれど、こちらを見ている人は、見つけられなかった。ただ、また、リアムが親しげに小柄な令嬢をエスコートしているのを見てしまっただけ。



 そうして夜会の会場に入るなり、目を引く一団に気付く。華やかな夜会会場の中。やけに目立つ笑い声に目を向けると、複数の令息と談笑、と言うにはやや声高に過ごしている同じ年頃の令嬢がいる。視線に気づいた兄が、そこから離れるように促しながら耳打ちした。
「あれが聖女だよ。取り巻きにも気をつけるんだ。お前の相手になるほどの腕っ節もないが、数はいるから厄介だ」
「?聖女様の信奉者なのよね?気をつける意味があるの?」
「…お前は本当に」
 なぜか頭を抱えてしまう兄を見上げながら、ただただ、首を傾げた。





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