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しおりを挟む「ふっ……」
声を飲み込む気配に、ムッとして目を向ける。少し肩を震わせているのはアメリアだ。あのお嬢様が、笑いを堪えている様子というのはなかなか、想像もつかなかったが、原因が自分となるとそれを珍しがって面白がる気分にもなれない。
「アメリア様、まだ笑っているんですか」
「だって」
追っ手の心配などをして、強行軍とか、夜間の移動とか、馬とかで一気に走るとか、そういう可能性も考えていたのだけれど、ヴィクターがはっきり明言してくれたおかげで、堂々と馬車で日中移動している。馬で、と言われたら正直、誰か一緒に乗ってくださいとお願いするところだった。
教わり始めてはいたけれど、手綱を引いてもらいながらのゆったりした速さがやっとだ。
しっかりと途中の宿も手配されての辺境伯領への移動は快適そのものだった。フォスは、自分が乗せていけばすぐなのに、と不服そうに鼻を鳴らしていたけれど。いつの間にか、フォスや竜の言葉がわかるようになっていた。タイと契約をしたから、なのかもしれない。
そして、肩を震わせてアメリアが笑いを堪えているのはそんな移動の馬車の中だ。
「あのお兄様が押し切られるというのは、なかなか見る機会はないわ」
「アメリア様が笑いを堪えきれずに肩を震わせる様子も、なかなか見られるものではないと思うのですが?」
「そうね。私は王太子の婚約者ですもの」
そう、努力してきた人だ。王太子妃に求められる資質を備えられるよう、日々努力を重ねてきた人。きっとこんなふうに、よく笑う屈託のない一面が本来の姿に近いのかもしれない。一見きつくも映る美しい外見は、そんなふうに朗らかにしているととても明るく、そしてなんだか包容力を感じる安心感もある。
ただ。
アメリアが思い返しては笑っているのは、出がけのヴィクターとのやりとりだ。
ヴィクターはわたしたちが辺境伯領に発つのを確認してから登城し、聖女の旅の護衛をすると言っていた。が、危ないのはヴィクターの方だ。
絶対に見送る。なんなら王城での出立の式典に立ち会って見送る。何かあったら消息をたった場所まで行って、そこから辿って絶対探すとここは譲らないでいた、そのやり取りを笑っているのだ。
刷り込み、のようなものだと思う。
この世界に来て、助けてもらって。ずっとよくしてもらっていた。ヴィクターにだけではないけれど、他の人たちとこうして関わることも、ヴィクターの庇護があったから可能になったことでもある。
この間の不可抗力で囚われ、離れ離れになっていた期間も心細さはあったけれど、あの時はヴィクターが助けてくれるという、どこからその自信が来るのかと言いたくなるような信頼感があった。
今度は違う。ヴィクターの方が危ない場所に行くのだ。だから、怖い。
そして、聖女が一緒だということ。
彼女は、わたしの大事なものをとるから。
いや、違う。あとで人から聞いた話。とられたことがあるのは、邪魔されたことがあるのは、わたしだけではなかったらしい。ただそれでも、その記憶は消えない。名前を聞くと、顔を見ると、治ったと思ったそれはただ瘡蓋を被っていただけで、あっさりと剥がれてヒリヒリと痛むやわい場所を曝け出す。
無邪気な顔をして。何も意図してないような顔で。自分が1人にならないために、誰かを弾き出す人。それを指摘すれば、そんなことを言う方がおかしい、悪いと周囲の同情を得るように振る舞える人。
それじゃあ、危険を心配しているのではなく、自分勝手に、自分が安心できる場所を取られないか心配しているだけじゃないかと。そう思うのに。
怖いのだ。
「今さら、だが」
同じ馬車で移動するレイ殿下が何度目かのわたしとアメリアのやり取りに初めて割って入った。
「竜騎士であるヴィクターにあれだけ近づけているのだから聞くのもおかしいかと思っていたが、トワとヴィクターは婚約者なのか?」
????
なんだか、色々すっ飛ばしました?
せめて、恋仲なのか、とか聞かれるのかと身構えたところを、あっさりと飛び越えたところを聞かれてポカンとしてしまった。
この広い馬車の中にはこの3人で乗っている。セージ先生とブレイクは騎馬で、エリンは御者台にいる。
ただ、なぜかアメリアは平然と、それに小首を傾げている。本来はこちらが婚約者同士だったはずと思えば、その方がアメリアにはよほど良かったのではないかと思う。ただ、番、という関係の相手がレイ殿下に現れる未来を考えると、この程よい関係がちょうど良いのかもしれない。
「兄は竜騎士ですから、あそこまで近づく相手はそれ以外はないと家族も思って参りましたが。トワは全く異なる文化で育っています。こちらの常識を押し付けることはできないですわ」
貴族らしい、ちょっと持って回った言い方だけど。なんとなく不本意なことを言われている気はする。
「アンフィス家としては、いつでもというところか」
「お兄様、安全な場所におきたいのもあったでしょうが、外堀を埋めにかかっていると思います」
「ああ、あんなに過保護な竜騎士隊長は初めて見た。目を疑ったぞ」
「見慣れましたわ」
「あの?」
なんだ、と言わんばかりの目を同時に向けられて一瞬怯む。
「確かにお世話になっているので、わたしも距離感がおかしくなっていますが、刷り込み、のようなものだと思うのです。そして、ヴィクター様のは一度面倒を見た相手を見捨てないための責任感ではないか、と」
本気でそう思っているのか、とあからさまな表情を浮かべられる。察しの悪いわたしでもわかるくらいのあからさまな表情。
「しっかりと考えた上で私たちを先に出立させようとしていた方が、場所を指定して見送りを許可するほど、トワに弱いのよ。甘いのよ。…まあ、あなたのあの、異世界に来てしまったとわかった時にも見られなかった感情的な様子も原因ではありますけど」
そう。ヴィクターは結局折れて、見送りを許してくれた。
ただし、聖女様一行が通過するのを向こうからは気づかれない場所から見送る、という方法でだ。その行程を外に漏らすことになるが、きちんと陛下の許しは得ているというから、陛下のことは信頼できる方なのだと思える。
竜に近づけない聖女様は豪華な馬車に乗っているようだった。その周りを騎馬が固めている。上空を竜騎士が編隊を組んで速度を合わせて移動していた。
「危険は、ないのですか?」
出立前最後の、魔力を流す訓練の時に、やっと聞いた。
「龍脈は人は知ることはできない。ただ、儀式をやる場所は龍脈にある程度近い、と考えられている。そして、龍脈の周囲は魔素も濃いとされている。龍脈が滞っていれば、魔素だまりもできやすく、魔物も生まれやすい。危険はない、とは言えない」
隠さず話してくれるから、いいのだけれど。大丈夫だとこの人が言えば、本当に大丈夫だと思えるから。
だから、辺境伯領は大丈夫だと思えるし、この人が大丈夫だと言った人たちも大丈夫だと思える。
でも。
「聖女様が備えるべき力を備えている場合には、浄化を行いながら儀式の場に向かうとされているんだが。まあ。今回は騎士隊が働くことになるんだろう」
「行って、成果は見込めるのですか?」
大きな手に頭を撫でられた。
背後からそのまま抱きしめられ、肩に額が乗せられたのがわかる。頬に当たる黒髪が少し、くすぐったい。
「陛下からは、退き時を見極めるよう言われている。…大丈夫だ。任務を終えたら、フォスと迎えに行ってやる」
最後は、子供をあやすように言われた。
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