路地裏ごはん

明日葉

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カレーライス

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「あ。佐倉。ちょっと待って」
 ぼんやりとした雰囲気なのに、背筋が伸びていて亜美は歩くのがはやい。気になっていた亜美の家族に、会えることになったのはつい先ほどのこと。





 給湯室で水筒にお湯を注ぎ足しているのを見かけて、入り口に寄りかかってその背中を眺めた。女性にしては高めの身長。ヒールを履かないのか、と聞くと、背が高くなるからと言われたことがあった。一番の理由は、家に来ている子供たちを追いかけなければいけない時にヒールなんて履けないから持っていないし、履くとこけるのだとか言っていたか。
「新堂さん?びっくりした。いつからいたんですか?」
「今来たとこだ」
「あきましたよ。どうぞ」
「ああ…いや。何入れてんの?」
「今日は、東方美人をティーバッグに入れてきたのが入っているので一日注ぎ足してます。お金かからなくていいですよ」
 仕事や社内の雰囲気にも慣れてきた様子で、最初の頃の緊張したように肩を強張らせた様子は見られない。気安く話していたのがふと、微妙な表情になってこちらを見ているのに気づいて首を傾げた。
「何?」
「新堂さん、女性社員に人気あるんですね」
「?なんか言われた?」
 自覚はある。ただ、社内恋愛は面倒も多いから気は乗らない。
 別に、と首を振るそぶりから、誰かが何か言ったんだな、とは思う。本人が言う気がない以上聞き出せないだろうけれど。
「お前に言ってもなあ」
「?」
 一昨日、同期に言われた言葉を思い出す。


『総務の佐倉さん、新堂もともと知り合いなんだよな?』
『だったら教えといてくれよ』
 なんのことだよ、と耳だけ向けていたこっちが驚く言葉が続いた。
『可愛いよなって言った時に、あの子既婚者だって言ってくれればよかったのに』


「いつ結婚したんだ?」
「?」
「名字変わってないし、婿?」
「…言ってなかったか。新堂さんと初めて会った時にはもう、結婚してましたよ」
 そのことだけで驚いていたのに、さらに驚く言葉を耳にして、さすがに言葉を失ってしばらく凝視してしまった。



「いつ、と言うなら、高校卒業後ですね」
「なんでそんな早く…もしかしてあの中に自分の子供もいた?」
「子供、まだいませんよ。結婚早かったのは、夫の仕事の都合?です」
「なんで微妙に疑問形…」
「そう言ってたんで」
「ずっと付き合ってた相手?そこで結婚するんじゃ年上だろ」
「年上ですよ。付き合ってはいませんでしたね」
 なんだそれ、と思いながら、この話題に返ってくる声が柔らかくて楽しげなことに気づいて、なんだかモヤモヤする。
「オレ以外は知ってたんだ」
「会ったことあるのは、一行だけですよ。なんか、いつの間にかああやって近所の子が来てご飯食べるようになって。危なっかしいからってあそこのいろんなことを整えてくれたのも夫の仕事関係の人なんです」
「むしろちゃんとしてあったのか」
 危なっかしい、とは何度か思ったことがある。子供を好きに来させて、食事をあげて。何かあったときが怖い、と。都合よく子供を預かってくれる場所として使いながら、何かあれば責めてくるような状況じゃないのか、と。
 継続して来る子の保護者からは誓約書をもらい、アレルギーの申告をしてもらい、小さい子は、まだ食べさせていない食材を教えてもらう。そんなことをやってくれたのだと言うのを聞きながら、従業員の家のことまでそこまでやってくれる会社ってどんなところなんだと興味は湧いた。
「旦那、なんの仕事してんの?見かけたことないよな」
「あそこは、食べるところで、来た人が休む…ゲストハウスみたいな食堂みたいなもんだから。住んでる家は、裏にあるんです。仕事…か」
 少し考えるそぶりを見せて、スマホを操作しているのをなんとなしに眺めた。高校卒業後すぐに結婚しなければならない事情がある仕事とはなんなのか。考えて答えが出るものでもない。
「あ」
 一段弾んだ声に顔を向けると、にこっと笑われた。
「新堂さん、今日、仕事の後で久しぶりに来ませんか?夫、今日は家にいるんです。今聞いたら、会うよ、って」
 今の話の流れでどうしてそうなった、と、言葉が出てこない。何の仕事か聞いただけのはずなのに。
「食堂の方には来ないんだろう?」
「なので、家の方に。食堂の方の分まで含めてカレー作っといてくれるってメッセージが。夫のカレー、美味しいですよ」



 そんな流れで一緒に歩いて。途中で思い出して足を止めた。
 気に入りのアーティストのCDの発売日。ネットから落とすのではなく、このアーティストだけはいつも買ってしまう。
 手に取ったものを覗き込んだ亜美が、表現し難い、ただ、分類するなら幸せそうな顔をした。
「お前も好きなの?」
「デビュー前から」
「へぇ…」
 デビュー前からネットとかでも話題にはなっていたのは知っていた。本当は、あと1年ほどはやくデビューする話もあったとか。ボーカルがもともと教師をやっていて、教え子が卒業するのを待つとか、そんな話だった。ネットからも落としてスマホで聴けるようにしながら懐かしい道を歩く。
 細い路地を通っていくと、見覚えのある平屋が見えて、中から幼い声がする。確かにカレーの匂いがした。
「ただいま」
 亜美が顔を覗かせると、振り返った子どもたちが目一杯の笑顔でおかえり、と言って、その目がそのままこちらに向けられる。その向こうに記憶にある面影が残った顔を見つけて、思わず声をかけた。
「お前、一行か。大きくなったな」
「親戚のおじさんかよ、あんたは」
 呆れた声を返していやそうな顔をする。好かれていない自覚はあったが、記憶違いではなかったらしい。少し大きい子たちはやはり見覚えがあって、そう言う意味でも変わっていないのだな、と言うことと、これが仕事ではなく生活だ、と言った亜美の言葉が妙に納得できた。
「揚げ物?どうしたの?」
 食卓の大皿にコロッケやカツ、メンチカツだろうと思われる揚げ物が乗っている。答えは想像できていたのか、誰かが言う前に亜美がそのままその目を一行に向けた。
「虎徹くん?」
「そ。今日残ったからって持ってきた。八百屋の爽子さんから預かったって、野菜もあったから向こうに置いてある」
「わーい。お礼言わなきゃ」
「ほっとけ。虎徹は」
「目上の人に」
「あみから見ても目上なのに虎徹くん、じゃんか」
 あの頃、ここに来る子たちが問題のある家の子だからと煙たがっていた近所や近くの商店街。話を聞いていて、風向きが変わっているのがなんとなく想像できる。
 そんなことを思っていたら、一行が亜美に話しかける子供たちを回収してどこかを顎で示した。
「今日は家にこのまま帰るんだろ。こいつらは見とく」
「あれ、あった?」
「カレーできたから持ってけって呼び出された」
「なるほど」
「美味しかったって言っといて。こいつらもおかわりしてるし」
 でしょー、と自慢げな顔をする亜美を一行が笑う。俺に敵意を向ける一行は、亜美の夫には懐いているらしい。



 促されて、回り込んで。
 ものすごくわかりにくい入り口から入った家の方は、雰囲気の良い家で。
 ただいま、と小走りに入っていった亜美を出迎えるように開いたリビングの扉からのぞいた顔に、思わず叫んだ。



「佐倉直哉!!?」




 大好きなアーティストが、いた。




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