そうして、『兎』は愛を知る

池家乃あひる

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25.平穏な日

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 ヴァルツとノアールの想いが通じ合ってから、ノアールの生活が明確に変わった訳ではない。
 朝起きて、時間があれば食事を共にし、日中は勉強や読書をして、夜には帰ってきたヴァルツと話をする。
 関係に名前が付いただけで、本当にこれまで通り。強いて言うなら、想いを伝えあった翌日は目が腫れていた程度。
 動向を見守っていたセバスも、こうなるのは分かっていたと笑い、他のメイドたちも同様に。
 表面上は本当に何も変わらず……だが、些細な変化は数え切れないほど。
 朝起きて、会えたときに呼ぶ声の柔らかさ。目が合う度に微笑む蒼の温かい光。触れる手の温かさだって、前よりももっとずっと嬉しくて、優しくて。
 手のひら越しに伝わる鼓動は強く、早く。それが、ノアールに巣くっていた不安が取り除かれたからとは、本人は気付かず。
 だが、こんなにも満たされるのは、自分の好きな人に兎として認められたからと思っているのも間違いではない。
 今までも、ヴァルツは兎であると言い聞かせてきた。
 それを素直に受け入れられなかったのは、ノアールに長年言い聞かせられてきた言葉と、自信無さからだ。
 混血でも、そうでなくても愛していると。
 そう言われて……兎として求めていた価値を与えられてやっと、ノアールは受け入れることができたのだ。

「監視局に……ですか?」

 そんな中、ヴァルツからその話が出たのは、ノアールがこの屋敷にきてもうじき二ヶ月が経つ頃だった。
 普段より早めに帰ってきたヴァルツを出迎え、いつもならノアールの自室に向かうところを、執務室まで連れて行かれ。
 大事な話だからとソファーで隣りあい、そうして切り出されたのが、しばらく監視局でノアールをかくまうという話だった。

「ああ。植物園で会った兎のことは覚えているか?」
「コーヴァス様の兎ですよね」
「あれから前の所有者に話を聞いていたんだが……譲与にあたって不正が行われていたようだ」
「不正……ですか?」
「詳しくは言えないが、他から譲与された兎も、同じ手口で脅し取った可能性が高い。証拠が揃い次第、奴の邸宅に立ち入るつもりだ」

 水色の服に包んだ、希少性の高い兎。どこか遠くを見ているような、虚ろな意識。
 本当のご主人様ではないと呟いたあの声の辛も、怯えようも、ドブはまだハッキリと覚えている。
 あの時聞いた拒絶が何を示していたかドブは分からなかったが、あれからもヴァルツは調べていたのだろう。
 そうして知らされた真実に、目を瞬かせる。
 脅し取った、ということは、元の飼い主も手放す気はなかったのだろう。
 手口こそわからなくても脅迫され、やむを得なく兎を手放したのだ。
 その経緯を知っていたからこそ、彼も主人の元に戻りたかったのだろう。

「裏が取れるまで時間がかかるが、その関係で暫く局に泊まることになる。屋敷の中にいれば安全だろうが、私が不在の間にお前が狙われないとは言いきれない。コーヴァス卿の件が片付き、安全が確保できるまでの間だけだが……不安にさせてすまない」
「い、いいえ! ヴァルツ様と一緒に居られるのなら、私は大丈夫です」

 虚勢ではなく、それは本心だ。慣れない場所にはなるし、ずっと一緒にいられるわけでもないだろう。
 だが、それはノアールを守るためだと伝えられて、不安よりも温かい気持ちが上回る。

「あの、セバスさんや他の人は……?」
「監視局は、関係者以外は立ち入りが許されていない。セバスは信頼に値するが、今回はお前一人だけだ」
「でも、それだと私も入れないのでは……?」
「自分の兎を連れ込むのは確かに問題かもしれないが、兎を匿うことも監視局の役目だ。それに、今のお前はまだ保護となっている。保護する場所を変えるだけなら、なんの問題もない」

 仲介所で引き取るのと、監視局を挟んでの引き取りでは手順が異なるとは、ノアールもこの屋敷に来てから学んだこと。
 未成年の兎は他の仲介所へ。成人を迎えている兎は、監視局の審査で通った者へ割り振られる。
 そうして保護期間中、引き取り主と兎の関係に問題がなければ、正式に所有者として認められるのだ。
 ノアールの保護期間は、もうあと数日で終わる。
 何も問題がなければ、そのままヴァルツの兎になれたが……今は、逆にその制度を利用するらしい。
 まだ正式な兎になれないと落ち込むのが正しい反応だろう。
 だが、ヴァルツに自分の兎だと言われた方が何倍も嬉しくて、耳の先が揺れてしまう。

「コーヴァスの件が片付き次第、すぐに処理するつもりだ。……だが、もうお前は私の兎だ。それだけは断言する」
「ヴァルツ様……」

 不安にならないようにと、握る手の強さに鼓動が高鳴り、告げられる言葉に顔が綻んでしまう。
 一度だけでも嬉しいのに、繰り返し伝えられて。こんなに幸せでいいのかと、耳だけではなく喉まで鳴ってしまう。
 セバスや他のメイドと会えないのは少し寂しいけれど、ヴァルツが自分のためにしていることなら断るはずがない。
 それに、ヴァルツがそばにいる。それだけで、ノアールには十分すぎるのだ。

「あの、いつからお伺いすれば?」
「急な話で悪いが、明日からだ。本当は一緒に行きたいが、予定が混み合っていて自由に動けそうにない。前に紹介したピルツを覚えているか?」
「はい、もちろんです」

 会ったのはまだ二回だけだが、どんな相手だったかはしっかりと覚えている。
 ヴァルツと同じ監視官。昔からの知り合い。ヴァルツが信頼している相手ならば、ノアールも怯えることはない。

「明日、彼にお前を迎えに行くよう頼んでいる。一度会った相手とはいえ、嫌な思いをさせるかもしれないが……」
「そんなことありません! ……私の為にここまでしていただいて、申し訳ありません」

 監視官としての仕事が忙しい中で、ヴァルツは何度もノアールに接してくれた。疲れているはずなのに、ずっとノアールのことを気にかけてくれた。
 今だってそうだ。ノアールにこの話をするために、早めに帰ってきてくれたのだろう。
 迷惑をかけてばかりだと落ち込むノアールの肩に触れる手は、やはり温かく、柔らかいもの。

「お前が謝ることは何一つもない。……早く安心できるように、全力を尽くす」

 だから落ち込む必要はないと、もう一度手を握られて。その力強さに、心が満たされる。
 自分は、ヴァルツ様にいただいてばかりだ。
 眠る場所も、食べる物も、兎としての価値だって。
 まだ学ぶことの多いノアールでは、ヴァルツの役に立つことはできないだろう。
 そう分かっても、モヤモヤとした焦燥感に眉の間隔が狭まる。

「私にも、何かできることがあれば……あっ、監視局にいる間も勉強はできるんでしょうか?」

 ノアールができることといえば、早く役に立てるように知識を蓄えることだ。関係者以外立ち入れないとなれば、いつも教えてくださっている先生とも会えない。
 本を読んで学ぶしかないが、ノアールが読めるような本が監視局にもあるだろうか。

「ああ、部屋を出るのは厳しいが、読む本ならいくらでもある。だが、そうだな……」

 純粋な疑問を口にして、帰ってきた言葉は明るく。しかし、続く言葉はどこか悩ましいもの。

「できること、というよりは私の頼みになるが……」
「わ、私にできることなら! なんでも!」

 ヴァルツ様からのお願いだと、思わず背筋を伸ばして声を張ってしまったノアールに、向けられた蒼は温かくとも迷いのある動き。
 だが、その葛藤も瞬きの間だけ。

「できれば、もう少し砕けた口調で話してほしい」
「えっ?」
「本当は、自分のことを僕と呼んでいるんだろう?」

 指摘され、思わず口を押さえてしまう。一体いつ言ってしまったのか。
 確かに素ではそう言っているが、気を付けていたつもりだったのに。

「も、申し訳ありません」
「いや、謝らせたかったわけじゃない。ただ、その方が楽ならそうしてほしいだけだ」
「それは……」

 ノアールでなくても、その要望には戸惑っただろう。
 兎が主人に対して、そんな口調で話すのは真っ先に咎められることだ。
 長い付き合いになればその限りではないが、大抵の兎は断る。それに、ノアール自身も、ヴァルツにはそうしたくないと思っている。
 だって、ヴァルツはノアールを認めてくれた、唯一の相手なのだから。
 
「もちろん、無理にとは言わないし、直す必要もない。お前たちが主人に対して抵抗があることも理解している。……ただ、そうしてくれると嬉しいというだけだ」

 だから、そのうち。いつかはそう言ってほしいと撫でられる頭に、やはり耳は動いてしまうし、喉も鳴ってしまったのだ。
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