世界は淫魔に支配されましたが、聖女の息子は屈せない

池家乃あひる

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第一章

4-5.『お食事会』

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 ……さて、『お食事会』が言葉通りの意味でないことは、大抵の奴隷なら知っていることだ。
 知らないのは、まだその洗礼を受けていない昇格したての奴隷か、よほど噂話に興味がない者だけ。
 下級と上級の大きな違いは、業務内容もそうだが……何より、ご奉仕の種類が変わってくる。
 下級であれば、まさしくただの穴。比喩ではなく、使い捨て同然の扱いである。
 外であろうが廊下であろうが、上だろうが下だろうが、使いたいという時にいつでも身体を差しだすことが前提の上での業務だ。
 中には研究所に送られ、死にも近い仕打ちを受ける者だっている。命の保証はされているが、そこに苦痛が伴わないとは限らない。
 必要以上に奴隷を欠損させないことは定められているが、だからといって必ず守られるわけもなく。
 興奮あまって首を絞めすぎただとか、痛めつけすぎて内臓が負傷しただとか、そんな例はいくらだって挙げられる。見てきた数も、聞いてきた数も数えられないほど。
 とはいえ、死んだという話は滅多に聞かないので、町での扱いよりは数倍マシというもの。
 なにより、そうされた本人たちも喜んでいる。淫魔サマにご奉仕ができた。淫魔サマに使っていただいたのだから、これに勝る喜びはない、と。

 一方、上級奴隷となると、そういった話は滅多に聞かなくなる。
 使っているのには違いないし、その頻度に差もない。単純に、接し方が変わるだけだ。
 道具は道具でも、使い捨てではなく遊び道具へ。
 上級の国民ともなれば普通では物足りず、その退屈さを誤魔化すための手段は選ばない。
 それこそ、多少の金と手間ぐらいは惜しみなく。だからこそ、その内容は下級に居た頃よりも悪趣味で、下級の頃よりも尊厳を奪うものが多くなる。
 そう、まさしく。今、クラロに行われているこの『食事会』こそが、その入り口というわけだ。
 言い換えれば、ただの賭け事。賭博対象が、自分たち奴隷であるというだけ。
 簡単に説明すれば、連れ込んだ奴隷に媚薬入りの食事を与え、どれだけ耐えられるかを賭けているのだ。
 ただの人間なら淫魔サマの体液だけでも充分効果があるし、下級奴隷に与えるだけの金も手間もないが、上級国民のこれは暇つぶしもかねた行為。
 大体は一人、時には複数。それを数名の淫魔サマが、賭博の対象にしている。
 最後まで耐えられるのが誰だとか、いつまで耐えられるかとか、いつ浅ましく強請ってくるかとか、その時によって内容も様々。
 よりギャンブル性を出すために、複数の皿を用意させて選ばせることもよくあるが……一対一なんて聞いたこともない。
 あくまでも『食事会』は賭けのための隠語。二人きりでは、何の賭けにもならない。
 ただの奴隷を使用するためだけに、こんな手間も時間もかける者は、いくら上級国民であろうとあり得ないこと。
 だが……そう、これは紛れもなく賭けには違いない。
 それが淫魔たちの間ではなく、クラロと彼の目の前にいる男との勝負だ。
 クラロが仕込まれている媚薬に耐えられるか、この男が諦めるか。
 あまりにも分の悪い、勝ち目のない賭け。大抵の媚薬も毒も慣らしてはいるし、奥の手だってある。
 だが、それがどれだけ通用するか……。

「この間はアモルがごめんね」

 投げかけられた声で現実に戻される。
 程よい塩味のスープはとっくに完食し、次に出された魚料理に手を付けていなかったと気付いても、まだナイフを手にとることはない。
 ホワイトソースに溺れるキノコとほうれん草。その上に乗せられた白身魚から、視線を前へと移す。
 食事の進みの遅いクラロを気にすることなく、グラスを片手に笑う男は、とても謝罪しているとは思えぬ態度。
 実際謝る気などないし、その必要もない。それなのに、なぜここに呼ばれてしまったのか。
 ……なんて、考えるのはあまりに愚かなこと。

「僕の話を聞いて、羨ましがったみたいでね。もうあんな事はしないように躾けておいたから安心してね。これはそのお詫びだから、もっと気楽に食べてほしいな」

 ただの奴隷に、上級国民がお詫びなど。他の状況であれば鼻で笑ってしまっただろうが、既に見え透いている腹を探る必要もない。

「なんなら、両方とも食べていいんだよ」
「……滅相もない」

 二皿用意するということは、片方は媚薬を入れていない『ハズレ』であるルールだ。
 ここで下手に遠慮しようものなら、二皿とも置かれるのは目に見えている。そんな馬鹿な手に引っ掛かるのは、本当に知らない新人か、よっぽどご奉仕したい奴か。
 ……否、ご奉仕したくない奴隷など、存在しないのだったか。
 ゆっくりと。されど、確実に。少しずつ毒を喰らうクラロを眺めながら、男もまたナイフを手に取る。
 どれだけ繕おうとも、一つ一つの所作は洗練されたものだ。彼らの文化にそんな習慣があったとは思えない。
 故に、これもまた、暇つぶしの一環で浸透していったものなのだろう。
 愛玩物、奴隷、道具。そう見下し、侵略し、支配した種族の文化を模範する精神は到底理解できない。
 否。奴隷ごときが、淫魔サマの崇高な思考を理解すること自体、おこがましいこと。

「そういえば、自己紹介がまだだったね。僕はベゼで、彼はアモル」

 もう知っているかな、と。何でもないように告げられた名前に、再び手が止まる。
 にこやかな笑顔。その細めた瞳の煌めく様は、傍らで揺れるワインよりも強く、眩しい。
 とぼけるか、突くか。僅かな葛藤は、それこそ無駄であると判断すれば早く終わる。

「……ペーターと申します。ヴェルゼイ様」
「ヴェルゼイ? 知らないなぁ。僕はベゼだよ」

 よろしくね、と。崩れぬ笑みは、やはり想定内だったのだろう。
 分かっていたのに来たことに対する愚かさと、理解しながら逃げようとしている哀れさと、純粋な興味。
 折り重なった感情はクスクスと鼓膜を擽り、クラロには不快なだけ。
 君だって誤魔化しているんだから、僕だっていいだろうと。言葉にならぬ言い訳に、込み上げる息を水で押し流す。
 この城に勤めている者なら、どんな下級奴隷だってその名を知っている。
 町で這いつくばっている奴隷も、どこにいるかも生きているかすらわからない反乱分子も同じく。
 ヴェルゼイ。ヴェルゼイ様。ああ、そうだとも。クラロにとっても、特別な名だ。
 忘れるはずがない。忘れるなど、できるはずがない。

 十数年前、淫魔がこの世界を侵略する際、指揮を執った者がいたという。
 世間では新魔王様であると知られているが、実際は違う。
 作戦を立案し、先陣に立ち、そうして今の奴隷システムを作り上げたのが、他でもない、目の前にいるこの男。
 一般的に広まっている肩書きは――新魔王が息子の一人。
 淫魔に血による継承権はないため、王子と呼ぶのは不適切だろう。そうでなくとも、三人いるうちの末というだけでは大して敬われる理由にはならない。
 実力主義の淫魔にとって、誰がどの子であるかは重要視されない。
 だからこそ、その名が広がっている理由は……彼こそが、人間が敗北する決定打となった、あの襲撃の総指揮者であったことだ。
 計画から実行に至るまで、全てが彼の手によって行われたこと。
 魔王を倒し、喜び浮かれ、祭りという最も気が緩むタイミングで容赦なく、それは行われたのだ。
 死者は奇跡的にも少なく、されど犠牲者は数多く。一晩のうちで集まった民も兵士も、勇敢な者たちのほとんどがその手中に落ちた。
 確かに血は流れなかっただろう。だが、その光景は……もはや、死を願うほどの有様であった。
 クラロにとっては、まだ生まれて間もない頃の話。腕に抱えられる赤ん坊の時だ。直接その目で見たことはないし、見たとしても記憶にも残っていない。
 だが、クラロは知っている。あの時に何があったのか。自分の父と母と呼ぶ存在が、いかにしてその手中に収まったか。
 直接ではなくとも……クラロは、その目で確かに、見たのだから。

 今のこの世界があるのは、この男の働きがあったからこそ。
 人間の保護制度を整えたのも、国民制度やその他の法を整えたのだって、同じくこの男だ。
 たとえそれが、かつての人間が行っていた政治を倣った遊びであっても、実質的にこの世界を握っていると言って過言ではない。
 実際、新魔王が表に出ることは一切なく。今も城のどこかで、彼らを愛でていることだろう。
 つまり、今のこの世界の全ては、この男の手にかかっている。
 彼が飽きたと宣言すれば、人間など簡単に捨てられてしまうだろう。行き着く先は惨殺か、最後まで人間としての尊厳を貶められる生活か。
 これ以上ひどくなるか、もっとひどくなるかの違いだけ。だが、今のクラロはそれに縋るしかない。
 ……そういえば、この悪趣味な『食事会』を考案したのも、この男であったか。

「……失礼いたしました、ベゼ様」
「別に呼び捨てでも気にしないよ」
「ご冗談を」

 どこに淫魔様を呼び捨てにする奴隷がいるというのか。
 ただでさえこの一件で悪目立ちしているのに、それ以上なんて到底耐えられるものではない。
 崩れた白身をうまく掬えず、口に運べたのはほうれん草の欠片だけ。下級奴隷ではめったに味わえない品の数々も味わう余裕はない。
 僅かに体温が上がった気がするのはアルコールか、それとも媚薬か。
 答えは出ず、舌に纏わり付くソースを流し込む水だって、何が入れられているか分かったものではない。
 それでも懸命に口に運ぶのは、早く食事を終わらせたい一心からだ。
 量も確かに問題だが、重視すべきは時間だ。この身体に毒が浸透するよりも先に、この馬鹿げた茶番を終わらせなければならない。
 切り札はあるし、逃げ出せる算段もある。だからといって、数少ない対抗策を簡単に明らかにしたいはずがない。
 たとえ、それがどんなに無駄な抵抗であろうと。その様さえも味わわれているとしても、クラロは屈するわけにはいかないのだ。

「君の髪色、お母様に似たのかな?」
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