世界は淫魔に支配されましたが、聖女の息子は屈せない

池家乃あひる

文字の大きさ
49 / 100
第二章

7-9.上映会

しおりを挟む
 壁に映し出されたのは、かつての光景だ。
 十数年前。本来なら喜ばしい日になるはずだった記念日。魔王が倒され、ようやく開かれた式典。
 飾られた装飾は無残な姿に。聞こえてくる悲鳴はどれも助けを求め、逃げ惑うもの。
 だが、見えているのは、そんな阿鼻叫喚の光景ではない。
 呼ばれて振り返る男も、呼び止めた男も。どちらの髪も同じ金色。だが、その瞳に携えた色は薄青と緑。
 振り返ったのは男だけではなく、共にいた女性も同じ。亜麻色の髪に、緑の瞳。その顔も名も知らずとも、この組み合わせだけで理解しただろう。
 彼らが、英雄と呼ばれた者たち。勇者と聖女、そして……目の前にいる男の父、仲間と呼ばれていた聖騎士なのだと。

「こ、れは……っ」
『無事だったか! ――は!?』

 戸惑う声は掻き消され、問う声では返答にはならない。
 悲鳴のせいで名は聞こえず、分かったところでクラロたちには誰だか分からなかっただろう。
 それが彼らの仲間。他の英雄と推測できたのは、表情の悲痛さから。

『くそっ! 魔王は確かに倒したはずなのに、何故……!』
『考えるのは後よ。今はともかく、民を安全な場所に避難させなければ』

 怒る勇者を宥める声は、こんな状況でも凛と響く。その強い眼差しは、これまで人々を救い、導いてきただろう。
 彼女の声をクラロが聞くのはこれで二度目。一度目は知らぬまま眺め、見届けることのできなかった最期。
 彼女が、彼女たちがどうしてそうなったか。クラロがずっと探し続けていた光景は、確かに今、目の前に。

『っ……ああ』

 諭され、冷静さを取り戻す勇者の瞳に輝きが戻る。クラロと同じ薄い青。その強い光もまた、民の希望となっていたのだろう。
 ようやく取り戻した平和を踏みにじられ、怒りは握り締めた剣に宿る。柄の軋む音まで聞こえてきそうな程に、その顔に満ちる気迫。
 敵の数はあまりに多く、勝率さえもわからず。それでも、諦めることなく立ち向かおうとする姿は、まさしく英雄と呼ぶべき存在。
 今度こそ、自分たちの日常を。あの日々を取り戻すのだと、強い決意はその胸に。

『君は民の避難を。僕は――と共に城へ――』

 映像が乱れる。否、揺れるのはクラロの手。無意識に握り締めた拳の震えが、過去に反映されている。
 この後何が起きるのか知っている。なぜそこに至ったのか、知りたかった。
 一年。この一年ずっと、確かめたかった理由は、間もなく。

『その必要はない』

 淡々と述べる声と破裂音は同時に。一瞬で白に覆われる画面は映像の不備ではなく、聖騎士が投げた袋から溢れる煙によって。
 まるで濃霧のように勇者たちを包み込み、影さえも見えず。驚く声だけがそこにいるのだと示している。
 戸惑い、咳が聞き取れぬ声に変わるにつれて煙が晴れていく。
 再び露わになったのは、這いつくばる二つの影。それも、辛うじて起きているのは聖女だけ。
 乱れる呼吸。苦痛に歪む顔。毒の症状に似て、そうでないことを紅潮する肌が伝えている。
 意識があるだけマシだったのか。あるいは、それは更なる苦痛であったのか。
 呻きとも嬌声ともつかぬ声は、横たわった男から漏れたもの。
 悲鳴に似た呼び声に返されたのは、止まぬ痙攣と垂れ流す涎だけ。
 目を見開きガクガクと揺れる身体は、誰の目から見ても手遅れであると気付かせるもの。
 息を呑む音は周囲から。クラロの呼吸は乱れず、映像が揺れることもない。

『っ……ど、うしてっ……あなた、一体何をっ……!』

 叫ぶ彼女自身も、その身を犯す熱に耐えている。常人であれば理性を手放すほどの媚薬。ほんの数秒吸い込んだだけで、本来なら勇者と同じ状況になっていた。
 人体に耐えられぬはずの毒に反応し、その身が浄化されてもなお、苦しめ続ける疼き。
 熱に浮かされた瞳が、仲間と呼んだ男を睨み、問いかける。

『……ずっとこの日を待っていた。お前がそいつに取られた日からずっと、ずっとだ』

 見下ろす青が淀み、鋭い眼光に宿るのは憎しみ。吐き捨てるように告げる想いは、嫉妬なんて単純な言葉で片付けることはできない。

『全部お前が悪いんだ』
『っ、なにを、言って……!』
『――俺の方がお前を愛していたのに! お前がそいつを選んだから!』

 叫びは、クラロたちのいる空間さえも揺るがす。
 憎しみ、嫉妬、恨み。理不尽とも言えるその想いは、狂気を纏って彼女に詰め寄る。

『誰よりも、何よりもお前を愛していた! お前を守るためにこの身も心も差し出した。どれだけ恐ろしくとも、辛くとも、お前を愛していたから! お前の為ならなんでもしてきた! それなのにっ!』
『そんな理由でっ……!』
『そんな理由!? そんな理由だと!?』

 逆上し、詰め寄った男が聖女の腕を掴む。引き寄せ、無理矢理立ち上がらせた足がフラつこうとも、肩を掴む男を支配しているのは、もはや狂気そのもの。

『俺は何度も、何度も何度も何度も! 愛していると伝えたはずだ! お前がいなければ生きていけないと! なのにっ、お前は俺を受け入れてはくれなかった!』
『私が愛しているのは――だけ! 何を言われても変わらないと、そう言ったはず!』
『だからこうするしかなかったんだ! お前が俺を選びさえすれば、俺だって奴らと取引なんかせずに済んだ! こうなったのは全部、お前のせいだ!』

 彼らの関係も、過去も、この場にいる誰も詳細を知らない。だが、男の叫びが身勝手であることは間違いない。
 愛してくれなかったから。受け入れてくれなかったから、全て彼女が悪いのだと。叫ぶ姿は、彼らが憧れていた英雄としてではなく、逆恨みする醜い男。

『まさか……魔物と……!』
『そうだ。そいつを渡せば俺の望みを叶えてくれると奴らは言った。お前を俺のモノにするともな!』
『そんなっ……そんなことのために、民を犠牲にしたというの!?』

 取り戻せた平和を。これから訪れる未来を。迎えるはずだった温かな日々を。
 そんな欲望のために魔物と手を組み、奪い去るなど。あってはならない。あっていいはずがない。
 悪い夢だと、そう願ったのは聖女だけではなく、この光景を見ている誰もがそうだ。
 何も抱かないのは、薄い水色ただ一つ。

『恨むなら、俺を選ばなかった自分自身を恨め! お前さえ俺を選べばっ――!』
『はいはい、もう聞き飽きたッスよ』

 だが、耳慣れた声に瞳が僅かに見開かれる。一度聞けば忘れるはずも無い特徴的な高音、癖のありすぎる語尾。
 違うのは、その纏う衣装だけ。映り込む銀の髪も、その赤い髪飾りも、場に似つかわしくない笑顔までも今と変わらない。

『にしても、ひどい言いようッスね。僕らよりも、よっぽどいい性格してるんじゃないッスか?』
『っ……淫魔……!』

 どれだけ懸命に睨もうとも、熱はその身を犯したまま。アモルに続く他の淫魔に囲まれずとも、男の手を振り払えぬ時点で逃げ場はない。

『初めまして聖女様、オイラはアモルって言うッス。これから長~いお付き合いになるッスから、どうぞよろしく』
『黙りなさい! よくもっ……!』

 発射される光の球は、彼女の出せる最後の力だったのだろう。だが、どれだけ威力が高くとも、避けられてしまえば無傷も一緒。
 隙を突いて逃げようとしたって、それで力尽きてしまえば愚策と変わらず。

『あはっ! アレを吸って、まだそれだけ動けるんッスね! いや~研究しがいがあるッスよ。でも、勇者の方はもう駄目そうッスね』
『おいっ、約束が違うぞ! 勇者を無力化すれば、俺らは見逃すって言っただろう!』

 聖女もろとも拘束され、喚く男に構わずアモルが勇者の前で屈む。聖女たちが話している間も毒に犯されていた彼から、意味のある言葉は聞こえない。
 痙攣し、呻き、喘ぎ。呼吸すらままならぬほどの快楽に浸り続けたまま。勇者と呼ばれた面影はなく。

『オイラが言ったのは、正気の状態で二人を引き渡すことッスよ。聖女はともかく、もうこっちは使い物にならない。……ろくに使い方も知らないくせに盗んだ挙げ句、致死量まで使いやがって』

 吐き捨てるのは、無知な者への軽蔑と怒り。使い方さえ正しければ、まだ勇者は正気を保っていただろう。今の結果が幸か不幸か、それは誰にもわからない。
 少なくとも、アモルにとっては望まぬ結果だったこと。

『こうなったら聖女の力でも手遅れだし、やっちゃったことは仕方がない。まぁ、見せしめぐらいにはなるか。……よかったッスね~? 何も知らないまま気持ちよくなれて?』
『へひゅっ――ひぁ、あ、あぁあ、あっあ――!』
『あははっ、おもしろ? うん、これはこれで悪くないッスね』

 悲鳴か、歓びか。頭を撫でられただけで一際揺れる身体と、響く水音。一連の反応に新たな価値を見いだしたのか、顔に笑顔が戻っても金の瞳は冷たいまま。

『アンタも一応英雄だし、使えないことはないッスよね。……ああ、せっかくだから同じ目に遭ってもらおうかな。大丈夫、ちゃ~んと量は管理してあげるッスから、長く楽しめるッスよ!』

 運ぶために持ち上げられ、抱えられ、引き摺られ。一つ一つの動作の度に絶頂する姿に、男は青ざめ、女は光を失う。

『大丈夫ッスよ! 聖女様も協力してもらうことになるッスけど、用が済むまでは勇者も生かしてあげるし、最後は愛してる人と一緒に過ごせるようにしてあげるッスから』
『っ……ゆる、さない……許さないっ……!』

 燃える緑が。憎む光が男を、敵を、彼らを睨み付ける。
 されど金は笑んだまま。愉しいと、嬉しいと。隠す気もなく、笑う。

『許さなくてもいいけど、悪いのはオイラたちじゃなくて、君を騙したそこの男でしょ? ……ま、淫魔なんか信じたのが悪いってことで』

 最後にアモルの上半身に光景が埋め尽くされ、装置を操作した素振りの後には、再び静寂が包み込んだ。
 光は消え、音も止み。再び灯った明かりに照らされる顔は、どれも青ざめたもの。

「っ……でたらめだ! 嘘に決まっている! 父がっ、あんなっ……!」

 張り上げる声。だが、今度は続く声はない。否定も、肯定も、困惑も、何も。
 どれだけ認めたくなくとも、今見た光景が変わるわけではない。そうだとわかっていても、ルシオンは喚かずにはいられないのだ。
 己の憧れを。自分が支えにしていた英姿を。それだけを胸に彼は戦い続けてきたのだから。

「信じないのは勝手だが、俺がお前たちを騙す理由だってない」

 腕を下ろし、熱を持つ薬指を意識しないよう、手を握る。込められた魔力が失われてもなお、その赤は爛と輝いたまま。
 嫌でも思い出すあの瞳を振り払うように、張る声は淡々としたもの。

「作り物だ、こんなの……っ君だって騙されて……!」
「関係ない」

 耳障りな声がようやく止まる。
 そう、関係ない。この映像が作られた物でも、騙されていたとしても、何もかもが嘘だったとしても。結論は何も変わらない。

「俺はお前たちに協力しない。助けてほしいとも思っていないし、助ける義理もない。……お前たちができるのは、この王都から去ることだ」

 最後の警告は、彼らに届いたのだろうか。届いたところで、やはり全ては手遅れか。
 その真偽を確かめることこそ無意味だと、手をかけたノブは呆気なく開かれる。

「エリオット」
「あ……っ……」
「……残りたいのなら止めないが」

 動く気配のない後輩に声をかければ、青は揺れながらもクラロの元へ戻る。
 その行動が、淫魔への忠誠心ではなく恐怖や焦りからの行為だとしても、やはりクラロが関与することではない。
 扉は軋み、光が狭まる。そうして、道は隔たれた。
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦

雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
逃げた弟の身代わりとなり、 隣国の国王である溺愛アルファに嫁いだオメガ。 しかし実は、我儘で結婚から逃げ出した双子の弟の身代わりなのです… オメガだからと王宮で冷遇されていたので、身代わり結婚にも拒否権が なかたのでした。 本当の花嫁じゃない。 だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、 だんだん王様に惹かれてしまい、苦しくなる…という お話です。よろしくお願いします<(_ _)>

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

愛する公爵と番になりましたが、大切な人がいるようなので身を引きます

まんまる
BL
メルン伯爵家の次男ナーシュは、10歳の時Ωだと分かる。 するとすぐに18歳のタザキル公爵家の嫡男アランから求婚があり、あっという間に婚約が整う。 初めて会った時からお互い惹かれ合っていると思っていた。 しかしアランにはナーシュが知らない愛する人がいて、それを知ったナーシュはアランに離婚を申し出る。 でもナーシュがアランの愛人だと思っていたのは⋯。 執着系α×天然Ω 年の差夫夫のすれ違い(?)からのハッピーエンドのお話です。 Rシーンは※付けます ※画像は男の子メーカーpicrewさんよりお借りしました。

処理中です...