世界は淫魔に支配されましたが、聖女の息子は屈せない

池家乃あひる

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第二章

7-10.地上に至る道

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「で?」
「ひゃいっ!?」
「…………なんで捕まっていたんだ」

 階段を上り初めてまだ数歩。先ほどの空気など知ったことかと問いかけるクラロに対し、返されたのは奇声としか言いようのない悲鳴。
 驚きよりも呆れが込み上げ、されど溜め息は出さず。たっぷりと時間をおいて本題に入っても、本人の動揺はおさまらぬまま。
 無理もない。これまで監禁されていたとはいえ、淫魔からすれば裏切りとも等しい状況。助け自体期待していなかっただろうに、その正体が生息不明の相手ときたものだ。
 英雄と呼ばれた者たちの最後と、予想していなかった顛末。これで冷静さを保てというのも酷なこと。
 だが、明らかにするのは今の間しかないと、容赦なく問いかけるクラロに、たどたどしくもエリオットが告げる。

「その……数日前に、変な人を見つけて……い、淫魔様から隠れているようだから、なんか可笑しいなって……だから様子を見ていたら、先輩の名前を呼んだから、その……」
「……首を突っ込んだってわけか」
「ち、違います! 先輩に何かするつもりじゃないかって警戒してたら、後ろから殴られて……気付いたら……」

 背後は振り返らずとも、項垂れ落ち込む様子は声の調子だけで伝わってくる。もし耳と尾が生えていたなら、情けなく垂れ下がり、股の間にも入っているだろう。
 美形の獣化も淫魔にとっては需要はあるし、そのうち体験することと。そんなことを考えるのは、ある意味現実逃避か。
 仲間と言われながらも拘束されたのは、淫魔への密告を恐れてか。その理由も、今となってはどうでもいいこと。

「後学の為に言っておくが、そう言うときは適当にあしらうか見ない振りをしとけ。下手に関われば今日みたいなことになる。淫魔の連中に仕置きの口実を与えることもない」

 とはいえ、無視をしたと気付かれれば、それはそれで理由になってしまう。気付いた瞬間に立ち去るのが最善手だ。
 生真面目なこの後輩のことだ。誘拐されずとも、馬鹿正直に報告して、仕置きをされていた可能性は高い。

「まぁ、今後あいつらが城に来ることはないだろうし、お前はこの後の言い訳でも考えておけ」
「い、言い訳?」
「上級奴隷ともあろうものが、淫魔サマに無断で外泊したんだ。罰を受けるにしても処刑されたくはないだろ」

 反逆者に関わっただけで、なんて大袈裟と思うかもしれないが、可能性は十分にある。
 近頃はそういった催し物・・・も減り、奴らも刺激に飢えている。切っ掛けさえあれば、どんな目に遭うことか。

「うまくいけば晒し者になるだけで済む。あとはその期間が短いことを祈るんだな」
「……あの、」
「それぐらいは自分で考えろ。俺にも非はあるが、下手に嘘を吐けば――」
「せ、先輩はっ!」

 そうではないと、違うと。否定は強く、狭い空間には痛いほど響く。続きこそクラロが遮りたい言葉だが、勢いに負けて黙ってしまった時点で手遅れ。

「っ……先輩は本当に、聖女様の……」

 縋る声は後ろから。助けを求める声は、すぐ近くから。
 手の位置は遠く、首には到底届かない。故に、締めつけられる感覚はいつか見た悪夢の中だけ。
 ……聞こえてくるあの男の声も、ただの幻聴。

「なるほど。俺を差し出せば、奴らの関心は俺に向くだろうな」
「ち、違います! そんなつもりじゃっ……!」
「まぁ、今までの事を考えてもお前の妄言と思われるだろうし、信じたところでお前が見逃される見込みはない」

 あるいは、言ったところで握り潰されるかだが、わざわざ提示することもない。
 説明したところで無駄だと理解されればそれでいいと、照らす前にまだ扉は見えず。

「……あ、の」
「まだ何か?」
「あ、あの人たちは……大丈夫で、しょうか」
「……大丈夫、ねぇ」

 その『大丈夫』は、何を指しているのだろう。真実を知って? クラロが仲間にならなくて? あるいは彼らの今後そのもの?
 定義があまりにも抽象的。確実に言えるのは、そう問いかけたエリオットもまた、気付いていなかったということ。

「気付いていなかったのか」
「え……?」
「まぁいい。お前が誘拐されなかったとしても手遅れだ。……そんなことより、覚悟しとけよ」

 それこそ『大丈夫』じゃなくなるぞと、見えた扉を押し上げ、ようやく通路の外へ。
 閉塞感から解放されても息を吸う気になれないのは、廃墟の埃以前に、空気がより重々しいものに変わったからだ。
 見張りに残っていた男たちは一人も見当たらず、異様なまでの静寂が耳を打つ。

「か、覚悟って……」

 どこまでも予想通りだと息を吐く後ろで、やはり気付けない後輩が問いかけてくる。
 口にするより見た方が早いだろう。そして、エリオットに対しても既に警告は行った。
 あとは彼の判断でしかないと、扉を開くなり飛び込んだのは橙色の光。
 既に月が昇り、暗闇の支配する世界。彼らが掲げる火は、それこそ人間に対し示すためのもの。
 そこにいるのだと。逃げられないのだと。

「い……いんま、さま……っ……!」

 息を呑み、怯える声が背後から響く。
 人数こそ少なくとも、的確に逃げ場を塞ぐ位置に立つ彼らの服は上質なもの。
 わざわざ迎えに来たことも、上級淫魔がいることも、エリオットには予想もしなかったことだ。

「何を突っ立っている」

 褐色の肌。赤い瞳。銀の髪をバレッタに纏めた女性がクラロたちを睨む。
 眼鏡越しでも突き刺さる視線は、奴隷風情が自分たちを待たせている怒りに満ちたもの。

「……もうすわけね! 淫魔サマさ来てくださるなんて感激のあまり、ついぼんやりしちまった」

 取り繕い、早足で彼女の元へと向かう。エリオットも続くが、その表情はクラロとは対照的に強張ったもの。
 淫魔がこの場にいる。……つまりは、その一部始終を知っているということ。
 だからクラロは言ったのだ。言い訳を考えておくように、と。

「お前がエリオットだな」
「はっ……はいっ……!」

 呼ばれ一歩踏み出し、直立不動。ますます青ざめていく姿に、一種の哀れみも抱く。

「お前はなぜ、ここにいる」
「そ、れは……」
「よもや、反逆者らと手を組み、我々を欺こうとしたか?」
「違います、私はっ……!」

 否定は続かず、喉の奥に詰まったまま。なんと言い訳すればいいのか、どうすれば助かるのか。追い詰められた状態で導き出せるわけもない。
 今後も生き抜きたいのなら、ここでクラロが手助けするのは悪手だろう。誰かに助けてもらえると思えば、いつか足元を掬われる。
 だが……今回は首を突っ込んだエリオットも悪いが、クラロにも原因がある。
 自分の問題に巻き込んでしまった。ならば、その責任もまた、クラロにある。

「いや~、申し訳ね! どうやらこいつ、恋慕する淫魔サマがいるようで、どうしてもお仕えしたかったと……」
「せ、せんぱいっ!?」
「……恋慕だと?」

 困惑するエリオットを無視し、極めて軽い調子で言葉を続ける。
 それこそ、馬鹿正直な田舎者のように。

「どうしても会いたいってのを連れ戻しに来たですが、帰り道がわかんなくなっちまったようで……な? エリオット」

 そうだろうと促し、同意を求める。馬鹿げた話だ。これで信じられるとはクラロだって考えていない。
 否、そもそも言い訳をさせてもらえるこの状況自体がおかしいのだと。だからこその取り繕いなのだと、彼はどこまで気付けるか。
 気付かずとも、他に方法はないと理解できないのであれば……それこそ、彼に未来はない。
 青が揺らぎ、唇が固く結ばれる。何かを耐えるようなそれは、クラロの正体への示唆か、他の感情か。それこそ、理解することはできぬまま。

「……は、い」
「馬鹿馬鹿しい。人間ごときが、我々にそんな感情を抱くなど」

 文字通り吐き捨てた女がエリオットの髪を掴む。痛みに呻き、屈まされ、至近距離で睨みつける赤は奴隷にとっては恐ろしいのか、ご褒美なのか。

「たかが人間風情が、マシな扱いをされただけでつけあがったか? お前が奉仕すべきは城に仕える淫魔のみ。それとも、我々の情けだけでは足りないというのか? この淫乱が」

 振りかぶった淫魔の手が容赦なく頬を打ち、ただでさえ痛々しかった打撲痕に色が上塗りされていく。
 だが、これから受ける仕打ちに比べれば、なんと可愛らしいものか。
 痛みはなくとも、苦痛には変わらない。だが、命を堕とすよりは……おそらく、マシなもの。
 その基準は、やはりエリオットにしかなく。

「二度とそんな妄言が吐けぬようにしてやる。連れて行け」

 控えていた他の淫魔に両脇を掴まれ、引き摺るように連れて行かれる。
 研究所送りは回避されただろう。おそらくは磔か、あるいは見世物になるか。あとはその期間が短いことを祈るしかない。
 縋る青もすぐに見えなくなり、残ったのは汚物を見るような赤と、クラロの二人きり。

「ついてこい」

 明かりはなく、視界は悪い。それでも、鋭い眼光が緩和されることはないし、告げる声も同様に。
 返答も待たずに歩き出した彼女の後を追いかける。言い繕ったところで無駄だ。
 ここで従わずとも、欺き立ち去ろうとも、それから逃げることは叶わない。
 手遅れだったのは、クラロも同じなのだから。

 複雑に入り組んだ路地を抜け、大通りに出る。聞こえるのは下品な笑いと嬌声。相も変わらず馬鹿騒ぎ。されど、これが今の王都の姿だ。
 昼も夜も隔てなく、汚されていく人間の尊重。受け入れてしまった者たちの、成れの果て。
 一人で出歩こうものなら、それこそどんな目に遭うか。逆にそれを望んで外に出る奴隷もいる。ここに、かつてあった秩序など存在しないし、取り戻せるとも思っていない。
 ……彼らは、この光景を見ても、そう信じていたのだろう。
 聞こえてくる蹄の音に馬車が近づいていることを知り、見やった先から浮かぶ影。黒塗りの車体は、すぐ傍にくるまで輪郭の区別がつかず、窓の中など尚のこと。
 独りでに開いた中は、質素な外観とは似つかわしくない装飾。覗く足、灯る明かり。込み上げる息は押し止めたまま。
 睨み付ける女性の視線に、煩わしさ以上の憎悪をよ読み取り、気付かぬフリをして前に進む。
 このまま留まっていた方が断然楽だが、それが許されないことを、クラロは理解していた。
 柔らかな座面に腰を預け、正面から向き直る。閉まる扉、動き出す馬車。そして、ようやく吐いた息。

「……で? どこまであなたの計画通りだったんですか」

 ベゼ様、と。問いかけられた男は、普段と変わらぬ笑顔でクラロを迎え入れた。
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