世界は淫魔に支配されましたが、聖女の息子は屈せない

池家乃あひる

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おまけ

アモルの最高の日々 前編

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本編前のアモル君の視点になります。
アモル君がヴェルゼイの手下になるまでの区切りと、本編が始まる前の少し前のお話。
二日に分けて投稿いたします。

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「君がアスモリディア?」

 勝手に入ってきた相手がただ者ではないことを、肌を刺す魔力で感じながらも手元から目を離せなかったのは、作業を止める理由に値しなかったからだ。
 薄暗い室内。所狭しと並んだ研究書。素材や試作品は整然と並べられ、淫魔らしかぬ内装だと小言をもらった回数は数えきれないほど。
 実力は上位に食い込むというのに、小細工をする必要があるのかと笑われたのだって幾度となく。
 故に、変わり者と称され、他の同族との接触が減ったアモルにだって、この男が誰かぐらいは理解していた

「……そうですけど、あなたほどの淫魔が何かご用で?」
「あれ、僕のこと知ってる?」
「知らない奴なんていないでしょ」

 耳と口こそ反応しているが、視線だけは一向に交わらない。レンズを通して拡大させた手元、蠢く軟体をピンセットで押さえ付け、実験は佳境に入る。
 本来なら相手をするのも惜しい状況。されど、対応するのはこの男がそれだけの相手だからだ。
 個人主義である淫魔にも祖とする者が存在し、彼女には三人の息子がいる。
 そのうちの誰が訪れてきたか、確かめるまでもない。こんな変わり者の元に来るのなら、同じく変わり者と言われている男だろう。
 何かに興味を抱くことはないと聞いていたが……本人の嗜好か、それとも、何か目論見があるのか。

「悪いけど、作業中だからこのまま聞く」
「今は何を?」
「スライムの改良」

 近づいてくる足音。逸れた意識をすぐに戻し、指先に神経を集中させる。
 なおも蠢く軟体……スライムから慎重に核を取り出し、シミュレーション通りに魔術を刻む。
 強すぎれば崩壊し、弱すぎれば意味がない。ギリギリを見極め、重要な工程が終わったところで息を吐く。

「それ、核かい?」
「見ればわかるでしょ。体液を媚毒にできないか実験しているんだ。書き換えは終わったから、あとは経過観察だけ」

 淫魔の体液が他種族にとって毒になるのなら、スライムも同じように改良できるはずだ。単細胞でできているのだから、核さえ安定すればあとは成果を確認するだけ。
 アモルの腕でなくても、失敗することはほぼないだろう。単に、これを試そうとした淫魔が他にいなかっただけ。

「なぜ、わざわざそんなことを?」
「そっちの方が面白そうだから」
「自分たちの実力で屈服させる方が、みんな楽しいっていうけど」

 案の定問いかけてきた男の反応は、アモルの想定通りだ。
 実力主義である淫魔は、誰もが自分の魔力に絶対的な自信を持っている。同じ淫魔に序列こそあっても他族、特に人間に対しては負けるわけがないと確信している。
 驕りではなく、性欲という人間の本能を揺さぶる部分で追い詰める自分たちが、魔力も精神力も劣っている人間に負けるはずがない。
 そのうえで、絶対的な差を見せつけることも、自分たち淫魔の楽しみ方の一つなのだ。
 だからこそ、淫魔は自身の力だけで人間を弄ぶ傾向にあるし、それを好んでいる。アモルのように他の淫性生物を研究するのは、それこそ自分で人間を狩ることのできない落ちこぼれや相当の変わり者だろう。
 もちろん、アモルは後者であるし、その気になればいくらでも人間を狩ることもできる。それでも研究をしているのは、先に答えたとおり。

「そりゃあ、他の奴らはそうだろうけど……」

 弄っていた核を元の軟体へ捻じ込めば、じわじわと色の変わっていくスライムから、観察していた男をようやく見上げる。
 煮詰めた血のような赤。強い魔力を有した者の証。興味深そうにアモルを見つめる男に、自然と吊り上がる口端。

「玩具でどう遊ぼうと僕の勝手だし、遊び方なんていくつあってもいいでしょ?」

 瞬く赤に、思わず声をあげて笑いそうになる。
 そう、アモルにとって人間は餌ではなく、玩具だ。
 脆くて、か弱くて、馬鹿で、惨めで。それなのにそうだと自覚せず、勝てると信じて立ち向かってくる哀れな生き物。
 最初から諦めて逃げる奴も、威勢良く噛み付いて屈しないなどと喚く奴も、最後には泣き叫んで許しを請い、絶望するというのに学びもしない。
 中途半端に知恵と魔力があるせいで、自分たちの弱さも自覚できない。哀れで、可哀想で、可愛い。どうしようもない生き物。
 それでいて個体差は多く、研究しがいのある……そう、まさしくアモルにとって、これ以上ない玩具なのだ。
 ただ喰らうだけなら簡単だ。自分の強さを見せつけるだけなら、実験なんて必要ない。
 だけど、それじゃあつまらない。
 いつもは小遣い稼ぎに倒しているスライムや、鑑賞している草花に犯される屈辱。限界まで感度を高められ、指一本触れていないのに呆気なく絶頂する羞恥。そのうえで、自由に果てることも死ぬこともできず、自分たちの思うがままに弄ばれる絶望。
 ああ、そうだ。ただ喰らうだけでは物足りない。それでは、あまりにもったいない。
 もっともっと、アモルは奴らで遊びたいのに!

 ふ、と息が溶ける。鼻で笑うものではなく、呆れるのでもなく。自然に漏れた音が、確かに響く。
 微笑んだ唇から途切れることなく紡がれるのは、楽しいという感情。

「ふふっ……聞いていたとおり面白いね、君」
「それはどうも。で、僕に何の用で?」
「用ってほどのことじゃないよ。ただ、君の噂を聞いて仲良くしたいと思ったんだ」

 ようやく本題に入れると向き直っても、赤は瞬き肩をすくめるばかり。
 噂の内容など確かめるまでもない。故に、眉を寄せたのは動機ではなく、目的そのモノに対して。
 面白そうだからお友達になりましょう、なんて。正直に信じられるほどアモルも愚直ではない。

「実際は?」
「気が合うようなら、僕の部下にできないかと思って。いわゆる、お誘いってやつかな」

 だが、確かめた結果、さらに困惑する事になるとは。
 同族に下れと言われるのは、普通なら屈辱的なことだ。互いに戦い、その上で優劣を付け、屈服したうえで定まることが大半。
 とはいえ、今更この男の実力を疑うことはない。むしろ、他の淫魔なら自ら望んで下につきたがるだろう。自らが認めた強者に抱かれるのもまた、淫魔の楽しみ方の一つでもある。
 とはいえ、アモルはそれを望んではいないし、この男もその類の遊びはしないだろう。つまりは、純粋な戦力として勧誘されているわけだが……。

「部下ねぇ……」
「気に入らない?」
「あなたの実力は分かってますし、そこについて不満はないですよ。実際、僕は他のに比べて魔術も知識も豊富だし、普通に戦っても勝てるだろうけど……唐突すぎません?」

 そう、アモルは彼をよく知っている。一方的であろうとも、その実力も、正体も、どれだけ崇高されているかも、全て。
 だが、この男が自分について、どれだけ知っている?
 直接対話したのはこれが初めて。聞いている噂は概ね正しいとしても、余分な鰭がついたものでしかない。
 手下を求める理由はともかく、この男は打診ではなく、アモルを引き入れるつもりでここにいる。
 いきなりすぎると言いたくなるのも当然の流れだ。

「そうかなぁ」

 だが、男だけはそうではないらしい。断られる、など選択にも入っていないのだろう。実際、アモルがこの話を蹴るかと言われれば、否としかいえない。
 研究の時間は減るだろうが、それに見合う対価は十分にもらえるだろう。人間然り、経験然り、他の淫魔をひれ伏せるだけの実力者の元で働けるのなら、多少の犠牲もやむなし。

「ここに来て君と話して、その価値は十分あると判断したけど。これ、全部君が作ったんだろう?」

 これ、と称されたのは所狭しと並ぶ自信作。
 淫性生物の一部や、自分たちの領域でしか生息していない植物を用いて作った玩具。特定の条件で発動する罠に、人間を捕らえることに特化した魔術など。用途を上げればキリがない。
 玩具の大半は、人間を責め続けるだけのもの、と言えばそれまで。
 だが、そのレパートリーは思いついた数だけ存在し、この部屋を埋め尽くしている。
 どれも、アモルにとっては自信作そのもの。

「まぁ、そうですけど。実際に試せたのはほんの一部で、中には失敗しているのもあるだろうけど……」
「それなら僕が提供してあげる。ひとまず、今日はこれでどうかな?」

 指を鳴らすと同時に転がり落ちたのは、手足を拘束されてなお藻掻く人間の姿。
 状況を理解できずとも、恐怖に顔を引きつらせて喚き、逃げ出そうと暴れている。猿轡が噛まされていなければもっと五月蠅かったことだろう。
 この距離から見ても、健康状態は良好。心身共に欠陥らしき部分はなく、精力にも問題はない。
 餌としても玩具としても申し分ない素材だ。到底、他の淫魔に譲るような質ではない。

「必要なら定期的に用意するし、欲しい素材があるならある程度融通もする。その代わり、君の遊びの結果を僕にも教えてほしいんだ」

 戸惑うアモルに、男は更に追い打ちをかける。
 実験体の供給に、新たな玩具のための素材まで。なんと破格の条件だろう。アモルを勧誘するための嘘ではなく、彼なら本当に用意してくれる。
 そうまでして、アモルの研究成果を求める理由は……それこそ、わからず。

「……あなたほどの淫魔なら、僕の玩具がなくても楽しめるんじゃ?」

 実際、暴れていた人間は男に見つめられただけでもう動けなくなってしまっている。並の人間では、同じ空間にいるだけでも相当に辛いだろう。
 その気になれば、見るだけで絶頂させることも可能な相手が、わざわざ道具を用いる理由がどこにあるのか。
 だからこそ、素直に問いかけるアモルに対し、男が不快になった様子はない。

「楽しむのは僕じゃなくて、他の皆だよ」
「それこそいらないの一点張りじゃ? あいつらが僕の道具を使うとは思えないけど」
「今はね。でも、それは狩りを含めて楽しんでいるからであって、供給が間に合えば状況は変わってくる」
「状況?」
「ほら、僕らって飽きっぽいだろう? 逃げる相手がいる間は、その後の遊びも含めて夢中になれるけど、すぐに獲物が手に入る状況になればすぐに飽きてしまう。餌としての観点から考えるなら効率的になるけど、面白くなかったら食欲も湧かないからね。だから、捕まえやすくするだけじゃ意味がないんだ」

 つらつらと並べられる理由は同意できるものもある。
 そう言う意味では、もっとも淫魔らしいのは彼の二番目の兄弟だ。同族相手でも長続きした相手はいないし、獲物だって飽きたら途中で捨ててしまう。逆に言うなら、獲物に固執しない自分たちのほうが異常とも言える。

「少しでも楽しめる工夫が必要なんだけど、僕は他にすることがあるから。将来的には他の淫魔の娯楽面を君に一任したいなって」
「……まるで人間を飼うような言い草ですね」

 理解はできる。だが、それはあくまでも供給が追いつけばだ。
 この男の言い方では前提で話が進んでいるが、そう簡単な話ではない。確かに気に入った人間を飼う淫魔も少なくはないが、彼はほぼ全員に行き渡るまで人間を管理するといっているのだ。
 今の魔王でさえ為しえていない、実質的な世界征服。夢として語るならともかく、実現させようものならそれこそ笑い話だ。
 
「うん、飼うんだよ」
「……本気?」

 だというのに、男が真面目に肯定するものだから、笑い飛ばすことさえ忘れてしまった。
 聞き返したアモルに、ヴェルゼイは笑みを崩さぬまま。何てことのないように言葉は続く。

「今の魔王が勇者たちに倒されるのも時間の問題だ。計画としては、彼らが魔王を倒して浮かれきった頃に奇襲をしかけて、一気に掌握してしまおうってことになってるんだけど……まずはその手伝いを君にしてもらおうかなって」
「いや、ちょっと……マジで?」

 もはや敬意も何もない。魔王側の情勢が悪いのはアモルも耳に入れていたし、それを込みで自分たち淫魔は傍観に徹するとも聞いていた。
 魔王がどうなろうと、人間が自分たちに敵うはずがない。今まで通り変わらず、実験なり餌なりにできると分かりきっていた。
 確かに狩る必要がないのは魅力的だが、わざわざ管理し囲う理由もなかったはずだ。
 労働に対するリスクと、得られる利益も釣り合わない。ましてや、淫魔の中でも頂点に近いこの男ならばなおのこと。
 しかも、その後の管理の一端を自分にも担わせようというのだ。正気を疑うのもやむなし。

「マジだよ。勇者たちがどこまで抗えるかにもよるけど、勝率は八割ってところかな」

 されど、男はどこまでも真面目に語り続ける。残りの二割だって、不測の事態に対しての確率だろう。そんなの、ほとんど無に等しい。
 そして、その無すら、目の前の男は潰そうとしているのだ。

「幸い、皆も乗り気だからね。あとは征服した後の段取りを考えるだけなんだけど……軌道に乗ったら専用の研究所を作って、反抗的な人間を実験体にしてもらうつもりなんだけど、どうかな」

 どうかな、と言われても。言葉だけならあまりに魅力的すぎる。
 あの馬鹿たちがそう簡単に従うとは思えないし、従順になっても定期的に反抗する奴は出てくるだろう。
 アモルは半永久的に遊ぶことができるし、実験だってやり放題だ。管理すると断言している限り、無法地帯になることはない。うまくいけば、同族相手に試せる機会も得られるかもしれない。
 多少は手間取られることもあるだろうが、大した問題にはならないだろう。そう、アモルにとってはメリットの方が勝っている。イイコトずくめ。されど、やはり理解できない。

「悪くないけど、そこまでしてを管理する理由は? 魔王がいなくなろうが、僕らの生活に変わりはないし……それだけしてあなたが得られるメリットって?」
「うーん……強いて言うなら、暇つぶしかな」

 考え、沈黙し。やがて出てきた答えは、痙攣する哀れな獲物を見下ろしながら呟かれる。その瞳に蔑みもなければ、哀れみもない。されど、必要以上の興味もなく。ただ、その事実を眺めているだけ。

「だって、気にならない? 今の魔王を倒せるほどの相手が、僕ら相手にも抗えるのか。平和になったと信じ切った彼らが再び襲われて、どう対処するのか。そして、僕らに支配された時、どんな顔になるのか」

 語る口調こそ楽しそうなのに、確かに笑ってもいるのに、瞳の奥は冷め切って、心底どうでもいいような。矛盾した態度に抱くのは、自分との共通項。
 彼も退屈しきっているのだ。この現状に。この変わりない日常に。
 アモルが人間を玩具として扱うことで抜け出したのと同じく、この男も、それを楽しみにしているのだ。
 それこそが、自分を楽しませることのできる唯一だと知っているからこそ。それが、自分の心を満たせると期待しているからこそ。

「ふふ……楽しみだなぁ」

 赤は、再びアモルと絡む。もはや何の疑いもない。既にこの一連ですら、この男の計画だったのだろう。
 自分の力がなくても、この男なら何とでもできる。だが、アモルがいた方がより楽しいと、男はそう言っているのだ。
 それはアモルにとって最高の褒め言葉であり……何より、そう望まれたこと自体が、アモルの期待以上。
 退屈凌ぎのためだけに人間を支配しようなんて。間違いなくこの男は面白い。
 そして、彼についていけばもっと面白いことが待っているだろう。
 確信めいた予感。裏切られない期待。
 それこそ、アモルが渇望していた展開ではないか!

「ようは、簡単なお手伝いと、遊んだ結果を報告すればいいんでしょう?」
「そのとおり。期待しているよ、アスモリディア」
「アモルでいいですよ。こっちの名前の方が気に入ってるんで」
「じゃあアモル。早速だけど、君の一番の自信作はどれ?」

 見たいなぁ、なんてお願いを断るはずもなく、今更思い出して逃げようとする獲物を見下ろす笑みは、それはそれは楽しそうに歪んだ。
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