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ワニに羽
しおりを挟むリュカが月桂樹の葉を編んでいる。
-おい。
彼はきゅっと眉をしかめ、低い声を出した。
-じゃまだ。ふわふわすんな。ワニのけろ。
そら豆色のワニのぬいぐるみをすこし離して、リンゴが薄く笑う。
-ワニじゃない。ドラゴン。
リンゴはぬいぐるみを持ち上げ、背中についた羽をぱたぱたと動かして見せた。
羽は小さくて白く、ぺたんとしている。
リュカがため息をついた。手にしていた栄冠のつくりかけで、ひざを軽くたたく。
-あのな。何回もきくけど、ドラゴンって、爬虫類なの?違うよね?竜族は竜族だよね?
-子ども。
リンゴがあごをぬいぐるみにうずめ、小さな小さなワニの前足を、ぴょこんとふりあげる。
-大きくなったら竜になる。
-ならん。
-じゃあ、ホンモノのやつ、ください。
リュカはいよいよ眉間にしわを寄せ、口を開けた。
-あん?クリスマスプレゼントに、ワニのでっかい剥製が欲しい、って?
-ドラゴン。
-持ってるだろ今。
―これは子ども。俺が言ってるのは、おとなドラゴン。
ぬいぐるみをなでながら、うっとりと目をほそめるリンゴに向けて、リュカは真剣にあきれた顔をした。
そしてそのままの顔で指をあごにあて、考え込んだ。
リンゴが意地の悪い目を光らせ、狡猾な猫のようにリュカにすり寄る。
-リュカさん。もっかい、蔵、開けない?見るだけ。見るだけだから。
-あーもー!やめろ、てか、おまえ、もう懲りろ。ワニちゃんがいるでしょワニちゃんが。
-ワニはワニだ。
-さっきと言ってること違うぞ!
-こいつが育つの待てません。でかいやつ見たい。もっかい見たい。
-あーもー!やめろ!くすぐったい!ワニですりすりやめろ!だめ!懲りなさい!
リュカは身をふりあげて突っ込みを入れた後、頭を抱えてしまった。
リンゴはリュカのひざからすべりおちた月桂樹の編みかけをひろい、ワニを脇に抱えると、すいすいと残りを編みあげた。
出来上がった栄冠をワニにかぶせ、そのワニをさらにリュカの頭にのせる。
-おい。
うずくまったままの姿勢で、リュカが一段と低い声を出した。
彼の頭の上にのったワニは、勝利の冠の下から、無邪気な瞳をのぞかせている。つぶらな目は、リンゴとおそろいの紅茶色だ。
リンゴは満足げに笑い、さっとぬいぐるみをとりあげて、ぽんと冠をリュカの頭にかぶせた。
そしてさっそうと腰をあげ、
ーしゃーねぇから今日はゆるしてやるぜ。
と、言い置いて、ぬいぐるみを小脇に抱え、奥の階段をのぼっていってしまった。
-今日は?!おい!何が許してやるぜだ、どういう脈絡だよ!
解せん、とばかりにリュカが顔をあげて吠えたとたん、頭の冠がすべって落ちた。
軽くて鈍い音に続いて、上階から、扉の閉まる音が一度だけ聞こえた。
苦虫をかみつぶしたような顔をしていたリュカは、落ちた月桂樹をひろい、ふと真顔になった。
リュカの脳裏に、大空を翼で撃って飛ぶ、太古の生き物の巨大な姿が浮かんだ。
リュカの実家の蔵には、リンゴのいうように、たしかにそれがある。
純白の竜の、全身剥製である。
大昔、まだ竜を狩ることが禁じられていなかった時代に、素材として狩られた竜の”残りもの”だそうだ。
それをリンゴが欲しがって、蔵の管理をしているリュカの兄、ハクアとバトルになったのは去年の夏である。
ワニのぬいぐるみは、ハクアに断固拒否され敗北したリンゴがいじけて引きこもってしまったので、見かねたリュカとイバラがプレゼントしたものだった。
本当はドラゴンをつくってやるつもりだった。
しかし、ホンモノを一度も見たことのないイバラに、「口と胴体はワニっぽい」という説明だけして製作をまかせたところ、出来上がってみたらほんとうにワニだった。
素材はもちもちと柔らかいクッション生地、まるくて人懐っこいフォルム、つぶらな瞳にフェルトの牙、色あいは優しいパステル調と、イバラの好意あふれる素晴らしい出来栄えだったが、ドラゴンの代わりという当初のコンセプトは、残念ながらひとかけらものこっていなかった。
せめてなにか竜らしい部分があれば。
そう考え、リュカはふとひらめいた。
羽があればいい。どうせなら、本物の。欲しがっていた竜の、ひとかけらでも。
思いついたら最後、立ち止まれないリュカである。
その足で蔵に忍び込み、「ホンモノ」の翼の皮膜をほんの少しだけ失敬して逃げてきた。純真純白の竜の翼をほんの両手の平分ほど切り取ってくるのに、リュカが費やした数々の苦労と冒険譚はここにはおさまらないので、割愛する。
竜の皮膜は上質感あふれる和毛におおわれ、クッション生地よりも段違いにきめ細やかだったが、面積が小さいのが幸いして、よくなじんだ。
ただ、見た目のやわらかさに反して恐ろしく弾力があり、イバラは針を何本も折った。
リンゴには、事情は一切話していなかった。
リボンを結んでプレゼントだ、と渡してやると、リンゴは食べられないものをいきなり食べろ、と言われたような顔をした。
その顔を見てこれが竜だとはお世辞にも言えないので、羽ワニ、ととっさに命名し、無理やり押しつけた。
すると、彼はこう言った。
ー羽、いらないんじゃない?
怒りだしそうになったリュカをイバラが微笑みながらおさえ、よい子のワニにはドラゴンの羽が生えるんだよ、と謎めいた説明をした。
若干うさんくさそうだったリンゴは、目をかるく細め、それ以上追求してこなかった。
それ以来、リンゴは自分の寝椅子から見える棚の上に、いつもそれを置いている。
誰かに「ワニ」と言われると、「ドラゴン」と言いなおさせる。
ひまになると持ち歩いて、リュカやイバラにいたずらする。
ごくたまに、書類を繰るハクアのところへ持っていき、彼をいらつかせる。
一時は険悪な火花を散らしたふたりだが、お互いに根に持つ気はないらしく、ハクアも大人の対応で受け流している。
もちろん、リンゴが蔵にねむる「ホンモノ」をあきらめたわけではなかった。
まったくめげずに、すきあらばアピールしてくる。
最も、冗談っぽくねだりはするものの、本気でこだわっている様子はなかった。
けれどときどき、ふと思い出す。
秋の夕方だった。
陽を浴びて、リンゴはいつもの寝椅子でぬいぐるみをひざにのせて、ぼうっと窓の向こうを見ていた。
遠い遠い、手の届かないうつくしい憧れを、見つめているときの目だった。
彼はその指で、ワニの羽を、羽のところだけを、ゆっくりとなぞっていた。
その羽が”ホンモノ”であることを、彼は知らないはずだった。
それなのに繰り返し、愛おしそうになでていた。
体の深いところで、小さな火が灯ったのを覚えている。
いつか。
リュカはゆっくりと、閉じていた目を開けた。思い出のなかから意識を呼び戻す。
手のなかの月桂樹の冠を何の気なしに見つめてみる。リンゴの編んだところが、自分のとまったく違って細やかなのに気付く。リュカは苦笑した。
黙ってそれを頭にかぶり、押しあげるようにリュカは立ち上がった。
大きく鼻息を吐きだし、二階に向かって大声をあげる。
-おい!出かけてくるから、あと頼んだぜ!
返事はなかった。
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