おまじない屋の魔法使い

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雪薄荷の午後

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 午後から急に雪が降りはじめた。
 冬の陽のなかを、白い花びらが細やかに舞っている。
 窓辺は、ときおりふわりと明るくなった。
 そのたびに、不可思議な静けさが満ちた。
 リンゴは今日は眠っていなかった。
 いくらか真剣な顔つきで、窓枠の影が落ちたりひいたりするカウチに腰かけて、静かにハーブを選り分けていた。
 リュカが近づいてきて、その手もとをのぞきこんだ。
 リンゴは目をあげ、何も言わず、リュカの目の前で指につまんだハーブをくるくる、とひねってまわして見せた。
 ふわふわしたやわらかな毛におおわれた、真っ白な葉だ。
 葉裏は、雪に落ちる影のような濃いグレーだった。
 葉のかたちは、ヨモギに似ている。ヨモギは葉裏が白い。この葉はそれとは真逆だった。

 -うさぎのしっぽ?

 リュカが首をひねると、そうくるか、とリンゴはかすかに笑った。

 -雪薄荷スノウミントだ。
 -スノウミント?

 リュカが繰り返し、首を反対方向にひねる。

 -聞いたことないなあ。
 -そうだろ。けっこう珍しい。

 リンゴが薄く微笑みながら、もてあそんでいた葉をぽん、と金属のボウルにほうり込む。
 ふうん、とつぶやき、リュカはおもむろに彼の隣に腰かけた。
 リンゴは膝のあいだに、ふたつの小さなボウルをはさんでいる。
 さらに右の脇に、ひとまわり大きなボウルを置いていた。
 大きなボウルに白いふわふわの葉がかたまり状に入っている。
 それをほぐし、小さい若葉と、大きく育った葉とに分けているのだった。
 リンゴは綿から糸をつむぎだすようなしぐさで白い茎をひきだし、小さい葉と大きい葉をつみ分けた。ふたつのボウルに葉を分けて、茎は床に広げた紙に落とす。
 その様は、まるで指のあいだから雪を降らせているようだった。
 じっと一部始終を見つめていたリュカは、静かにため息をついた。
 リンゴがちらりと目だけで彼を見、薄く微笑むと口を開いた。
 
 -こいつは、雪の多い地域の特産品なんだ。
 でも、雪と見分けがつきづらい。探して、集めてまわるのは骨だ。
 だから希少なんだ。それに。

 リュカが身をのりだして聞いているのを見て、彼は笑みを深くした。
 その目に、どこかいたずらっぽい光がうかんだ。

 -それに?

 リュカが待ちきれなくなって、続きをうながす。
 リンゴは焦らすようにゆっくりと作業にもどり、葉を引きだしてくるくるまわしながら、笑いを含んだ声で言った。

 -ちょっと面白いものがつくれるんだ。おまえには、うってつけかもな。
 -?なんだよ、それ。

 あまりいい意味で言われていないと悟って、リュカは少し鼻白む。
 リンゴが和ませるように、その顔の近くで、つみとった若葉をくるくるまわしてみせた。
 そして微笑み、目をきらめかせた。

 -不幸がつくれるんだ。
 -ふ。

 リュカは、目をぱちくりさせる。ふこう、と口のなかでつぶやき、

 -なんじゃそりゃあ!
 
 と大声で叫んでのけぞった。リンゴがそれをみて、からからと笑う。

 -おもしろくていいよな、おまえ。
 -いやいやいや、おれのことはどうでも。
  ってか、それがおれにうってつけって、どういうこと?リンゴさん!?
  おれが不幸になるのがお望みなの?
 -あるいはな。
 -ちょっ!マジで今後の付き合い考えるわ!

 リュカはいきりたってリンゴの膝に身をのりだし、抗議のまなざしで彼を見た。
 リンゴはくすくす笑ったまま、目を細めて手のなかの葉をつみ分け続けている。
 リュカが負けずに詰めより、額と額が触れるほどの近さになってやっと、彼は手をとめた。

 -ちょっと話を盛っただけだ。そんなに食いつくと思わなかった。
 -どういうことかな超説明求むわ。

 リュカは眼光をゆるめない。リンゴは少し真面目な顔をした。

 -薄命酒、って知ってるか?
 -知らない。
 
 仏頂面でリュカが首をふる。
 リンゴは首をすくめ、子どもに読み聞かせるような穏やかな声で話しだした。
 
 -ふつう、酒を飲むと気分が高揚するだろ。
  だけど薄命酒は逆に、飲むと自分の存在感が薄く感じられて、さみしい気分になる。
  影が薄くなるんだ。自分から見ても、他人から見ても。
  飲みすぎると現実感も薄らいでいって、自分や周りの世界がはかなく見えてくる。
  本当に不幸になるわけじゃなくて、一時的な錯覚だけど、体験すると結構強烈らしい。
 「薄幸酒」ともいうぐらいだから。

 おれも飲んだことはないけど、とつぶやくリンゴから身をはなし、

 -ふへー。いらねえ。

 リュカは目が覚めたようにまばたきし、大真面目に顔をしかめて首を横に振った。
 そしてまだ話はおわっていない、とばかりにリンゴの額を指でつんつん突きながら詰め寄った。

 -そんなのを、どうしておれに勧める。そこ。それが知りたいおれは。まずそれ。

 リュカのしぶとさに押されてリンゴはわずかに身をひき、ごまかすように笑った。

 -いや、おとなしくなるかな、と思って。
 -だいぶヤバイ方向に大人しくなるよな、それ。
  だいたいな、おれ、あんまし酒つよくないから。
 -知ってる。
 -うん。よな。なのに、輪をかけてそういうことしちゃうと、もうおれ、寝ちゃうよ?
  薄くなって誰にも気づかれないまま眠るわ。おやすみなさい。
 -寝るだけか。
 -おう。存在感なくなって、たぶん兄貴とかに盛大に蹴られるわ。
  そういうのをお望みなのね、ふーん、あっそう。

 口をとがらせ、すねて横を向いてしまったリュカの横顔を見て、リンゴは吹きだす。

 ーおまえ、ふつうにいつも、蹴られたり転がされたりしてるだろう。いつもと同じだ。
 -あっそう。って、なにィ!?

 軽くうなずきかけたリュカが、目をひんむく。気圧されたリンゴが驚いて身をひいた。

 -いつも蹴られてる!?どういうことだ?

 鬼気迫る顔でにらまれ、リンゴはそっと目をそらした。

 -おいっ!
 -いや、気づいてなかったのか。すまん。
 -だからそれはどういうことかなって、聞いてるんですよリンゴさん?!
 -おまえ、いや、なんでもない。
 -いやいや、もうそこまでバレちゃってるからね!?
  そこでオブラートに包んでももう遅いよリンゴさん!?
  八割がた伝わってきちゃってるよ!?
 -じゃあ、わざわざ聞かなくてもいいだろ。そういうことだ。

 急に居直るリンゴとリュカはしばしにらみあい、ふたりの間に音もなく火花が散った。
 やがて、リュカが疲れたようにげんなりと力を抜き、リンゴの肩にゆっくりともたれかかった。
 そのままぶつぶつとうめく。

 -もう、なんなの。そういうことってどういうことだよ。
  おれの扱いなんなの。
  いっそ、雪だか薄荷だか知らないけど、それ飲んで、誰にも知られず遠くへ行きたいわ。
  気づかれなくてすむんだろ。
  うすーくなって、こっそり遠くへいって、気づかれずに海へでも言ってさ。
  そんで思いっきり、バカヤロー!って叫んでやる。
  あー、すっきりしてえー、海行きてえ。
 -普通に行けよ。

 リンゴがわずかに険しい顔をして返す。
 その手は、ハーブの選別にもどろうとして、ふたたびとまった。
 思い直したようにため息をついて、リンゴは自分にもたれかかるリュカのつむじに向かってつぶやいた。

 -わるかったよ。

 のっそりとリュカが顔をあげた。

 -え?

 聞きなれない単語を聞いたときのような顔をする彼を見ながら、リンゴは肩をわずかに落とす。

 -あまり、遠くへいくな。
  ほんとに危ないんだ。純度の高い薄命酒は、それこそ薬物と同じだ。
  マイナスにマイナスをかけて、落ちるところまで落ちていこうっていう発想で、おまえの言うように、本当に海に入っちまう奴が後を絶たない。
  おまえにうってつけ、なんて言ったけど、実際にやるなよ。
  甘く考えてもらっちゃ困る。おれが誘発したみたいじゃないか。
  変な知恵つけて悪かった。
 ーおい。
  変な知恵ってなんだ。
  心配してくれてんのはまあいいとして、最後の一言は納得いかねえ。

 どこか熱っぽい目をしながらも、不満そうなに顔をしかめてリュカは身をのりだした。
 リンゴはまじまじとその顔をのぞきこみ、あきれたようにまばたきし、つぶやいた。

 -前言撤回。やっぱ飲め。一升いっとけ。
 -こいつぅ!

 リュカが勢いよくとびかかったので、リンゴがのけぞるはずみでひざにはさんでいたボウルがぽんと宙にとび、白い羽毛のような若葉が舞い散った。

 -うわっ!ちょ、危ないっ!おれの労力がっ!おまえ、ひろえよ、全部!
 ーおーう、雪景色ーィ!うわーいなかも外も真っ白しろだー!
  ってなわけで、雪白ヘッドロック!!
 -雪関係ないだろ!!
 -あるある、大ありィ!おまえの命運は尽きた、薄幸はかなんで神妙にしろィ!
 -なんでおれの命運が尽きるんだ!おまえが尽きろ!ええぃ、離せっ!
  ちょ、痛いわ、本気でやるなよ!

 リンゴが悲鳴をあげ、首にまわったリュカの腕と押し問答して暴れた。
 しかしリュカが足で、ひざかけ毛布や選別前のハーブのボウルなどを盛大に巻き込みながらリンゴの胴体を封じようとしたため、一面に雪薄荷がふりまかれてしまった。

 -うっわ!ちょ、ストップ!ストップ!!
 ーあん!?

 時はすでに遅かった。
 あたり一面にふわふわと白いものが舞いおちて、音もなくまばらにつもる。
 ほんとうに雪がふっているようだった。

 ーああ!全部落ちたじゃないかっ、この野犬!
  おまえの今度のクリスマスプレゼントは極上の薄命酒で決まりだ!世を儚め!
 -へっへー、残念!
  誰かさんが変な知恵つけてくれちゃったから、そんな手はもう通用しませんっ!
  そういうのは、こっそり兄貴のグラスにでも盛って。

 勢いづいて言いかけたリュカは、そこで急に真顔にもどった。
 リンゴも同じだった。ふたりは黙って顔を見合わせた。
 リュカが真剣に、首を横に振った。猛烈に振った。

 -ダメだ。ムギ兄ならともかく、ハク兄はマジで入水しかねん。
 -おれも今そう思った。

 リンゴが目を見開きながらうなずく。ふたりはどちらからともなく言いあった。

 -ダメだ。
 -ヤバいな。

 そしてふたりともどちらからともなく、降り積もる雪が舞う窓の向こうを見た。
 通りの雪はひと通りどけられていたが、そのわだちの上にまたうっすらと、新たな雪が降り積もっている。細かな雪片がその上を、空気を震わせるように舞い踊っていた。

 -雪、止まんな。
 -うん。そしてこっちも雪まみれ。
 -わー、やったあ、季節感もりもりー。
 -というかなんでこうなった。
 -おまえのせい。
 -いやおまえだろ。
 -いやおまえ。
 -いやいやおまえ。

 さりげなくお互いの肩を押し合ったあと、ふたりは同時に肩をおとした。

 -ひろうか。
 -おい、おまえ、踏んでる。
 -これ茎だろ。
 -ちがう。左足。
 -おお。足毛生えたわ。
 -なんではだしなんだ。
 -中だもの。
 -寒いわ。
 -おまえが寒がりすぎなんだ。毛布かぶっとけ。
 -ちょっ、うわ、すっごい付いてる。なんだこれ誰のせいだ。
 -あー、たぶん、おれ?
 -?ってつけんな。おまえしかいないだろ。
 -うん。

 リュカがうなずいて黙ったので、リンゴも黙った。
 ふたりはそれから黙々と手を動かした。
 床に落ちたり、木目にはさまったり、窓のほうへ飛んでいたり、壁際に逃げたり、カウチに吸い寄せられるようにくっついていたり、思い思いの場所に散らばっている雪薄荷をつまんで集めた。
 薄い陽がさしこみ、やわらかな光と影が淡く照ったり弱まったりしている。
 外で音もなく降りしきる雪の、小さな灰色の影がカウチのうえで踊っていた。
 リュカのかがんだ背中にも、リンゴの横顔にも、おなじ光と影が踊る。
 ふわりと急に明るくなった。
 さしこんできた陽の強さに、ふたりは同時に目を細めた。
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