おまじない屋の魔法使い

ラブ

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金のスプーン

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 リンゴは魔法使いだが、滅多に魔法を使わない。使う機会がないからだ。
 おかげで、一緒に暮らして日の浅いリュカには、今一つリンゴの魔法の実力というものがわからない。
 上手く言えないけどすごい、というイバラの評を聞いてはいたのだが、日頃夕食で嫌いな野菜を抜き、ごみ箱にシュートするくらいしか魔法を使わないリンゴを見ていると、ほんとうにすごいのか?という疑いがつのる。
 試しに夕食後、リュカはリンゴの部屋に押し入り、魔法を使うところを見せてほしいと言ってみた。
 するとリンゴは静かな顔をして、どういうのが見たいのかとたずねた。
 とりあえずなんかすごいの、とリュカが言うと、リンゴはふうんとわけ知った顔をし、首元から鎖で下げたペンダントをひっぱりだした。
 よく見ると、ペンダントというにはトップの飾りはすこし大きかった。金色に輝いているのは、リュカの目にはどう見ても、少し凝った装飾のついたコーヒースプーンに見えた。小さな赤い石がついている。
 リンゴは、普段軽くものをどかしたり、手の届かないところへものをのせたりするのに魔法を使うが、道具を使う様子は一切ない。手をかるく動かすだけだ。
 本格的に使うとなるとそれがいるのか。ライカは感心したが、しかしそれにしても、どう見てもスプーンにしか見えない。
 なにかの仕掛けがあるのだろうか。
 見ていたが、リンゴは軽く目をほそめ、スプーンを曲げてみせるあのマジックみたいに、利き手でそれを握っただけだった。
 曲がるのかと思ってみていたが、曲がらない。
 やがてリンゴは目を閉じてしまった。
 やっぱり何かあるのか、と思ってみていたが、何も起こらない。
 -あの。
 思わずリュカは声に出してしまった。
 -なに?それ。スプーン、だよな?
 リンゴが目をすうっと細く険悪に開いたが、リュカは気づかず、さらに言った。
 -それで魔法使うの?どっかの妖精おばさんみたい。
 自分の言ったことに、リュカはくすっと吹きだした。
 リンゴはしらっとした表情をつくったあと、ふん、と鼻をならして口の端をつりあげた。握りしめたスプーンの先をぐいっと床に向け、何かを引き抜くように腕を大きくふり払った。
 その動きに金色の奔流が火花をまき散らして軌跡を焼きつけ、ほこりを巻き上げ部屋中のものというものをゆさぶる衝撃の波となった。リュカが驚いて身をはね起こすのと、力が噴出してスプーンが本来の力を発揮するのとが同時だった。
 スプーンは見る間にリンゴの手のなかでなめらかに長く伸び、円環を描く二対の蛇の彫金がほどこされた杖頭が、挑発的な光を放った。
 自分の身の丈ほどの長さになったそれを両手でどっしりとかまえ、リンゴは見下すように笑った。赤い媒介石がちらりと輝き、かすかな音をたてる。思わず後ずさるリュカをにらみつけ、鼻を鳴らす。
 -スプーンがなんだって?
 リュカは口をぱかっと開いただけで何も言わなかった。リンゴはリュカの答えを聞かなかった。もはやれっきとした黄金の杖であるそれをがつんと床に突き刺し、吠えた。
 -目にもの見せてやる。顕現せよ!我が力の奔流よ!!
 とっぷり暮れた夜のしじまに、金色の閃光と、リュカの悲鳴がとどろいた。

 -ちょ、何やってんの?!
 ただごとではない物音を聞きつけ、イバラがかけあがってきてドアを開けた。とたんに額髪をわけ服のすそがぶわりとめくれて、光の波が彼を押し出そうとした。イバラは思わず両腕で顔をおおった。目を細めて中の様子をうかがう。
 部屋の奥まったところから窓ガラスをびりびりふるわせ、黄金のオーラの波が吹き寄せている。それをなすすべもなく全身に浴びながら、しりもちをついたままリュカが頭をかかえてふるえている。そのリュカを正面から見据える格好でリンゴがまっすぐに杖をかまえ、その赤く輝く切っ先をリュカの眉間にぴったり向けていた。杖から吹きあがる黄金の輝きの波のせいで、リンゴの顔は見えず、部屋の中のものもすべて金色に染め変えられていた。
 ー何やってるの、リンゴッ。よしなさいっ!
 オーラの波にあえぎながら、イバラが険しい声で叫ぶ。しばらくそのまま変化はなかったが、やがて急に光の圧力がうせ、しゅんとかすかな響きをのこして完全にかききえた。床の上には、勢いで吹き寄せられたカーペットに巻きつかれ、いまだ頭を抱えてうずくまるリュカがのこされていた。
 ひとつ大きく息をつき、リンゴの目から威圧的な光が消えた。まだ彼の瞳は煌々と燃え盛る炎の色をしていたが、それもやがてくすんで夕陽の名残のようになり、黒ずんで元の色に戻っていった。瞳の色が完全に黒に戻ると同時に、リンゴは片目をすがめ、頭をぼりぼりとかいた。
 -リンゴ。リュカ、大丈夫?
 部屋に踏み入ったイバラが、まず床のリュカのそばにしゃがむと、リュカはそろりと腕をほどいて、イバラの顔をちらりと見た。そのまま、何も言わずにイバラの顔をじっと見つめる。
 -何がどうしたの?
 イバラが首をかしげたのを見て、リュカは呆然と首を横にふった。幽霊のような口調でつぶやく。
 -おれ、なにもしてない。魔法、見せてほしいって、言ったら。
 ごくんとのどをならし、リュカはそれ以上言葉を続けられないようだった。リュカの髪は、普段額にかからないよう後ろで結んであるが、それがほどけると前髪が鼻にとどくほど長く伸びている。今や目のまわりにばらばらと落ちかかった髪が額にはりついて、本当に化けて出たような様相だった。リュカは表情がぬけおちてしまったように口だけをかすかに動かす。
 ーこわかった。
 イバラはリュカの肩を抱き寄せて頭をかるくなで、いつもよりも厳しい目でリンゴを見た。リンゴは射すくめられたように、びくりと肩を縮めた。そのまま、ふくれっつらでそっぽを向く。
 リュカがぐったりして涙ぐみ、イバラの腕にもたれかかった。
 -リンゴ。
 イバラが低い声を出す。リンゴは嫌いな食べ物を皿に出された時のような顔をした。イバラが黙って手招きすると、リンゴは心底嫌そうに肩をすくめ、それでもしぶしぶ二人に近づいてきた。けれど、ほんの数歩歩いただけですぐにぴたりと立ち止まった。
 それを見て、イバラは悲しそうな顔で言った。
 -どうしたの。リュカが、ここまでするほどのことを、きみにしたの?リンゴ?
 もの柔らかに問いかけられて、リンゴは自分の足元にぎゅっと目をおとした。頬が火照って、眉間に力がこもる。リンゴは目をつぶって、小さく首を横にふった。
 かと思うと、突然彼は足踏みした。
 -でも、笑ったんだもんそいつっ。
 リンゴの叫び声に、イバラのうでのなかのリュカがすくみあがった。かすかな悲鳴を上げて、顔をイバラの胸に伏せる。その背中と頭とをそっと支えてなでながら、イバラは吐息をついて、じっとリンゴを見つめた。悲哀の色で、瞳が深い碧みを帯びて見えた。
 リンゴは追い詰められたように口を開き、何も言えないまま引き結んだ。だって、と小さく呟いたが、肩をいからせてうつむいたまま、こぶしをかたく握りこんだ。
 ーごめんなさい、おれのせいです、ごめんなさい。
 突然リュカが甲高い声をあげる。驚くイバラのうでのなかで、リュカは大きく首を左右に振り動かした。イバラが背中をさすっても、リュカは目を見開いたままごめんなさいと繰り返した。
 -リンゴ。
 リュカから目を離さず、イバラが静かに呼びかける。
 -きみの魔法が、怖いだけのものじゃないって、教えてあげて。
 穏やかだが、有無を言わせない調子で言い、イバラは顔をまっすぐにあげてリンゴを見つめた。
 リンゴはまぶしそうに顔をしかめ、イバラのまなざしに押し任されるように背をかがめて、一瞬沈痛な表情を見せた。
 それを見て、イバラは花が咲いたようにやさしく微笑んだ。
 -きみの魔法で、一番素敵なのを見せてあげてよ。そうすればきっと、リュカもわかってくれる。僕もそれが見たい。
 言いながら、赤ん坊をあやすようにイバラは腕のなかのライカを、そっと揺り起こす。リュカは目をしょぼつかせながら、そろりと顔をあげた。
 リンゴはぎゅっと瞳をつぶったまま、そっと手で胸元をおさえた。鎖でさがった黄金のさじを、そろりと握りこむ。リンゴは目を開いたが、その顔はどこか心もとなさそうな、自信のない様子だった。
 しゅんとうつむいたまま、リンゴは長い鎖を首からはずし、手に巻き付けて、その手をまっすぐに伸ばした。目を伏せたまま、じっと立つ。赤い光がこぶしのなかからちらりとまたたいたかと思うと、リンゴの足元から天井にも届くほどの黄金の炎が一瞬で吹きあがった。
 ひっと短い悲鳴をあげてリュカがすくむ。そのからだをしっかりとイバラが抱きとめ、眩しい光を強いまなざしで見つめた。
 -大丈夫。
 リンゴの手の中で黄金の杖が、澄み切ったはがねを打ったような響きとともに長く伸びて現れ、双頭の蛇が護る赤い石が誇るように輝いた。
 杖を両手でしっかりと握りしめたリンゴは、目を閉じて深く深呼吸した。再び目を開いたとき、その目は燃え盛る石炭のような深い紅だった。
 一瞬だけ、リンゴは肩をおとした。自信のなさが再び瞳ににじんだが、彼はぎゅっと唇を結んで、杖を片手に持ち替え、そのまま上体を大きくひねった。
 リンゴの足元で金色の光が円を描く。そのままリンゴは、杖でなぎはらうように空間を大きく切った。
 びゅん、とかすかにしなる音がして、思わずイバラとリュカが身を縮めた。杖は彼らのはるか頭上を通りすぎた。やがて、金色をふりこぼし空中に漂うその軌跡の粒子から、光でできた花びらのようなものが、ちらりほらりと舞いはじめた。
 身をすくめていたイバラが、はっとして目を見開く。ぼーっとしたままのリュカの目も、しだいに大きく丸く開いた。リュカが口を開けて、つぶやいた。
 -なにこれ。
 リンゴの杖の軌跡からにじみだした金色の粒子があつまり、二人の頭上で雲をつくっていた。黄金色の砂糖菓子のような甘い色の花びらが、ふわりふわりとその雲からまいおりてくる。口を開けてみているリュカの額にそっととまり、手をさしのばしたイバラの指先をすりぬけて、ひざのまわりに温かくふりつもっていく。
 -なにこれ。すっげー、きれえ。
 リュカの目が輝き、顔が生き生きと紅潮しはじめる。イバラもあたりを見回して、同じように頬をバラ色にそめた。いつのまにか、ふたりのまわりにはやわらかな花びらの絨毯ができていた。イバラがその花びらをすくうと、とたんに空気にとけるように細かなひらめきをのこして消えた。
 -雪花、天爛。
 凛としたリンゴの声が、ふと甘やかな空間を割って響いた。
 イバラとリュカが振り返ってみると、リンゴは苦しそうにも、切なそうにもとれる沈んだ面持ちで、杖を横一文字にかまえていた。
 剣をさやから抜き放つような動きで、リンゴはゆっくりと両腕を開いていく。片手に杖を、もう片方の手は何かを受けとめるように大きく広げ、リンゴはその身を差し出すように腕を広げきって天を見つめ、告げた。
 -春紛い。
 ぶわっと嵐のような風が立ちのぼり、イバラたちのひざの下から彼らを持ち上げんばかりに吹きあがった。黄金色の花びらは、一瞬で大きくかき散って、空中に勢いよく散らばり、さっととけた。続いて光が、まるで足元から日の出が昇ってくるかのように照り輝いて、イバラたちは思わず身を縮めて丸くなった。瞳を焼く光に何も見えなくなる。そのなかで不思議な音が響いてくる。ぽつぽつと雨の降るような、豆のさやが弾けるような、少し気ぜわしいが楽しげな音だ。それがどんどん大きくなり、数を増していく。やがて大雨が降っているような音となった。けれどその音は降ってくるのではなく、昇っていくという錯覚をおこさせた。光の雨が、空へ向かって昇っていく。
 まぶしいなか、イバラとリュカは、同時に意を決して、こわごわ瞳をあけた。その目にうつったのは、黄金の輝きではなかった。むせかえるような、みずみずしい新緑の芽吹きの色が、辺り一面に金色の露を帯びて広がっていた。空間はどこまでも開け、自分たちは萌え出づる春の盛りの野に腰をおろしている。爪の先ほどの小さな小さな白い花があちこちに咲き群れ、ちょっと向こうのしげみでは薄桃色の小首をかしげた匂いスミレが、遠くの開けた原っぱでは楽し気なたんぽぽのひと群れが、かすかな甘い香りとともに咲いている。イバラがふとひざ元に目をおとすと、細くしなやかな若葉のうえを、赤いてんとう虫がよちよちと渡り歩いていた。
 -うわあ。
 イバラの笑顔が咲きほころぶ。
 -すっげ。
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 ぽつぽつという不思議な音が響き続けている。どこかでまだ日の光を見ぬ小さな種が、ぽつん、ぽつんと息吹いているのだ。どこまでいっても、その音で大地はいっぱいだった。リュカが大きく両手をのばし、嬉しそうに草の上で大の字になった。手にちくちくとやわらかくあたる草の感触に、くすくすと笑う。頭上には澄んだ青い空がいっぱいに広がっていた。
 イバラの見つめている先で、てんとうむしはとうとう羽を大きく広げ、青空に飛びたった。
 それを見つめて、イバラはうっとりとほほ笑んだ。花の香を含んだ風がすうっと吹いてくる。西からくる温かな風だ。リュカもふわりと笑った。
 風にそよぎ、草花たちがうたうようにさざめいた。ほんの少し不安げにうつろい、陽がかげり、またいっぱいに陽光がさしてくる。
 まっさらな光が降りこぼれ、あたりは温かく輝いた。
 ふたりは同時に満足したため息をつき、つぶやいた。
 -春だなあ。
 -春だねえ。
 その言葉を合図にしたかのように、すべての光景がふとかき消えた。
 イバラがまばたきすると、いつもの部屋で、寝転がっているリュカの隣に座っている自分がいた。きょとんとした顔のリュカが、そのままもそりと起き上る。
 ふたりは顔をみあわせた。きつねにつままれたような顔、というのは、こういう顔だろうかとイバラは思った。
 ふと、目のはしに、リンゴが杖をそっとおろすのがうつった。
 はっとしてイバラが顔を向けると、リンゴは辛そうな顔で杖を軽く握り、同時にかすかな光の粒をふりまいて杖は消滅した。
 鎖の音をかすかにたてながら、リンゴはそれを手からほどいて、ふたたび首にかけた。ぶらさがっている金のスプーンを、用心深く服のなかにしまう。
 イバラもリュカも、声をかけられなかった。美しい春の野の余韻をかき消してしまうくらい、リンゴの瞳はさみしそうにかげっていた。
 かすかに顔をあげ、リンゴが問いかけた。
 -これでいい?
 イバラとリュカは声もなく顔をみあわせた。なんと言っていいかわからなかった。
 答えが返ってこないので、リンゴはもう一度、少しゆっくりと問い直した。
 -これで、あってた?こういうこと?素敵って。
 リンゴがあまりにも悲しそうにたずねるので、その気持ちを汲みあぐねて、イバラとリュカはあいまいにうなずいた。しかしそれでますますリンゴは不安になったらしく、顔をふせて力なくかぶりをふった。
 -やったことないんだよ。こんなの。本とか読んだイメージで、適当に、こんなもんかな、って思って即興でつくったけど。おれには、見えないんだ。ふたりがほんとは何を見たのか。おれには、ただ、こういうのを見せたい、っていうのしか、思い浮かばない。・・・ちゃんと、見えてた?素敵な景色だった?
 ーうん。うん。
 イバラはそれを聞いて、何度も何度もうなずいた。
 -素敵だったよ。最高だった。もうずっと、あのなかにいたいと思うくらい。素敵だった。
 イバラの言うのにつられて、リュカも大きくうなずいた。
 -すっげー、きれえだったよ。あんなのできるなんて、おれほんと、すげえと思う。おれもう、ほんとに春が来たのかと思っちゃった。何もかも忘れそうになった。
 リンゴの顔が、自嘲めいた笑みを浮かべた。鼻先で笑う。
 -そういう、魔法だから。とりこにして、相手の精神的な油断を誘う。幻術、ただの目くらましだよ。それをちょっと、アレンジしただけ。
 -いや、それでもさ。すごかったよ。
 リュカは熱気のこもったまなざしでリンゴを見つめ、言った。リンゴが少し気圧されたようにからだを引くのにもかまわず、熱くこぶしを握る。
 -おれ、いっぱい幸せになった。一瞬でも、魔法でも、マボロシでもなんでもさ。お腹いっぱいになったよ。あと、その。ごめんな。おれ最初、笑ったりして。
 リンゴは目を丸く見開いたまま、口をかすかに開いたが、何も言わなかった。きょとん、とぽかん、の間にあたるような、妙な抜け加減の表情に、イバラがくすりと笑った。
 -そうだよ?リンゴはできる子なんだから。魔法では、僕たちなんかおよびじゃないんだからね?世界一かも。
 おどけたように言って、腰に手をあててみせるイバラを見て、リュカも吹きだした。
 -世界一かはどうかな。あながち外れでもなさそうなのが怖いとこだけどさ。ただ、まあ、なんだ。おれ、なんか死ぬかと思っちゃったよ、最初。あれだな、すっげー間抜けだった、よな。おれ。
 イバラが声に出して笑い出す。
 ーそうだねえ。魂ぬけた人みたいになってたよ、リュカ。今思えば、らしくないよね。そんなに怖かったの?
 -いや、なんつうか、ほら。魔法自体に、あんまりいい思い出なくってさ。いろいろと、フラッシュバックした。トラウマ、ってやつが。
 -ああ。
 イバラが理解を示すようにうなずく。ふと、リンゴが静かすぎるのに気付いて、ふたりはどちらからともなく彼を見やった。
 リンゴはぼうっと足元の床を見るともなく見ていた。考え事をしているようだった。ふたりが見ているのに気付くと、所在なさそうな顔をした。何かいいたそうにしているようにも見えた。
 -リンゴ?
 イバラが問いかけるように呼ぶと、リンゴは黙ったまま歩み寄ってきて、ふたりのそばに、けれどぎりぎり手の届かないところに腰をおろした。そのままぺたりと足を崩す。
 大きくため息をついたリンゴに、イバラが優しくたずねた。
 -疲れちゃった?
 リンゴは首を横にふる。しばらく黙っていたが、そのうちに思いつめたような瞳の色が濃くなり、あっという間に目が潤みはじめた。
 濡れた瞳を、リンゴはまっすぐリュカに向けて言った。
 -しあわせって、言った?
 リュカは一瞬困惑したが、ゆっくりと言葉の意味を呑みこむと同時に真顔になって、大きくうなずいた。瞳に強い光が宿った。
 リンゴはますます悲しそうな声を出した。
 -おれ、リュカのことしあわせにした?ね、しあわせって、そういうのでいいの。
 不安そうにゆらめくリンゴの言葉を、リュカはまっすぐな視線でとらえた。彼はぶれなかった。にっと微笑んだ。若干不敵ですらある笑顔だった。
 -疑ってんなよ。さっきそう言ったろ。二度もいわせんな。おれは満足したよ。すげえって思う。
 ーほんとに。
 -だから、疑うなって。そうだよ。おれはしあわせだと思ったよ。
 -おれの魔法が、ひとを。
 そこでリンゴの感情はあふれだし、瞳に涙がにじんで目元が濡れた。
 -しあわせにしたの。
 ーしたよ。
 リュカが深くうなずく。イバラも、そっと微笑んで、うなずいてみせた。
 -ほんとに。
 涙声でリンゴがたたみかける。
 -ほんとだって。だから疑うなよ。おれはうそつかない主義だ。
 -僕もリンゴに嘘はつかないよ。
 イバラが添えて言った言葉に、ややあってリュカが吹きだす。
 -いや、それ、リンゴ以外の奴には嘘つく、って言ってるように聞こえんだけど。
 ーそんなことないよ。
 イバラはとんでもない、といわんばかりにのけぞって手を横にふり動かしたが、目は笑っていた。
 -少なくとも、リュカにはうそつかないよ。リンゴと同じに。
 -おい、ちょっとまて。それじゃ、他のやつにはつくのかよ。
 -まあ、時と場合によるよね。
 ーほら見ろ。っていうか何だそれ、腹黒か。やっぱりか。
 否定せずにっこり笑うイバラのおでこを、リュカが軽くはじくまねをして見せ、ふたりはくすくす笑った。ふさいだ顔をしていたリンゴも顔を少しあげ、小さく吹きだし、やがて笑いはじめた。
 リンゴが笑ったのを見て、ふたりは軽く目配せしあい、さらに笑みを深くした。
 照れくさそうに少しもじもじしたあと、リンゴはゆっくりと二人のほうへ身を寄せてきた。腰をひきずりながら三人輪を描くような位置まできて、またぺたりと座る。イバラとリュカが迎え入れるように、小さく笑った。
 ーいやあー、スプーン、すげーなあ。
 とってつけたようにリュカが言う。若干不自然だったのでイバラとリンゴは目を丸くしたが、笑いの余韻に包みこまれて、ふたりそろって吹きだした。
 リュカもほっとしたように笑う。そしてしんみりと言った。
 -目にもの見たよ。バッチシ。
 リュカのまなざしに気づいたリンゴは頬を赤らめ、少しうつむいて、うんと言った。そして小さくつぶやいた。
 -やりすぎた、かも。
 -そんなことないって。
 明るくリュカが打ち消す。
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 ふと夢見る顔つきになったリュカを見て、リンゴはすこしだけいじわるく目を細めた。
 -やっぱやりすぎだった。おまえにはもったいない。
 -なにおう。へっ、もらったもん勝ちだもんね。
 -またやってよ。
 イバラが横入りしてきた。リンゴが目を丸くする。
 イバラは、目の前にあの春の野がひろがってるみたいに、幸せそうに微笑んでいた。
 -もう一回、何度でも。またみたいな。
 -現実逃避に使われるのはいやだ。
 急に冷めた口調でリンゴが切り落とすように言ったので、リュカに後ろ頭をはたかれた。
 -出し惜しみするんじゃないの。せっかくすっげーのに、もっとおれたちを喜ばせろ。
 -見返りが何もないんですけど。
 じっと目を細めて言うリンゴに、言葉につまったリュカは、あごに手をあてて悩みながら、言った。
 -そりゃあ、おまえ。だったら、うーん。今度遠征行った時、土産に。
 最後まで言い切らないうちに、突如目を輝かせたリンゴがリュカに飛びついた。
 -スタクロの限定黄道12星座チョコ。フルセット36個入りで。
 -いや、おま、それレベルマックスだろ!?
 リュカが驚いて目をむくのに応え、リンゴはにやにやと笑ってかぶせる。
 ーしあわせは、お金じゃ買えない。でも、チョコは金で買える。どっちが価値がありますか、リュカさん。
 -あーもー!わかったよっ。
 -わかったの?!
 やけくそ気味に叫ぶリュカの結論をうけ、今度はイバラが目をむいた。
 -だって、それ、報酬丸ごととぶような。
 -いうな。言わないで。くそお、こいつ、この、ただでは起きねえな、この、こいつっ。
 -へへん。
 額を猛烈にこづかれながら、リンゴは得意げに鼻から息を吹く。心底嬉しそうだった。
 -うん。おれもちょっと、しあわせになった。
 -言ってろ。
 あきれてリュカが手を離す。それを見つめて、イバラもなんだかなあという顔で微笑んだ。
 しばらく無言がおりたあと、三人は不揃いにだが吹きだし、くすくすと笑いあった。
 春の香りが、まだほのかに香っているような気がした。
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