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神域参り
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おかしい、とリンゴは思った。
以前にここで見たものは、一対の、黒と白の柱だった。
まっさらな雪のような色をした、大理石の神殿への入り口だった。
踏み入ればすぐに、月をうつす水鏡が見えてくる。蓮の浮かぶ丸い泉、夜天へむかって開けた吹き抜け。
しかし、今どんなに歩を進めても、そういったものは見えてこない。
肌に触れる空気はほんのりと湿っている。細かな水の粒子が飛びかっているようだ。夜気よりも濃い気配が満ちている。
石造りの澄んだ冷気ではない。足には柔らかいものを踏みしめる感触がある。草だ。草が繁りあっている。
足がもつれて思わずよろめいたリンゴを、イバラがふと振り返った。
イバラはかすかに目を見開いた。
-どうしたの?
リンゴはまじまじとイバラの目を見つめた。イバラはきょとん、としている。リンゴの顔色を見て、まばたきをしながらあたりを見回した。もう一度、リンゴの顔をみる。
-なんでも、ない。
リンゴは力なく首をふった。イバラはどことなく不安そうに、リンゴを見た。
-そう?
ひとつ息をつき、イバラはもう一度あたりを見回した。見回していくうちに、その体からよけいな力が抜けていく。
わからないくらいかすかに、イバラは微笑んだ。独り言のように言う。
-ここ、なんか懐かしい感じがする。来たことある場所みたい。
言われて、リンゴも背筋をのばした。あらためて、イバラのしたようにあたりを見回してみる。
高く高く伸びている、樹木のこずえが繁りあった、天然の天蓋。その向こうに、銀色の星屑の散らばる夜空。ほそく高い声をあげ、遠くでなにかが鳴いている。
がさがさ、とあちこちで繁みが動く。触れられそうなほど濃密な生き物の気配。ときおりそのなかを小さな影が滑るように飛んだ。
手を伸ばすと、樹皮に触れる。かさかさ、としているけれど、人肌になじむ不思議な温もり。指先が苔についた水滴に触れ、ひやりとする。
森だ。どこまで続くかわからない森の中だ。
見ると、イバラはひとりで先へ歩み進んでいた。なにか目的があるようだ。しっかりしているようで、どこか浮かれているようにも見える歩き方で奥へ奥へと向かう。
-おい、イバラ。あんまり行くな。
リンゴは思わず駆け足になって追いかけた。足が水たまりをはね散らしてどきり、とする。どこもかしこも湿っている。吸い込む空気さえ。
イバラは引き寄せられるように歩いていた。リンゴが追いつくと同時に、止まった。
-ここ、
イバラはぼうっと上をあおいだ。リンゴも目だけをあげてみる。その目が勝手に見開き、リンゴは天を見上げた。
巨木がそびえていた。
梢の高さは圧倒的で、まわりの木々よりもはるかにとびぬけて、天空へ湧きだすようにひろがっている。葉影を透かして夜空がまたたき、まるで星が実っているみたいだ。
暗くてよくわからないが、他の木と違って、幹に白い飾り紐がまいてある。それをたどると、イバラとリンゴが3人ずつ手をつないでも届かないだろう、と思うくらいの太さだった。
どっしりとそびえるその樹皮に手を触れると、ごつごつとしたぬくもりの向こうに、あきらかに意志ある何ものかがいる、という感触がした。なにかがじっと、どこか温かく、そして厳しく見つめてくる気配。リンゴは急に心もとなくなって手をひっこめ、まだ口をぽかんとあけて見上げているイバラのそばに寄った。
イバラがつぶやくのがきこえた。
-ヌシさまだ。
リンゴは目をまたたかせた。その言葉を聞き、思い出す。
森の奥に神聖な、神の宿る場所がある、としてその場所が人に触れるのを禁じ、神域としてまつる。そういう信仰がある。
そうだ。リンゴは今、目が覚めたような心地でイバラを見つめた。
イバラのもといた森は、そういう森だった。
リンゴが目を見開いている前で、イバラはふとかがみ、ひざを折った。そのままきつく目をとじ、手のひらを組み合わせて胸のまえに抱いた。
静寂。風すらやんでいる。まるで見えないちからでへだてられた、その内側へすっぽり入ってしまったみたいだ。
ぞわり、とリンゴの肌の内側をなにかがなであげた。急に心臓がはねて、リンゴはあわてて自分も手のひらを組んだ。頭を垂れ、祈るふりをした。
何かがじっと、心を見つめている気がしたのだ。からだが透明になって、なかみがあらわにされてしまう。ぎゅっとおそろしさが身をつかむ。
なんだ、怖い。すごく怖い。
リンゴは目をつぶった。そのまま気配だけを頼りに、手探りでイバラのうでにしがみついた。イバラはリンゴの思った位置よりすこし近くにいて、リンゴがしがみつくと一瞬体制をくずした。
-うわ、ちょ。リンゴ?・・・どしたの?
イバラがひたい髪に触れてくる。やわらかくて慣れ親しんだイバラの心配が、リンゴを見ている何者かの気配をさえぎった。リンゴはイバラの首にとびついた。
-なんでもないっ。
首を横にふったが、説得力がまるでないことはわかりきっている。しかたなく、ぼそりとつけたす。
-ここ、怖い。何か見てる。
ふわっとひろがるように、イバラが微笑む気配がした。ひたい髪をすきながら、頭をそっとなでる手。
-神さまだよ。
イバラの声は、どこか懐かしさを含んでいた。手が背中へまわり、しっかりと抱き寄せられる。
-だいじょうぶ。リンゴはいい子だから、何にもされないよ。
いい子じゃないよ、おれ。リンゴは心のなかで猛然と首を横にふったが、それすら見られている気がして首をすくめた。
-じゃあ、行こうか。帰ろう。
イバラが言って、リンゴを腕の中に抱いたまま立ち上がった。背中をかるく叩かれ、リンゴはしぶしぶ身をほどいた。
やっぱり、何かの気配を感じる。
「神様」に背を向け、リンゴはイバラのうでにからみつくようにして、もときた道をたどりはじめた。
イバラが思い出したように言う。
-そういえば、リンゴが話してたのと全然違うね。
今さらかよ。リンゴはイバラのうでにだらんと体重をかけた。見あげると、不思議そうにこちらを見ているイバラと目があう。
イバラはまばたきし、なにかを考え考え、口を開く。
ーでも、神さまと言えば、たしかにおれのなかでは、こんな感じ、かな。
リンゴははっとした。微笑むイバラの顔をまじまじとのぞきこむ。
そうか。
人によって、見えるものが違うのだ。イメージが異なっているから、立ち現われてくる光景も違う。
以前ひとりで訪れたときに見たものは、リンゴがこうであろうと思う、神域の姿だったのだ。
今回はおそらく、イバラのイメージのほうに引き寄せられてしまったのだろう。
ここは見るものによって、その心の奥底の風景を映し出す、鏡のような場所。そういえば、入ってくるときくぐった扉は、鏡みたいに磨かれて、己の姿がうつっていた。
リンゴは思わず額に手をあてた。なんてこった。訪れるたびに姿を変えるだって。
まさしく魔性だ。イバラはこわくない、と言っていたけれど、今さら身震いしてくる。
恐ろしいところに行って、帰ってきてしまった。二度も。
もう行かない、とかたく心に決め、リンゴは改めて、イバラのうでにしっかりとつかまりなおした。
以前にここで見たものは、一対の、黒と白の柱だった。
まっさらな雪のような色をした、大理石の神殿への入り口だった。
踏み入ればすぐに、月をうつす水鏡が見えてくる。蓮の浮かぶ丸い泉、夜天へむかって開けた吹き抜け。
しかし、今どんなに歩を進めても、そういったものは見えてこない。
肌に触れる空気はほんのりと湿っている。細かな水の粒子が飛びかっているようだ。夜気よりも濃い気配が満ちている。
石造りの澄んだ冷気ではない。足には柔らかいものを踏みしめる感触がある。草だ。草が繁りあっている。
足がもつれて思わずよろめいたリンゴを、イバラがふと振り返った。
イバラはかすかに目を見開いた。
-どうしたの?
リンゴはまじまじとイバラの目を見つめた。イバラはきょとん、としている。リンゴの顔色を見て、まばたきをしながらあたりを見回した。もう一度、リンゴの顔をみる。
-なんでも、ない。
リンゴは力なく首をふった。イバラはどことなく不安そうに、リンゴを見た。
-そう?
ひとつ息をつき、イバラはもう一度あたりを見回した。見回していくうちに、その体からよけいな力が抜けていく。
わからないくらいかすかに、イバラは微笑んだ。独り言のように言う。
-ここ、なんか懐かしい感じがする。来たことある場所みたい。
言われて、リンゴも背筋をのばした。あらためて、イバラのしたようにあたりを見回してみる。
高く高く伸びている、樹木のこずえが繁りあった、天然の天蓋。その向こうに、銀色の星屑の散らばる夜空。ほそく高い声をあげ、遠くでなにかが鳴いている。
がさがさ、とあちこちで繁みが動く。触れられそうなほど濃密な生き物の気配。ときおりそのなかを小さな影が滑るように飛んだ。
手を伸ばすと、樹皮に触れる。かさかさ、としているけれど、人肌になじむ不思議な温もり。指先が苔についた水滴に触れ、ひやりとする。
森だ。どこまで続くかわからない森の中だ。
見ると、イバラはひとりで先へ歩み進んでいた。なにか目的があるようだ。しっかりしているようで、どこか浮かれているようにも見える歩き方で奥へ奥へと向かう。
-おい、イバラ。あんまり行くな。
リンゴは思わず駆け足になって追いかけた。足が水たまりをはね散らしてどきり、とする。どこもかしこも湿っている。吸い込む空気さえ。
イバラは引き寄せられるように歩いていた。リンゴが追いつくと同時に、止まった。
-ここ、
イバラはぼうっと上をあおいだ。リンゴも目だけをあげてみる。その目が勝手に見開き、リンゴは天を見上げた。
巨木がそびえていた。
梢の高さは圧倒的で、まわりの木々よりもはるかにとびぬけて、天空へ湧きだすようにひろがっている。葉影を透かして夜空がまたたき、まるで星が実っているみたいだ。
暗くてよくわからないが、他の木と違って、幹に白い飾り紐がまいてある。それをたどると、イバラとリンゴが3人ずつ手をつないでも届かないだろう、と思うくらいの太さだった。
どっしりとそびえるその樹皮に手を触れると、ごつごつとしたぬくもりの向こうに、あきらかに意志ある何ものかがいる、という感触がした。なにかがじっと、どこか温かく、そして厳しく見つめてくる気配。リンゴは急に心もとなくなって手をひっこめ、まだ口をぽかんとあけて見上げているイバラのそばに寄った。
イバラがつぶやくのがきこえた。
-ヌシさまだ。
リンゴは目をまたたかせた。その言葉を聞き、思い出す。
森の奥に神聖な、神の宿る場所がある、としてその場所が人に触れるのを禁じ、神域としてまつる。そういう信仰がある。
そうだ。リンゴは今、目が覚めたような心地でイバラを見つめた。
イバラのもといた森は、そういう森だった。
リンゴが目を見開いている前で、イバラはふとかがみ、ひざを折った。そのままきつく目をとじ、手のひらを組み合わせて胸のまえに抱いた。
静寂。風すらやんでいる。まるで見えないちからでへだてられた、その内側へすっぽり入ってしまったみたいだ。
ぞわり、とリンゴの肌の内側をなにかがなであげた。急に心臓がはねて、リンゴはあわてて自分も手のひらを組んだ。頭を垂れ、祈るふりをした。
何かがじっと、心を見つめている気がしたのだ。からだが透明になって、なかみがあらわにされてしまう。ぎゅっとおそろしさが身をつかむ。
なんだ、怖い。すごく怖い。
リンゴは目をつぶった。そのまま気配だけを頼りに、手探りでイバラのうでにしがみついた。イバラはリンゴの思った位置よりすこし近くにいて、リンゴがしがみつくと一瞬体制をくずした。
-うわ、ちょ。リンゴ?・・・どしたの?
イバラがひたい髪に触れてくる。やわらかくて慣れ親しんだイバラの心配が、リンゴを見ている何者かの気配をさえぎった。リンゴはイバラの首にとびついた。
-なんでもないっ。
首を横にふったが、説得力がまるでないことはわかりきっている。しかたなく、ぼそりとつけたす。
-ここ、怖い。何か見てる。
ふわっとひろがるように、イバラが微笑む気配がした。ひたい髪をすきながら、頭をそっとなでる手。
-神さまだよ。
イバラの声は、どこか懐かしさを含んでいた。手が背中へまわり、しっかりと抱き寄せられる。
-だいじょうぶ。リンゴはいい子だから、何にもされないよ。
いい子じゃないよ、おれ。リンゴは心のなかで猛然と首を横にふったが、それすら見られている気がして首をすくめた。
-じゃあ、行こうか。帰ろう。
イバラが言って、リンゴを腕の中に抱いたまま立ち上がった。背中をかるく叩かれ、リンゴはしぶしぶ身をほどいた。
やっぱり、何かの気配を感じる。
「神様」に背を向け、リンゴはイバラのうでにからみつくようにして、もときた道をたどりはじめた。
イバラが思い出したように言う。
-そういえば、リンゴが話してたのと全然違うね。
今さらかよ。リンゴはイバラのうでにだらんと体重をかけた。見あげると、不思議そうにこちらを見ているイバラと目があう。
イバラはまばたきし、なにかを考え考え、口を開く。
ーでも、神さまと言えば、たしかにおれのなかでは、こんな感じ、かな。
リンゴははっとした。微笑むイバラの顔をまじまじとのぞきこむ。
そうか。
人によって、見えるものが違うのだ。イメージが異なっているから、立ち現われてくる光景も違う。
以前ひとりで訪れたときに見たものは、リンゴがこうであろうと思う、神域の姿だったのだ。
今回はおそらく、イバラのイメージのほうに引き寄せられてしまったのだろう。
ここは見るものによって、その心の奥底の風景を映し出す、鏡のような場所。そういえば、入ってくるときくぐった扉は、鏡みたいに磨かれて、己の姿がうつっていた。
リンゴは思わず額に手をあてた。なんてこった。訪れるたびに姿を変えるだって。
まさしく魔性だ。イバラはこわくない、と言っていたけれど、今さら身震いしてくる。
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