【BL】捨てられたSubが甘やかされる話

橘スミレ

文字の大きさ
1 / 12

第一話 拾われた

しおりを挟む
 渚は深夜の路地を目的地も決めないまま歩いていた。
 酒を飲んだわけでもないのに右へ左へふらふらと揺れながら進んでいく。ワイドパンツのポッケに入った財布の重みで揺れる身体はバランスを崩して地面に倒れ込む。
 ぼんやりとした意識のままそれなりの時間歩いていたからか。それとも精神的にひどく疲れていたからだろうか。起き上がるのが億劫でそのまま空を見上げる。
 都会の空はいつでもオフィスの残業と繁華街のネオンのおかげで明るく星の一つも見えやしない。おまけに今日は雲が多くてどんよりしている。空高くにあるはずなのに全身を押さえつけられている気がしてくる。
 疲労で指一本動かす気になれずこのまま眠ってしまおうかと考えていると、後ろから男の声が聞こえてくる。声の数から二人組だろうと推測してみる。目を向けて確認する気力はない。

「ねえ君。大丈夫かい?」
「……意識はあるんだな」

 声をかけられた。都会にも親切な人がいるものだ。
 都会では困っている人がいても声をかけてはいけない、という暗黙の了解があるものだと思っていたが勘違いだったようだ。
 声をかけてきた二人組のうち、スーツ姿の方に手伝われて身体を起こした。柄シャツに高そうなジャケット、鼻につく甘い匂い。ホストだろうか。
 周囲を見渡せば酒に酔い道端で吐き散らかしている人がいる。それも複数人。自分が転がっていた場所のすぐ傍でドブネズミがゴミ袋を突っついている。なんともまあ治安が悪い場所まで来てしまったものだ。
 パーカー姿の方が近くの自販機で水を買ってきてくれた。わざわざキャップを開けてから渡してくれる。気遣いのできる人だ。
 ありがたく受け取って水を飲む。渇いた喉に冷水が染みる。やはり、かなりの時間歩いていたようだ。

「お財布とかスマホとか盗られてない?」
「財布はある。スマホは持ってきてないから盗られたものはない」
「ほんと! それはよかった。この辺危ないから貴重品とかすぐ盗まれちゃうからね」

 男は心底安心した様子で、かなりお人好しな性格に見える。いや、この歓楽街(推定)で倒れている男に声をかける人間はお人好しな性格であると言い切っても良いだろう。

「お前、いくつだ?」
「18。高校は卒業してる」
「自分で家に帰れる? ご友人とかに連絡して迎えにきてもらうかい?」
「……帰る場所は、無くなった」

 渚は改めて今の自分の状態を思い出した。
 家なし。金なし。頼れる知人なし。
 かなり人生詰んでいる状態であった。

「それは……大変だね。ねえ翡翠カワセミくんどうしよう?」
「知らん。俺は止めたぞ。怪しいやつに声をかけるなって。それでも首つっこんでいったのはお前だ。責任持ってお前が考えろ」
「そんな冷たいこと言わないでよ……」

 お人好しホストたちは二人揃って頭を抱えて悩み込んでしまった。
 一方の渚は服装と性格の緩さが逆だな、なんて思う程度には他人事のような姿勢でいる。
 だがそれも仕方ないこと。渚は元いた場所に何もかもを捨て去っていた。スマホも、家の鍵も、自らの意志でさえも。
 手元にあるのは今着ている服とほぼ空の財布。そして意思を失い限りなく死体に近いこの肉体のみ。
 あと何日、何時間この世に存在できるかもわからない状態の渚には彼らの感情は騒がしすぎた。

 ぼんやりと二人の相談を眺めていると、路地の奥から胡散臭い男がやってきた。お人好し第三号だろうか?

「なーにしてるの?」
「オーナー! どうされましたか?」

 中華風のセットアップに前が見えてるのか怪しいサングラス。そして何よりも纏う雰囲気が上に立つもののそれである。オーナー、か。少し若すぎる気もするが、かなりしっくりくる風貌だ。

「いつも仲良く直帰で有名な君らが道草食ってるのが見えたからさ。変な客にでも絡まれでもしたのかと思ったけど……」

 オーナーの男に視線を向けられる。
 上から下までじっくりと観察されると、物にでもなったような気分になる。競りに出された魚、質屋に入れられる腕時計、謎のオーナーに眺められる渚、みたいな感じ。
 自分という物の状態を確実に把握し、いくらの値段がつくかを分析されている。一般的な感性を保持した大多数の人間は嫌がり不快に感じるのだろう。だが、今の渚には少しの面白さと期待をもたらした。
 自分は今どういう状態で、いくらの値段がつくのか。はたまた処分費用として何円かかりそうなのか。
 つまりはいったい自分にいかほどの価値があるのか。
 分析されること数十秒。

「ふーん。これはまた大変な子がいたもんだ。うちに来る子じゃ比にならないね」
「ええ。帰る場所も無くなって行き場がないらしいです」

 オーナーと呼ばれた男がしゃがみ込んで渚の顔をなぞる。
 爪の短く整えられた指先が、耳の下から首筋にかけて指を押し込み何かを確認しながら降りていく。

「ちょっと質問。君、食事は取れる?」
「うん。食べれはする」

 まあその食べ物を入手する術はないのだけど。

「ふーん。なら問題ないね。君、僕の家に来ない?」
「なぜ?」

 目の前にいる男の行動が一切理解できなかった。どうして首に触れたのか、何を確認したのか、なぜ家に来ないか誘われたのか。
 一つも理解できなかった。

「僕ね、同居してた人に逃げられちゃったの。だから君に代わりになってほしいんだ。大丈夫。ちょっとした『食事』に付き合ってくれるだけで良いから」
「ちょっとオーナー!」

 お人好しホスト一号でスーツ姿の男がオーナーの肩を掴んで止めに入った。何かまずいことでも言われていたのだろうか。
 あまり話を聞いていなかった渚は二人の会話をぼんやりと眺める。

「彼は別に悪いことをしたわけじゃないでしょう? それなのにオーナーの趣味に付き合わせるのは可哀想ですよ!」
「まるで僕がとーっても悪趣味な人間みたいに言うね。別に変なことはしてないのに」
「いや、、僕から見れば随分と悪趣味です! 実際それのせいで結構な人数に逃げられているじゃないですか」

 オーナーさんは随分と悪趣味らしい。そのおかげで同居人に逃げられる程度には。
 元いた場所にも悪趣味な人間はいたが、それより酷い人間なのだろうか?
 少なくとも多少アングラで特殊ではありそうだが社会生活ができ、オーナーとしてやっていけてるのならまともな部分もありそうだけれど。

「だいじょーぶ。彼だったらね、上手くいく気がするんだ」
「それ毎回言ってますよね?!」

 スーツの男が焦って困ってわめいていたが、パーカー姿の方──先ほど翡翠カワセミくんと呼ばれていた──に止められていた。
 身長はスーツ姿の方が大きいのによく止められるものだ。

「もーいっかい聞くよ。僕の家に来ないかい?」
「……拾いたいなら拾えば。好きにしなよ」

 あくまで自分で選択するつもりはない。
 今の渚に損得考えて判断できるほどの元気はなかった。

「ふーん。なら連れて帰るよ。そこの二人も早く帰りな。明日は休みなんだしゆっくりしたいでしょ」
「めちゃくちゃ心配なんですけど……。とりあえず、名刺渡しとくね。何かあったらここに連絡して」

 営業用に持っていたのだろう。黒い紙に金箔押しでデザインと文字が入っている。金がかかってそう。
 スーツ姿の彼は蓮見はすみあおという名前だったらしい。蓮見っぽいというより蒼っぽい雰囲気を感じるのはアクセサリー類についている青い宝石のせいだろう。

「じゃあまた。お疲れ様」
「お疲れ様でした~」

 お人好し二人組は仲良く連れ立って帰って行った。果たしてこの時間、終電に間に合うのだろうか。

「さて。僕らも帰ろ……って言いたいとこなんだけど。店に荷物置きっぱなんだ。ちょっと待っててもらえる?」
「わかった」

 誰かに拉致でもされない限りは待つ、という言葉は飲み込んだ。
 今から自分を持って帰ろうとしている人間に言うことではない気がした。

「すぐ戻るから」

 オーナーさんは少し離れたところにある外階段をとことこ登っていった。すぐ戻ると言った割には急ぐ気がない。マイペースだなあと思う反面、放置しても盗まれないと軽んじられているのだと察する。
 まあ事実として、こんなところに落ちてる金なし宿なし人間を拾う変な人なんてオーナーさん以外いなさそうではある。当たり前の扱いだ。

「お待たせー」

 戻ってきたオーナーさんは右肩にトートバッグを持っていた。パンダの顔が付いていてかなり可愛らしい。

「今度こそ、帰ろう。自分で立てるかい?」
「多分、立てる」

 渚はノロノロとした動きで立ち上がる。重力による負荷が普段の何倍も大きく感じて、ナメクジほどの速度でしか動けない。

「タクシー呼んだからそれで帰ろう」
「送迎の人とかいないんだ」
「いーや? 少し前まではいたよ。でも運転手に逃げられちゃった」

 どうやら逃げた人というのは送迎車の運転手だったらしい。
 なんとなく、会う人会う人片っ端から手を出してそうな気がした。

「さあ、呼んだところまで少し歩くよ」

 逸れそうだからと手首を掴まれ、半分引きずられるような形で移動した。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!

灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。 何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。 仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。 思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。 みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。 ※完結しました!ありがとうございました!

怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人

こじらせた処女
BL
 幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。 しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。 「風邪をひくことは悪いこと」 社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。 とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。 それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
ある日ハイランクDomの榊千鶴に告白してきたのは、Subを怖がらせているという噂のあの子でー。 更新がずいぶん遅れてしまいました。全話加筆修正いたしましたので、また読んでいただけると嬉しいです。

ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学で逃げ出して後悔したのに、大人になって再会するなんて!?

灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。 オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。 ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー 獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。 そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。 だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。 話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。 そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。 みたいな、大学篇と、その後の社会人編。 BL大賞ポイントいれて頂いた方々!ありがとうございました!! ※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました! ※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました! 旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」

今日もBL営業カフェで働いています!?

卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ ※ 不定期更新です。

公爵家の末っ子に転生しました〜出来損ないなので潔く退場しようとしたらうっかり溺愛されてしまった件について〜

上総啓
BL
公爵家の末っ子に転生したシルビオ。 体が弱く生まれて早々ぶっ倒れ、家族は見事に過保護ルートへと突き進んでしまった。 両親はめちゃくちゃ溺愛してくるし、超強い兄様はブラコンに育ち弟絶対守るマンに……。 せっかくファンタジーの世界に転生したんだから魔法も使えたり?と思ったら、我が家に代々伝わる上位氷魔法が俺にだけ使えない? しかも俺に使える魔法は氷魔法じゃなく『神聖魔法』?というか『神聖魔法』を操れるのは神に選ばれた愛し子だけ……? どうせ余命幾ばくもない出来損ないなら仕方ない、お荷物の僕はさっさと今世からも退場しよう……と思ってたのに? 偶然騎士たちを神聖魔法で救って、何故か天使と呼ばれて崇められたり。終いには帝国最強の狂血皇子に溺愛されて囲われちゃったり……いやいやちょっと待て。魔王様、主神様、まさかアンタらも? ……ってあれ、なんかめちゃくちゃ囲われてない?? ――― 病弱ならどうせすぐ死ぬかー。ならちょっとばかし遊んでもいいよね?と自由にやってたら無駄に最強な奴らに溺愛されちゃってた受けの話。 ※別名義で連載していた作品になります。 (名義を統合しこちらに移動することになりました)

飼われる側って案外良いらしい。

なつ
BL
20XX年。人間と人外は共存することとなった。そう、僕は朝のニュースで見て知った。 向こうが地球の平和と引き換えに、僕達の中から選んで1匹につき1人、人間を飼うとかいう巫山戯た法を提案したようだけれど。 「まあ何も変わらない、はず…」 ちょっと視界に映る生き物の種類が増えるだけ。そう思ってた。 ほんとに。ほんとうに。 紫ヶ崎 那津(しがさき なつ)(22) ブラック企業で働く最下層の男。顔立ちは悪くないが、不摂生で見る影もない。 変化を嫌い、現状維持を好む。 タルア=ミース(347) 職業不詳の人外、Swis(スウィズ)。お金持ち。 最初は可愛いペットとしか見ていなかったものの…? 2025/09/12 1000 Thank_You!!

スパダリになりたいので、幼馴染に弟子入りしました!

キノア9g
BL
モテたくて完璧な幼馴染に弟子入りしたら、なぜか俺が溺愛されてる!? あらすじ 「俺は将来、可愛い奥さんをもらって温かい家庭を築くんだ!」 前世、ブラック企業で過労死した社畜の俺(リアン)。 今世こそは定時退社と幸せな結婚を手に入れるため、理想の男「スパダリ」になることを決意する。 お手本は、幼馴染で公爵家嫡男のシリル。 顔よし、家柄よし、能力よしの完璧超人な彼に「弟子入り」し、その技術を盗もうとするけれど……? 「リアン、君の淹れたお茶以外は飲みたくないな」 「君は無防備すぎる。私の側を離れてはいけないよ」 スパダリ修行のつもりが、いつの間にか身の回りのお世話係(兼・精神安定剤)として依存されていた!? しかも、俺が婚活をしようとすると、なぜか全力で阻止されて――。 【無自覚ポジティブな元社畜】×【隠れ激重執着な氷の貴公子】 「君の就職先は私(公爵家)に決まっているだろう?」 全8話

処理中です...