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第8章
8話 交戦の結末
しおりを挟むアドラシオンが瞼を開けると、見知ったベッドの天蓋、その天井部分が視界に映った。
(……。ここは……。我が邸、か……?)
現状、ピスティス辺境伯公領での記憶は今ひとつ定かでないが、どうやら自分は先だってニアージュに告げた通り、なんとか生きて領地へ戻って来たらしい。
ひとまずその事実に安堵し、鉛のように重い身体を起こしにかかる。もぞもぞと身体を捩り、何十秒とかけてようやっと上半身を起こせば、それだけで地味な疲労を感じた。我が身体ながら、随分と衰弱しているようだ。
(ふう……。俺のような傷病者を連れた状態で……ピスティス辺境伯公領の防衛陣形を敷いた地点から、エフォール公爵領の我が邸までやって来たとなると、何日必要だった事だろうな……。間違いなく、2、3日などの日数では済むまいが……。
いや、それよりも防衛戦はどうなった。パルミア王国の攻撃は防げたのか? あの女は、ココナは俺に止めも刺さず一体どこへ消えた?)
まだはっきりしない頭で様々な事をつらつらと考えながら、何気なく右手を目の前へ持ってくると、親指から小指に至るまで、すっかり包帯で覆われ切った手が見えた。まるで、異国の書物で目にしたミイラのようだ。
右手に改めて意識を向けてみても、特に痛みは感じない。ただ、ほんのわずかながら痺れが残っており、あまり力が入らないように感じた。
それから、顔にも何か違和感がある事に気付き、まともに動く左手で恐る恐る顔に触れる。するとやはり案の定、左頬を中心とした箇所にも厚く包帯が巻かれていた。無論、痛みはない。
「……? なんだ、これは……」
アドラシオンが1人眉根を寄せていると、室外から控えめなノックの音が数回響き、侍女長のマイナを伴ったアルマソンが入室してきた。
「アルマソン、マイナ」
「! 旦那様! お目覚めになられたのでございますか!」
「ああ、本当にようございましたわ……! 旦那様は、戦地でお倒れになってから10日近く、お目覚めになられないままだったのですよ……!」
名を呼ばれたアルマソンとマイナが、ベッドの上で上半身を起こしているアドラシオンに慌てて駆け寄る。
「……! そうか、10日もか……。道理で身体が思うように動かない訳だ。
――それで、戦場はどうなった。我らがクロワール王国軍は、パルミアを撃退できたのか。現況の報告を頼む」
アドラシオンの問いかけに、アルマソンとマイナはほんの一瞬顔を曇らせたが、すぐにアルマソンが一歩前へ出て口を開いた。
「……状況だけで申し上げれば、我らがクロワール王国軍はパルミア王国軍の第1陣を、無事退けましてございます。
当時、現地におられた騎士や兵士、従軍魔法使い達の話によると、一時は魔女の魔法によって、戦闘行動を阻害される者が多数出ていたそうですが、旦那様に呪いをかけた直後、なぜか魔女自身にも呪いが振りかかったとの事でして……」
「魔女にも? では、俺が今こうして生きているのは……」
「はい。魔女自身も己の呪いに蝕まれたがゆえ、旦那様は命拾いをなされたのであろう、と。従軍魔法使い殿の言によれば、当時何かしらの要因で『呪い返し』が起き、旦那様へ向けられた死の呪いが、半分魔女に降りかかったのではないかとの事でしたが……真相は分かっておりません」
「呪い返し……」
アルマソンの報告を聞いたアドラシオンは、ぎこちない動きで右手の平を左胸に当てる。そこは、ピスティス辺境伯領にいた時分、ニアージュからもらったお守りを入れていた、内ポケットがあった場所だった。
「旦那様? いかがなさいましたか?」
「いや、何でもない。話を続けてくれ」
「は、はい。かしこまりました。……話の続きですが、その出来事によって魔女が戦場から逃走した為か、兵達にかけられていた魔法も全て解け、みな戦線へ復帰した為、前方に迫っていたパルミア王国軍を、無事押し返す事ができたそうです。
また、先日王城から届いた手紙によれば、帝国も同盟国としての責務を果たすべく、皇帝陛下と皇太子殿下の御名の元に兵を挙げ、近々こちらへ合流するとのお話でございました」
「……そうか、現皇帝は平和主義で戦を嫌うと聞き及んでいたが……派兵して下さるか。何よりの朗報だ」
「はい。昨今では、かの帝国は農業国としての話ばかりが諸国へ流れておりますが、ザルツ・ウィキニス帝国は先々代の御代の頃より、軍事国家としての名を他へ知らしめてもおられます。必ずや、パルミア王国打倒の心強い味方となって下さる事でしょう」
「ああ。――成程、現況はよく分かった。ではマイナ、お前に頼みがある」
「はい、何でございましょうか」
「隣の部屋のクローゼットから、手鏡を持って来てくれ。出入り口から見て、左手前のクローゼットの引き出しにしまってあるはずだ。包帯の下の、顔を確認したい」
「! だ、旦那様、それは……」
「いいんだマイナ。なにせ、大した痛みもないのに手やら顔やらがこの有り様ではな。俺もある程度察しはついている。だが、だからと言って、直に確認するのをいつまでも避ける訳にはな。……もう一度言う。持って来てくれ」
「……。かしこまりました。ただいま、お持ち致します……」
一転して硬い表情になったマイナは、隣の部屋――衣装や小物類をしまってある部屋へ早足に移動し、言われた通り、飾り気のない大振りの手鏡を手にして戻って来た。
そして、無言のまま手鏡をアドラシオンに差し出す。
「ありがとう」
「……。いえ……。礼など、無用にございます……」
アドラシオンは、幾分顔色が悪くなったマイナから手渡された手鏡を一旦膝の上へ置き、未だに動きのよろしくない右手を併せて使いながら、顔に巻かれた包帯を解いていく。
マイナのみならず、傍らに佇むアルマソンの表情も酷く固い。
そうして、すっかり包帯を外し終えた後。
アドラシオンが持ち上げた手鏡を見ると、そこにはまるで顔の左半分を火で炙られでもしたような、醜悪な皮膚を晒す自分が映っていた。
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