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第8章
17話 公爵夫妻に訪れた奇跡
しおりを挟むパルミア王国の宣戦布告と侵攻を含めた、幾つかの案件が無事収束して以降、クロワール王国では何事もないまま時が流れ、無事新年を迎えていた。
無論の事、エフォール公爵家や公爵領にも、これといった問題は一切起こっておらず、人々は新たな年の訪れを笑顔で歓迎している。
なお、エフォール公爵家には新年到来時の恒例行事、新年祝賀会開催の知らせも届いていたが、アドラシオンは今年から数えて数年間、王宮行事には一切参加しないと決めた。
それは元を糺せば、エフォール公爵家は王宮行事への参加義務がない、辺境公同然の立ち位置にある事が最たる理由だが、それ以外にも、包帯などで隠せるとはいえ、呪いを受けた醜い顔でうら若き乙女である妻、ニアージュをエスコートする事に、どうしても引け目を感じてしまうから、という理由もあった。
アドラシオン自身は、既に自分の容貌については開き直っている。
邸の中では、包帯を巻くのをやめていられる程度には。
自身の容姿や容貌について、誰に何を言われようがどうでもいいと、そう思えるが、そんな自分の傍らに立つ事でニアージュまでもが失笑に晒され、後ろ指を指される事になっては耐えられない。
そのような事、到底許容できそうになかったのだ。
一方のニアージュも、相変わらず貴族女性とは思えぬほど物欲が薄い上、社交にも消極的で、経済貢献以上の支出をよしとしない性分が健在であった事から、アドラシオンの決定を即座に受け入れた。
むしろ、面倒事に関わる機会が一層減ったと、諸手を上げて喜んだほどである。
そんな変わり者の妻と、今年も親しく楽しくやって行ければ、と思う反面、ニアージュとの夫婦関係はあくまでも、書類上のものでしかない仮初めのものだという、目を背ける事もできない事実に、アドラシオンは独り気分と胃を重くしていたのだが――
アドラシオンが抱えるいかんともし難いその現実は、王宮から新年祝賀会の知らせが来た2日の昼、大きく変わる事となった。
その日、いつも通り机仕事を一定量片付け終え、紅茶片手に小休止を取っていたアドラシオンの所へ、アナとアルマソンを連れたニアージュがやって来た。
背後に控えるアナとアルマソン含め、揃いも揃って緊張したような面持ちだ。
特にニアージュは、なにやらガチガチに固くなっているような状態である。
「? どうしたんだ、ニア。アナはともかくアルマソンまで連れて。何か、邸か領内で問題でも起きたのか?」
「い、いえ。邸でも領地でも、何も問題は起きていません。ただその……っ、今回は、個人的な理由で旦那様に、お願いがあって来ました!」
「お願い? 君がか? それは珍しいな。どんな願いか聞かせてくれるか。できる希望に限り添わせてもらおう」
「はっ、はいっ! 実は、ええとっ、い、以前に取り交わした、偽装婚姻に関する契約書の件について、変更をお願いしたいのですっ!」
もはや直立不動と言っていい恰好でそう切り出してくるニアージュの顔は、極度の緊張からか、これまで見た事もないほど赤くなっていた。
背後に控えるアナが小声で、「奥様ファイト!」と激励の言葉を口にする。
「え……ええと、私はこれまで、公爵夫人としてそこそこ普通にやれてきたと思っています」
「いえ、奥様は『そこそこ』などと言う物言いで収める事など到底できないほど、我が領地の為エフォール公爵家の為、そしてなにより旦那様の為、常日頃から勉学に励まれ、絶えず努力を続けておいでです。
本当に奥様は、大変素晴らしい働きをしてこられました。そこに不平不満の挟まる余地など微塵もございません。……そうでございましょう、旦那様」
「え? あ、ああ。勿論だ。ニアは今日この日まで、とてもよくやって来てくれた。俺は君の存在と力にどれほど助けられ、また幾度支えられてきたか知れない。
領主としてもいち個人としても、君に対して心から感謝している。それで……それがどうかしたのか?」
「あ……ありがとう、アルマソン。それに、旦那様も。……そ、それでですね。……その……。……け、契約書の文面では、契約婚姻の期間を3年としてありますがっ、そのっ、もし旦那様がよろしければ3年ではなくて、終身雇用という形に変更して頂きたいと思いましてっ! こうして直談判に来た次第ですっ!」
「……っ!」
顔を真っ赤に染めたまま、若干の震えが混じる声でそうハッキリと告げて来たニアージュに、これ以上ないほど驚いたアドラシオンは、返答を返す前に思わず腰を椅子から浮かせ、立ち上がった。その一連の動きはほとんど反射に近い。
「あ、あああ、あの、だっ、ダメでしょうか!? 私じゃ、ずっと公爵夫人をやるには、足りませんでしょうかっ!」
「そんな事はないっ! 君以上に俺を理解しようと努め、暖かく支え助けてくれる女性など、他にいるものかっ!」
勢い込んで問うてくるニアージュに、同じく椅子から立ち上がったまま、勢い込んで答えるアドラシオン。
室内に、ほんの数秒だけ沈黙が落ちる。
そんな中、ふと我に返ったアドラシオンが、ノロノロとした動きで再び椅子に腰かけた。その顔は、ニアージュに負けじと劣らぬほど紅潮している。
「ぇ……。あ、あの……。それ、その、で、では……私……は」
「……あ……ああ。で、できれば……これからも、よろしく頼みたい、ん、だが……」
「な、何か問題がありますか?」
「そ、れは、まあ、あるにはあるだろう。……その、俺の今の顔とか……。君は、本当にいいのか? 本当にこんな顔の男の、本当の妻になっていいと、そう言うのか?」
「勿論です! だって、男は顔じゃあありませんから! それに、正直……旦那様が自分で思っているほど、私、旦那様の今の顔、酷いと思ってない、と言いますか……。す、素敵だと思ってますよ?」
「え? ……い、いや、素敵はないだろう? こんな顔のどこが……」
「いいえっ! 旦那様の顔は素敵です! なんでしたら、証拠を見せてもいいくらいですよ!? た、例えばこんな風に!」
左の頬をさすりながら苦笑いするアドラシオンに、唐突な宣言をしたニアージュが早足で近づき――
赤黒い色をした左の頬に口づけた。
あまりの出来事にアドラシオンは思い切り動揺し、座った椅子からずり落ちかける。
「~~~~っっ!??! にっ、ににに、ニアっ!? なっ、なっ……!?」
「い、いいじゃありませんか! 夫婦なんですからっ! 人前だって言っても、アルマソンもアナも家人も同然の存在ですし、べ、別にはしたなくはないで……っ、あ、あああああ!?」
「今度はどうしたんだ!?」
「だっ、旦那様! 顔! 顔が! 肌の色がだんだん元に!」
「はっ!? なっ、あ、ほ、本当か!?」
「本当です! ねえほら見て! アルマソン! アナ!」
血相を変えたニアージュに促され、アルマソンとアナがアドラシオンの傍へ駆け寄り、その顔を覗き込む。
アルマソンとアナは、確かに目の当たりにした。
痛々しく引きつれた赤黒い色の肌が徐々に再生し、元の色味を取り戻していく奇跡の光景を。
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