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第7章
閑話 酷薄王の最期
しおりを挟むシュレインが公式に退位を発表してから1か月後。
次代の王として辺境伯領からやって来たオヴェスト辺境伯公の実弟、ウルグスの戴冠式は、季節が夏の盛りを迎えた晴天の日に、それ相応の華やかさを以て大々的に催された。
王城のバルコニーから、王冠を戴いた新王がにこやかに手を振る姿は、魔法で刷り上げられた特別なカラー写真となって新聞にも大きく掲載され、新王ウルグスの緩やかに波打つ豪奢な金髪と、宝石を思わせる深い碧眼を併せ持ったその美丈夫ぶりを、国の内外に広く知らしめたのである。
こうして始まったウルグスの治世は、前王となったシュレインの指導の元、つつがなく行われていたが、すぐに不穏の火種が生まれ、それは日々、シュレインの与り知らぬ所で消える事なく燻り続けていた。
的確ではあれど情の欠片もない、常に叱責の入り交じる頭ごなしなシュレインの『指導』に、ウルグスは不平不満を感じ、不快感と怒りを募らせていたのだ。
確かにシュレインは、前任の父王と比べれば遥かに有能な王である。
だが、尊大で傲慢、冷淡な性分のせいで、即位以降、諸侯達を始めとした臣下からの人望を、水面下で急速に失っていた。
彼らの中には、完全にシュレインに失望し、シュレインを支持した事を後悔する者も少なくない。
だが、他者に心を寄せる事がないシュレインは、その異変に全く気付かなかった。
やがて、親身に寄り添う体を取ってウルグスの不満につけ込み、その耳によからぬ事を吹き込む者が現れるのは時間の問題であり、また、必然であったと言える。
しかし、それも全て人心をないがしろにしたシュレインの不徳の致す所であり、自業自得だ。
そして――ウルグスが即位してからわずか1か月後。
ついに、静かに燻り続けていた火種が、大きく火を噴き上げる時がやってきた。
「――新たな政策に関する話は以上だ。詳しい説明は詳細な指示書を作成したのち、追って伝える。それまでは文官の指導の元、書類を片付けていろ。貴様のような能無しでも、その程度の事ならば行えよう」
自身の執務机に身を置き、手にした書類から顔も上げぬまま言い放つシュレイン。
あまりと言えばあまりなその言動に、ウルグスは大きく顔を引きつらせた。
「…………」
「返事はどうした、能無し。貴様のその口は飾りなのか」
腹立たしさを押し隠すのに精一杯で即座に返事ができず、その場に立ち尽くすウルグスに苛立ったシュレインが、眉根を寄せながら顔を上げる。
「……も、申し訳ございません。シュレイン様のお言葉を頭の中で反芻しておりまして……反応が遅れてしまいました」
「まあいい。貴様の頭の出来が悪い事は周知の事実だ。それを少しでも改善しようとしての事であるならば、大目に見てやろう」
「ありがとうございます。所でシュレイン様、そろそろ小休止を入れられてはいかがですか? 侍女に命じて茶の用意をさせておりますが」
「ほう? 貴様にして珍しく気の利く事だな。室内に持って来させろ」
「かしこまりました。――入って来い」
「……失礼致します」
ウルグスがドアの外に向かって声をかけると、やや歳のいった1人の侍女が、茶器などを乗せたワゴンを押しながら、執務室に入室してくる。
入室以降、侍女は一切口を開かぬまま手際よく茶の用意を進めていき、ほんの数分でシュレインの前に香り高い紅茶が用意された。
「――うむ、いい香りだ。褒めてつかわす」
「ありがとうございます」
暖かな紅茶が入ったティーカップを持ち上げ、尊大な口調で言うシュレインに、侍女が頭を垂れながら答える。
いつもどおりの優雅なひと時。
しかし、シュレインがカップに入った紅茶をたった一口含んで嚥下した、その時。
「……っぐ、あ、あがあぁあああッ!」
シュレインは手にしていたカップを取り落とし、喉を押さえてもがき苦しみ始めた。
取り落としたカップが厚手の絨毯の上に落ちるが、他ならぬ絨毯の厚みによって保護された。割れずに残ったカップから紅茶が零れ、真紅の絨毯に大きなシミを作る。
ついには椅子に座っていられなくなり、絨毯の上に無様に転がったシュレインは、かつてない苦しみにもがきながらも即座に全ての事情を悟り、ウルグスとその傍に控えている顔色の悪い侍女を、射殺さんばかりに睨み付けた。
「……あ、がっ! うぐっ、き、きっ、きざまあぁあ゙あッ! こ……こんな真似をじで、た、タダで、済むど……っ! で、であえっ、誰が、こ、ごの痴れ者を、捕え……ッ!」
「……はは、無駄なご命令ですよ。あなた様が永らえる事を望む者は、今この周辺には誰もおりませんので。恨むのならば、ご自身の不徳を恨まれる事ですね」
「……っ、あが、あ、あ゙っ……! ふ、ふざ、け……っ、……」
ニタニタと笑うウルグスの顔を睨みつけたまま、切れ切れの短い言葉を必死に紡いだその刹那、シュレインの意識は闇に飲まれて消えた。
◆
毒によって意識を失ったシュレインが再び目を覚ますと、そこは白い壁面と白い天井、白い床に覆われた、見も知らぬ殺風景な部屋の中に寝転がっていた。
シュレインは頭を押さえながら、よろよろと立ち上がる。
「……? な、なんだ、ここは……。いや、それ以前に私は、毒を飲まされて……。それがなぜ、このような……」
――それはこっちの台詞よ。まさか、飼い犬に手を噛まれて命を落とすなんてね。かつて魔王の異名で恐れられた暴帝とは思えない、あまりに情けなさ過ぎる最期だわ。
呆れの色を多分に含んだ、鈴を転がしたような可憐な声に反応し、シュレインは周囲を見回す。
しかし、誰の姿も見当たらない。
「誰だ!! 私を愚弄するとは不届きな! 姿を見せろ、手討ちにしてくれる!」
――バカね。幾らあなたが異界の出とはいえ、人間が神を手討ちになんてできる訳ないでしょ。
「――は……? か、神、だと……?」
――そうよ。私は今から大体600年前、地上の乱れを正す為の救世主として召喚されたにも関わらず、その期待に背き、地上でやりたい放題やってくれたあなたを排除する為、勇者を召喚してあなたを倒させた神。
そして、死したあなたの魂に封印をかけ、前世の出来事を思い出せないよう細工した神でもある。
「……な、なんだと……」
――最初はね、私もあなたを可哀想に思っていたのよ? 幾ら同意があったとはいえ、元の世界から引き離され、異界に落とされた挙句そこで散ったあなたを、哀れに思ったの。
だから温情をかけて、魂を滅ぼす事だけは避けたのだけど……それは間違いだったみたいね。まさか、生まれ変わった先で記憶を取り戻して、かつてと同じ愚行を繰り返そうとするなんて思わなかったわ。
「なにを言うか! 違う! 愚行などではない! 私はあなた方神の意志を受け継いで事を成そうとしただけだ! 弱者と貧しき者を排する事で、かの地を豊かで優れた人間のみで満たし、世の楽園を作り出さんとした! それだけだ!」
――……そう。あなたはそれが正しい事だと思っているのね。そして、どれだけの問答を重ねたとしても、あなたは自分の過ちに気付かないし、気付こうとも思わない。とても悲しいわ。
……やっぱり、間違っていたんでしょうね。あなたを喚んだ彼も、あなたに情けをかけた私も。なら……私達が責任を持って終わらせなければね……。
哀し気なその声を耳にした刹那、シュレインは突如足元に生まれた穴に、その身体を飲み込まれた。
悲鳴を上げる暇さえなく穴の中へ落ちていくシュレイン。
シュレインを飲み込んだ穴も、次の瞬間には何事もなかったように塞がって消え、その白い部屋も、薄霧の中に霞むように消えていく。
後に残されたのは、何もない深淵の闇だけだ。
こうして、かつてこの世界に深い傷を残した異世界人であり、魔王の異名を以て知られた男は、神の手によって人知れず魂を滅ぼされ、本当の意味での死を迎えたのだった。
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