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第1話 脱出開始
しおりを挟む「山ちゃん、ちょっと、オレにもビール持ってきて~」
南国の太陽の下、一見、背の高いイケメン風の紺野が寝椅子にあおむけに転がってくつろいでいた。そこへ、生ビールのジョッキを両手に洋ナシか起き上がりこぼしのような山田が歩いてくる。
「はい、はい、あわばばば」
何もないところでつまずきビールをこぼした。
「ちょっ、何してんのー、エアーで転ばんでくれる?まあ、オレらの金じゃないからいいけどさ」
二人は並んで寝そべり、半分になったビールを飲み干した。
「あーやっぱりええわ、やっぱ海にはビールやなあ」と紺野。
「なんか映画みたいじゃない?」と山田。
「おー、となりにおるのが毛だるまじゃなくて美女だったら最高だったわー」
足の向こうには白い砂浜と青い海。
しかし、なぜ男二人でリゾート地にいるのか。
なぜひとの金でビールが飲めるのか。
二人が都内の高層マンションの一室を訪れたのはつい3日ほど前のことだった。
パチンコですられて有り金が底をつきかけていた時のこと、何気なくスマホをいじっていると『土日のお仕事、25万』の文字が目に飛び込んできた。
「山ちゃん」
「紺野」
二人はそのまま面接に向かった。
呼び鈴を押し、ドアが開くと、30代中ごろのごく普通の男がTシャツ姿で現れた。
中に通され、靴を脱いで、座布団に座らされた。ちゃぶ台を挟んで男も座る。左にはささやかなキッチン、右には物干し台とトイレのドア。
「すいませんね、狭くて。洗濯物とか、あまり気にしないでください」
「いいですけど、ボクちゃぶ台で面接とか初めてですわー」
「ほんと、すいません。まだこの派遣会社始めたばかりで、事務所を自宅にしちゃったんですよ」
「あー、いいですね。交通費かかりませんしねー、給料支払われなかったら襲撃できますからねー、ええ、ボクらにとっても最高ですわ」
男はA4サイズの封筒から資料を取り出し、ちゃぶ台に置いた。
「これなんですけどね、お二人には南に飛んでもらいまして、このリゾートホテルに泊まっていただきます」
パンフレットの表紙にはヤシの木と白い砂浜に青い海。ページをめくると、快適そうなコテージが一軒一軒離れて建っている写真。プールとレストラン、新鮮な海の幸に豊富な種類のカクテル。
「ええやん、ええやん、超高そう」
「でもさ、オレたち二人で泊まったら、宿の人に誤解されそうじゃない?」
「え?あー、ホモかもって?山ちゃんと誤解されるのはいややなー、確かに」
「それでですね」男はパンフレットの上に別の資料を載せた。「宿泊した日の夜に、ホテルから脱出してもらいます」
「え」二人は声を合わせた。
「うまく脱出できれば25万です。失敗してもお給料は出ますのでご安心ください」
❝失敗した場合、2日間で2万❞と小さく書かれていた。
「ホテル側からの依頼で、セキュリティの弱点を調べたいそうです。本気で挑んでもらうためにこの報酬設定になっています。もちろん、交通費は出ます」
「なるほど」
二人は腕組をして考えた。
「どうする、山ちゃん」
「どうしよう」
「まー、家でゴロゴロするか、リゾート行って金もらうかだからなー」
「じゃあ、行こうか」
というわけで、二人は腹を決めた。
「では、身分証明書をコピーさせていただけますか。それと、こちらの書類にもサインをお願いします」
男が寄越したのは保険加入の契約書だった。
「え、保険って、旅行保険ですか?」
「いえ、あの、ホテル側も本気で来ますので、もしかすると、怪我をしたりするかもしれませんので……」
二人は目を丸くする。
「ちょっ、そういうことは先に言ってもらえますー?」
「すいませんね、ほんと、すいません」
と、そんないきさつで二人は高級リゾートを満喫していた。
リゾートへは飛行機と電車を乗り継ぎ、本土からはボートで渡った。
ボートを下りると、アロハシャツにベージュのスラックスを履いた日焼けしたフロントマンが待ち構えており、二人のバックパックを受け取り肩に担いだ。
「よかったですねー、今日はよく晴れて風もないから、ボートも快適だったでしょう」
船着き場の横の丸太の看板には大きく『ホテル アイランディア』と書かれており、看板を過ぎると今度はカートに乗って移動した。温帯と熱帯が入り混じるジャングルをひた走り、緩やかな山を越え、川を渡り、砂浜に面した開けた土地にホテルがあった。ホテルの近くにボートは見当たらなかった。
「いらっしゃいませ」
ロビーは広く、冷房が効いており、ラウンジで柑橘系のウェルカムドリンクを飲みながらチェックインを済ませると、再びカートに乗ってコテージまで移動した。荷物を下ろし、部屋の説明をひととおり済ませると、元気なフロントマンは去っていった。
「山ちゃん、ちょっと歩こうか」
派遣会社からホテルのある島の船着き場は1か所だけだと聞いている。脱出するには来た道を引き返して島の反対側に位置する船着き場を目指すのが最短かと思われた。
「こんな不便なとこから脱出しようとする人なんかおるんかなー」
「まあ、いるんじゃない、たまに。宿泊費やばいしね」
「いやだわー、夜のジャングルとか。フロントのカートとか乗っ取れへんかなー」
そう言いながら、紺野は犬小屋につながれた犬に菓子パンを与えていた。ホテルとジャングルの境に沿って犬小屋が点在している。二人は8匹の犬すべてに餌付けして回った。
「まずこいつらに騒がれたらアウトやからなぁ」
「あと警備のおっさんだね」
「おっさんはちょっとー、餌付け難しくない?」
警備員はフロント横の警備室に常駐していた。ときたまコテージ周辺を巡回する姿を目にするが、常にどこかに立っているわけではない。
二人はコテージに戻り、目の前の海でひと泳ぎしたあと、フロントに電話して迎えのカートを呼んだ。コテージからレストランまでカートに乗って移動する。ロビーの裏手のレストランは和風で、着物を着た仲居が給仕をしていた。二人のテーブルを担当したのは若い仲居だった。
「へえ、こんなところにあんなかわいい子おるんだ」
「夫婦で住み込みとかだったりして」
「ちょっ、もー、山ちゃんはー。オレの夢壊さんでくれるー」
二人は夕焼け空を眺めながら豪勢な夕食を堪能した。
「うわっ、生きづくり」
「刺身うまいね、さすが」
「オレたちも刺身にされんよう、気ぃつけんとなー」
「はうっ」
背後から椅子を蹴られた気がして山田が振り返ると、マッシュルームカットの大きな体の仲居のうしろ姿が見えた。肩で風を切ってテーブルのあいだを歩いていく。
「女かな」
「失礼やなー、山ちゃんは。あれは、金太郎」
「ぶつかられたんですけど」
「タダで食べてるんだから文句言わないの」
赤い空が青くなり、やがて満点の星空が現れた。
コテージに戻り、夜が更けるのを待った。
二人は小ぶりのバックパックを背負い、ハーフパンツから長ズボンに、ビーチサンダルからトレッキングシューズに履き替えた。
「よし、行こうか」
静かにドアを開け、忍び足できしむ階段を下りる。二人は一気にジャングルに向かって走り出した。
遠くから「あっ」という声が聞こえ、つづいて同じ声が「お客さん、お客さん」と叫ぶように呼んでいる。
二人はあっという間にジャングルに達した。犬たちも鼻を鳴らすだけで反応しない。
振り返ると、警備員の小さな影が無線を耳に当てていた。
「山ちゃん、止まらんで行こう」
二人はカートでやって来た道を逆方向に走っていた。足場のいいところで距離を稼ぎ、追っ手が来たらジャングルに逃げる算段だった。
追っ手は間もなくやって来た。
背後から元気なフロントマンの声がする。
「お客さまー、どこへ行かれるんですかー」
「山ちゃん」
二人は道をそれてジャングルに入った。
それを見たフロントマンが言う。
「危ないですよー。カートに乗ってくださーい」
声を無視してさらに奥に突き進む。
「わっ」
「あわっ」
何度も木の根につまずきながら先へと進み、ついにフロントマンの声が聞こえなくなった。
上を見れば明るい星空。しかし、ジャングルの中は闇だった。
「トラとかいないかなぁ」
「おらんやろ、日本だし。おったらオレ先に逃げるわ」
足元を気にしながらしばらくゆっくり歩いていると、かすかに唸るモーターの音が聞こえてきた。
つづいて、ヤクザか何かの怒号が飛んできた。
「オラァ、てめぇら、出てこい、コノヤロー」
声はだんだんと近づいてくる。
「やばい、逃げよう」
「いや、無理や」
木の枝の折れる音とモーター音が迫ってくる。ヘッドライトの明かりがもうそこまで来ている。
二人はしゃがんで茂みに身を隠した。
「ガキどもがぁ、コラァ、逃げてんじゃねぇよ、カートで轢いちまうからなぁ、コラァ」
カートは右に左に激しく車体を揺らしながらジャングルを暴走している。目の前を通り過ぎるとき、カートに乗っているのが二人を案内した日焼けしたフロントマンだとわかった。
「あの人、あんな人だったん」
「てか、カートってあんなに走れたんだ」
怒号が遠ざかると、二人は走り出した。
「ヤクザが戻ってくる前に川渡ろう」
「あわっ」
「あいたっ」
足をひっかけ転びながら前進する。
そんな二人に気づかれないよう、静かに素早く動く影があった。
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