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第1章 ド底辺冒険者東雲・赤ら顔の鬼
閑話 見下しの代償【戸瀬視点】
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視界がぼやける。意識が霞む。
ここは山……だったか? それとも谷?
どこかの断崖のような、切り立った足場。
けれど、そんなことより――
月が……そう、月がやけに明るかった。
俺と月の間を遮る雲はひとつもなく、まるで嘲笑うかのように、冷たい光が降り注いでいた。
そして目の前には、あいつが立っていた。
あの赤い顔の小鬼だ。
残響種と呼ばれる魔物を、オオムカデを倒した俺に、敢然と、怯む事無く立ち向かってくる身の程知らずの、ちっこい鬼。
簡単な依頼のはずだった。
何年か前に抜け出した実験体の、その生き残りを見つけ出して始末するだけ。
前任者はどうやらヘマをして、そいつに殺られちまったらしいが、そんなのは関係ねえ。
俺は勇者だ。
俺に倒せねえ相手なら、だれにも倒せっこねえからだ。
俺がやらねえと誰がやれる。
俺はこの数ヶ月間、そのスタンスでやってきた。
俺はこれからもそれを変えないだろう。
だが――
なんだ、こいつは。
俺の一撃は、あの小鬼にすべて読まれていた。
剣も打撃も、すべてだ。
仕方なく俺は近接戦闘を諦め、辺り一帯を焼き払う剣〝フランベルジュ〟を取り出した。
これで終わりだ。
そう剣を振りかぶった瞬間、俺に向かって風が吹いた。
その風に乗って、気色悪い黒い靄が俺の体を包んだのだ。
俺はとても立っていられなくなり、その場に崩れ落ちた。
徐々に全身の感覚がなくなり、痛覚だけは鋭敏に俺を締め付けてくる。
痛い。立てない。痛い。息ができない。痛い。苦しい。
やがて見上げる視界に、影が差す。
あいつはゆっくりと拳を振り上げると――
◆◆◆
そこはすでに、ここ最近見慣れた病室の天井だった。
そうか。俺はまた気絶するように眠っていたのか。
あれからというもの、体の痛みで何度も寝て起きてを繰り返――
「……ん?」
痛みがない。毛ほども。
倦怠感も、吐き気も、頭痛もない。
ほとんど感じなかった手足の感覚も、今はありありと感じられる。
医者にも匙を投げられたほどの後遺症なのに、これは一体――
「戸瀬」
ふと名前を呼ばれ、声のほうを見てみる。
そこには記憶にない、見たことのない女が立っていた。
女は無表情のまま、こちらをじっと見下ろしている。
黒く艶のある髪、細い輪郭、形のいい鼻、無愛想だが顔はかなり整って――
「おまえ……その声、もしかして東雲……か?」
女は肯定も否定もしない。
ただじっと俺を、ゴミを見るような目で見下している。
勇者である俺にこんな態度をとるヤツはひとりしかいない。
眼鏡こそなくなっているが、俺は目の前にいる女が東雲真緒であることを確信した。
「お、おまえ、何しに来た……?」
俺を笑いに来たのか?
それとも、この前の復讐か?
わざわざ?
いや、この女ならあり得る。
空気の読めない勘違い女の逆恨み。
まさかこんなことまでするなんて、相当執念深い女だ。
だが、こんなやつに何ができる?
少し前の俺ならともかく、今なら――
「とりあえずこれ見て」
そう言って、俺の前に差し出されたのは薄汚い手ぬぐいだった。
東雲は白魚のような細く白い指で、手ぬぐいをほどいていくと、中から角が――
角!?
手に取りじっくりと見る。
見覚えがある。
これは……この角はあいつの、忘れるわけがねえ。
この角は俺をこんなにした、あのちっこい鬼の角だ。
それをなんで東雲が持ってやがるんだ。
「見覚えある?」
相変わらず何を考えてるのかよくわからねえ、抑揚のない声で東雲が俺に尋ねてくる。
「見覚えも何も……これはあの鬼の角だ……! おまえ、いったいこれをどこで!?」
俺が東雲にそう問いかけると、あいつは俺の問いに答えるでもなく、誰かに向かって口を開いた。
無視?
無視したのか、この俺を? こいつ如きが?
「……ね? 嘘じゃなかったでしょ?」
「むぐぐ……たしかに……」
東雲の問いにくぐもった声で答えたのは中年のくたびれた男だった。
……ちょっと待て、この男、見たことがある。
こいつは――
「おまえらは……たしかギルド職員の……これは、どういうことだ! なんで東雲があの鬼の角、持ッてンだ!」
「東雲……様が、討伐なされたのです。酒呑童子を」
男は眼鏡を指で押し上げながら、悔しそうに答えた。
「酒呑……童子……?」
なんだそれは。
〝酒呑童子〟を討伐?
聞いたことも見たこともねえ。
それが今回の件にどう関係してるんだ。
「戸瀬様が重体を負わされた相手です」
思考が、頭が、一瞬にして真っ白になる。
「う、うそだろ!? こいつが!? こんなヤツが?」
理解が追い付かない。
あの鬼を……東雲が?
俺の攻撃の一切が通じなかったあの鬼を、あのわけのわからない靄で体の自由を奪ってくる鬼を、東雲なんかが討伐したっていうのか?
ステータス・オープンとかいうふざけた能力で、一体どうやって。
そうだ。なにかの冗談に決まっている。
こんなヤツがあの鬼を倒すなんて。
それに、さっきの角もよく見たら偽物のような気がする。
そうだ。
こんなことはあってはならない。
俺が勇者で、こいつはただの凡人以下の人間。
ただ見た目を取り繕っただけの変な女だ。
言ってやる。
その角は――
「まぁ、そういうこと。事情話したら、すっとぼけられるかもしれなかったから、最初に角を見せた」
思考を先読みされて行動を潰されたのもそうだが、一瞬でも負け犬みたいな思考になった俺自身にも腹が立つ。
「お、俺だって……! 本気を出せば、あんな鬼……!」
それも本当だ。
剣や打撃が当たらなかったとはいえ、最初からフランベルジュを使っていたら間違いなく倒せていた。
「うん。実際、戸瀬ならいけたと思う」
「そ、そうだろ……俺だって……!」
くそっ、ふざけんじゃねえ。
そんなに軽々しく認めんじゃねえ。
おまえは俺を否定してきたんだろ。
なのになんで今更――
「油断、してなかったらね。いい加減、その突っ走る癖直さないと、本当にあんた死ぬよ」
「ぐっ……!?」
東雲が偉そうに俺に対して、指まで指して説教してきやがる。
俺を心配してんのか……?
いや、この口の悪い冷酷女に限ってそれはねえ。
本当に何様のつもりなんだこいつは。
「……けっ、まあいい。よかったな、たまたま相性が良かったんだろ?」
「だね。じゃあもう、用もないし帰るね」
そう言うと東雲は身を翻して病室から出ようとする。
またこれだ。こいつは結局何を言われても言い返さない。
俺の言葉なんて響いてないみたいに。
俺の存在なんて意に介していないように。
「……あ、治療費はとらないから、安心して」
東雲は最後にそれだけ言うと、そのまま部屋から出ていった。
「……は? 治療費?」
何言ってんだあいつ。
何を治療して――
「……そうか」
点と点が線になる。
治療費という言葉が俺の中にすとんと腑に落ちていく。
「なあ、あんた……」
「は、はい、なんでしょう」
俺はギルドの職員に問う。
「東雲は……あいつは、俺になんかしたのか?」
「え、あ、はい。戸瀬様が苦しんでいるのを見ていたら、突然なにやら指を動かして、それから戸瀬様の容態が――」
「ちくしょうッ!!」
俺は握りしめた拳をベッドの上に叩きつけた。
あいつは俺がこなせなかった依頼を軽くこなし、そのうえで、あろうことか俺のことまで救いやがった。
「……みてろよ」
東雲真緒。
この借りはいずれ絶対に返してやる。
ここは山……だったか? それとも谷?
どこかの断崖のような、切り立った足場。
けれど、そんなことより――
月が……そう、月がやけに明るかった。
俺と月の間を遮る雲はひとつもなく、まるで嘲笑うかのように、冷たい光が降り注いでいた。
そして目の前には、あいつが立っていた。
あの赤い顔の小鬼だ。
残響種と呼ばれる魔物を、オオムカデを倒した俺に、敢然と、怯む事無く立ち向かってくる身の程知らずの、ちっこい鬼。
簡単な依頼のはずだった。
何年か前に抜け出した実験体の、その生き残りを見つけ出して始末するだけ。
前任者はどうやらヘマをして、そいつに殺られちまったらしいが、そんなのは関係ねえ。
俺は勇者だ。
俺に倒せねえ相手なら、だれにも倒せっこねえからだ。
俺がやらねえと誰がやれる。
俺はこの数ヶ月間、そのスタンスでやってきた。
俺はこれからもそれを変えないだろう。
だが――
なんだ、こいつは。
俺の一撃は、あの小鬼にすべて読まれていた。
剣も打撃も、すべてだ。
仕方なく俺は近接戦闘を諦め、辺り一帯を焼き払う剣〝フランベルジュ〟を取り出した。
これで終わりだ。
そう剣を振りかぶった瞬間、俺に向かって風が吹いた。
その風に乗って、気色悪い黒い靄が俺の体を包んだのだ。
俺はとても立っていられなくなり、その場に崩れ落ちた。
徐々に全身の感覚がなくなり、痛覚だけは鋭敏に俺を締め付けてくる。
痛い。立てない。痛い。息ができない。痛い。苦しい。
やがて見上げる視界に、影が差す。
あいつはゆっくりと拳を振り上げると――
◆◆◆
そこはすでに、ここ最近見慣れた病室の天井だった。
そうか。俺はまた気絶するように眠っていたのか。
あれからというもの、体の痛みで何度も寝て起きてを繰り返――
「……ん?」
痛みがない。毛ほども。
倦怠感も、吐き気も、頭痛もない。
ほとんど感じなかった手足の感覚も、今はありありと感じられる。
医者にも匙を投げられたほどの後遺症なのに、これは一体――
「戸瀬」
ふと名前を呼ばれ、声のほうを見てみる。
そこには記憶にない、見たことのない女が立っていた。
女は無表情のまま、こちらをじっと見下ろしている。
黒く艶のある髪、細い輪郭、形のいい鼻、無愛想だが顔はかなり整って――
「おまえ……その声、もしかして東雲……か?」
女は肯定も否定もしない。
ただじっと俺を、ゴミを見るような目で見下している。
勇者である俺にこんな態度をとるヤツはひとりしかいない。
眼鏡こそなくなっているが、俺は目の前にいる女が東雲真緒であることを確信した。
「お、おまえ、何しに来た……?」
俺を笑いに来たのか?
それとも、この前の復讐か?
わざわざ?
いや、この女ならあり得る。
空気の読めない勘違い女の逆恨み。
まさかこんなことまでするなんて、相当執念深い女だ。
だが、こんなやつに何ができる?
少し前の俺ならともかく、今なら――
「とりあえずこれ見て」
そう言って、俺の前に差し出されたのは薄汚い手ぬぐいだった。
東雲は白魚のような細く白い指で、手ぬぐいをほどいていくと、中から角が――
角!?
手に取りじっくりと見る。
見覚えがある。
これは……この角はあいつの、忘れるわけがねえ。
この角は俺をこんなにした、あのちっこい鬼の角だ。
それをなんで東雲が持ってやがるんだ。
「見覚えある?」
相変わらず何を考えてるのかよくわからねえ、抑揚のない声で東雲が俺に尋ねてくる。
「見覚えも何も……これはあの鬼の角だ……! おまえ、いったいこれをどこで!?」
俺が東雲にそう問いかけると、あいつは俺の問いに答えるでもなく、誰かに向かって口を開いた。
無視?
無視したのか、この俺を? こいつ如きが?
「……ね? 嘘じゃなかったでしょ?」
「むぐぐ……たしかに……」
東雲の問いにくぐもった声で答えたのは中年のくたびれた男だった。
……ちょっと待て、この男、見たことがある。
こいつは――
「おまえらは……たしかギルド職員の……これは、どういうことだ! なんで東雲があの鬼の角、持ッてンだ!」
「東雲……様が、討伐なされたのです。酒呑童子を」
男は眼鏡を指で押し上げながら、悔しそうに答えた。
「酒呑……童子……?」
なんだそれは。
〝酒呑童子〟を討伐?
聞いたことも見たこともねえ。
それが今回の件にどう関係してるんだ。
「戸瀬様が重体を負わされた相手です」
思考が、頭が、一瞬にして真っ白になる。
「う、うそだろ!? こいつが!? こんなヤツが?」
理解が追い付かない。
あの鬼を……東雲が?
俺の攻撃の一切が通じなかったあの鬼を、あのわけのわからない靄で体の自由を奪ってくる鬼を、東雲なんかが討伐したっていうのか?
ステータス・オープンとかいうふざけた能力で、一体どうやって。
そうだ。なにかの冗談に決まっている。
こんなヤツがあの鬼を倒すなんて。
それに、さっきの角もよく見たら偽物のような気がする。
そうだ。
こんなことはあってはならない。
俺が勇者で、こいつはただの凡人以下の人間。
ただ見た目を取り繕っただけの変な女だ。
言ってやる。
その角は――
「まぁ、そういうこと。事情話したら、すっとぼけられるかもしれなかったから、最初に角を見せた」
思考を先読みされて行動を潰されたのもそうだが、一瞬でも負け犬みたいな思考になった俺自身にも腹が立つ。
「お、俺だって……! 本気を出せば、あんな鬼……!」
それも本当だ。
剣や打撃が当たらなかったとはいえ、最初からフランベルジュを使っていたら間違いなく倒せていた。
「うん。実際、戸瀬ならいけたと思う」
「そ、そうだろ……俺だって……!」
くそっ、ふざけんじゃねえ。
そんなに軽々しく認めんじゃねえ。
おまえは俺を否定してきたんだろ。
なのになんで今更――
「油断、してなかったらね。いい加減、その突っ走る癖直さないと、本当にあんた死ぬよ」
「ぐっ……!?」
東雲が偉そうに俺に対して、指まで指して説教してきやがる。
俺を心配してんのか……?
いや、この口の悪い冷酷女に限ってそれはねえ。
本当に何様のつもりなんだこいつは。
「……けっ、まあいい。よかったな、たまたま相性が良かったんだろ?」
「だね。じゃあもう、用もないし帰るね」
そう言うと東雲は身を翻して病室から出ようとする。
またこれだ。こいつは結局何を言われても言い返さない。
俺の言葉なんて響いてないみたいに。
俺の存在なんて意に介していないように。
「……あ、治療費はとらないから、安心して」
東雲は最後にそれだけ言うと、そのまま部屋から出ていった。
「……は? 治療費?」
何言ってんだあいつ。
何を治療して――
「……そうか」
点と点が線になる。
治療費という言葉が俺の中にすとんと腑に落ちていく。
「なあ、あんた……」
「は、はい、なんでしょう」
俺はギルドの職員に問う。
「東雲は……あいつは、俺になんかしたのか?」
「え、あ、はい。戸瀬様が苦しんでいるのを見ていたら、突然なにやら指を動かして、それから戸瀬様の容態が――」
「ちくしょうッ!!」
俺は握りしめた拳をベッドの上に叩きつけた。
あいつは俺がこなせなかった依頼を軽くこなし、そのうえで、あろうことか俺のことまで救いやがった。
「……みてろよ」
東雲真緒。
この借りはいずれ絶対に返してやる。
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